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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「猫怪談」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「猫怪談ねこかいだん


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約40分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


与太郎よたろう:このはなしの主人公。

    与太郎よたろうは落語の世界だと間抜まぬけな役どころの人物に

    付けられる名前だが、例にもれずこのはなし与太郎よたろうもちょっと頭が

    足りない。


大家おおや与太郎よたろう甚兵衛じんべえの住む長屋ながや大家おおやさん。

   落語に出てくる大家さんは業突ごうつくりだったり意地いじの悪い人も

   いたりするが、このはなし大家おおやさんは面倒見めんどうみがよろしい。


甚兵衛じんべえ与太郎よたろうと同じ長屋ながやの住人。すでに74という高齢だが、普段から

    荷をかついだりしているせいか、まだ足腰あしこし達者たっしゃ


与太郎の父:与太郎よたろうとは血がつながっていない。

      生みの親が病死後、路頭ろとうに迷っていた与太郎よたろうを引き取って

      育てる。


町民:与太郎よたろうと同じ町内ちょうないの住人。

   1セリフのみ。


語り:雰囲気を大事に。


●配役例


与太郎:

大家:

甚兵衛・与太父・町民1・語り:



※枕は大家以外のどちらかが適宜てきぎねてください。



枕:皆さんは猫は好きでしょうか。

  現代において猫は我々人間にとっていやしの対象であったり、

  犬と同じく家族の一員としてあつかわれています。

  しかし、ちょいと江戸時代までさかのぼると、猫はいると化け猫、

  あるいは猫又になると信じられていました。

  猫が妖怪視されたのは、夜行性で目が光ったり、血や油をめること

  がある、足音を立てずに歩き、爪は鋭く、敏捷性びんしょうせいに優れているなどが

  あったためと言われています。

  化け猫のなす怪異かいいというものは、人に化ける、人の言葉をしゃべる、

  人間をたたったり死体を操ったりするなどがあるとか。

  化け猫の伝説は各地に残されていますが、最も有名なのが佐賀、有馬ありま

  、徳島にある猫騒動とも呼ばれる日本三大怪猫伝にほんさんだいかいびょうでんであります。

  そして当時の政治、経済の中心地であったこの江戸でも、そういった

  怪異かいいは存在したようで。


大家:あ、おい与太郎よたろう


与太郎:あぁ…誰だと思ったら大家おおやさんで…。

    へへへ、大家おおやさん…へへへ、おやおや。


大家:何を言ってやがる。呑気のんきな事を言ってちゃいけねえ。

   いま海苔屋のりやばあさんに聞いて驚いた。

   おめえんとこの親父おやじもとうとうおめでたくなった、って。


与太郎:え、何が?


大家:いや、親父おやじがおめでたくなったんだろ?


与太郎:親父おやじ…っておとっつぁんかい?

    へへへ…うそだィ、おめでたくなんぞなりゃしねえや。


大家:そうか…。

   何を言ってやがんだなあのばばあも。そそっかしいじゃねえか。

   いや確かにそう言ったんだ。

   俺の聞き違いじゃないと思うんだが…

   まぁまぁ、気を悪くしなさんな。

   そうか、じゃあまだ存命ぞんめいでいなさるのか。


与太郎:え?


大家:存命ぞんめいでいなさるのか?


与太郎:…うん~…。


大家:はっきりしなよ。まだ存命ぞんめいなんだろ?


与太郎:存命ぞんめい…なんかね?うーん…。

    今朝けさっから何にもものを言わねえでいなさる…ふふ。

    そばへ行ってみたら冷たくなっていなさる…へへ。

    息もしねえでいなさる。


大家:何を言ってやがる。じゃ、死んでいなさるんだろ。


与太郎:へへ、そうしていなさるか。


大家:だから何を言ってるんだ。

   じゃやっぱりおめでたくなったんじゃないか。


与太郎:へえ…死ぬとなにかい大家おおやさん、めでたいってのかい?


大家:なにも死んでめでたいわけじゃないが、人間がは61になると

   本家帰ほんけがえりと言うな。それから先に生きた者はおめでたいと、

   そう言っていい。おめえの親父おやじはいくつだ?


与太郎:…63かな。


大家:それ見ねぇ、やっぱりおめでたいと言っていいんだよ。


与太郎:あ~、そうかい。

    じゃ、61から先になると死んでおめでたいってんだ、へえぇ。

    大家おおやさんはいくつだい?


