第一章 生贄の村 二
第一章 生贄の村 二
混乱してはいけない。するべきことを、頭の中でしっかり言語化する。あまりにも非現実的な、押し寄せる情報の津波に襲われた時、人はその濁流の中から得られる、膨大な異物との衝突を脳内で精査し、必要な電気信号だけを意識の配下におくべきだ。
突然現れた闇の柱。無数の闇人。そんなものはどうだっていい。わたしが今考えるべきことは、妹をどう助けるか。それだけだ。
「タスケテ、お姉ちゃん」
その声が聴こえた瞬間、わたしは直感的に闇視を使い、小型の闇人の姿を確認した。そこに見えたのは、妹の魂だった。魂の上半分、上半身だけが闇人の体から抜け出し、必死にわたしに手を伸ばして、助けを求めている。妹もわたしと同じ生贄なのだ。同じように闇視を使うことが出来る。周りに群がる他の闇人には、魂が見えない。突破口を開けるとすれば、おそらくそこしかない。
「走って!早くこっちに!」
わたしは可能な限りの大声で、妹へそう呼びかけ、両手のたいまつを投げ捨てた。妹はそれを聞き取ってくれたのだろう、小型の闇人はわたしに向かって走り始めた。妹の魂は徐々に闇人の体へと、その闇の中に引きずり込まれていく。早く、急いで!このままだときっと、魂が完全に闇に吞み込まれてしまう。妹は何度もよろけて、転びそうになりながらも、それでも周りにいる闇人達を押しのけ、わたしの胸へと飛び込んできた。
「お姉ちゃん、オネエチャン……!」
「大丈夫、大丈夫だよ。絶対助ける。絶対に……」
「オネエチャンの、からだ、ちょうだい?」
小さな両手が、わたしの首に巻き付いて、信じられないほどの力で締め上げた。頸動脈を、脳へと流れる血液を遮断され、わたしの意識は一瞬で途切れそうになったが、闇視で魂だけは逃がすことが出来た。すぐ下に見えるのは、わたしの体に覆いかぶさり、今もなおその首を締め上げる、小型の闇人の姿。そしてとうに意識を失った、わたしの肉体。そして……。
闇の中にほとんど呑み込まれてしまった、妹の魂が、わたしに救いを求め続けていた。
「怖い、コワイよ、お姉ちゃん。ワタシの魂が、闇に、食べられちゃうよ」
妹の魂はすでに、正気を失っていた。顔から下が闇の中に呑まれてしまい、意識が混濁していることが見て取れた。闇の柱から現れた大勢の闇人達は、わたしの顔を見てから、ぼそぼそと何かを呟いて、どこかへ去っていく。ほんの何体かの闇人が去り際に「イケニエ」と口にしたのを、わたしは聞いた。
間違いない、もう確定だ。これが闇人の正体。人間の魂が闇に囚われた存在。闇に呑まれてしまったこいつらは、まだほんの少し人間だった頃の意識を持っている。生贄のわたしを傷つけてはならないという意思が残っており、わたしに手を付けずに去って行くようだ。もっとも、助けるつもりもないようだが。
「体が、カラダが、無いと、魂が、食べられちゃう。からだを、ちょうだい。お姉ちゃんの、カラダを……」
「いいよ、わたしの体をあげる。だからもう少し頑張って」
こんなことは試したことがないが、一か八かの賭けだ。やってみるしかない。妹の魂を、わたしの肉体の中に入れる。わたしは渾身の力で、妹の魂を掴んで、無理矢理に闇人の中から抜き出そうとしてみた。……駄目だ、全然引きずり出せない。どれだけ力を入れても、妹の魂はさらに、闇の中に呑み込まれていってしまう。
わたしは結局、また誰も助けられないの……?
その子も、この子も、誰も……?
嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
「大丈夫、アイは一人じゃないよ」
気付くとわたしの隣に、誰かがいた。見知らぬ女の子が、わたしに微笑みかけている。
「誰……?」
「園子だよ」
……そのこ?……その、子……?
