↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「猫怪談」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/01/18


落語声劇「猫怪談(ねこかいだん)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約40分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)

      (3:0:0)【性別準拠人数比率】

      (2:1:0)

      (1:2:0)

      (0:3:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


与太郎(よたろう):この噺(はなし)の主人公。

    与太郎(よたろう)は落語の世界だと間抜(まぬ)けな役どころの人物に

    付けられる名前だが、例にもれずこの噺(はなし)の与太郎(よたろう)もちょっと頭が

    足りない。


大家(おおや):与太郎(よたろう)や甚兵衛(じんべえ)の住む長屋(ながや)の大家(おおや)さん。

   落語に出てくる大家さんは業突(ごうつく)く張(ば)りだったり意地(いじ)の悪い人も

   いたりするが、この噺(はなし)の大家(おおや)さんは面倒見(めんどうみ)がよろしい。


甚兵衛(じんべえ):与太郎(よたろう)と同じ長屋(ながや)の住人。すでに74という高齢だが、普段から

    荷を担(かつ)いだりしているせいか、まだ足腰(あしこし)は達者(たっしゃ)。


与太郎の父:与太郎(よたろう)とは血がつながっていない。

      生みの親が病死後、路頭(ろとう)に迷っていた与太郎(よたろう)を引き取って

      育てる。


町民:与太郎(よたろう)と同じ町内(ちょうない)の住人。

   1セリフのみ。


語り:雰囲気を大事に。


●配役例


与太郎:

大家:

甚兵衛・与太父・町民1・語り:



※枕は大家以外のどちらかが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。



枕:皆さんは猫は好きでしょうか。

  現代において猫は我々人間にとって癒(いや)しの対象であったり、

  犬と同じく家族の一員として扱(あつか)われています。

  しかし、ちょいと江戸時代までさかのぼると、猫は老(お)いると化け猫、

  あるいは猫又になると信じられていました。

  猫が妖怪視されたのは、夜行性で目が光ったり、血や油を舐(な)めること

  がある、足音を立てずに歩き、爪は鋭く、敏捷性(びんしょうせい)に優れているなどが

  あったためと言われています。

  化け猫のなす怪異(かいい)というものは、人に化ける、人の言葉をしゃべる、

  人間を祟(たた)ったり死体を操ったりするなどがあるとか。

  化け猫の伝説は各地に残されていますが、最も有名なのが佐賀、有馬(ありま)

  、徳島にある猫騒動とも呼ばれる日本三大怪猫伝(にほんさんだいかいびょうでん)であります。

  そして当時の政治、経済の中心地であったこの江戸でも、そういった

  怪異(かいい)は存在したようで。


大家:あ、おい与太郎(よたろう)。


与太郎:あぁ…誰だと思ったら大家(おおや)さんで…。

    へへへ、大家(おおや)さん…へへへ、おやおや。


大家:何を言ってやがる。呑気(のんき)な事を言ってちゃいけねえ。

   いま海苔屋(のりや)の婆(ばあ)さんに聞いて驚いた。

   おめえんとこの親父(おやじ)もとうとうおめでたくなった、って。


与太郎:え、何が?


大家:いや、親父(おやじ)がおめでたくなったんだろ?


与太郎:親父(おやじ)…っておとっつぁんかい?

    へへへ…噓(うそ)だィ、おめでたくなんぞなりゃしねえや。


大家:そうか…。

   何を言ってやがんだなあの婆(ばばあ)も。そそっかしいじゃねえか。

   いや確かにそう言ったんだ。

   俺の聞き違いじゃないと思うんだが…

   まぁまぁ、気を悪くしなさんな。

   そうか、じゃあまだ存命(ぞんめい)でいなさるのか。


与太郎:え?


大家:存命(ぞんめい)でいなさるのか?


与太郎:…うん~…。


大家:はっきりしなよ。まだ存命(ぞんめい)なんだろ?