大家:俺は…って、変なとこで年を聞くな。


与太郎:へへ、聞いたっていいじゃないか。いくつだい?


大家:~~いいよ。


与太郎:いいよってことはねえよ。いくつだい?


大家:うるさいね、そんな事はどうでもいいだろ。


与太郎:へへへ、良かァねえよ。

    大家おおやさん大家おおやさんて威張いばったって、年がねえんだろ。


大家:何を言ってるんだ。

   としのない奴があるか。


与太郎:じゃあいくつだい?


大家:しつこい奴だな。

   今年で66だ。


与太郎:66!へえ、じゃあやっぱりおめでたいんだね。

    いつおめでたくなる?


大家:何をやがる。

   人の死ぬのを待ってる奴があるか!

   で、どうした仏様のなりは。ちゃんと支度したくしたのか?


与太郎:?なんだい、支度したくて。


大家:支度したくというのは、棺桶かんおけおさめてお線香せんこうをあげて、枕団子まくらだんごしきみの花を

   そなえてだな…。


与太郎:なんにもしてねえ。


大家:なんにもしてなきゃしょうがねえじゃねえか。


与太郎;えへへ…いいよ。


大家:よかぁないよ。ちゃんと仏の支度したくはするもんだ。

   まずお線香せんこうあげな。


与太郎:ぇ、ないよ。


大家:無かったら買ってきな。

   おもて荒物屋あらものやで売ってるよ。


与太郎:ない。


大家:強情ごうじょうな奴だな。何がねえ?


与太郎:へへ…おあしがない。


大家:…じゃあ何かい、線香せんこうを買うぜにがねえのか。


与太郎:うん、ない。


大家:しょうがねえなあ…線香せんこうを買うぜにもねえようじゃ、

   早桶はやおけも買えねえだろ。


与太郎:買えねえけど…いいよ、買わなくても。

    当分とうぶんああやって寝かしとくから、いいよ。


大家:バカなこと言うな。

   当分とうぶん寝かしたままで置かれてたまるか、冗談じゃない。

   すぐにも支度したくしなくちゃいけねえ。


与太郎:いやぁ、早桶はやおけはあるんだ。


大家:なんだ、それを先に言やぁいいじゃねえか。

   じゃ、棺桶かんおけは先に用意しておいたんだな。そりゃあ感心だ。

   どこで買った?


与太郎:いやぁ、買わねえ。

    ひろってきた。


大家:…ひろってきた?バカな事を言うな。

   棺桶かんおけなんてものがそこらに落っこちてるわけがないだろう。


与太郎:落っこっていたよォ。

    うん、あの、井戸端いどばたのとこにね、水がってあった。


大家:…井戸端いどばたに水がってあった?

   そりゃおめえ、菜漬なづけのたるじゃねえのか?


与太郎:へへ、そうかもしれねえ。


大家:そうかもしれねえっておめえのうちのか?


与太郎:へへ、俺んとこじゃねえよ、へへ。

    他人樽ひとだるっていうか。


大家:何を言ってやがる。

   変な洒落しゃれを言うな。

   なんか、しるしがあったか?


与太郎:しるし…あぁあった。

    あのね、まるにね、さんて書いてある。


大家;まるに…?

   そりゃ俺んとこのたるじゃねえか!


