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第86話 謎多きふたり

 紫苑しおんは発熱して自力で歩くことができない弾正尹だんじょういんを背負い九条邸へ辿り着いた。

 途中、白檀びゃくだんは何も言わなかったし、紫苑も何も訊かなかった。

 今、ふたりの目的は一致している。

 行動をともにする理由はそれで十分だった。

 紫苑に気がついた門番は慌てて家臣の松島を呼びに行った。

 程なくして開かれた門から現れた優秀な家臣は青ざめた顔で開口一番に言った。

「……これは一体、どうなさったのですか!?」

 確かに松島が驚くのも無理はなかった。

 月華つきはながいないことをわかっていながら紫苑が九条邸を訪れたことはない。

 おまけに具合の悪そうな男を背負い、おそらく見たことがないだろう謎の男を連れているのだ。

 優秀な家臣はただごとではないことを察しているに違いない。

 紫苑は松島に招き入れられ、邸の中に足を踏み入れた。

 中に入った彼らは回廊を歩き出す。

 夜も更けてきた頃とあって、邸のあちこちで明かりが落とされている。

 邸の南側に大きく作られた池には満天の星が映り、水面を銀色に輝かせていた。

「松島殿、こんな夜分に悪いな。月華がこの人たちを自分の邸へ連れて行けって言うもんだからさ」

 背中のひとりと後ろへ続くひとりに視線を送って紫苑は説明した。

 特に背中の人物を見るなり、松島は驚いていた。

「月華様が……ですか?」

「ああ。この背中にいる人な、この人は弾正台だんじょうだいの長官なんだが——」

「はい、存じております」

「え? そうなのか? もしかしてこの人、個人的に九条家と仲がいいのか?」

「……どういう意味、でしょうか」

 弾正尹の話になると松島は急に身構えた。

「いや、月華のやつが言ったらしいんだ。時華ときはな様なら受け入れてくれるからって。ちょっとその意味がわからなかったんだよな。だからもともと弾正尹様と時華様が個人的に仲がいいのかと思っただけさ」

「…………」

「この弾正尹様は名前も家柄も、朝廷内では誰も知らないことで有名なんだ。でも俺たち官吏のことは名前や家柄だけじゃなく性格や交友関係まですべて把握してるって話だ。その割には特定の人物と親しくしてるのを誰も見たことがねぇから、全員に公平にするために孤独を選んでる人だと思ってたんだが、妙に月華と仲がいいからおかしいとは思ってたんだ。もしかして、前から邸に出入りしてたりするのか?」

「——この方が個人的にこの邸へいらしたことはございませぬ。ただ朝廷での立場上、我が主人とはときをともにすることがあると存じます。月華様とは……単にうまが合うだけではないでしょうか」

 視線を逸らしながら松島は言った。

 話の前半はあり得るとして、後半はずいぶんと投げやりな回答だなと紫苑は訝しげに松島を見た。

「あのふたりのうまが合う……!? 月華とは全然違う種類だと思うが……まあ、そっちの人みたいに裏の顔があるような感じはねぇから、その辺は月華に似てるかもな」

 そう言って紫苑が、黙って後ろをついて来ていた白檀に視線を送ると彼は不気味な笑みを零した。

「誉め言葉と受け取っておきましょう」

 相変わらず真意の読めない返答に紫苑は肩を落としたのだった。

 しばらくすると白檀は足を止めて庭をじっと眺めていた。

 彼の瞳に映る庭には池の中心にある中島の上に華蘭庵からんあんがある。

 茶室を模して建てられたもので、明かりはついていない。

「ん? 何だ、白檀殿。あの建物が気になるのか? あれはいつも月華たちが使ってて華蘭庵っていうんだぜ?」

「いえ……気になるのは建物ではなくて——」

 白檀が呆然と見入っている視線の先に気がついた紫苑は、合点がいったとばかりに答えた。

「ああ、あれは慰霊碑だ」

「慰霊碑?」

「流刑にされて骨すら拾ってもらえなかった師匠が気の毒だって悠蘭ゆうらんが言ったらしくて、時華様があそこに土御門皐英つちみかどこうえいの慰霊碑を建てさせたんだと。まったく時華様も息子たちには甘いよな。まあ、悠蘭の命の恩人でもあるらしいから、当然っちゃあ当然か」