与太郎:存命(ぞんめい)…なんかね?うーん…。

    今朝(けさ)っから何にもものを言わねえでいなさる…ふふ。

    そばへ行ってみたら冷たくなっていなさる…へへ。

    息もしねえでいなさる。


大家:何を言ってやがる。じゃ、死んでいなさるんだろ。


与太郎:へへ、そうしていなさるか。


大家:だから何を言ってるんだ。

   じゃやっぱりおめでたくなったんじゃないか。


与太郎:へえ…死ぬとなにかい大家(おおや)さん、めでたいってのかい?


大家:なにも死んでめでたいわけじゃないが、人間がは61になると

   本家帰(ほんけがえ)りと言うな。それから先に生きた者はおめでたいと、

   そう言っていい。おめえの親父(おやじ)はいくつだ?


与太郎:…63かな。


大家:それ見ねぇ、やっぱりおめでたいと言っていいんだよ。


与太郎:あ~、そうかい。

    じゃ、61から先になると死んでおめでたいってんだ、へえぇ。

    大家(おおや)さんはいくつだい?


大家:俺は…って、変なとこで年を聞くな。


与太郎:へへ、聞いたっていいじゃないか。いくつだい?


大家:~~いいよ。


与太郎:いいよってことはねえよ。いくつだい?


大家:うるさいね、そんな事はどうでもいいだろ。


与太郎:へへへ、良かァねえよ。

    大家(おおや)さん大家(おおや)さんて威張(いば)ったって、年がねえんだろ。


大家:何を言ってるんだ。

   年(とし)のない奴があるか。


与太郎:じゃあいくつだい?


大家:しつこい奴だな。

   今年で66だ。


与太郎:66!へえ、じゃあやっぱりおめでたいんだね。

    いつおめでたくなる?


大家:何を言(い)やがる。

   人の死ぬのを待ってる奴があるか!

   で、どうした仏様のなりは。ちゃんと支度(したく)したのか?


与太郎:?なんだい、支度(したく)て。


大家:支度(したく)というのは、棺桶(かんおけ)に納(おさ)めてお線香(せんこう)をあげて、枕団子(まくらだんご)と樒(しきみ)の花を

   供(そな)えてだな…。


与太郎:なんにもしてねえ。


大家:なんにもしてなきゃしょうがねえじゃねえか。


与太郎;えへへ…いいよ。


大家:よかぁないよ。ちゃんと仏の支度(したく)はするもんだ。

   まずお線香(せんこう)あげな。


与太郎:ぇ、ないよ。


大家:無かったら買ってきな。

   表(おもて)の荒物屋(あらものや)で売ってるよ。


与太郎:ない。


大家:強情(ごうじょう)な奴だな。何がねえ?


与太郎:へへ…お足(あし)がない。


大家:…じゃあ何かい、線香(せんこう)を買う銭(ぜに)がねえのか。


与太郎:うん、ない。


大家:しょうがねえなあ…線香(せんこう)を買う銭(ぜに)もねえようじゃ、

   早桶(はやおけ)も買えねえだろ。


与太郎:買えねえけど…いいよ、買わなくても。

    当分(とうぶん)ああやって寝かしとくから、いいよ。


大家:バカなこと言うな。

   当分(とうぶん)寝かしたままで置かれてたまるか、冗談じゃない。

   すぐにも支度(したく)しなくちゃいけねえ。


与太郎:いやぁ、早桶(はやおけ)はあるんだ。


大家:なんだ、それを先に言やぁいいじゃねえか。

   じゃ、棺桶(かんおけ)は先に用意しておいたんだな。そりゃあ感心だ。

   どこで買った?


与太郎:いやぁ、買わねえ。

    拾(ひろ)ってきた。


大家:…拾(ひろ)ってきた?バカな事を言うな。

   棺桶(かんおけ)なんてものがそこらに落っこちてるわけがないだろう。


与太郎:落っこっていたよォ。

    うん、あの、井戸端(いどばた)のとこにね、水が張(は)ってあった。


大家:…井戸端(いどばた)に水が張(は)ってあった?

   そりゃおめえ、菜漬(なづ)けの樽(たる)じゃねえのか?


与太郎:へへ、そうかもしれねえ。


大家:そうかもしれねえっておめえの家(うち)のか?


与太郎:へへ、俺んとこじゃねえよ、へへ。

    他人樽(ひとだる)っていうか。


大家:何を言ってやがる。

   変な洒落(しゃれ)を言うな。

   なんか、印(しるし)があったか?


