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第一章 生贄の村

第一章 生贄の村


「異世界転移、っていうのが流行ってるらしいね」

 とある日の夕方、塾でそう唐突に話しかけてきたのは、いつもわたしの隣の席に座る女の子だった。わたしと同じ、十六才の女子高生。どんな見た目をしていたかは、あまり覚えていない。わたしは事故に遭ってから、記憶が消えてしまっている部分が多い。覚えていることの方が多いけれど、忘れてしまっていることも少なくない。

 その子の顔も、名前もしっかりと思い出せないのは、本当に悲しいことだ。わたしが死ぬまでの十六年の人生の中で唯一、その子は友達と呼べる人だったから。

「いや、転移じゃなくて、転生だっけ。まぁ、どっちでもいいや。どう思う?」

「どうって?異世界に行きたいかってこと?」

 その子は「もちろん」と言ってうなづいた。贅沢な逃避なのは分かっているが、その不満は理解できる。毎日勉強に追われ、気持ちが安らぐ時間なんてほぼない。リラックス出来るのは、親や先生の目を盗んで、こっそり漫画や映画を見ているときくらいかな。

 そうやってストレスの逃げ口を作ってやらないと、どこかで心が壊れてしまう。わたしは反骨精神でなんとか耐えているが、真面目な性格が災いし、ノイローゼになって脱落していく人を何人も見てきた。

 時折だが、牢屋の中の囚人の暮らしの方が、ましなのではないかと考えてしまう。そこでなら少なくとも、人生のイス取りゲームから脱落し、絶望の表情を浮かべる同年代の姿なんて、見なくて済むだろうから。悲しみ、妬み、憎しみ、絶望。あらゆる負の感情が内包された、怪物の形相を。

 ……同級生のあんな顔を見るくらいなら、自分が高校受験に失敗した方がよかったと、自責の念にかられることもある。でもわたしが落ちたところで、その人達が合格するとも限らないし、意図的に考えすぎないように、メンタルコントロールをしていかないといけない。とはいえ大学受験でも、また誰かのあの顔を見ることになるのか。考えただけで憂鬱極まりない……。

 世の中には食うことにすら困り、勉強したくても出来ない人がたくさんいることは分かっている。だがそれを過剰摂取させられているこちらとしては、その環境から逃げ出したくなることもある。しかしわたしとその子には、物質的な逃げ場なんてなかった。その子がわたしに懐いていたのは、わたしと同じように、親から愛されていなかったからだと思う。家庭の中に、自分の居場所なんてなかったし、かといって家出して路上で身を売るほど、理性を失っているわけでもなかった。


 今考えるとわたしの人生の中で、幼稚園児の頃が一番楽しかったかもしれない。毎日同じクラスの園児と遊んでいただけの日常。その頃のわたしは、まだ現実というものを知らず、自分が両親から愛されていると信じて疑っていなかった。だがその頃からすでに、親と会話した記憶が無いのだ。わたしがそれを忘れてしまっているだけかなとも考えたが、実際に親子の触れ合いをしたことは無いと思う。

 幼稚園の頃の記憶で、はっきり覚えていることがある。保育士さんがみんなにクレヨンを配り、お父さんとお母さんの顔を描いてみましょうと言った。わたしは描けなかった。父の顔も、母の顔も、どうしても思い出せなかった。二人の顔を、ちゃんと見たことがなかったのだ。当時のわたしはそれに疑問を持たず、どんな顔をしてたっけ、なんて呑気に考えていた。今でも親の顔なんて全く思い出せないし、そもそも知らないままだろう。

 ……あの頃は熾烈な競争の中に放り込まれることもなかった。実際にはすでに蹴落とし合いの中にいたのだが、当時はそうと知らなかったのだし。周りにいる子供達みんなが、これから共に努力していく、素晴らしい仲間なのだと思っていた。

「ねぇ、あたしと二人で逃げない?」

「……塾から?」

「現実から」

「……ごめんね。わたしはまだ、抗いたい」

「そっか。あたしの方こそごめんね。じゃあ、ばいばい」

 自分の見栄の為に子供を産む人間が、世の中にはいるのだ。大企業に勤めていて当たり前。タワーマンションや戸建てを持っていて当たり前。結婚することが当たり前。そして、子供がいることが当たり前。わたしとその子の両親は、その当たり前を一つでも欠けることに、異常な恐怖を持っていた。レールから外れた自分達を見るであろう、世間の目を恐れていた。

