1話 日直当番
皆さんは学生の頃に学級日誌を書いたことはあるだろうか。日直の当番の生徒がその日の授業や休み時間のクラスの様子などを記入し、担任の先生に提出するアレである。多くの人にとって学級日誌はマイナスのイメージがあるだろう。なぜなら、学級日誌を書くために休み時間を潰したり、学級日誌と並行して授業の号令や黒板の文字を消したりなど仕事が多くあり、友達と過ごす時間が削られるからである。そんな、誰もが書きたがらない学級日誌だが俺『佐々木健人』は学級日誌を書く日が待ち遠しかった。なぜなら、クラスの美少女で優等生。そして、男子との交流を一切持たない高嶺の花『鈴川明日翔』と交換日記をすることになったからだ。
きっかけは高校の入学式から2ヶ月ほどたった頃。最初は同じ中学校出身の人同士と話したり、孤立している人もいたりとぎこちない雰囲気のクラスであったが、3ヶ月も一緒にに過ごせば自然と打ち解けて、笑い声の響く明るいクラスとなった。俺も中学校からの親友『渡辺蓮』と新たに高校で出来た友達と一緒にくだらない話をして笑い合う日々を送っていた。そして、今日は月曜日。それは突然、朝会で担任に言われた。
「今週の日直の当番は佐々木健人と鈴川明日翔だな。宜しく頼むぞ。」
後ろの席の蓮から「ガンバれよ〜」とニヤニヤ小突かれながら俺は日直当番であることをすっかり忘れていたことに気づいた。我が高校の日直のシステムは男女の首席番号の若い番号から男女1人ずつがペアとなり、分担しながら日直の仕事を担当する。朝会が終わるとさっそく蓮が俺の肩に手を置き、からかってきた。
「いや〜日直だなんてご苦労さん。それに相方はあの鈴川明日翔様。庶民である健人が明日翔様をこき使うなんて生意気な…。いや、健人がこき使われるのが現実的か。健人は臆病だからな…。」
「はいはいそうですね。蓮みたいに女遊びしているのと違ってこっちは紳士な男子生徒だからね。」
「俺はちょっとモテるだけだから!!俺も紳士だし〜〜!!」
そんな、ワーワー叫ぶ自称紳士渡辺蓮からのちょっかいを相手しながら俺は内心どう鈴川さんとやっていこうか悩んでいた。鈴川さんは優秀な学力と大会実績を評価されて推薦入学してきたいわゆる優等生である。さらに容姿も整っていて、清楚系という言葉が似合う人は鈴川さん以上にいないと思わされる。ここまでの情報では悪いイメージは無く、悩む理由は無いと思うだろう。強いて言えば、鈴川さんは完璧すぎてクラスのカースト上位なので庶民である俺が話しかけるのは少し緊張する。普通だったら、これが1番の悩む理由になると思うがそんなのどうでもいいと思わせる事件がこのクラスで起きてしまった。
1ヶ月ほど前の昼休み。おそらく高校生デビューを成功させたであろうチャラ系の陽キャ男子生徒が鈴川さんに話しかけた。
「明日翔ちゃん〜。暇なら昼飯一緒に学食で食べない〜。」
いきなり名前呼びとか。無駄に長い語尾とか。いろいろツッコミどころはあるが鈴川さんはそんなチャラ男に1言。
「結構ですので」
その声は抑揚も無く、AIの声の方が暖かみがあるんじゃないかと思わせるような冷え切った声。その返事を受けたチャラ男はその場でしばらく固まった後、ボソボソと暗いオーラを出しながらどこかへ姿を消した。恐らく、あまりの出来事に高校デビュー前の素の自分が出てしまったのだろう。悲劇はこれだけでは終わらず他クラスや上級生の男子生徒が鈴川さんに恋愛的なアピールをしたところ玉砕される現場が目の前で何度も繰り広げられた。しかし、そんな彼女でも女子に対しては明るい笑い、会話をする普通の女子高生といった感じだ。その為、クラスの男子達は鈴川さんのことを【男子NGの高嶺の花】として、認識(本能で)察した。
したがって、俺はどうやって日直の仕事の分担について話しかけようか悩んでいた。鈴川さんとまともに話している男子の前例がなさすぎて、考えても結論は一向に出てこない。そう悩む俺に蓮は、
「まぁ健人は優しいし、事務的な話しをするわけだし大丈夫だと思うぞ。もし、駄目だったらジュースでも何でも奢ってやっから。朝まで飲もうぜ。」
「言ってることがオヤジ臭いんだけど…。ありがとう。」
確かに話す内容は事務的なので玉砕はされる理由にはならないと思う。俺はただ勇気が足りなかっただけなのだと自覚し、意を決して鈴川さんに話しかけようとしたとき、
「佐々木君」
「ヒィッ!?」
突然、真後ろから声をかけられて振り返る。
「ヒィッ!!鈴川さん!?」
まさかの鈴川さんで2度も情けない悲鳴が喉から漏れる。さっきの会話を聴かれてないか不安で冷や汗がでる。
「日直の件なんだけど…。」
「あ、あぁそうだね。どうしよっか。」
「私が今日学級日誌書くから1日ごと交換で書いて、もう片方が他の仕事をする感じで。」
「り、了解。宜しくね鈴川さん。」
「宜しく。」
彼女は1言そう言うとさっと自分の席へと戻っていった。俺はホッと胸を撫で下ろしていると蓮が首を傾げながら俺に言った。