与太郎:しるし…あぁあった。

    あのね、丸(まる)にね、三(さん)て書いてある。


大家;丸(まる)に…?

   そりゃ俺んとこの樽(たる)じゃねえか!


与太郎:あ、大家(おおや)さんとこのか。

    じゃああれ、おくれ。


大家:ダメに決まってるだろ。

   うちの菜漬(なづ)けの樽(たる)だからダメだ。


与太郎:いやぁ、そんなケチな事言わねえで、おくれよ。

    くれるのが嫌だったら、貸しとくれや。

    空(あ)いたら返すから。


大家:バカな事言ってんじゃないよ。

   そんなもの返されてたまるかい。

   おめぇみてえなバカはしょうがないね、まったく。

   しかし、おめえが血のつながってねえ親父(おやじ)の世話をしたって事は、

   近所の者みんなが褒(ほ)めてる。

   本当の両親はおめえがまだ小さい時分(じぶん)、流行(はや)り病(やまい)で死んじまった。

   そしたらそこの家主(いえぬし)が血も涙もねえ奴で、おめえと家財道具(かざいどうぐ)を

   外に放り出して家の戸を釘付(くぎづ)けにしちまった。

   事の次第(しだい)が分からねえなりにおめえは泣きじゃくってた。

   そこへ通りがかったのが、今のおめえの育ての親父(おやじ)だ。


与太父:こんな事じゃあ死んだ仏が浮かばれねえ。

    食う物を食わしてやれば、もうこれだけ育っているから

    背丈(せたけ)も伸びるだろう。

    大きなことは言えねえが、私が引き取って世話(せわ)しましょう。


大家:そう言って一緒に暮らし始めた。

   まだおしめも離れねえおめえを、一人置いてくわけにもいかねえっ

   てんで、仕事に行くときは背負(せお)って一緒に連れて行ってた。


与太父:申し訳ねえ、こういう厄介者(やっかいもの)がございますんでどうぞ皆さん、

    よろしくお願い申します。


大家:下げなくてもいい頭を人に下げて、苦労して育ってみりゃ、

   おめぇみてぇなバカができあがっちまったんだ。

   しかし、今度はよく親父(おやじ)さんの面倒(めんどう)を見てやったな。

   それはみんなが褒(ほ)めている。


町民1:大家(おおや)さん、与太郎(よたろう)はバカだって言いますけど、

    あれは孝行者(こうこうもの)の手本になるよ。

    ああして親を大切に看病(かんびょう)してやった事は本当に感心だ。


大家:そう言って褒(ほ)めてるんだよ。

   人間はたとえバカでも、人に可愛(かわい)がられれば決して困る事はない。

   これからは月命日(つきめいにち)に墓参りをして、細(ほそぼそ)々ながらでも供養(くよう)するのが、

   死んだ親父に対して何よりの孝行(こうこう)だよ。

   …俺の言ったことが分かったか?


与太郎:へへ…なんだかちっとも分からねえ。


大家:分からねえったって、聞いてるじゃねえか。


与太郎:へへへ、何か言うと顎(あご)がこう、ぺこぺこぺこぺこ…ははは。

    26まで勘定(かんじょう)して後は分からなくなっちゃった。

    もういっぺんやってよ。


大家:何を言ってやがる!

   まったくしょうがないねどうも。

   まあとにかく、銭がねえなら何とかしてやる。

   お寺の方へも知らせなきゃいけねえが、まだ知らせてねえんだろ。


与太郎:うん。


大家:まあ、無理もねえか。

   寺というものはこういう場合、一人で行くもんじゃねえ。

   二人で行くという事になっているんだ。

   誰か頼んでやるが、おめえの寺はどこだ?


与太郎:え?


大家:いや、おめえの寺はどこだと聞いてるんだよ。


与太郎:え~…分からねえ。


大家:分からねえ?