 そして自分の子供も、その当たり前を全て持っていて当然。成功の一本道から外れるなんて、許されないことだと考えている。だからわたし達はこうして、毎日必死に勉強することを強制されているのだ。

 そういった親達にとって子供とは、自分の評価を上げるための道具に過ぎないのだろう。「当たり前」という名のイバラに全身を締め付けられ、その針が心を突き刺す痛みに歓喜している。それだけなら特殊なマゾヒストで済む話だが、奴らは厄介なことに、足元の薄氷が割れ、格差の下層へ落下していく人間達を見て、愉悦に浸るサディストでもあった。社会の中の競争に勝てる人間というのは、そういった真正の変態なのだろう。

 そしてその子は、そうではなかったのだ。わたしも決してそうではなかったが、必死に勉強して、両親よりも多くのものを手に入れた後、父も母も捨ててやろうと計画していた。それが当時のわたしの生きる理由。「子供から見捨てられた親」という人生の汚点をあの二人に与えてやる前に、死ぬ気にはなれなかった。

 塾から立ち去ろうとするその子を、わたしは引き止めてこう言った。

「まって」

「なに?」

「あなたとは、出会って一年も経ってないけど……」

「うん」

「わたしの人生の中で、唯一友達だと思える人だったよ」

「ありがとう。あたしもそうだったよ」

 ……過去形のさよならの挨拶。「だよ」ではなく「だった」。それがその子と交わした、最後の言葉。

 自殺した人間は地獄に行く、なんてことを語る邪悪な輩もいるが、わたしはそうならないことを願っている。その子は今頃、天国で幸せにしているはずだから。


 翌日、その子は塾に来なかった。なぜその子が消えたのかを、わたしはもう知っていたが、塾の先生が暗い表情で、その子はもういないと教えてくれた。まだ若い新人の女性の先生。あの人は、本当にいい先生だった。昨日の夜、塾に連絡が入り、わたしにそれを伝えるべきか一晩悩み、結局事実を知るべきだと考えたという。

 先生の目は赤く充血していた。嘘偽りなく、わたしのことを想って、一晩寝ずに考えてくれていたのだろう。こういう人がいるから、自分の味方でいてくれる人がわずかでもいるから、私は耐えてこられた。でも、その子は……。……わたしは、その子を止めるべきだったのだろうか。その日はそればかり考えて、塾の勉強内容なんて、まるで聞いていなかった。

 もしも末期ガンの患者が、安楽死を求めてきたなら、わたしはそれを止めない。これ以上痛みに苦しむくらいなら、楽にさせてあげた方がいいと、わたしは考えている。その苦しみを取り除いてあげることが出来ないのなら、本人の選択を尊重してあげたい。わたしがその子を止めなかったのは、それと同じ理由。

 ……その子は、優しすぎた。自分が勝つことで、他人が負けてしまう。自分が苦しむことには耐えられるが、他人が苦しむ姿を見ることには耐えられない。そういう人だった。そしてわたしには、そんなその子を助けてあげられる力がなかった。……その子の親を殺してしまえば、彼女は呪縛から解放されて、自由に生きられたかな?無理だ。その子はわたしにそんな選択をさせた自分を、許せなくなるだけだ。

 世の中には、どれだけ苦しくても、生き続けることが正しいと主張する人間もいる。はっきり否定的なことを言わせてもらうが、そういった人達は、他人の苦しみに寄り添うことが出来ない、共感性の低い人間なのだろう。もっと過激な言葉を使うなら「人でなし」だとすら思っている。……こんなことを考えているのは、その子を止めなかった自分を、正当化させたいだけなのかな。

 自殺を止めることは、世間一般的に見れば、正しい行動であるはずなのだし。大多数の人間から「その友人を止めなかったなんて、あんたの方こそ人でなしだ」なんて言われて、わたしは後ろ指を指されることだろう。だが今は、あの時にその選択を取ったことが正しかったと、胸を張って言える。