与太郎:あ、大家おおやさんとこのか。

    じゃああれ、おくれ。


大家:ダメに決まってるだろ。

   うちの菜漬なづけのたるだからダメだ。


与太郎:いやぁ、そんなケチな事言わねえで、おくれよ。

    くれるのが嫌だったら、貸しとくれや。

    いたら返すから。


大家:バカな事言ってんじゃないよ。

   そんなもの返されてたまるかい。

   おめぇみてえなバカはしょうがないね、まったく。

   しかし、おめえが血のつながってねえ親父おやじの世話をしたって事は、

   近所の者みんながめてる。

   本当の両親はおめえがまだ小さい時分じぶん流行はややまいで死んじまった。

   そしたらそこの家主いえぬしが血も涙もねえ奴で、おめえと家財道具かざいどうぐ

   外に放り出して家の戸を釘付くぎづけにしちまった。

   事の次第しだいが分からねえなりにおめえは泣きじゃくってた。

   そこへ通りがかったのが、今のおめえの育ての親父おやじだ。


与太父:こんな事じゃあ死んだ仏が浮かばれねえ。

    食う物を食わしてやれば、もうこれだけ育っているから

    背丈せたけも伸びるだろう。

    大きなことは言えねえが、私が引き取って世話せわしましょう。


大家:そう言って一緒に暮らし始めた。

   まだおしめも離れねえおめえを、一人置いてくわけにもいかねえっ

   てんで、仕事に行くときは背負せおって一緒に連れて行ってた。


与太父:申し訳ねえ、こういう厄介者やっかいものがございますんでどうぞ皆さん、

    よろしくお願い申します。


大家:下げなくてもいい頭を人に下げて、苦労して育ってみりゃ、

   おめぇみてぇなバカができあがっちまったんだ。

   しかし、今度はよく親父おやじさんの面倒めんどうを見てやったな。

   それはみんながめている。


町民1:大家おおやさん、与太郎よたろうはバカだって言いますけど、

    あれは孝行者こうこうものの手本になるよ。

    ああして親を大切に看病かんびょうしてやった事は本当に感心だ。


大家:そう言ってめてるんだよ。

   人間はたとえバカでも、人に可愛かわいがられれば決して困る事はない。

   これからは月命日つきめいにちに墓参りをして、ほそぼそ々ながらでも供養くようするのが、

   死んだ親父に対して何よりの孝行こうこうだよ。

   …俺の言ったことが分かったか?


与太郎:へへ…なんだかちっとも分からねえ。


大家:分からねえったって、聞いてるじゃねえか。


与太郎:へへへ、何か言うとあごがこう、ぺこぺこぺこぺこ…ははは。

    26まで勘定かんじょうして後は分からなくなっちゃった。

    もういっぺんやってよ。


大家:何を言ってやがる!

   まったくしょうがないねどうも。

   まあとにかく、銭がねえなら何とかしてやる。

   お寺の方へも知らせなきゃいけねえが、まだ知らせてねえんだろ。


与太郎:うん。


大家:まあ、無理もねえか。

   寺というものはこういう場合、一人で行くもんじゃねえ。

   二人で行くという事になっているんだ。

   誰か頼んでやるが、おめえの寺はどこだ?


与太郎:え?


大家:いや、おめえの寺はどこだと聞いてるんだよ。


与太郎:え~…分からねえ。


大家:分からねえ?

   寺が分からなくちゃ困るじゃないか。


与太郎:いやぁ、困るったって…なるべく近い所でいいよ。


大家:あのな、近い所でいいったっておめえ、知らない寺じゃ受け取らね

   えんだよ。


与太郎:じゃあ、受け取らなかったら人のいないとこへ

    そうっと持ってって置いて、逃げてくる。


大家:バカ野郎、そんなことしちゃいけねえだろ。

   まあとにかく、寺を何とかしなくちゃならねえが、

   今までに親父と一緒にどっかへ寺参りをしたとか、あるだろ。

   思い出さねえか?


与太郎:思い出す…めんどくせえ。


大家:めんどくせえて事があるか。

   思い出せ。


与太郎:思い出せ?じゃあしょうがねえ、思い出そうか。


    ん~……


    あ、そうだ、分かった。


大家:お?思い出したか。


与太郎:うん、あの、よなか。


大家:…なに?


与太郎:よなか、ってとこ。


大家:…変なとこだな、よなかって。

   …!って谷中やなかじゃねえか。


与太郎:あそうか、谷中やなかか、うん、谷中やなかだ。


大家:谷中やなかのなんて寺だ?


与太郎:え~、ず、ず、ずい…ずいずいずっころばし…。


大家:おいおい、急にうたい出すな。


与太郎:あ~…「ずい」までは覚えてる。


大家:ずい…もしかして、瑞輪寺ずいりんじか?


与太郎:あ、それそれ、瑞輪寺ずいりんじだ。


大家:そうかい、瑞輪寺ずいりんじといえばたいした寺だが、

   瑞輪寺ずいりんじ寺中じちゅうだろ。


与太郎:え?男だよ。


大家:なんだ、男だて。


与太郎:え、女中じょちゅうだって。


大家:女中じょちゅうじゃねえ、寺院じいんの中のどこかって事だ。

   まぁ、それだけ分かってりゃ、あとは行ってみて聞けば分からねえ

   ことはねえだろ。

   お寺様てらさまへ行って掛け合った後は、今夜はお通夜つやだ。

   とむらいと言ったって、なるべく短い方がいいから今夜ちょいと真似事まねごと

   をして、すぐに寺の方へ持って行っちまった方がいい。

   こういう事は人足にんそくやとったりなんかすりゃなかなか安いぜにじゃすま

   ねえから、片棒かたぼうはおめえがかつぐんだ、いいか?