   寺が分からなくちゃ困るじゃないか。


与太郎:いやぁ、困るったって…なるべく近い所でいいよ。


大家:あのな、近い所でいいったっておめえ、知らない寺じゃ受け取らね

   えんだよ。


与太郎:じゃあ、受け取らなかったら人のいないとこへ

    そうっと持ってって置いて、逃げてくる。


大家:バカ野郎、そんなことしちゃいけねえだろ。

   まあとにかく、寺を何とかしなくちゃならねえが、

   今までに親父と一緒にどっかへ寺参りをしたとか、あるだろ。

   思い出さねえか?


与太郎:思い出す…めんどくせえ。


大家:めんどくせえて事があるか。

   思い出せ。


与太郎:思い出せ?じゃあしょうがねえ、思い出そうか。


    ん~……


    あ、そうだ、分かった。


大家:お?思い出したか。


与太郎:うん、あの、よなか。


大家:…なに?


与太郎:よなか、ってとこ。


大家:…変なとこだな、よなかって。

   …!って谷中(やなか)じゃねえか。


与太郎:あそうか、谷中(やなか)か、うん、谷中(やなか)だ。


大家:谷中(やなか)のなんて寺だ?


与太郎:え~、ず、ず、ずい…ずいずいずっころばし…。


大家:おいおい、急に唄(うた)い出すな。


与太郎:あ~…「ずい」までは覚えてる。


大家:ずい…もしかして、瑞輪寺(ずいりんじ)か?


与太郎:あ、それそれ、瑞輪寺(ずいりんじ)だ。


大家:そうかい、瑞輪寺(ずいりんじ)といえば大(たい)した寺だが、

   瑞輪寺(ずいりんじ)の寺中(じちゅう)だろ。


与太郎:え?男だよ。


大家:なんだ、男だて。


与太郎:え、女中(じょちゅう)だって。


大家:女中(じょちゅう)じゃねえ、寺院(じいん)の中のどこかって事だ。

   まぁ、それだけ分かってりゃ、あとは行ってみて聞けば分からねえ

   ことはねえだろ。

   お寺様(てらさま)へ行って掛け合った後は、今夜はお通夜(つや)だ。

   弔(とむら)いと言ったって、なるべく短い方がいいから今夜ちょいと真似事(まねごと)

   をして、すぐに寺の方へ持って行っちまった方がいい。

   こういう事は人足(にんそく)を雇(やと)ったりなんかすりゃなかなか安い銭(ぜに)じゃすま

   ねえから、片棒(かたぼう)はおめえが担(かつ)ぐんだ、いいか?


与太郎:うん。


大家:もう一人(ひとり)片棒(かたぼう)を担(かつ)がせるのが必要なんだが、誰かいねえかな。


与太郎:あ、あぁ~、ある。


大家:いるのか?


与太郎:うん、そういえばね、喜んで担(かつ)ぎましょうって人があるよ。


大家:そうか、そりゃいい。で、誰だ?


与太郎:え?


大家:誰だ?


与太郎:へへ、大家(おおや)さん。


大家:何言ってんだ。バカな事言うんじゃねえ。

   誰が喜んでそんなもの担(かつ)ぐ奴がある。

   俺は提灯(ちょうちん)を持って案内をするんだ。

   そうだな…長屋(ながや)の月番(つきばん)は…ああ、甚兵衛(じんべえ)さんか。

   あの人はもう年をとってるな。

   74かそのくらいのはずだが…まあ普段から軽い荷(に)を担(かつ)いでいるか

   ら、できねえことはねえだろ。

   よしよし、俺が行って話をしてやる。


   甚兵衛(じんべえ)さん、甚兵衛(じんべえ)さんいるかい?


甚兵衛:おやおや、これは大家(おおや)さん。

    今日はどうなすったんで?


