【閑話】夫婦の寝室
ミシェルが守り手の里に到着したその日、事件は起きた。
馬車から荷物を降ろしていた手伝いの人に混じり、メイドのリーズはミシェルの大事なものだけが詰め込まれた鞄を持って、爆弾発言をした。
「すみません、えーと……旦那様? ご夫婦の寝室はどこです?」
「しんしつ」
目を丸くしたミシェルが、信じられないものを見るような目でリーズを見る。
(寝室。寝室……そりゃ、そうよ……結婚するんだもの。寝室は、一緒なんだわ……)
ごく当然の事実にやっと気づいたミシェルはそれ以上言葉を続けられず、愕然とする。
貴族同士の政略結婚ならば、顔を合わせた当日に婚礼を迎え、そのまま初夜に雪崩れこむことだって珍しくはない。珍しくはないし、ミシェルだって貴族令嬢としてそういった覚悟をしていなかったわけではないが、色々なことがありすぎて、全く意識の外だった。
「んっんんっ」
わざとらしいレイモンの咳払いの音で、ミシェルはぱっと彼を見る。
「その……ミシェル嬢とは、まだ、その……」
珍しく言い淀んでいるレイモンを、ミシェルはそのままじっと見つめている。心なしかレイモンの耳がかすかに赤い。だが、ミシェルはそれには気づいていなかった。
「まだ婚礼式をしていませんから、寝室は別です。ミシェル嬢の寝室を用意していますから。案内します」
「そう、ですか……あ、ありがとうございます……」
がちごちになりながらミシェルは答えたが、リーズは朗らかに笑った。
「あっじゃあ、婚礼式が終わり次第寝室を一緒にして初夜をされるんですねえ、ロマンチックです」
「しょ……っ」
「っ!?」
二人が同時に絶句したのに対し、リーズはあくまで楽しそうである。
「まだ! まだミシェル嬢にそういう許可を貰っていませんから!」
「まだ!?」
許可さえあれば今すぐにでもするということか。思わずそんな感情の乗った叫びを漏らしたミシェルに、慌ててレイモンは手を振る。
「いえ違います、そうではなくて!」
「ええっ初夜ないんですかあ!?」
ぎょっとしたリーズがとんでもないことを叫ぶ。
「いえ、しますが!」
「するんですか!?」
レイモンの一言にミシェルが反応してもうパニックである。
「いずれ! いずれです! もっと貴女と…………っ僕は何を言っているんでしょうか! とにかく寝室に案内します!」
ここまでくると、耳どころか二人とも顔が真っ赤だ。二人に混乱の渦に叩きこんだリーズはと言えば、涼やかに「はーい」などと言って荷物を運んでいる。
「……もう、リーズのばか……」
小さく呟いたミシェルの声は、誰の耳にも届かない。そうしてひとまず、夫婦未満の二人の寝室は別々になったのだった。