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第95話 白檀との約束

 棗芽なつめは意識を失った月華つきはなを肩に担いだまま、器用に太刀を背中の鞘へ納めた。

 ずしりと月華の全体重が棗芽の肩に重くのしかかる。

 しかし彼はそれを苦にもしなかった。

 棗芽と肩を並べる山吹やまぶきは、ばつが悪そうに視線を逸らした。

 すると大股で近づいてきた雪柊せっしゅうが珍しく目くじらを立てて山吹の胸倉を掴んだ。

「山吹殿、これはどういうことだ? 百合ゆりが輪廻の華と呼ばれていることを知っているような口ぶりだったが、本当なのか? それに月華はあなたが百合を攫ったと思っているようだったが……返答によっては私も黙ってはいない」

「——すべて本当です、雪柊殿」

 決して目を合わせようとしない山吹に雪柊は殴りかかる勢いだった。

 が、棗芽はそれを制した。

「師匠。この人を責めても何も解決しませんよ。そもそも、師匠があの男にとどめを差さなかったからこうなったのではありませんか」

「…………」

 雪柊に反論の余地はなく、掴んでいた山吹の襟を黙って手放す。

 月華に強く握られた山吹の襟はさらに雪柊によって深い皺を刻まれた。

 雪柊は何とか怒りを呑み込んだが、納まっているとは言い難い表情をしている。

 白檀びゃくだんが懸念していた山吹が月華に斬られるという事態は免れたが、これでは相手が雪柊にかわっただけではないか。

 棗芽はあからさまにため息をつくと雪柊に言った。

「ところで師匠はなぜ紅葉くれはとこんなところに……?」

「……君を探していた」

「私を?」

「約束の刻限になっても姿を現さなかった棗芽を心配した紅葉が、戻らなかったのではなく戻れなかったのかもしれないと寺を飛び出したから、ひとりで行かせるわけにはいかなかった」

「そうですか……師匠、紅葉を守ってくれてありがとうございます」

 形だけではなく、心から感謝して棗芽は頭を下げた。

 雪柊がいなければ、妹尾せのお家の男に連れ去られたのは百合ではなく紅葉だったかもしれない。

 そう思うと全身に悪寒が走る。

「私は君のために守ったわけじゃない——そんなことより、百合をあのままにするつもりか、棗芽」

「まさか。必ず連れ戻しますよ、白檀殿と約束しましたしね」

「えっ!?」

 山吹、紅葉、雪柊が3者3様に訊き返した。

「あんた、白檀様に会ったのか!?」

 と山吹。

「やっぱり白檀様を助けてくれたのね」

 と紅葉。

「風雅の君は備中国びっちゅうのくにじゃないのか!?」

 と雪柊。

 3人から同時に質問攻めにあった棗芽はうんざりした様子ですべてをひとくくりに返答した。

「ええ、会いました。助けましたとも。私が連れ出したので、すでに彼は備中国にいません」

「どういうことだ!?」

 と山吹。

「白檀様、本当に大丈夫なの!?」

 と紅葉。

「風雅の君はどこにいる!?」

 と雪柊。

 これではどこまでも質問攻めに合うに違いないと悟った棗芽は、だらりと手足を伸ばしたままの月華の体躯を肩に担ぎ直して棗芽は言った。

「質問なら後でいくらでも受け付けますが、まずは月華これをどうにかしないといけませんね」

「待て、棗芽。どこに行くつもりだ」

「……とりあえず兄上にでも預けましょうか」

鬼灯きとうに……?」

「だって九条家に持ち込めば、いろいろと説明しないといけませんから、面倒ではありませんか。兄上なら何も言わずとも預かってくれると思いますので」

 そう答えた棗芽の行く手を雪柊が遮った。

 訝しげに棗芽を見つめる。

「預けて君はどうするつもりだ?」

「どうするってあの男の後を追いかけるに決まっているではありませんか。私は白檀殿が輪廻の華に逢いたいというから備中国からみやこまで連れてきたのです。用が済めば紅蓮寺ぐれんじへ案内するつもりでした。それが、思わぬ邪魔のせいで輪廻の華の方が備中国へ行ってしまった。だから白檀殿の元へ輪廻の華を連れて行く。それが私と彼との約束ですから」

「なぜそこまで風雅の君に肩入れする?」

「師匠。私は風雅の君なんて人は知りませんね。私が知っているのはちょっとくせのある面白い男です。私は彼のことが気に入ったのですよ。だから約束は果たします。邪魔しないでください」

