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第91話 能ある鷹が爪を出す時

 備中国びっちゅうのくにを出た妹尾敦盛せのおあつもりは、やっとのことで近江国おうみのくにの近くまで来た。

 辺りは人通りもなく、遠くで激しくこだまする犬の遠吠えが聞こえるだけだった。

 着の身着のままで飛び出してきたため、腰に愛刀の2本があるだけで旅に出る風貌とはとても言えなかった。

 風雅の君が忽然と姿を消したのが一昨日の夜。

 夜通し邸内を捜索し、結局見つからなかったために風雅の君の捜索に出ることになったのが昨日の朝のこと。

 備中を出るまで様々な足止めを食らってしまい、近江まで来るのがすっかり遅くなってしまったのだった。

 ここまでの道のりは近いようで遠かった。

 邸を出ていくらも進まないうちに、寸断された道に足止めされた。

 地元の住人によれば長雨で土砂崩れが起こったためだという。

 何とか迂回してやっとの思いで先に進めたと思えば、今度は助けを求める民に足止めされた。

 川が氾濫し、水田の泥が家の中まで入ってきて困っていると言う。

 敦盛には関係がないことだが、助けを求められると断ることができない性格の敦盛は無視するわけにもいかず手を貸すことになった。

 そうこうしていると、すっかり日が暮れる時刻になっていたのである。

 徹夜で出発したこともあり、昨晩は足を止めざるを得なかった。

 だがそれが功を奏したのだろうか。

 土地勘のない場所で偶然にも紅葉くれはを見つけたのは、幸いだった。

 近江の紅蓮寺ぐれんじに逃げ込んだと報告を受けていることは知っている。

 追っている風雅の君はてっきり紅葉を追ったと思っていたがそれは勘違いだったのだろうか。

 見る限り紅葉のそばに風雅の君はいなかった。

「——紅葉ではないかっ」

 敦盛が馬上から声をかけると紅葉は震えているようだった。

 その上、見たこともない男が彼女の前に立ちはだかっている。

 不審に思いながらも、敦盛は馬を降りた。

「あ、敦盛……様」

 紅葉は2、3歩後ろへ下がった。

 怯えているのは誰の目に明らかだった。

(妾にされるのを嫌がって国を飛び出したのだから無理もない……)

 妹のように可愛がってきた紅葉に嫌悪の目を向けられ敦盛はため息をついた。

「紅葉。怯えることはない。父上たちがお前を存外に扱おうとしていることは知っている。だが俺は望んでいない。とにかく国に帰って別の方法を考えようじゃないか」

 敦盛は手を差し出したが紅葉は首を振りながらさらに後ずさった。

 強引に紅葉の手を掴もうとしたところで、立ちはだかる男に手首を掴まれ遮られた。

 細目に剃髪した頭の男は着流しで立っており、一見すると僧侶のように見えなくもないが雰囲気はまるでそれに似つかわしくない。

 隠そうともしない殺気は敦盛に向けられている。

 そしてその男の腕力は尋常ではなかった。

 掴まれた手首にぐいぐいと相手の指が食い込んできて、徐々に血流が止まっていく。

 血が行かなくなった手先が少しずつ痺れてきたところで、敦盛は慌てて男の手を振り払い後ろへ退き、間合いを取った。

 不用意にこの男の間合いに入ってはいけない。

 長年、戦場で死と隣り合わせに生きてきた敦盛の武士としての勘が、そう警鐘を鳴らしていた。

「……なんて怪力だ」

 そう零した敦盛は握られた手首をさすった。

「君は紅葉を連れ戻しに来た妹尾家の者なのかい」

 行動とは裏腹に穏やかな口調の男は、敦盛に言った。

「…………」

「答えたくないなら答えなくてもいいけどね……ただし、紅葉は渡さないよ。彼女を連れて行くつもりなら私が相手になろうじゃないか」

 腕まくりなどして張り切る怪しげな男。

 武士のようには見えないし、ごろつきのようでもない。

 敦盛が男の力量を計りかねていると、その後ろで紅葉は男の背中に縋りながら叫んだ。

「せ、雪柊せっしゅう様っ、やめてください! 無理です!」

「何だい、紅葉。私だってまだまだ戦えるよ?」

「何を言ってるんですかっ。あの人の腰にある刀が見えないんですか!?」

「刀? ああ……確かにこれ見よがしに2本も提げているね」

「見えてるなら素手で戦うなんて無茶なこと、やめてください!」

「そんなこと言われてもねぇ。私は刃物は得意じゃないんだよ。1度友人に持たされたことがあるんだけど、どうもあの間合いは遠くて嫌でねぇ。やっぱり武器は持たないに限るよ」