大家:…なんか、さっきも聞いたな…。

   ぁいや、実は与太郎(よたろう)んとこの親父(おやじ)さんがおめでたくなっちまってね

   。弔(とむら)いをしようってんだが、早桶(はやおけ)の片棒(かたぼう)を担(かつ)ぐ者がいなくてね。


甚兵衛:そうでしたか、与太郎(よたろう)の親父(おやじ)さんが…。

    わかりました。引き受けましょう。


大家:すまないね、助かるよ。

   じゃ、さっそく一緒に来てくれ。


   おい与太郎(よたろう)、甚兵衛(じんべえ)さんを連れてきたよ。


与太郎:あ、どうも甚兵衛(じんべえ)さん。


甚兵衛:与太郎(よたろう)、よく最期(さいご)まで親父(おやじ)さんの面倒(めんどう)を見たね。

    さ、心からお弔(とむら)いしよう。


大家:ここを出るのは…そうだな、四(よっ)つごろがいいだろう。

   どれ、形ばかりだがお通夜(つや)をしようか。


甚兵衛:今日はことに冷えますな…。

    さて、そろそろ四(よ)つ刻(どき)だが…おお、鐘(かね)が鳴った。


大家:よし、じゃあお寺へ向かおう。

   与太郎(よたろう)、おめえが後棒(あとぼう)だ。甚兵衛(じんべえ)さん、先棒(さきぼう)を頼むよ。


甚兵衛:承知しました。

    さ、与太郎(よたろう)、行こうか。


与太郎:う、うん。


語り:深川蛤町(ふかがわはまぐりちょう)を四(よっ)つの戌(いぬ)の刻(こく)、今の時刻で言うと午後22時くらいに

   家を出まして、先頭に提灯(ちょうちん)を持って大家(おおや)さん、

   早桶(はやおけ)を与太郎(よたろう)と甚兵衛(じんべえ)の二人で担(かつ)ぎます。

   やがて上野(うえの)は伊藤松坂(いとうまつざか)のあたりまで来る頃にはもう九(ここの)つ、

   ちょうど子(ね)の刻(こく)は真夜中であります。

   そこから右に曲がって三枚橋(さんまいばし)、池之端(いけのはた)へ、さらに七軒町(しちけんちょう)を通って

   谷中(やなか)へ行く、これが一番の近道でした。

   季節は旧暦の11月末、それはもう寒く霜柱(しもばしら)が立っていて、

   三人はそれをきゅ、きゅ、きゅ、と踏みしめて歩きます。

   ところでこの甚兵衛(じんべえ)さんて人は、えらく臆病者(おくびょうもの)なものでして。


与太郎:【つぶやく】

    …さむ…。


甚兵衛:…なぁ与太郎(よたろう)。


与太郎:!

    なんだい!!?


甚兵衛:あッわッ、びっ、びっくりした!

    な、なんて声を出すんだい、脅(おど)かしちゃいけないよ。


与太郎:脅(おど)かしちゃいねえよ。

    与太郎(よたろう)、って呼んだから返事したんだ。


甚兵衛:返事するんだったら、もっと静かに返事しておくれよ。

    こっちが小さい声で呼んだのに、あんな大きな声で返してくるか

    ら、思わず飛びあがっちまったよ。

    しかしここらはずいぶん寂(さび)しいとこだね…。


与太郎:へへ、灯(あか)りも何にもねえから寂(さび)しいや。


甚兵衛:それに夜も更(ふ)けたね…。

    なんか出(で)やしねえかな…。


与太郎:え?なんだって?


甚兵衛:出(で)やしねえかな…。【震えている】


与太郎:へへ、出るかもしれねえ。


甚兵衛:出るかもしれねえって、な、何が出るんだい?


与太郎:暗いとこに出るのはね、お化けが出る。

    お化けっていうのは死んだ人が化けるんだってね。

    いま化けるのを二人で担(かつ)いでる。


甚兵衛:ッへ、変な事を言っちゃいけねえよ!


与太郎:だけど、まだ化けないね。


甚兵衛:いや、化けないねったってな、化けねえほうがいいよ!

    で、出るとするといつ頃出るのかね…?


与太郎:出るのはね、何でも九(ここの)つを過ぎなくちゃお化けは出ないって。


甚兵衛:そうかい…。

    じゃあまだ九(ここの)つ時分(じぶん)だから、急いで行こう。


与太郎:?さっきもう九(ここの)つ打ったよ?


甚兵衛:【怯えたように】

    えっ!?もう九(ここの)つ過ぎてんのかい!?