「あたしのことより、早く引っ張って!この子の魂が呑み込まれる前に!」
わたしはその言葉で自分を取り戻し、園子と一緒に妹の魂を全力で引っ張った。少しずつ、ほんの少しずつ、妹の魂は闇の中から抜き出され、ついに足の先まで完全に抜けきったとき、妹を吞み込もうとしていた闇人の体は、霧のように溶けて消えた。残されたのは三人。わたしと、園子と、妹。
助けた。妹を、助けられた。そして園子も、ここにいる。口から出す言葉を思いつかず、涙ぐむわたしの頭に手を置いて、園子はわたしにこう言う。
「魂だけのこの子は、このままだとまた闇に囚われちゃう。だから、あたしが保護して連れていくね」
「園子……」
「ごめんね、あたしはこの世界の住人じゃないから、ここに長くは留まれないの。もう行かないと消えちゃうんだ。この子は守るから、そこは大丈夫」
聞きたいことがたくさんある。だけどそんな時間はないらしい。園子は妹の魂を抱きかかえると、遠くを指差した。
「向こうから、アイを助けてくれる人が来るから、その人と一緒に行って。そしてこの世界の真実を見つけて。太陽がどこへ消えたのかを見つけるの」
そんなことじゃない。わたしが聞きたいのは、そんなことじゃなくて……。わたしは泣きじゃくり、うわずったかっこ悪い声で、一つだけ園子に聞いた。
「園子は今、幸せに暮らせてる?」
園子は笑ってうなづいた。そしてわたしに背を向け、闇の柱へと向かって歩いていく。園子は背を向けたまま、わたしにこう言って、闇の中へと消えていった。
「これからも、友達だよ。またね」
肉体の意識を取り戻したわたしは、園子が指差した方をじっと見つめた。わたしを助けてくれる、誰かが来るらしいが……なにも見えない。誰もいない。そういえば、わたしを生贄にするつもりだった長老達は、どうなったのだろう。
海の方向に、小さなたいまつの火がいくつか見えた。長老達はきっと、闇の柱から出てきた闇人から逃げて、海へと向かったのだろう。だが……。火が、一つ消え、二つ消え、そしてついに、全て消えた。闇人に殺されたか、自ら命を絶ったか、どちらかは分からない。それに、どっちでもよかった。
全てが、闇になった。わたしが持っていた火、たいまつは二つとも地面に投げ出され消えてしまった。さっきは妹を助けるのに必死だったとはいえ、今考えるとたいまつを投げ捨てたのは悪手だった。村の火も消え、どこからも光が無くなった。そういえば、本当に何一つ光の無い闇の中にいるのは、初めてかもしれない。この世界が闇に閉ざされているとはいえ、常にどこかに火があった。本物の闇が全身にまとわりつくのは、今が初めてだ。
……悪くない。あらゆる資格情報が遮断されたことで、思考が研ぎ澄まされていく。今わたしの心の中にあるものは、満足と安心。その二つだけ。園子は、幸せに生きている。転生して、別の世界で幸せになれたんだ。よかった。本当に、よかった。そして妹も、園子がなんとかしてくれると言っていた。
……そういえば、園子はさっき、気になることを言っていた。「そしてこの世界の真実を見つけて。太陽がどこへ消えたのかを見つけるの」と。
この世界には、元々太陽があった……?