 なぜならその日、わたしは交通事故で死んだのだから。

 もしもその子を止めていたなら、わたしは人の死を止めておいて、自分だけは死んでいった阿呆になっているところだった。独り残されたその子も、すぐにわたしの後を追っていただけだろうし。そのわずかな間でも、余計な苦しみをその子に与えずに済んで、本当によかったと思う。

 覚えているのは、横断歩道を渡っていたわたしを、トラックがはねたことだけ。信号は青だったはず。あのトラックがなんでわたしを轢いたのかは分からない。飲酒運転なのか、居眠りでもしていたか、単純に不注意か。ほんの一瞬自分の体が宙を舞ったのを見たような気がするが、痛みすら感じずに即死したものだから、事故の詳細は一切不明だし、特に大きな意味もないだろう。ただの死亡事故だ。

 だけどわたしは今、こうして生きている。それも、自分がいた場所とは、地球とは、全く別の世界で。

「いや、転移じゃなくて、転生だっけ。まぁ、どっちでもいいや。どう思う?」

「どうって?異世界に行きたいかってこと?」

 あの時わたしは、自分が異世界に行きたいかどうかを、その子に伝えなかった。わたしの答えは「行きたくない」だった。死んだらそれで終わり。それがベストだと考えていた。生まれ変わりなんてしたくない。もう生まれてきたくない。物語の中の世界なら、生まれ変わったその主人公は特殊な力を与えられて、なんやかんや問題を乗り越えて、幸せになるのだろうが、現実で別の世界へ行ったところで、特になにも変わりはしないだろうから。むしろもっと酷い環境に放り込まれる可能性の方が、よほど大きいと思うのだ。

 漫画でも映画でも、そして現実でも、なんでもいい。主人公とその仲間達が幸せな結末へと向かう過程で、どれだけのモブキャラ、名前すらないキャラクター達が犠牲になり死んでいくのか。それを考えてみればいい。わたしはきっと、その名前すらない存在に生まれ変わる。わたしはどうせ、自分の人生の主役になれない。才能ある主人公の、他人の引き立て役になるだけの人生。いわゆるカーストの下っ端だ。きっとそうなるだけだと思っていたし、事実そうなった。今のわたしには名前すらない。

 生まれ変わった世界でわたしに与えられた役割は、生贄だった。


 この世界には、夜だけがあった。正確に言うなら「朝」とか「夜」なんて言葉はこの世界に無い。太陽も、月も、星の輝きすら無い、暗黒の世界。闇という言葉ならあるが、朝と夜という区別自体が、この世界には存在しないのだ。だというのに、この世界の自然環境は、地球と酷似している。不可解なことに、太陽が無いのに気温は温暖だし、四季も存在している。この世界には地球と違う、独自の物理法則があるのかな。わたしはそんな世界に、悪い意味で特殊な、生贄という立場の人間に生まれ変わったわけだ。

 ここには見慣れた植物があり、イヌやカラスなんかもいる。一つ不満なのは、わたしはネコ派なのに、ネコは見たことがない。寂しい。もちろんなにもかもが地球と同じ、なんてことはない。後述することになるが、この世界にしか存在しないものだって、たくさんある。……この世界は地球とよく似た、パラレルワールドなのかな?この村の中で、どれだけ研究や想像を膨らませたところで、その答えが得られることはないだろうけど。

 わたしが生まれた村では、常にたいまつに火を灯して、村中を明るくしている。村の外周と、内部にも等間隔でたいまつを設置して、常に火を灯し続けている。たいまつとは言っても、松脂や木材を燃やしているわけではなく、この世界にだけ存在している、黒炎石こくえんせきという特殊な石を燃やしている。石炭のように真っ黒な石で、水に濡れても消えることなく燃え続ける不思議な性質がある。これによって雨が降っても、火を灯し続けることが出来ているのだ。この村では、火は命よりも大切で、常に誰かが見回りをして、全てのたいまつを監視して回っている。それはこの世界が闇に閉ざされているから……ではなく、もっと決定的な、致命的な理由があるからだ。