与太郎:へへ、ちょうど今お化けが支度(したく)してるとこだよ。

    うちのおとっつぁんは物堅(ものがた)いから、


与太父:【少しおどろおどろしく】

    甚兵衛(じんべえ)さん~、寒いのにご苦労様でしたね~。


与太郎:って、冷たい手で襟(えり)んとこをスーッとーー


甚兵衛:うわああッ!!

    【怯えたあまりに座り込んでしまう】

    も、も、もうよしてくれ与太郎(よたろう)!


大家:おいおい、何をしてんだい。

   そんなとこに座っちまっちゃしょうがないよ。

   どうしたんだい。


甚兵衛:だ、だ、だって、よ、与太郎(よたろう)が変な事ばかり言ってあたしを脅(おど)か

    すから、驚いてここ座っちまったんですよ。


大家:だいいち、そうグズグズ歩いてちゃしょうがねえよ。

   もっと早く歩きな。


与太郎:早く歩きなったって、甚兵衛(じんべえ)さんがなかなか歩かねえんだもの。

    俺が後ろから押すから甚兵衛(じんべえ)さんいくらか前へ出るんだけど、

    前にいて後ろばかり押してるんだ。

    もし俺がうっちゃったらだんだん後ろへ行ってね、

    そのまま家(うち)へ帰(けえ)っちまう。


大家:帰っちまっちゃしょうがねえだろ。

   甚兵衛(じんべえ)さんも困るよ、ずんずん前へ出てくんな。


甚兵衛:ま、前へ出るったって、何しろ右側で担(かつ)いで家を出てから、

    それっきり肩を一度も変えないもんだから、めり込みそうになっ

    て痛くてたまらねえ。


大家:与太郎(よたろう)もしょうがねえな。

   時々肩を変えてあげろ。


与太郎:なんだぇ、そう言えばいいじゃねえか。

    肩を変えようって言えば変えるのに、右ばかりで担(かつ)いでる。

    俺も痛えけどしょうがねえからそのまま担(かつ)いでたんだ。

    じゃ肩変えるよ、いいかい、ほら、ひのふのみッ!


語り:バカなもので、静かにやればいいものを与太郎(よたろう)、

   いきなりうわーっと持ち上げてダーンと肩を下ろす。

   すると縄がやわだったと見え、ぶつっと切れて早桶(はやおけ)が落っこちる。

   安物(やすもの)なものですから、底が抜けて中から仏様がにゅうっと出てきて

   しまいます。


与太郎:あ。


甚兵衛:う、うわぁあぁあ!!

    ほ、仏さんがぁ!


大家:ああもう、しょうがねえな。

   早桶(はやおけ)壊しちまいやがって。

   静かにしねえからこんなことになるんだ。


与太郎:だって、静かにしねえったってさ、縄が弱いから切れちゃったん

    だよ。

    じゃああの、直すからね、甚兵衛(じんべえ)さん、仏様抱いてておくれ。

    で、俺がねーー


甚兵衛:【↑の語尾に喰い気味に】

    と、とととんでもないよ!

    仏様抱いてるのはあたしは嫌だよ!


与太郎:そんなこと言ったってしょうがねえ。

    じゃあいいよいいよ、俺が一人でやるよ。

    こうなってるんだろ、大丈夫だよ、直るよ!


語り:天秤(てんびん)を持って来ると逆さに中へ押し込んでトントントントンやる。

   どうやら直りそうになったところへ与太郎(よたろう)、よせばいいのに

   最後に力を入れてひとつ、ダーンとぶったもんだから今度は

   ばちっ、とタガがはじけてバラバラになってしまいます。


大家:おいおい何やってんだ、とうとう壊しちまったよ。

   あぁよしなよしな、手を付けたって無駄だ。

   しょうがねえ、こりゃ早桶(はやおけ)をもう一つ買わなくちゃならねえ。

   どっか近所に売ってるとこはねえかな…?


与太郎:仲町(なかちょう)とかにあるかな?


大家:仲町(なかちょう)?ダメだ、あんなとこ行ったってありゃしねえ。

   あ、そうだ、広徳寺(こうとくじ)前へ行ったらあるかもしれねえ。

   与太郎(よたろう)、おめえ一緒に来い。

   甚兵衛(じんべえ)さん、すまないが与太郎(よたろう)と二人で早桶(はやおけ)を買って来るから、

   それまでここで仏様を見ててーー


甚兵衛:【半分泣きそう】

    えぇぇえぇいやいや!!とんでもないこと言うなよォ…!