謎だ。謎だらけだ。考えても分からないことばかり。学校の勉強、テストを受けるときは、どうしてた?分からない問題があるなら、先の問題に目を進める。答えを出せない問いに、意識を囚われるべきではない。今確定していること。わたしを助けに誰かが来る。園子がそう言っていたのだから、それは確定事項のはず。それを待てばいいだけだ。
闇の中で、わたしはじっとその人を待ち続けた。自分から歩こうかとも考えたが、人間という生き物は、目印がないと、真っすぐ歩くことが難しいものだ。知らず知らずのうちに、園子が指した方向とは、別へと向かってしまうかもしれない。ここで待つのがベストのはず。
……背後にそびえる闇の柱から、時折獣のうめき声のようなものが聞こえる。「グルル、グルル」。これは幻聴か、実際に聞こえている音なのか。「グルル、グルル」。その声が聞こえる度に、闇視を使って闇の柱と自分の周囲を確認するが、なにもいない。「グルル、グルル」。なにもいないはずなのに、その声はまた聞こえてくる。わたしは、こんなにも臆病だっただろうか。暗闇を恐れて、ありもしない恐怖に身を震わせるような人間だっただろうか。
……あれは、たいまつの火だろうか。園子が指差した方向に、小さな明かりが見えてきた。「グルル、グルル」。やはりここで待ち続けて正解だった。「グルル、グルル」。後はあの火を目指して歩けばいい。そして事情を話「グルル、グルル」して助けてもらい……。
「グル、グルルルル」
……幻聴じゃなかった。闇の柱の中から、獣のような闇人が、その巨大な顔をのぞかせていた。四足歩行の、巨大化したイヌ……?いや、背中から翼が生えている。村の中には、イヌやカラスが何匹かいたが、それが混ざり合ってこうなった?顔だけでわたしの全身と同じくらいの大きさがある。こいつも一応は闇人のようで、そこに目鼻や口は無い。しかし、前足から突き出る、日本刀のように鋭利な爪のシルエットは、一寸の間もおかずに、わたしに逃走を選択させた。
怪物はうめき声を発するだけで、まだわたしに襲い掛かってくる様子を見せない。しかしそれも時間の問題だろう。この化け物はまだ、闇の柱の中から完全に出てくることが出来ないでいるだけだ。少しずつ仕組みが分かってきた。おそらく闇人の体はこの柱から、この柱を構成している闇からつくられているのだろう。3Dプリンターのようなものだ。全身をつくるには時間が必要。なんにせよ、わたしがするべき事は一つだけ。
わたしは遠くに見えるたいまつに向かって、全力で逃走を開始した。それ以外に何が出来るというのか。見ず知らずの誰かが自分を助けてくれることを期待して、ただ逃げる。地球にいた頃は、自分がこんな無様なことをするなんて夢にも思っていなかった。誰かに助けを求めるだけでも、想像の向こう側だったというのに、さらにその相手が顔も名前も知らない他人ときている。でも園子がそう言ったのだ。今はただ、その信用にすがるしかない。
たいまつの火は、その場から動くことなく、じっとしている。こちらに気が付いて、様子を見ているのだろうか。闇視で闇人を避けながら、蛇行しつつ最短距離を駆け抜ける。そしてたいまつまであと五十メートルほどまで近づいた時、背後からけたたましい叫びが、闇の柱という銃口から獣という弾丸が、世界に放たれた銃声が鳴り響いた。
たいまつまであと四○メートル。背後を振り返る余裕なんてない、ただ足を動かす。
あと三○メートル。わたしの胸の中で、不安の種が突然芽吹いた。
あと二○メートル。あんな怪物に、一体誰が勝てるの……?人型の闇人ですら、人間には太刀打ち出来ないのに。
あと十メートル。
「逃げて!化け物に追われてるの!」
わたしは叫び、警告を発した。わたしはもしかすると、とんでもない馬鹿をしでかしたのではないか。園子は『わたしを助けてくれる人』と言っていただけだ。ただの親切な旅人が、通りがかるだけかもしれないというのに。あの火の元に、わたしをこの先ずっと、あらゆる危険から守ってくれる、白馬の王子様がいると期待してしまっていたのではないか。
あと数メートル。ぼんやりとした明かりの中に、その姿が浮かび上がった。
……あれは、老人……?ーーーいや、違う……?
背後から迫る危機によって、過敏化したわたしの動体視力は、一瞬の間にその人物の特徴を分析した。
黒人さんだ。黒人男性だ。肌が真っ黒、この世界にも黒人という人種がいたのか。その黒い肌と対照的な、豊かに生やした灰色のひげが印象的だ。そして、その顔。深くしわが刻まれ、頭髪が抜け落ちた頭部は、間違いなく老人のものだ。だというのに、その肉体はあまりに若々しく、力強さに溢れている。身長は二メートル近い。上半身にはなにも着ておらず、その体に搭載した過剰な筋肉が、たいまつの火によって照らされ、暴力的な陰影を揺らめかせていた。
老人は腰元にぶら下げていた、片手斧を右手に持った。まさか、戦うつもりなのか?背後から迫る、怪物と……?