与太郎:うん。


大家:もう一人ひとり片棒かたぼうかつがせるのが必要なんだが、誰かいねえかな。


与太郎:あ、あぁ~、ある。


大家:いるのか?


与太郎:うん、そういえばね、喜んでかつぎましょうって人があるよ。


大家:そうか、そりゃいい。で、誰だ?


与太郎:え?


大家:誰だ?


与太郎:へへ、大家おおやさん。


大家:何言ってんだ。バカな事言うんじゃねえ。

   誰が喜んでそんなものかつぐ奴がある。

   俺は提灯ちょうちんを持って案内をするんだ。

   そうだな…長屋ながや月番つきばんは…ああ、甚兵衛じんべえさんか。

   あの人はもう年をとってるな。

   74かそのくらいのはずだが…まあ普段から軽いかついでいるか

   ら、できねえことはねえだろ。

   よしよし、俺が行って話をしてやる。


   甚兵衛じんべえさん、甚兵衛じんべえさんいるかい?


甚兵衛:おやおや、これは大家おおやさん。

    今日はどうなすったんで?


大家:…なんか、さっきも聞いたな…。

   ぁいや、実は与太郎よたろうんとこの親父おやじさんがおめでたくなっちまってね

   。とむらいをしようってんだが、早桶はやおけ片棒かたぼうかつぐ者がいなくてね。


甚兵衛:そうでしたか、与太郎よたろう親父おやじさんが…。

    わかりました。引き受けましょう。


大家:すまないね、助かるよ。

   じゃ、さっそく一緒に来てくれ。


   おい与太郎よたろう甚兵衛じんべえさんを連れてきたよ。


与太郎:あ、どうも甚兵衛じんべえさん。


甚兵衛:与太郎よたろう、よく最期さいごまで親父おやじさんの面倒めんどうを見たね。

    さ、心からおとむらいしよう。


大家:ここを出るのは…そうだな、よっつごろがいいだろう。

   どれ、形ばかりだがお通夜つやをしようか。


甚兵衛:今日はことに冷えますな…。

    さて、そろそろどきだが…おお、かねが鳴った。


大家:よし、じゃあお寺へ向かおう。

   与太郎よたろう、おめえが後棒あとぼうだ。甚兵衛じんべえさん、先棒さきぼうを頼むよ。


甚兵衛:承知しました。

    さ、与太郎よたろう、行こうか。


与太郎:う、うん。


語り:深川蛤町ふかがわはまぐりちょうよっつのいぬこく、今の時刻で言うと午後22時くらいに

   家を出まして、先頭に提灯ちょうちんを持って大家おおやさん、

   早桶はやおけ与太郎よたろう甚兵衛じんべえの二人でかつぎます。

   やがて上野うえの伊藤松坂いとうまつざかのあたりまで来る頃にはもうここのつ、

   ちょうどこくは真夜中であります。

   そこから右に曲がって三枚橋さんまいばし池之端いけのはたへ、さらに七軒町しちけんちょうを通って

   谷中やなかへ行く、これが一番の近道でした。

   季節は旧暦の11月末、それはもう寒く霜柱しもばしらが立っていて、

   三人はそれをきゅ、きゅ、きゅ、と踏みしめて歩きます。

   ところでこの甚兵衛じんべえさんて人は、えらく臆病者おくびょうものなものでして。


与太郎:【つぶやく】

    …さむ…。


甚兵衛:…なぁ与太郎よたろう


与太郎:!

    なんだい!!?


甚兵衛:あッわッ、びっ、びっくりした!

    な、なんて声を出すんだい、おどかしちゃいけないよ。


与太郎:おどかしちゃいねえよ。

    与太郎よたろう、って呼んだから返事したんだ。


甚兵衛:返事するんだったら、もっと静かに返事しておくれよ。

    こっちが小さい声で呼んだのに、あんな大きな声で返してくるか

    ら、思わず飛びあがっちまったよ。

    しかしここらはずいぶんさびしいとこだね…。


与太郎:へへ、あかりも何にもねえからさびしいや。


甚兵衛:それに夜もけたね…。

    なんかやしねえかな…。


与太郎:え?なんだって?


