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第79話 先走る期待

 山吹やまぶきが消えてからもみつ屋の前に集まる官吏たちの様子を遠くから窺っていた鷹司杏弥たかつかさきょうやは、揃った顔ぶれを見て目を見張った。

 朔月のわりに提灯の明るさのおかげで彼らの顔がよく見える。

 いつの間にか月華つきはなが合流していたのである。

 彼らが集団で移動し始めたのを見て、杏弥は舌打ちした。

 冷静に考えてみれば杏弥は輪廻の華の顔を知らなかった。

 消去法でいけば視界に映る李桜りおうの妻と悠蘭ゆうらんの妻を除く残りのひとりが輪廻の華なのだろう。

 それにしても何人もの集まりで行動されては、月華を引き離すどころか誰にも気づかれずに近づくことすらできない。

 それにしても——。

 杏弥の中にはある疑問が湧いていた。

 西園寺李桜さいおんじりおう久我紫苑くがしおんが幼馴染で仲がいいことはこれまでも有名な話だ。

 これまでもつるんでいる話をよく耳にしていた。

 今出川楓いまでがわかえでも李桜と同期で仲がいいことは知っていた。

 だが陰陽頭おんみょうのかみとなった九条悠蘭くじょうゆうらんが最近、彼らとよく一緒にいるのを見るのはなぜなのだろう、と杏弥は漠然と思う。

 陰陽寮おんみょうりょう中務省なかつかさしょうに属しているため、仕事をともにすることがあるのはわかるが、以前から陰陽寮にいた悠蘭はこれまでそれほど李桜たちと親しくしていた印象はない。

 やはり九条月華の影響なのだろうか。

 山吹の話によれば月華は鎌倉幕府の武将だという。

 もしそれが本当だとすれば、朝廷の要職に就く李桜や紫苑とはもともと親しいのだから、彼らを通じて親幕派と言われる者たちと幕府とをつなぐ役目を担っているのかもしれない。

 朝廷の監視役として幕府から派遣されている六波羅探題ろくはらたんだいともつながりがあるのだろうか。

 もしや、輪廻の華を捕らえて風雅の君に取り入るよりも月華と友好な関係を築いている方が将来的に有利なのか……?

 そんな考えが一瞬、杏弥の脳裏に浮かんだがすぐにそれを否定した。

 九条家と鷹司家は今や犬猿の仲にある。

 その九条家嫡子と手を取るなど、杏弥の矜持が許さなかった。

 杏弥は先日の月華とのやり取りを思い浮かべ、首を傾げた。

 あの時は鎌倉の武将だとは知らなかったが、よく考えてみれば官吏のまねごとなどして、もしや幕府は月華を使って諜報活動をしているのではなかろうか。

 そう考えると、髪を黒く染めて正体を隠していることも頷ける。

 親幕派の者たちと画策して前の左大臣のように倒幕派をあぶり出そうとでもしているのか。

 ひとりであれやこれやと考え込んでいると、人混みを掻き分け突進するかのようにこちらへ向かってくる人物が視界の端に映った。

 一心不乱にこちらに向かってくる。

 暗くて顔がよく見えない中、杏弥は眉を潜めて相手を凝視した。

 近づくにつれ、暗い中でも顔がはっきりと見えてくると、杏弥はその人物に驚愕した。

(あの男、なぜまた……!?)

 自然と足を後ろに退き、無意識のうちに杏弥は向かってくる相手に背を向けていた。

 なぜかわからないが、逃げなければならない。

 そう思って必死に駆け出した。



 杏弥を発見した榛紀しんきは月華たちのもとを離れ、駆け出した。

 何人もの見物人と肩がぶつかり、そのたびに文句を言われたが彼はまったく動じていない。

 誰かに杏弥のことを伝えるべきだったのかもしれないが、この人出である。

 呑気に身構えているうちに見逃してしまうようなことにはしたくなかった。

 とにかく杏弥を捕まえることで頭がいっぱいだったのである。

 榛紀が杏弥を追うのには訳があった。

 それは杏弥が風雅の君と会う手段を持っているような気がしていたからだった。

 月華は春先にみやこで起きた毒殺事件の折に今は白檀びゃくだんと名乗っているらしい兄——白椎はくすいに会ったという。

 白椎が宮中を追われて以来、何度も文を出したが返事がきたことはなかった。

 両親も亡くなり、唯一の近しい存在である兄がそばにいないことは長年、榛紀を孤独に追い込んでいった。

 白椎を貶めた茶会について記憶している者はもう朝廷にも少なく、おまけに当時の記録である『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』は禁書となった。