「来い!」
老人が咆哮した。全身を震わせるような重低音。わたしはその声に驚いて反射的に身をかがめ、そのままつまずいて老人の足元へ転がってしまった。だが転がりながら、闇視で周囲の状況を確認するくらいの抵抗はした。怪物は考えていたより遠くにいた。空だ。翼をはためかせ、上空二○メートルほどの高度から、こちらに向かって急加速し、その爪を振り下ろそうとしている。
「あそこ、あそこから襲ってくる!」
「案ずるな、分かっている」
老人は、必死に怪物へと指を向けるわたしを、見ようともしなかった。静かに、斧を振りかぶり、そして……。
一閃。闇の中に、刃の軌跡が銀色の糸のような、瞬間の輝きを生んだ。それと同時に、怪物の命は消えていたのだ。
あまりにも呆気ない終幕。それがこの老人が備える、異常な武力を語っていた。怪物が振り下ろした爪を、紙一重で避け、反撃の一撃を加えた。老人が怪物の頭に振り下ろした死の衝撃は、その脳天から顎まで貫き、地面に突き刺さっていた。闇人とはいえ、致死の傷を受ければ死ぬことを、わたしはこのとき初めて知った。
「魂が『自分は死んだ』と認識すれば、それで終わりだ。闇に囚われる前、肉体を持っていた頃の本能からは、闇人となった後も逃れられないのだ」
老人はそう言いながら、斧を地面から引き抜き、腰にぶら下げた。怪物の姿はすでに霧となって消えている。老人はゆっくりと腰を下ろし、わたしに手を差し伸べてきた。なんて大きく、あたたかい手のひらだろう。わたしを見るその目にもまた、あたたかい優しさが込められていた。
太く垂れた眉の下に、目尻の下がった大きな目。一見すると穏やかな少年のような印象を受けるその眼差しの端には、何本もの細かいしわがあり、歩んできた人生の長さを、その経験の深さを感じさせた。形のよい鷲鼻の下には、引き締まった口。優しさと厳しさ、その両方を兼ね備えた、熟練の戦士の風格が表情に現れている。
「闇の扉から、逃げ延びたのか」
「……扉?」
「あれだ、あそこにお前が暮らしていた場所があったのだろう」
老人はわたしの村へと指を向けた。闇の柱とわたしは形容したが、あれはどうやら「扉」と呼ばれているようだ。なるほど、扉か。あの中から闇人は現れる。
「お前の他に、生き残りがいるか分かるか?」
「……いない」
「ではここから離れるぞ。扉の周囲は闇人が徘徊していて危険だ」
老人は闇人のことは、わたしと変わらず闇人と呼ぶ。人間の考え方、感じ方というのは、どこでもだいたい同じのようだ。それに使っている言葉が同じでよかった。全く別の言語を使われたら、会話が出来ないところだった。
老人はわたしの手を引いて歩き始めた。わたしの歩幅に合わせてくれている。どこか行くあてがあるのかと聞くと、老人は一言「あてはない」と答えた。行く場所はないが、何か目的があり、旅をしているということだろうか。
世話になりっぱなしは性に合わないので、闇視を使って安全なルートを指示しながら足を進める。老人は様々な場所を旅し、たくさんの人間と出会ってきたが、わたしのような力を持っている者には初めて会ったらしい。三つの目を持つわたしの容姿には、特に驚いた様子を見せなかったが。特殊な見た目の人間は珍しいものではないという。
「魂を体外に放出し操るか。それは特別な力だ」
老人はそう言ったが、わたしはそうは思わなかった。闇人の位置が分かるとはいえ、実際に危険にさらされたときに、身を守ることは出来ない。さっきはこの人がいないと、わたしは殺されていた。それに、妹が闇に囚われたときだって……。園子が来てくれたから、あの子を助けられたけど、わたしはただの無力な子供なんだ……。
それから一時間くらいは歩き続けただろうか。老人は歩きながら木の枝を集め土台を作り、その上に黒炎石を置いて、たき火をつくると、ここで寝ようと言った。しかし本当に年齢を感じさせない人だ。歩くときも座る姿も、背筋をぴんと伸ばし、きれいな姿勢を維持している。顔だけを見れば、おそらく八○歳を超えているというのに。
老人はあぐらをかいてたき火にあたり、わたしは彼の正面で体育座りで、ぼんやりと火を眺めた。……大分疲れている。火のあたたかさを、そのありがたみを改めて実感している。