甚兵衛:やしねえかな…。【震えている】


与太郎:へへ、出るかもしれねえ。


甚兵衛:出るかもしれねえって、な、何が出るんだい?


与太郎:暗いとこに出るのはね、お化けが出る。

    お化けっていうのは死んだ人が化けるんだってね。

    いま化けるのを二人でかついでる。


甚兵衛:ッへ、変な事を言っちゃいけねえよ!


与太郎:だけど、まだ化けないね。


甚兵衛:いや、化けないねったってな、化けねえほうがいいよ!

    で、出るとするといつ頃出るのかね…?


与太郎:出るのはね、何でもここのつを過ぎなくちゃお化けは出ないって。


甚兵衛:そうかい…。

    じゃあまだここの時分じぶんだから、急いで行こう。


与太郎:?さっきもうここのつ打ったよ?


甚兵衛:【怯えたように】

    えっ!?もうここのつ過ぎてんのかい!?


与太郎:へへ、ちょうど今お化けが支度したくしてるとこだよ。

    うちのおとっつぁんは物堅ものがたいから、


与太父:【少しおどろおどろしく】

    甚兵衛じんべえさん~、寒いのにご苦労様でしたね~。


与太郎:って、冷たい手でえりんとこをスーッとーー


甚兵衛:うわああッ!!

    【怯えたあまりに座り込んでしまう】

    も、も、もうよしてくれ与太郎よたろう


大家:おいおい、何をしてんだい。

   そんなとこに座っちまっちゃしょうがないよ。

   どうしたんだい。


甚兵衛:だ、だ、だって、よ、与太郎よたろうが変な事ばかり言ってあたしをおど

    すから、驚いてここ座っちまったんですよ。


大家:だいいち、そうグズグズ歩いてちゃしょうがねえよ。

   もっと早く歩きな。


与太郎:早く歩きなったって、甚兵衛じんべえさんがなかなか歩かねえんだもの。

    俺が後ろから押すから甚兵衛じんべえさんいくらか前へ出るんだけど、

    前にいて後ろばかり押してるんだ。

    もし俺がうっちゃったらだんだん後ろへ行ってね、

    そのままうちけえっちまう。


大家:帰っちまっちゃしょうがねえだろ。

   甚兵衛じんべえさんも困るよ、ずんずん前へ出てくんな。


甚兵衛:ま、前へ出るったって、何しろ右側でかついで家を出てから、

    それっきり肩を一度も変えないもんだから、めり込みそうになっ

    て痛くてたまらねえ。


大家:与太郎よたろうもしょうがねえな。

   時々肩を変えてあげろ。


与太郎:なんだぇ、そう言えばいいじゃねえか。

    肩を変えようって言えば変えるのに、右ばかりでかついでる。

    俺も痛えけどしょうがねえからそのままかついでたんだ。

    じゃ肩変えるよ、いいかい、ほら、ひのふのみッ!


語り:バカなもので、静かにやればいいものを与太郎よたろう

   いきなりうわーっと持ち上げてダーンと肩を下ろす。

   すると縄がやわだったと見え、ぶつっと切れて早桶はやおけが落っこちる。

   安物やすものなものですから、底が抜けて中から仏様がにゅうっと出てきて

   しまいます。


与太郎:あ。


甚兵衛:う、うわぁあぁあ!!

    ほ、仏さんがぁ!


大家:ああもう、しょうがねえな。

   早桶はやおけ壊しちまいやがって。

   静かにしねえからこんなことになるんだ。


与太郎:だって、静かにしねえったってさ、縄が弱いから切れちゃったん

    だよ。

    じゃああの、直すからね、甚兵衛じんべえさん、仏様抱いてておくれ。

    で、俺がねーー


甚兵衛:【↑の語尾に喰い気味に】

    と、とととんでもないよ!

    仏様抱いてるのはあたしは嫌だよ!


与太郎:そんなこと言ったってしょうがねえ。

    じゃあいいよいいよ、俺が一人でやるよ。

    こうなってるんだろ、大丈夫だよ、直るよ!