 火が消えたら、みんな「闇人あんじん」に殺されるから。

 闇人は、暗闇の中だけにいる、人型をしたなにかだ。小柄な子供の体型だったり、大男のようだったり、固体によって幅があるが、巨人のように大きかったり、小人のように小さいものは、現在のところ見つかっていない。そしてうまく言葉で表現できないが、全身が闇で出来ている。

 黒、ではなく、闇。紙に塗った黒の絵の具と、布団の中に潜り込んだときに見える黒の違い、とでも言えば分かりやすいだろうか。手足があり、頭部もあるが、目と口は無い。……あぁ、分かりやすい例えを思いついた。「影」だ。人間の影が立体化したものを想像してもらえればいい。それが闇人の見た目だ。

 火の無い場所、つまり光の無い所では、闇人の姿は見えない。完全に闇と同化していて、光で照らされたときにだけ、その輪郭が浮かび上がる。この怪物は黒炎石の火を恐れる習性があり、それがある限り村に近付いて来ることはない。なぜか木材を燃やした火では駄目で、黒炎石の火だけが闇人には有効なのだ。闇人は数が多いわけではないが、どこにでもいる。村の外を見れば、必ず視界に入ってくるくらいには。

 闇人の生態は、不明な点が多い。そもそも生物なのかすら分からない。繁殖して増えているのかも、魔法のように突然湧いて出てくるものなのかも分からない。確かな事は、闇人は人間を見つけると、狂ったように襲い掛かってくる。人間以外の動物には反応を示さないのに、人にだけは明確な殺意を向けてくる。その理由も分からない。

 もしも闇人に捕まれば、原型を留めなくなるまで壊される。闇人は異様な怪力を誇り、人間の力で太刀打ちすることは不可能だ。まるで花占いでもするように、頭を引き抜かれ、手足を千切られ、さらに力づくで踏みつけ、殴り、骨が粉に、内臓が液体になるまで、徹底的に痛めつけられる。そして気が済んだら、何事もなかったかのように、どこかへ去って行くのだ。闇人から身を守る方法は一つだけ。黒炎石の火を絶やさないこと。それだけだ。

 黒炎石は、海の近くの洞窟から採掘している。村の中での生産は不可能。そして食料に関してもそうだ。漁に出ないと魚は手に入らないし、塩も作れない。つまり生きていく為には、村の外に定期的に出る必要がある。闇人がそこら中にいる闇の中を、たいまつを掲げながら進んでいく、命がけの行進をしなければならない。村の生活は、縄文時代とほぼ変わらない。漁を中心にした生活。こんな世界では農耕が発達し、弥生時代に文明が発展するとはとても思えない。さらにその先の、科学技術の進化なんて夢のまた夢。

 だからわたし達は、これから先も同じ生活を続けなければならない。この先もずっと、非科学的な風習、生贄となる子供達が産まれ続けるのだ。


 この村ではたまに、三つの目を持つ子供が産まれてくる。額に三つめの目があるのだ。だいたい十年に一人くらいはそういう子が産まれる。その子供が生贄として育てられることになるのだ。

 そしてその子供達には、不思議な力が一つ備わっている。「闇視あんし」と呼ばれている力で、簡単に言えばいつでも幽体離脱をすることが出来る。自分の魂を体の外に出して、周囲を自由に動き回ることが出来るのだ。その間はもちろん、あらゆる物理干渉を受けない。壁をすり抜けることも出来るし、闇人に捕まることだってない。動き回れる範囲は自分を中心にして、半径三十メートルほど。しかしその間、自分の肉体を動かすことは出来ない。闇視しながら肉体を同時に動かしたり、話したりすることは出来ないのが、この力の弱点だ。

 なぜわたし達は闇視が出来るのかというと、海の神がその魂を自分の元へ呼んでいるから、だとかいう歪んだ解釈をこの村の連中はしている。実際、どうして三つ目の子がそういった力を使えるのかは分からない。理屈の分からない超能力だ。だが理由なんてどうでもいい。本当に不条理極まりないだけだ。なんの意味もない命の浪費活動。古来から人間は神という偶像に生贄を捧げてきたわけだが、この世界でもそれは同じだった。