「こうして出会ったのも一つの縁だ。まずは名を聞かせてくれ」
「名前は無いです。わたしは生贄にされるだけの人だったから」
「では自分の名は、自分で決めるとよい。お前は自由になったのだ」
老人は驚く様子を見せずに、淡々とそう言った。今までの旅の中で、同じような風習の村をいくつも見てきたのかな。
「じゃあ、あなたが決めてください」
「私が決めるには、お前のことをなにも知らない。まずは会話から始めよう」
「その前に、あなたの名前は?」
「ガンジイ」
ガンジイと名乗った老人に、わたしは今までの人生の全てを語った。地球で生きていた頃のことも含め全部。ガンジイさんは時折質問を挟んできたが、わたしの言うことを全面的に信用しているようだった。ガンジイさんは、魂というものが実在することを、経験から理解しているようだ。わたしの闇視の力のことも、すんなり受け入れてくれていたし。それにしたってこんな夢物語のような話を、信じてくれていることが不思議でならない。
「……なんで信じてくれるの?もしかして、人が嘘をついてたら直感的に分かるタイプ?」
「嘘と真を見分けることは出来ない。人の言葉、態度というものは、この世のなにより複雑かつ難解だ」
「じゃあなんで?」
「お前を信じたい。そしてお前もまた、信じてもらいたがっている」
……さすが年の功。わたしの心を見抜かれている。わたしが包み隠さずガンジイさんに全てを教えたのは、彼からの信用を得たかったからだ。これほどの武力、そして経験を備えているであろう人物を、逃すわけにはいかない。……よくない考え方だが、同情を向けてもらおうとした。わたしの方から、ガンジイさんに提供できるものなど一つもないのだ。彼の感情に訴えかけるしかなかった。
「ガンジイさんは、なんで村の近くにいたの?園子から何かメッセージを受け取ったとか?」
「敬称は不要だ。敬の言葉も使わなくてよい。私があの場にいたのは、ただの偶然だ」
「……じゃあ、その、わたしの話はこれで終わりなんだけど。……これからも、一緒にいてくれる?」
「無論。お前の目的と、私の目的は一致している」
「え?」
「タイヨウを見つける。それが私の旅の目的なのだ」
ガンジイさんは、いや、敬称はいらないと本人が言った。ガンジイは、ほんの少しだけ自分の過去を語った。彼はとある村の戦士で、死んでしまった友人との約束を果たす為に、旅を続けているのだという。ガンジイの村は、わたしの村と同じようにある日突然、闇の扉の出現で滅んでしまったらしい。ガンジイは唯一の生き残りだそうだ。
それ以上は語らなかったし、今はまだ聞くべきではないと思った。本人があえて話そうとしなかったことを聞き出すほど、わたしと彼は関係性を構築出来ているわけではないし。それに距離が縮まったからこそ、聞くべきではないこともある。とにかく今はまだ、その判断をつけることも出来ない。
「私の村には、古い言い伝えがあった。かつてこの世界には、タイヨウという巨大な光の球が存在し、あらゆる場所を照らしていたという。私はこの闇の世界に光をもたらし、全ての者を救おうと、友と己に誓った。お前が話した、ソノコという者も、この世界にはタイヨウがあったと明言したのだろう」
「太陽が消えちゃったから、その理由を探し出してって。なんで園子が、そんなことをお願いしてきたのかは分からないけど。……園子はこの世界を救おうとしてるのかな。今どんな立場にいて、どんなことを考えてるのか、なんにも分からないや」
「お前自身は、どうしたいと考えているのだ」
「……正直言うと、よく分かんない。園子にお願いされたから、そうしよう、くらいの感じ。でもやりたくないわけじゃないよ」
「世界に光をもたらせば、全ての者が救われるだろう。それを為したいとは思わないか」
「思わない」
それは、思わない。はっきりそう思わない。「全ての者」というところが、気に障るから。
「この世界にも、人を平気で苦しめようとする奴はたくさんいるでしょ。村の連中は、わたしや妹を生贄にしようとしたんだ。そんな奴等まで助けてやりたいとは思えない」