語り:天秤てんびんを持って来ると逆さに中へ押し込んでトントントントンやる。

   どうやら直りそうになったところへ与太郎よたろう、よせばいいのに

   最後に力を入れてひとつ、ダーンとぶったもんだから今度は

   ばちっ、とタガがはじけてバラバラになってしまいます。


大家:おいおい何やってんだ、とうとう壊しちまったよ。

   あぁよしなよしな、手を付けたって無駄だ。

   しょうがねえ、こりゃ早桶はやおけをもう一つ買わなくちゃならねえ。

   どっか近所に売ってるとこはねえかな…?


与太郎:仲町なかちょうとかにあるかな?


大家:仲町なかちょう?ダメだ、あんなとこ行ったってありゃしねえ。

   あ、そうだ、広徳寺こうとくじ前へ行ったらあるかもしれねえ。

   与太郎よたろう、おめえ一緒に来い。

   甚兵衛じんべえさん、すまないが与太郎よたろうと二人で早桶はやおけを買って来るから、

   それまでここで仏様を見ててーー


甚兵衛:【半分泣きそう】

    えぇぇえぇいやいや!!とんでもないこと言うなよォ…!

    こんなとこ一人で【涙声になって何を言ってるのか分からない】


大家:【少々呆れながら】

   何もそんなに怖がることはないじゃないか。

   しょうがねえ、じゃ、甚兵衛じんべえさんが付いてきてくれ。

   与太郎よたろう、おめえ一人でばんができるか?


与太郎:うんうん、いいよ、大丈夫だよ。

    なァに、こわかねえんだよう。

    おとっつぁんを見てりゃいいんだから。

    行っといで行っといで。


大家:提灯ちょうちんは置いてくか?


与太郎:ああいや、提灯ちょうちんなんざいいよ、いらない。

    あかりがあるとね、甚兵衛じんべえさんみたいな臆病おくびょうな人が来ると

    驚くからね。

    持ってっていいよ。

    もし誰か通りかかって聞かれたら、

    今ね、暑いからちょいとすずんでるだけです、て。


大家:バカ野郎、こんな真冬まふゆすずんでる奴があるか。


与太郎:へへ、いま夏の夢を見てる。


大家:変な事を言うな。

   じゃあ、行って来るぞ、大丈夫だな?


与太郎:うんいいよ、大丈夫だよ。

    ここにいるから。


甚兵衛:なるべく早く帰ってくるからね、頼んだよ与太郎よたろう


    【二拍】


与太郎:えっと、おけの板を並べて…おとっつぁんをそこに横にして…、

    ふたは…あったあった、こいつを尻の下に引いておこうっと。

    …ふぅ。


語り:一仕事ひとしごと終えておけふたに座り込んだ与太郎よたろう、じーっと仏様を見つめま

   す。

   後ろは上野うえのの森で前は不忍池しのばずのいけという形、夜の水というものは不気味

   なもので、その中に映る弁天堂べんてんどうがなお一層いっそう黒く、ぼやっと見える。

   時々風が吹くと、枯れよしがカサカサ、カサカサと鳴り、

   森の中を風がごぉーっと渡っていきます。

   いくらバカな与太郎よたろうと言えども、あんまりいい心持こころもちはしません。


与太郎:…へへ、甚兵衛)(じんべえ)さん、怖い怖いって言ってたけど、

    ここらはあんまりにぎやかじゃねえからな。

    …おとっつぁん、死んじゃったんだな…。


    おい、おとっつぁん、なにも死ななくたっていいじゃねえか。

    もっと生きてろよ。

    俺に世話せわになるのは気の毒だって死んじゃったのかい?

    おとっつぁんがもっと生きてりゃ、俺は一生懸命いっしょうけんめいかせいでさ、

    うめぇもんでも何でも食わしてやったんだ。

    遠慮えんりょしねえでもっと生きてりゃいいじゃねえか。

    死んだら地獄か極楽へ行くらしいけど、地獄はよしなよ。

    極楽行けよぅ。

    地獄いくと赤鬼だの青鬼だのいて、いじめるって言うから。

    もしいじめたら俺んとこにすぐに向かえに来なよ。

    俺が行ってすぐに……ってそれじゃ、俺も死ななくちゃならねえ

    や。

    じゃいいよ、来なくても。ぁいや、俺もそのうち行くけど、

    今は来なくていいから。

    とにかく地獄へ行くのはよしなよ。


語り:などとしきりに死体に話しかけていると五、六間ろっけんむこうを

   真っ黒な、小さなものがスッと通りました。

   かと思った次の瞬間、今まで横たわっていた仏様が、

   いきなりぴょこぴょこ動き出したのでございます。


与太郎:ぉお?え?動いてる?