    こんなとこ一人で【涙声になって何を言ってるのか分からない】


大家:【少々呆れながら】

   何もそんなに怖がることはないじゃないか。

   しょうがねえ、じゃ、甚兵衛(じんべえ)さんが付いてきてくれ。

   与太郎(よたろう)、おめえ一人で番(ばん)ができるか?


与太郎:うんうん、いいよ、大丈夫だよ。

    なァに、怖(こわ)かねえんだよう。

    おとっつぁんを見てりゃいいんだから。

    行っといで行っといで。


大家:提灯(ちょうちん)は置いてくか?


与太郎:ああいや、提灯(ちょうちん)なんざいいよ、いらない。

    灯(あか)りがあるとね、甚兵衛(じんべえ)さんみたいな臆病(おくびょう)な人が来ると

    驚くからね。

    持ってっていいよ。

    もし誰か通りかかって聞かれたら、

    今ね、暑いからちょいと涼(すず)んでるだけです、て。


大家:バカ野郎、こんな真冬(まふゆ)に涼(すず)んでる奴があるか。


与太郎:へへ、いま夏の夢を見てる。


大家:変な事を言うな。

   じゃあ、行って来るぞ、大丈夫だな?


与太郎:うんいいよ、大丈夫だよ。

    ここにいるから。


甚兵衛:なるべく早く帰ってくるからね、頼んだよ与太郎(よたろう)。


    【二拍】


与太郎:えっと、桶(おけ)の板を並べて…おとっつぁんをそこに横にして…、

    蓋(ふた)は…あったあった、こいつを尻の下に引いておこうっと。

    …ふぅ。


語り:一仕事(ひとしごと)終えて桶(おけ)の蓋(ふた)に座り込んだ与太郎(よたろう)、じーっと仏様を見つめま

   す。

   後ろは上野(うえの)の森で前は不忍池(しのばずのいけ)という形、夜の水というものは不気味

   なもので、その中に映る弁天堂(べんてんどう)がなお一層(いっそう)黒く、ぼやっと見える。

   時々風が吹くと、枯れ葦(よし)がカサカサ、カサカサと鳴り、

   森の中を風がごぉーっと渡っていきます。

   いくらバカな与太郎(よたろう)と言えども、あんまりいい心持(こころも)ちはしません。


与太郎:…へへ、甚兵衛)(じんべえ)さん、怖い怖いって言ってたけど、

    ここらはあんまり賑(にぎ)やかじゃねえからな。

    …おとっつぁん、死んじゃったんだな…。


    おい、おとっつぁん、なにも死ななくたっていいじゃねえか。

    もっと生きてろよ。

    俺に世話(せわ)になるのは気の毒だって死んじゃったのかい?

    おとっつぁんがもっと生きてりゃ、俺は一生懸命(いっしょうけんめい)に稼(かせ)いでさ、

    うめぇもんでも何でも食わしてやったんだ。

    遠慮(えんりょ)しねえでもっと生きてりゃいいじゃねえか。

    死んだら地獄か極楽へ行くらしいけど、地獄はよしなよ。

    極楽行けよぅ。

    地獄いくと赤鬼だの青鬼だのいて、いじめるって言うから。

    もしいじめたら俺んとこにすぐに向かえに来なよ。

    俺が行ってすぐに……ってそれじゃ、俺も死ななくちゃならねえ

    や。

    じゃいいよ、来なくても。ぁいや、俺もそのうち行くけど、

    今は来なくていいから。

    とにかく地獄へ行くのはよしなよ。


語り:などとしきりに死体に話しかけていると五、六間(ろっけん)むこうを

   真っ黒な、小さなものがスッと通りました。

   かと思った次の瞬間、今まで横たわっていた仏様が、

   いきなりぴょこぴょこ動き出したのでございます。


与太郎:ぉお?え?動いてる?

    あららまた動いた?

    おぉお!?また動いた!