「お前は優しい子だな」
予想外の感想を持たれた。わたしが優しい?本気で言っているのだろうか。ガンジイの顔をそれとなく見てみると、穏やかな眼差しをこちらに向けていた。……どうやら本心のようだ。今のわたしの発言のどこに、そう思わせる要素があったのだろう。
「お前は強く、優しい子だ。そのうち許せるようになるだろう」
「……なにを?」
「弱き者を。お前を苦しめてきた者をだ」
「……無理だよ」
「今はそれでよい。もう眠るがよい。お前の名は、考えておく」
「ガンジイは寝ないの?」
「背を地につけて寝たことはない。闇人も野生の獣も火を恐れるとはいえ、意識の一部分は常に覚醒させておかねばならん。お前は気にせず眠れ」
その言葉に甘えさせてもらうとしよう。今日は心も体も、くたくたになる一日だった。妹は今、何をしているのだろう。園子が任せてと言ったのだから、無事であることは確かだろうけど。そもそも園子は、今まで何をしていたのだろう。闇の扉を介して別の世界と、この世界を行き来しているのかな。三人でまた会えるよね、会えなきゃいやだ。
……闇の扉は、別の世界と、この世界を繋ぐ扉……?園子に会うには、また闇の扉と遭遇しないといけないのかな。……駄目だ、考えていると眠れなくなる。もうやめよう。
眠りに落ちる間際、ガンジイが言った一言が、わたしの頭の中で回転を続けていた。意識という無重力下の宇宙船の中で、一つの言葉がふわふわと浮かんで回り、あらゆる角度からその意味を考察させてくる。「弱者を許す」か。……そもそも弱者は村人共でなく、わたしの方だろう。強者とは使う者。弱者とは使われる者。わたしは後者だったのだから。……この根本の考え方が、そもそも間違っているのだろうか。強者と弱者の定義が、わたしとガンジイでは違うのかな。あんな奴等を許す気なんて、さらさらないのだけれど……。
……何時間眠っていたのだろう。目を覚ましたわたしに、ガンジイは竹の水筒を渡してくれた。のどがカラカラになっていたが、飲んでもいいのかな。飲み水は貴重なはずなのに。
「水の音がする。近くに川があるだろう、飲んで問題ない」
「……そんな音する?」
「私の部族は五感が鋭い。ときには百メートル以上先の、水流の音を聞くこともある。だから心配しなくてよい」
そういえばガンジイは、わたしが獣の闇人に襲われていたとき、敵の位置を完全に捉えていた。この闇の中でも、遠くの情報を感じ取れているのか。……それって、闇視の上位互換なのでは?少しは旅の役に立てるかとも考えていたが、そんなことはなかったようだ。安全なルートの探索なんて、わたしが教えなくても出来ていたのか。そんな気の落ち込みを見せていると、ガンジイは「私は壁の向こうを見ることが出来ない」とフォローを入れてくれた。
「それよりも重要な違いがある。私は魂の声を聞くことは出来ない。他者の魂を見て、会話が出来る力を持つのはお前だけだ」
「完全に闇に囚われてたら、なにも見えないし聞けないけどね」
「それでも有用だ。そんな力の持ち主には出会ったことがない。この世界の謎を解き明かすうえで、必ず必要になるだろう。頼りにしているぞ」
わたしはなんだか照れ臭くなって、少々強引に話題を変えた。人から褒められることには慣れていない。優しい言葉なんてかけられたら、泣いてしまいそうになる。
「わたしの名前、考えてくれた?」
「二つ候補を考えた。どちらがいいか、自分で決めるとよい」
ガンジイはそう言うと、地面に指で文字を書き始めた。
……全身が凍り付く、とはこのことを言うのだろう。ガンジイは信じられないものを、そこに記した。体が凍り付いたように、わたしの目線はそれを凝視していた。
「私の部族には、古くから伝わる文字がある。私の部族にだけ伝わる文字だ。様々な地を旅してきたが、この文字を使う者には出会ったことがない」
「……読めるよ」
「……お前の村には、この文字が伝承されているのか?」
「ちがう、ちがうよ、村にこんな文字無い。だって、これ……」
そこに記されていたのは「愛哀」と「麗冷」。
この世界には存在しないはずの文字。漢字だった。
次回へ続く……