 この村は海の近くにあり、海が信仰の対象だった。闇人がいるのは、陸上だけだからだ。闇人は泳いだり、海中を漂っていることはない。海の上、海の中は、絶対に闇人に襲われない安全地帯なのだ。それなら海に接した場所で暮らせばいいのに、神に近づきすぎると怒りをかう、とかいうやはり意味不明な論理で、あえて離れた場所でこいつらは暮らしている。

 海の底には大いなる神がいて、その力が闇人を寄せ付けないのだと信じられている。生贄は十四才になると、魂が成熟したとみなされ、生きたまま海に沈められ、溺死させられる。そうすることでその魂は海の神へと捧げられ、供物を喜んだ神が村を守ってくれているのだと。

 ……そして今日が、その儀式の日。この世界で十四才になったわたしが、殺される日だ。

「お姉ちゃん」

 自室で決意を固めていたわたしに、妹が不意に声をかけてきた。妹とはいっても、血がつながっているわけではない。わたしの次に、生贄になる子だ。

「……ごめんね。わたしはもう、行かないといけないんだ」

「いやだ」

 地球にいた頃も同じことを考えていたが、放置、というのは暴力と同等の虐待だろう。村人は生贄と決して会話をしてはならないという掟があるのだ。その生贄を産んだ親でさえもだ。生贄の魂は清らかであるべきで、人間の言葉はその魂を汚れさせる穢れだという、わけの分からない考え方をしている。話しかけても全て無視。目を合わせようともしない。そんな連中の為に、わたしも、この子も、命を捨てることになるわけだ。

 ふざけるな。この子を殺されてたまるか。

 会話が出来るのは、生贄同士でだけ。わたしがいなくなった後、この子は次の生贄が生まれてくるまで、独りになる。わたしもそうだった。わたしは泣きじゃくる妹を、儀式のために連れ出されるぎりぎりまで、抱きしめ続けた。わたしは泣かなかった。妹とは必ずこの世界で、生きてまた会える。そう信じていたからだ。

 私は知っている。死んでもそれで終わりではないのだと。だが次の世界に期待して、無抵抗で死んでやるほど、わたしは優しい人間じゃない。わたしは誰かに利用されるのが大嫌いなのだ。かつての親のように、この世界の両親のように、わたしを、妹を、道具のように扱ってきた連中を、絶対に許さない。この馬鹿どもはわたしが嘘を言わないと信じ込んでいる。生贄の魂は清らかで、決して人を欺かないと思い込んでいるのだ。それを利用してやる。

 儀式には村の長老を含めた数人の権力者と、帰り道を護衛するための戦士、わたしを除いて二○人が参加することになっている。それ以外の村人は参加しない。妹が儀式に参加しなくていいのは、本当に幸いだった。もしも妹も連れ出されるなら、わたしの計画は実行不可能だから。

 儀式に向かう際の決まり事で、生贄は闇視の力を使って、海までの安全なルートを指示する役目が与えられている。闇視をしているときは、世界全体が薄暗く見える。闇人の姿は真っ黒に見えているので、どこに奴らがいるのか一目で判別出来る。海に到着するまでの間、長老どもはわたしの指示を聞いて動くだけの、操り人形のような状態になるのだ。

 村から海までは、だいたい歩いて十分くらいかな。距離にすると一キロ前後くらいだろう。わたしの計画は、海へ向かう途中で、わざと誤った方向へとこいつらを誘導し、闇人に襲わせることだった。こいつらはわたしが、闇人のいない安全なルートを示すはずだと信じ切っている。その自分勝手な期待を裏切ってやる。人様のことを殺そうとしているのだから、やり返されたって文句は言えないだろう。わたしはその混乱の合間を縫って、どこかへ逃げてやる。

 もちろん逃げた後に、行く場所のあてなんて無い。地球でも、この世界でも、わたしに逃げ場なんてないのだ。それでもやる。どこまででも、どこへでも逃げて、逃げて、生き延びてやる。まだ幼い妹と一緒では、この計画は実行出来なかった。妹の命を確保することが最優先。この子を危険に巻き込むなんて言語道断だ。だけどわたし一人でなら、なんとかなる。なんとかする。やってやる。やるしかない。