 棗芽は雪柊を押しのけて歩こうとした。

 が、雪柊は再び棗芽を引き留めた。

 雪柊に肩を掴まれ苛立たしげに、

「まだ何か!?」

 と棗芽が言うと雪柊は彼の前に手を差し出して言った。

「月華を置いて行きなさい、棗芽」

「…………?」

「鬼灯のところへは私が運ぶ。だから君は先に行きなさい」

「……先にということは——」

「百合がどんな扱いを受けるのか心配だ。だから君は先に行きなさい。私も後で追いかける」

 雪柊は強引に棗芽の肩から月華の体を降ろすと、自分の肩に担ぎ直した。

 意識を失っているとはいえ、月華は微動だにしない。

「この子、本当に気絶しているだけなんだろうか。何だか心配になってきたねぇ」

 厳しい口調の雪柊からいつもの飄々とした彼に戻ったことを確認した棗芽はほっと胸を撫で下ろした。

 確かに意識を取り戻す様子が見えない月華のことは心配だが、あれだけ興奮していたのは単に一時的な感情だけはないような気が棗芽はしていた。

 ここに来るまでに悩ましいことが多々あったのだろう。

 月華を追いかけて肩を並べて駆けていた時のことを思い出す。

 必要以上に冷静に見えたが、やはり心の中は黒い感情が渦を巻いていたのだろう。

「では師匠。月華のこと、よろしくお願いします」

 棗芽は軽く頭を下げて踵を返した。

 するとそれまで静観していた紅葉が彼の袖を掴んだ。

 棗芽が振り返ると上目遣いの紅葉が目に入り、その表情に言葉を失った。

 まるで捨てられた子犬のようだったからだ。

「待って」

「……紅葉?」

「備中へ行くならあたしが案内する。邸の中もあたしなら迷わず案内できるし」

 棗芽には紅葉の言っている意味が理解できなかった。

 棗芽は紅葉が紅蓮寺に来た理由を知っている。

 それだけに余計に困惑したのだった。

「……はっ? 何を言っているのですか!? 君はあの邸から逃げてきたのでしょう? わざわざ火の中に入っていく必要はありませんよ」

「で、でもあの邸は迷路みたいなものだし、そ、それに輪廻の華を取り戻した時にあたしが一緒にいた方が心強いでしょ」

 妙に食い下がる紅葉を雪柊は唖然として見つめていたが、やがて彼女は行き先がどうであれ棗芽と一緒にいたいのではないかと思い始めた。

 そもそも棗芽の身を案じて寺を飛び出してきてくらいである。

 想いを寄せているのはわかっていた。

「紅葉……私はあの邸から白檀殿を連れ出した男ですよ? 再び侵入するなど造作もない——」

 呆れ顔で反論する棗芽を雪柊は制した。

「棗芽、紅葉の言うとおりだよ。百合を取り戻した時に彼女がいてくれた方が何かと都合がいいと思わないかい?」

「は? 師匠まで何を……」

「それに妹尾家のことは君より紅葉の方が詳しいはずだろう? 案内役にはうってつけだと思うけど」

「そんな危険を伴うようなところに私が彼女を連れていくとでも思っているのですか」

「棗芽が最後まで守りきるんだから問題ないだろう?」

「…………」

 棗芽は絶句しながらも、白檀に言われた言葉が不意に脳裏に浮かんだ。

 ——その時は生涯、あなたが彼女を守ればいいではありませんか。

 ——紅葉のこととなるとあなたはそんなにも心を揺り動かされるのですね。

 確かに、これまで何にも執着したことがなかった棗芽にとって、紅葉はもはや特別な存在である。

 これまでの棗芽であれば、来たければ勝手について来ればいい、と答えたに違いない。

 ここまで紅葉がついてくることを拒むのは彼女を危険に晒したくないという強い想いがあるからだ。

 だが常に連れていれば、無事なのかと杞憂することはなくなる。

 危険な時は守ればいいだけのことなのだ。

「旅は道連れ、世は情けと言うじゃないか」

「意味がわかりません」

 何かを悟ったような雪柊の不自然な言動に従うのは癪に障る、そう思って憤慨するも心はすでに決まっている。

 棗芽をよそに山吹もぽつりと呟いた。

「確かに旅は道連れと言うな……では俺も——」

 雪柊は1歩踏み出した山吹の衣紋を掴み、自分の方へ引き寄せた。

「あなたは私とともに来てもらいますよ、山吹殿」

「な、なぜですか雪柊殿。俺も紅葉と一緒に……」

「それはできません。あなたには私たちを備中へ案内してもらいますからね。目覚めた月華が暴れ出すかもしれませんから、その時は暴走を止める役目もお願いしますよ」

「…………」

「あなたに月華の暴走を止める力量がどのくらいあるのか、楽しみだなぁ」

 そう言って雪柊は嫌がる山吹を半ば引きずるようにして六波羅ろくはらへ向けて歩き出した。

 紅葉を残された棗芽は深いため息をついた。

 そして去っていく雪柊の背中に向かって声を張り上げる。

「師匠、この先何があるかわかりませんので兄上に会ったら——」

 振り向いた雪柊は暗闇の中で微笑んだように棗芽には見えた。

「わかっているよ、棗芽。何とかして鬼灯を焚きつけて、月華のお守りをさせるようにするからね」

 つまり、鬼灯と一緒に後を追う、そう返してくれた雪柊に手を振ると棗芽は紅葉に向き直った。

「紅葉、まだ走れる体力はありますか」

「任せて。あたし、これでも白檀様のお使いでよく諸国を旅していたの」

「それは頼もしい限りですね。ですが——」

 棗芽は腰を屈めると紅葉と視線を合わせて言った。

「辛い時はいつでも頼ってください。そうしてくれた方が私も嬉しい」

 朔月の夜は嫌いだった。

 だがこの時ばかりは月明りが乏しくてよかった、と棗芽は思った。

 紅葉を見つめた時に顔が赤らんでしまうのを隠すことができるから。

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