語り:死体がいきなり動き出してさすがの与太郎(よたろう)も驚きます。

   やがてスッと起き上ると与太郎(よたろう)の前へピタリと座り、顔をじーっと

   のぞき込んだかと思うと、さらに驚く行動に出たのです。


与太郎:お、おとっつぁん…。


与太父:いひひ…!


与太郎:うわっ!?

    驚(おどれ)ぇた、笑いやがったよ。

    思わず殴っちまったら、また寝ちゃった。


    あ、そうか、何か言う事があったんだな。

    おーい、おとっつぁん、もう一度ぴょこぴょこしろよ。

    ぴょこついてくれよ。

    頼むからぴょこつけ!


語り:その途端(とたん)、また仏様がぴょこつきだします。

   かと思った次の瞬間、すっと立ち上がったかと思うと地べたから

   上へぴょこっ、ぴょこっと飛び上がる。


与太郎:おお?ははは、いやこらぁ面白(おもし)れぇや!

    【手拍子を叩きながら】

    いやぁ、おとっつぁんは上手(じょうず)だ♪おとっつぁんは上手(じょうず)だ♪


語り:普通は怯(おび)えるところだが、どこに感情がくっついているのか。

   与太郎(よたろう)は手を叩いて囃(はや)してます。

   するとそのうち風がごぉーっと吹いてきたかと思うと、

   その風に乗って何処(どこ)かへと行ってしまったのであります。


与太郎:あ、行っちゃった!

    おぉーい、おとっつぁーーん!


大家:お、あそこで声がするぞ。


甚兵衛:あぁ暑かった暑かった。

    与太郎(よたろう)、いま戻ったよ。

    一生懸命(いっしょうけんめい)早く行こうと思って汗かいちまったよ。


大家:それで、仏様はどうした?

   すぐに早桶(はやおけ)に入れなくちゃなんねえ。


与太郎:おとっつぁんは…いねえ。


大家:なに、いねえ?

   どういうことだ。


与太郎:へへっ、向こう行っちまった。


大家:?なんだ、向こう行っちゃったって。


与太郎:へへへ、あのね、二人が行った後で俺が一生懸命(いっしょうけんめい)おとっつぁんに

    話しかけてたらさ、仏様がぴょこぴょこって動いたんだ。

    どうしたのかと思ってたら目の前に座ってね、イヒヒって笑いや

    がったんだ。

    俺も気味(きみ)が悪いから横っツラ殴ったらまた寝ちゃったんだ。

    何か言う事があるんだろうと思ってね、

    もう一遍(いっぺん)ぴょこついてくれって頼んだんだ。


大家:この野郎、なにを変な事を頼んでんだ。

   それで、どうしたんだ?


与太郎:そしたら今度は立ってね、ぴょこっ、ぴょこっ、て飛び上がるん

    だよ。

    だからおとっつぁんは上手(じょうず)だ♪おとっつぁんは上手(じょうず)だ♪

    って囃(はや)してたら風がごおっと吹いてね、それに乗ってどっか行っ

    ちゃった。


大家:このバカ、そいつはな、仏へ魔(ま)が差したんだ。

   年古(としふ)りた化け猫の仕業(しわざ)かもしれねえ。

   しょうがねえな、早桶(はやおけ)買って来たはいいが、肝心(かんじん)の仏がいなくて

   どうするんだ。

   甚兵衛(じんべえ)さん、聞いたかい。


甚兵衛:【半泣きで】

    うぅぅううぅ、抜けました…。


大家:なに、抜けた?

   しょうがねえな、いま買って来たばかりじゃねえか。

   また底が抜けちまったのかい?


甚兵衛:いいえ、今度はあたしの腰が抜けました。


    【一拍】


語り:えらい騒ぎで、この死体が翌日、七軒町(しちけんちょう)の上総屋(かずさや)という質屋(しちや)の土蔵(どぞう)

   の釘(くぎ)にかかっておりまして、ここでまた早桶(はやおけ)を買いました。

   一人の仏様に三つの早桶(はやおけ)を買ったという、

   谷中奇聞(やなかきぶん)「猫怪談(ねこかいだん)」でございます。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。