100万円を100億円した男
>これ、マジでフェイクじゃなかったらヤバすぎるぞ。
>リアルです。
>どうやって撮ったの?
>内緒にしていただきたいのですが……戦闘用ドローンをハッキングして侵入しました。
>マジかよ、お前、そんなことできるのか!?
>男の子は殺されました。でも、女の子は助かりました。
>なんで? ドローンって自動で攻撃するんじゃないの?
>あまりにも惨くて……思わず衝動的に勝手に制御して、着陸させちゃったんです。
>おいおい、これ、あの戦争だろ。お前、戦地のドローン動かせるって、マジでやべえ。
>……でも、そのせいで、映像が脳裏に焼きついて、不眠症になりました。
>でも女の子は、お前に命を救われたんだよな。
>……結果としては、そうです。でも、正直、正義感なんて無かったです。衝動でした。
>指だけで助けられるなら、もっと助けてやればよかったのに。
>まあ、そうなんですけど……僕にも生活があります。こんなことばかりやれないです。仕事しないと、家賃が払えないので。
>よし、決めた。20本まとめて1000万円で買うよ。
>え? いや、動画は、お渡しした1本しかないです。20回もハッキングすると、目立つ過ぎるので、バレる可能性がありますし、暇もないので……
>19本はこれからの分って意味だよ。先払いってやつ。
>……ってことは、またハッキングしろってことですか?
>ハッキングっていうか、人命救助だろ。
>あ……はい。お金をもらえるなら、他の仕事しなくて済むので、時間的には可能かもしれません。
>“かもしれません”ってどういう意味?
>1回くらいなら気づかれないと思うんです。でも20回もやれば、確実に勘付かれます。だから、もっと緻密にやらないと。
>じゃあ、緻密にやればいいじゃん。俺、1000万円も払うんだぞ?
>僕一人じゃどうにもならない部分があるんです。
>何が?
>VPNを使ってもIPアドレスがバレたら終わりです。だから、カモフラージュとして、同時にアクセスしてくれる人が必要です。
>何人くらい?
>基本はプログラムで処理できますが、IPをばらけさせるには……1万人。できれば10万人くらいが同時アクセスしてくれると安全です。
>うーん……俺のチャンネルのフォロワー、5万人なんだよな。10%が協力してくれたとして、5000人か。
>知り合いに、もっとフォロワー多いYouTuberとかいないの?
>いないです。
>交渉できそうな人は?
>そんな人、いないです。
>……動画、あんまり見ない人?
>いえ、推しがいて。Vtuberの“ココ”は観ます。
>あー、たぬきの着ぐるみ着てる子だろ?
>そうです。
>たしか、あの子ってフォロワー300万とかいなかった?
>335万人です。
>それ、ちょうどいいじゃん。お願いしちゃえば?
>え!? いやいや、ただの一ファンですよ。面識なんてありません。
>大丈夫大丈夫。命までは絶対取られないので、ダメ元でDM送っちゃえ。
>……あ、はい。
>もしかして、コミュ障?
>あ……はい。
>俺も。
>そうなんですか? 全然そんなふうに見えませんけど……
>じゃあとりあえず送ってみて。ダメだったら、この企画はボツってことで
>……わかりました。
陽翔にとって、ユイトはまさに雲の上の存在だった。まさか、自分みたいな人間とチャットをしてくれるなんて思わなかった。
当然、面識なんてない。ユイトは株式トレード界で名を馳せた伝説のYouTuber。わずか100万円の資金を、100億円にまで増やしたと言われているが、その手法は一切明かされていない。40歳ぐらいだろうか。
もともとはエンジニアだったらしく、ネットワークに強いという噂もある。顔出しは一切せず、オフ会にも姿を見せない。ネットでは「伝説の投資家ユイト」と呼ばれていた。
次元は違うが、チャットをしていて、なんとなく彼に“同じ匂い”を感じた。もしかしてこの人も、引きこもりなのかもしれない――と。
*
陽翔は人助けについて、考えたら、ふと、昔の記憶が脳裏に浮かんだ。駅前で、募金箱を持ったボランティアの女性がいた。何度も前を行き来して、募金しようと思った。けれど、その女性があまりにも明るく社交的で、眩し過ぎて、近づくことすらできなかった。
やっぱり、自分は――人を助けるような器じゃない。部屋にこもって、Vtuber“ココ”にスパチャしているほうがよっぽど性に合っている。そう思っていたのに……まさか、こんな展開になるなんて。
人助けなんて、やったことがない。ましてや命を救うなんて――
だけど、あの少女の顔が脳裏から離れなかった。怯えた目。震える肩。自分が“助けた”という意識はなかったが、結果としては命を救ってしまった。
正義感なんて持ち合わせていない。でも、人を助けるって――思っていたより、悪くなかった。
*
陽翔にとって、ココは“生きるための処方箋”だった。
たぬきの着ぐるみを着た癒し系のVtuber。ぽてっとした見た目。舌っ足らずな話し方。やわらかい声。
初めて配信を見たとき、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
画面の向こうで、ココはいつもこう言う。
「今日も生きてて、えらいぞー!」
「ごはん食べた? えらいっ! 超えらいっ!」
「ひとりで泣いてるキミへ、ギューッ!」
その何気ない一言に、どれほど救われたことか。
現実では、誰にも認められなかった。学校に行けなかった。面接では声も出なかった。誰とも心を通わせられなかった。
でも、ココの配信だけは違った。唯一、安心できる場所だった。
スパチャを投げると、ココは画面越しに名前を呼んでくれる。
「おっ、はるとくん! スパチャありがとー! えらすぎーっ!」
ほんの数秒のやり取り。それでも、陽翔にとっては“ココとつながった”確かな実感だった。
ココの缶バッジ。アクリルスタンド。抱き枕。自作のPCケースには、ココのテーマカラーが光るLEDが埋め込まれている。
朝配信があれば朝食をとり、夜配信が終わると眠れる。まるで呼吸が、ココの配信と同期しているような生活。
そんなココに、今、DMを送ろうとしている。
「お願いがあります。あなたのフォロワーの力を、少しだけ貸してください」
そんな文面を何度も打っては消した。
推しに迷惑をかけるなんて、あってはならない。でも――もう他に方法がなかった。
命を救うため。自分の手で、誰かを救えるかもしれない。
陽翔は震える指で、メッセージをもう一度書き直した。丁寧な敬語。謙虚な言葉。誠実さを込めて。
そして、最後に一文だけ、思い切って付け加えた。
「僕は、ココさんに救われました。生きててよかったって、初めて思えたんです。だから今度は、僕が“誰か”を救いたいと思いました」
送信ボタンの前で、指が止まる。何度も逡巡して――そして、ついに、陽翔は送信した。
モニターを見つめていると自然と涙が流れてきた。