 そして、たくさんの味方をつけて、妹を助けにこの村へと戻ってくる。

 悔しいことだが、わたし一人の力では、妹を助けられない。妹だけを助け出したって、それから先の生贄になる子達も救えないなら意味がない。つまり、わたしの最終目的は、この村を滅ぼすことだ。生贄なんていう、不愉快極まりない因習に縛られたこの村を、この世界から消し去ってやる。

 この子が生贄にされるまで、十年あるのだ。その十年でどうにか、戦力を集めてみせる。この村を潰してやれるだけの武力を。この世界の中には、必ず人間の暮らしている村や町が、他にもたくさんあるはず。この村にしか人間がいないなんて、そんなことありえないはずだ。そしてわたしの考えに賛同を示してくれる人だって、必ずいるはずなんだ。

 わたしには、その子を助けてあげられる力がなかった。わたしも、その子も、ひとりぼっちだったから。

 でも、妹は。この子のことは、必ず助ける。絶対に死なせない。


 そうして村を出たわたしは、計画を実行するタイミングを伺い始めた。わたしを真ん中にして、前に十人、後ろに十人の列が作られ、全員が両手にたいまつを持ちゆっくりと進んでいく。誘導する方向があまりに不自然だと、なにかおかしいと感づかれるかもしれない。あくまで自然に、当たり前のように、こいつらを、誘導……。

「助けて!!」

 突然背後の、村の方向から、誰かの叫び声が聞こえた。その瞬間、わたしも周りにいた連中も、違和感に気付いたと思う。「世界が暗くなった」のだ。いや違う、この世界は元から暗黒だ。これ以上に暗くなるわけがない。つまり……。

「世界が暗くなった」のではない。「光が消えた」のだ。

 振り返ったとき、わたしは視界に入る情報を処理出来ずに、呆然とその光景を見つめていた。村の中心部のあたりに、巨大な、闇の柱が立っていた。突如現れた、暗黒の円柱。その柱の頂点は真っ暗な空と一体化し、柱と空の境目がどこなのか分からない。

 柱はとんでもない速さで膨張し、村を、村人達を、まるでブラックホールのように吞み込んでいく。ほんの数秒の間に、村中に設置されているたいまつが、その火が、そして村人達の悲鳴が、闇の中へと消えていった。

 静寂が、一分ほど続いたと思う。闇の柱は、村のなにもかもを吞み込んだ後も、そこにそびえ立ち続けている。誰も、なにも言えなかった。わたしはただ、一つのことしか考えていなかった。

 妹は……?あの子は……?

 思考が明瞭さを取り戻したとき、わたしは闇の柱へと走っていた。妹を、助けないといけない。それしか考えていなかった。走った姿勢のまま、瞬時に闇視で安全を確認し、体勢を立て直してまた走る。あの柱の中がどうなっているのか、外からは中の様子が全く分からない。とにかく接触してみるしかなかった。

 しかし闇の柱まであと数メートルまで近づいたところで、謎の反発力に阻まれ、わたしはそれ以上、柱に近づくことが出来なくなってしまった。磁石の斥力のように、必死に近寄ろうとしても、それを押し返されてしまう。闇視でなら柱の内部へ侵入出来るかとも考えたが、これも駄目だった。魂だけの状態でも、同様の反発する力によって、侵入を拒まれてしまう。

 だけどまだ、希望は捨てていない。闇の中に吞み込まれてしまったとはいえ、中にいる人間が死んでいるとは限らない。妹はまだ生きている。絶対に生きている。だからまずは、この柱の中に入る方法を見つけないといけない。……しかし、現実というものは、本当に、ただひたすら、残酷だったのだ。

 闇の柱の中から、無数のなにかがゆっくりと、姿を現し始めた。わたしが持つたいまつの明かりに照らされ、次第にその姿かたちが、はっきりと浮かび上がる。

 闇人だ。柱の中から、何十人、いや百人以上の闇人が、柱の外へと、無秩序な進軍を開始していた。

 わたしの視界は、その中に、小さな闇人が一人いるのを捕らえた。そしてその闇人の声を、わたしはその時、確かに聞いたのだ。


「タスケテ、お姉ちゃん」


次回へ続く……

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