「そう、ですか。あれを皐英のために……」

 白檀はわずかに微笑んだ。

 それはこれまで見たことがないような自然に零れる笑みだった。

 心から喜んでいるとわかる。

 これまで含みのある笑みしか見たことがない紫苑にとって、それは白檀の意外な一面だった。

 そのうちに彼らは東対ひがしのたいへ辿り着いた。

 松島は中にいた女中に耳打ちした後、弾正尹を御帳台みちょうだいへ寝かせるよう紫苑に言った。

 過去には月華が使っていた部屋だそうだが今は使っていないと聞いていたはずなのに、最近まで使われていたかのように整っている。

 生活感が残っているのを紫苑は不思議に思いながらも口にはしなかった。

 横たわる弾正尹のそばに白檀が膝を折り、彼の額に手を乗せると首を横に振った。

 熱は下がっていないらしい。

 紫苑と松島もその場に腰を下ろす。

「彼には今しばらく休養が必要なようですね」

 まるで家族を見守るように弾正尹の頭を撫でている白檀に、紫苑は違和感を覚えた。

 白檀はかつて風雅の君と呼ばれ、宮中で暮らしていたというが事件をきっかけに先帝の命で京を追放されたと聞く。

 その彼が朝廷の官吏である弾正尹と知り合いだとは到底、思えなかった。

「白檀殿、あんたこの人と知り合いなのか」

「なぜそう思うのですか」

「……はぁ。それ、あんたの悪い癖だな」

「…………?」

「質問してるのは俺。あんたが質問するのは俺の問いに答えた後だろ?」

 唐突に説教をする紫苑に面食らったのかしばらく呆然とした後、白檀は笑いを噛み殺した。

「すみません、紫苑。あなたの言うとおり、私は育った環境のせいかすぐに相手の腹を探ろうとしてしまう癖があるようですね」

「謝ることはねぇよ。完璧なやつなんていねぇんだから。で? この人とはどういう関係なんだ」

「……詳しくは言えませんが、深い縁で繋がっている、とだけお答えしておきましょう」

「何だそれ、謎かけか!? 俺は李桜りおうとは違うからそういうのはあまり得意じゃねぇんだけど」

「相変わらず面白い人ですね、あなたは」

 褒められているのか貶されているのかわからず、紫苑はばつが悪そうに頭を掻いた。

 するとそれまで静観していた松島が口を挟んだ。

「ところで——月華様や百合ゆり様はご一緒ではないのですね。星祭りに行かれるとお出かけになったのですが、まだお戻りではないものですから。おふたりも祭りに行かれたのでしょうか」

 紫苑はぴたりと動作を止めた。

 百合が連れ去られ、月華がそれを追ったことをここで暴露すれば邸の中は大騒ぎになることだろう。

 だからと言って、もし月華がすぐに百合を連れ戻すことができなければ朝までに彼らが邸に戻って来られない可能性もある。

 そうなれば騒ぎになるのは同じことだ。

「——何か、あったのですか」

 紫苑の動揺を察した松島は眉間に皺を寄せた。

 どう答えるべきか迷っていると、白檀が代わりに口を開いた。

「詳しくは後で私がお話しましょう。紫苑、ここは私に任せてあなたは行くべきところへ行ってください」

「はっ? 行くべきとこってどこだよ?」

 白檀は助け舟を出したはずだったが、紫苑はまったくその意図を汲み取っていなかった。

 苛ついた白檀は紫苑の腕を強く引き、近づいた耳元に囁く。

かえで鷹司杏弥たかつかさきょうやのことを預けたままにするつもりですか!? 楓では持て余すに決まっています」

「はぁ!? 何で俺が——」

「あなた、兵部少輔ひょうぶしょうゆうでしょうが」

「……まあ、そうだな。そうか、杏弥を捕らえるのは俺の仕事だよな。楓殿は腕を負傷してるわけだし」

「わかったのならすぐに行動してくださいっ」

 白檀に言われ、紫苑は面倒そうに重い腰を上げた。

「松島殿、悪いけど俺は行かなきゃならいところがあるから、詳しくはこの人に訊いてくれ」

 白檀を指さしながら紫苑は言った。

「まあ、全部包み隠さず答えてくれるかどうかはわからねぇけど」

 最後のひと言に、白檀はこめかみを押さえた。

(まったく……ひと言多い。紫苑あれの相手をしている李桜に同情しますね)

 と白檀は心の中で呟いたのだった。

 紫苑が九条邸を後にしてまもなく、眉間に皺を寄せた九条家の主が松島の伝言をもたらした女中の案内で現れた。

「松島、火急の用件とは何だ」

 その声に慌てて御帳台から出た松島は現れた人物に駆け寄った。

 白檀が隙間から見ていると九条家当主——九条時華の登場に、東対にいる者は全員平伏していた。

「時華様、このような夜分に申し訳ございませぬ。ですが、お知らせせぬわけにはいかず——」

「何だ、他に誰かおるのか」

 御帳台の中に気配を感じた時華はゆっくりと歩みを進めた。

 先に説明しようと松島が慌てふためくよりも先に時華が中を覗き込む。

「あ、その、時華様——」

 御帳台を覗き込んだ時華は、中にいるふたりを目の当たりにして思わず声に出した。

榛紀しんき様がなぜまたここにおるのだっ! それに……白椎はくすい様!?」

 時華はまるで幽霊でも見ているかのように腰を抜かしそうになったのだった。

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