「雪柊様っ」

 敦盛は呆然とふたりのやり取りを眺めていた。

 何の寸劇を見せられているのだろう。

 呆れて突っ込むことすら忘れてしまった。

 はっと我に返った敦盛は目の前の男に言い放った。

「お前がどういうつもりなのかわからないが紅葉は妹尾家の人間だ。俺が連れて帰る」

 敦盛が再び紅葉に手を伸ばそうとすると、男——雪柊はなおも遮ってきた。

「彼女は自らの意思で国を出た。だからもう戻ることはない」

「これは我が妹尾家の問題だ。お前には関係ない。俺がこの刀を抜く前にとっとと失せろ」

「抜きたければ勝手に抜けばいい。私は一向に構わないよ」

 敦盛は固唾を呑んだ。

 本気で言っているのだろうか。

 敦盛は長短2本の刀を腰に差している。

 力的には圧倒的にこちらが有利のはずなのに、雪柊は動揺すらしていないことが敦盛は信じられなかった。

 抜くかどうかは決めかねたが、敦盛は刀の柄に手をかけつつ雪柊の背中に隠れる紅葉に声をかけた。

「紅葉、風雅の君は一緒ではないのか」

「……え?」

「一昨日、風雅の君は忽然と邸から姿を消した。邸内を捜索したが見つけられなかったのだ。てっきりお前を追っていったと思っていたが——」

「……え? 白檀びゃくだん様が行方不明なんですか!?」

 紅葉の叫び声に雪柊は片眉をひとつ動かしたが、敦盛は構わず続けた。

「ああ、そうだ。俺は風雅の君を連れ戻すために備中から来た」

「……で、でもそんなはずは……どういうこと? 棗芽なつめは白檀様のところへ行ったんじゃなかったの……?」

 紅葉は口ごもりながら呟いた。

「……棗芽?」

 聞きなれない名に気を取られていると、雪柊は突然襲い掛かってきた。

 急に間合いを詰めてきた速さは瞬きをするほどの間もなく、気がついた時には雪柊の足が膝に蹴り込まれるところだった。

 膝を損傷すれば歩いたり走ったりすることはおろか、立っていることすらできなくなるかもしれない。

 寸でのところでかわし、運よく難を逃れたが雪柊の攻撃が止むことはなかった。

 そのまま1回転すると返す勢いで拳がこめかみを狙っていた。

 当たれば平衡感覚を失い、戦うことは困難になるだろう。

 敦盛は何とかそれもかわすことができた。

 だが当然攻撃がそれで終わることはなかった。

 これまでの2撃は警告だと言わんばかりにさらに速度を上げた雪柊は自らの膝を敦盛のみぞおち目がけて蹴り上げた。

(は、速い……!)

 かわしきれず浅くみぞおちに膝を打ち込まれると敦盛は後ろに倒れそうになるのを何とか堪えて前のめりに膝をついた。

 完全に命中していれば呼吸ができなくなるところだったが、そこまでの損傷は受けずに済んだ。

 敦盛はみぞおちを押さえながら、攻撃の手を休めた雪柊を睨みつけた。

 狙われたのは急所ばかり。

 殺すつもりなのかはさておき、完全に機能停止になるように仕掛けてきている。

 肩で息をしながらじっと雪柊を見つめていると、彼は呼吸ひとつ乱すことなく言った。

「刀を抜いていいと言ったのに、聞こえていなかったのか?」

 それまでののらりくらりとした様子からは想像もつかないほど雪柊は別人にようになっていた。

 閉じているかと思うほど細い目はわずかに開かれ、眼光は鋭く、こちらを獲物のように見据えている。

 口調まで変わり、まるで人格が変わったかのようだった。

 これがこの男の本性なのだろうか。

 丸腰の相手に刀を抜くのは気が引けるが、このままでは打ちのめされるような気がした敦盛は、ゆっくりと立ち上がると刀を抜いた。

 長刀は右手に、短刀は左手に構える。

 長年愛用している刀は自らの手で手入れしているもので、星明かりの下で怪しく黒光りする。

 素手で武器を持った者を相手にしなければならなくなったはずなのに、むしろ雪柊は嬉しそうにしていた。

 狂っている……。

 敦盛はそう感じた。

「やっと抜いたか。ためらわずにさっさと抜いていれば痛い思いをせずに済んだものを。最初に言ったとおり、紅葉を渡す気はない。そして風雅の君もだ」

「お前、風雅の君を知っているのか」

「さて……。風雅の君を探してあちこちうろうろされては目障りだ。動けなくなるまで叩きのめすから覚悟するがいい」

「…………」

「私が手を止めた時にまだ息をしていられたなら、幸運だったと喜べ」

 微笑む雪柊があまりに不気味で敦盛の全身には悪寒が走った。

 背中を見せれば殺されるに違いない——。

 これまでどんな戦場でもここまで死を感じたことはなかった。

 素手で戦おうとする雪柊に対し、こちらは2本も刀を持っているのにも関わらず、敦盛は恐怖を感じずにはいられなかった。

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