「なぁ健人。なんか鈴川さんいつもよりなんかこう…。柔らかくなかったか?表情というか。雰囲気というか。」
「そうかな?正直突然すぎて会話するだけで必死だったらから…。」
「ん〜?そっか。」
蓮はそう口にするもどこか引っかかっているような表情をしていた。
その後、俺は日直の仕事に取り組むのだが、
「お、おい。健人。黒板消し忘れてるぞ!」
「やべっ。ありがとう蓮。」
高校生活が始まって3ヶ月だが俺にとってはたったの3ヶ月である。高校生活には慣れたが心のどこかでまだ、浮ついているのか。楽しみすぎてやるべき仕事をサボる形にはしたくないし、鈴川さんにも悪い。俺は急いで黒板の文字を消し、自分の席へと戻る。ふと、廊下側の席の鈴川さんに目を向けると彼女は机の上に教科書やノートなど必要な物を準備し終えている。学級日誌についても前回の授業内容を既に記したらしい。俺も見習わなくては。
なんとか、放課後までやり遂げ、次の日の朝。俺は蓮と一緒に高校への通学路を歩いていた。
「はぁ〜。日直当番まだ4日あるよ…。」
「そうだな。男子でうわさになってるぞ〜。佐々木が鈴川さんの尻に敷かれてる〜って。」
「いや、敷かれてないし…。そんなことされても嬉しくないだろ。」
「そんなことないんだな〜ソレが。あの冷酷な視線と言動で自分のことをゴミのように扱っておしいっていう………。」
「蓮。そこまでにしとけ。その性癖の扉は開いてはいけない。」
そんな、男子高校生のくだらない会話をしているとあっという間に高校に着き、教室の前へとやってきた。本当に楽しい時間は短く感じてしまう。今日も1日頑張ろうと俺は心の中で活を入れ、扉を開けようとしたその時、
「佐々木君。」
「ヒャイ?!」
後ろから話しかけられ、びっくりしたがこの声は聞き覚えがある。
「す、鈴川さん。どうしたの?」
「えっと、渡したい物があって……。」
彼女は肩掛けバックの中をゴソゴソと探り、目当ての物を見つけるとソレを俺に差し出す。
「これって、学級日誌?」
「そう。さっき担任と偶然会って、渡しといてくれって。」
普段なら学級日誌をチェックした担任が教卓に置き、そこから持って行くのだが、どうやら都合が悪い担任は鈴川さんに渡しておくよう頼んだのだろう。
「わざわざありがとう鈴川さん。」
「いえ、偶然頼まれただけですから。では。」
彼女はそう言うと教室の扉を開け、さっと中へ入る。俺も中へ入ろうと……。
「佐々木君。」
「ヒャイ?!」
彼女は突然、振り向き、再び話しかけられた。俺も話しかけられる度に驚くものだからクラスの男子達からあのような噂が立つのだろう。しばらく、間を置いて、鈴川さんは俺へこう告げる。
ーーお、おはようございます。ーー
そう言うと鈴川さんはスタスタと自分の席へと向かった。誰もが自然と交わす朝の挨拶。挨拶されたら、こちらもしなければ無礼だが俺は返すことが出来なかった。なぜなら、何気ない朝の挨拶。これをあの【男子NGの高嶺の花】鈴川明日翔にされたことの衝撃に俺や蓮、クラスの男子達までもがフリーズしてしまったからである。しばらくして、正気を取り戻した俺はとある気配を察知した。鈴川さんに挨拶をされた。他人の立場から見たら、
ーーあの鈴川が佐々木に挨拶した!?俺達はされたこともないし、挨拶できたこともないのに……。もしや、鈴川と佐々木は友達……いや、恋人同士だったり!?この件は佐々木に問い詰めないと気が済まない!!ーー
などと、思っているに違いない。この推理から導き出せる答えはただ1つ。俺はクラス中の男子に囲まれ、質問(尋問)されるに違いない。そう、察知した俺はトイレに行くふりをして、教室から静かに退室しようと………。
ーーガシッ!!ーー
背後から伸びた手が俺の左肩を捕まえる。遅かった……。振りほどこうにもその手は肉食動物の犬歯のように獲物である俺の肩にガッシリと食い込んでいる。後ろへ振り返ると蓮はニヤニヤと好奇の目を俺に向けていた。
「なぁ健人。どうゆうことか説明して貰おうか。」
「ど、どうゆうことって、何のことかな?」
「まぁまぁ、アッチでゆっくり話そうぜ。」
蓮からの質問をはぐらかそうとしたが、その程度で見逃して貰えるはずが無く、俺はクラスの男子生徒のグループへと引っ張られていく。さながら、サバンナでライオンが獲物を狩り、群れへと持って行くように。この時、俺は世の中が弱肉強食の社会であるのを忘れていたことに気付かされた。
長時間の質問(尋問)を乗り切った俺は既にぐったりとしていた。四方八方から質問の雨で皆が冷静では無い状況なのでたとえ、10人の話を同時に聞いたという聖徳太子ですら回答に困るような状況であったと思う。質問の内容は予想通り。鈴川さんとの関係は友達か恋人か?もちろん、どちらでも無いので否定したのだが、信じてくれるはずがなく、朝会のチャイムが鳴るまで続いた。俺は重い体を起こして、朝会を聞いた後、日付などを学級日誌に書こうと日誌を開くと、
「なんだこれ?」
1枚の折り畳まれた紙が挟まっていた。その紙には「佐々木君へ」と宛名が書いてあった。