    あららまた動いた?

    おぉお!?また動いた!


語り:死体がいきなり動き出してさすがの与太郎よたろうも驚きます。

   やがてスッと起き上ると与太郎よたろうの前へピタリと座り、顔をじーっと

   のぞき込んだかと思うと、さらに驚く行動に出たのです。


与太郎:お、おとっつぁん…。


与太父:いひひ…!


与太郎:うわっ!?

    おどれぇた、笑いやがったよ。

    思わず殴っちまったら、また寝ちゃった。


    あ、そうか、何か言う事があったんだな。

    おーい、おとっつぁん、もう一度ぴょこぴょこしろよ。

    ぴょこついてくれよ。

    頼むからぴょこつけ!


語り:その途端とたん、また仏様がぴょこつきだします。

   かと思った次の瞬間、すっと立ち上がったかと思うと地べたから

   上へぴょこっ、ぴょこっと飛び上がる。


与太郎:おお?ははは、いやこらぁ面白おもしれぇや!

    【手拍子を叩きながら】

    いやぁ、おとっつぁんは上手じょうずだ♪おとっつぁんは上手じょうずだ♪


語り:普通はおびえるところだが、どこに感情がくっついているのか。

   与太郎よたろうは手を叩いてはやしてます。

   するとそのうち風がごぉーっと吹いてきたかと思うと、

   その風に乗って何処どこかへと行ってしまったのであります。


与太郎:あ、行っちゃった!

    おぉーい、おとっつぁーーん!


大家:お、あそこで声がするぞ。


甚兵衛:あぁ暑かった暑かった。

    与太郎よたろう、いま戻ったよ。

    一生懸命いっしょうけんめい早く行こうと思って汗かいちまったよ。


大家:それで、仏様はどうした?

   すぐに早桶はやおけに入れなくちゃなんねえ。


与太郎:おとっつぁんは…いねえ。


大家:なに、いねえ?

   どういうことだ。


与太郎:へへっ、向こう行っちまった。


大家:?なんだ、向こう行っちゃったって。


与太郎:へへへ、あのね、二人が行った後で俺が一生懸命いっしょうけんめいおとっつぁんに

    話しかけてたらさ、仏様がぴょこぴょこって動いたんだ。

    どうしたのかと思ってたら目の前に座ってね、イヒヒって笑いや

    がったんだ。

    俺も気味きみが悪いから横っツラ殴ったらまた寝ちゃったんだ。

    何か言う事があるんだろうと思ってね、

    もう一遍いっぺんぴょこついてくれって頼んだんだ。


大家:この野郎、なにを変な事を頼んでんだ。

   それで、どうしたんだ?


与太郎:そしたら今度は立ってね、ぴょこっ、ぴょこっ、て飛び上がるん

    だよ。

    だからおとっつぁんは上手じょうずだ♪おとっつぁんは上手じょうずだ♪

    ってはやしてたら風がごおっと吹いてね、それに乗ってどっか行っ

    ちゃった。


大家:このバカ、そいつはな、仏へが差したんだ。

   年古としふりた化け猫の仕業しわざかもしれねえ。

   しょうがねえな、早桶はやおけ買って来たはいいが、肝心かんじんの仏がいなくて

   どうするんだ。

   甚兵衛じんべえさん、聞いたかい。


甚兵衛:【半泣きで】

    うぅぅううぅ、抜けました…。


大家:なに、抜けた?

   しょうがねえな、いま買って来たばかりじゃねえか。

   また底が抜けちまったのかい?


甚兵衛:いいえ、今度はあたしの腰が抜けました。


    【一拍】


語り:えらい騒ぎで、この死体が翌日、七軒町しちけんちょう上総屋かずさやという質屋しちや土蔵どぞう

   のくぎにかかっておりまして、ここでまた早桶はやおけを買いました。

   一人の仏様に三つの早桶はやおけを買ったという、

   谷中奇聞やなかきぶん猫怪談ねこかいだん」でございます。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)




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