 京を追放する沙汰を出した父もいなくなったのだから、白椎は京に戻ってくるべきではないかと榛紀は考えていた。

 叔父である時華ときはなには今さら風雅の君の居場所はないと冷笑されたが、それでも彼は諦めたくなかったのだ。

 文でのやり取りができないのであれば、実際に会うしかない。

 そう考えた榛紀は杏弥を利用して白椎と対面する機会を得たかったのだった。

 みるみるうちに杏弥との距離を縮めた榛紀はとうとう彼の腕を掴んだ。

 腕を掴まれ、驚愕した顔で振り向いた杏弥は怯えた様子で声を張り上げた。

「だ、弾正尹だんじょういん様、い、一体何だというのですかっ。なぜ追いかけてくるのですか」

 こんなにも全力で走ったのは初めてだった榛紀は、しばらく肩で息をした後、息を切らせながら答えた。

「そ、そなたこそ、なぜに、逃げるのだ……?」

「な、なぜってあなたが追いかけて来るから反射的に——」

 掴んだ腕を強く振り払われた榛紀が弾みで倒れそうになると、追いかけてきた月華が背中を支えた。

しんっ、大丈夫か」

「……月華? なぜここに——」

「急に走り出したから追いかけてきたに決まっているじゃないか」

 膝から崩れ落ちる榛紀を月華が支えると、彼はその場に膝をついた。

 杏弥は月華の顔を見るなり、感情を抑えきれず彼の胸倉を掴んだ。

 急に掴みかかられ、月華は体制を崩しそうになる。

「九条月華、お前っ! よくも俺の前に再び顔を出せたものだっ」

 杏弥は以前も月華に力でねじ伏せられたにも関わらず、こみ上げてくる怒りを抑えきれずに後先考えずさらに踏み込んだ。

「お前のせいですべて台無しだ! お前が出張ったせいで幕府の戦力を削ぐ作戦も失敗したっ。お前が輪廻の華を妻になどするから、俺は気に入らない男に生意気な口をきかれながらも頭を下げなければならなくなった! このような屈辱を味わうのもすべてお前のせいなのだっ」

 これまでの不満をすべてぶちまけた杏弥はすぐにそれを後悔することになった。

 それまで訝しげな表情をしていた月華は一変し、急に鋭い眼光を杏弥に向けた。

 勢いよく杏弥の腕を掴む。

 少し力を入れられただけで骨が折れるのではないかと思うほどの激痛を感じた杏弥は月華の胸倉を掴んでいた腕をすぐに離した。

 1歩下がって痛む腕をさすっていると、月華は詰め寄り逆に杏弥の胸倉を掴んで言った。

「鷹司杏弥——俺の妻に何かするようなことがあれば首を落とすと言ったはずだが、もう忘れたのか」

 地獄の底へ追いやるほどの殺気を帯びた声は杏弥の耳の奥へ響いた。

 彼が答えずにいると月華はさらに詰め寄った。

「俺は刀を持っていなくても人を殺めることができる、と言ったらどうする?」

「う、嘘だ、そ、そんなことできるわけが——」

「では今ここで試してみるか」

 月華が杏弥の首に手を当てると、杏弥は震えあがりながらも震える声を振り絞って言った。

「そ、そんなに大事な妻なら、お前、こんなところにいていいのかっ」

「……どういう意味だ」

「や、山吹という男が、輪廻の華を探しに行った。刀を持った隻眼の武士だっ。あの男の方が俺以上に、輪廻の華を探していた。お、お前が離れている間に、連れ去るのは造作もないことだろう」

「隻眼の、武士だと……!?」

 月華の脳裏には1度手合わせしそこねた白檀びゃくだんの供をしている男の顔が浮かんだ。

 同じ武士として、実際に手合わせしていなくても相当腕が立つと感じたことを思い出す。

 本当に杏弥が言うことが正しかったとしたら……?

 帝である榛紀を守るために百合ゆりのそばを離れたが、紫苑や悠蘭に任せておけば問題ないだろうと高をくくっていた。

「なぜ隻眼の男が百合を狙っている!?」

「し、知らぬっ! 何者なのかも決して明かさなかった」

 月華は判断を誤ったような気がして急に血の気が引いていった。

 隻眼の武士がなぜ百合を狙っているのかはわからないが、あの手練れであれば狙った獲物は逃さないだろう。

 雪柊せっしゅう直伝の武術は接近していてこそ真価を発揮するが、刀の間合いでは接近するのは容易ではない。

 戦い慣れている棗芽なつめ月華つきはなであればまだしも、実戦経験のない紫苑や悠蘭では敵わなくて当然である。

 月華が乱暴に杏弥を突き飛ばすと、彼は後ろへ転がり尻もちをついた。

 一刻も早く百合の元へ戻らなければならないと思う一方、月華の足元に肩で息をしながらぐったりした榛紀を放っておくこともできない。

 日頃、走るようなことのない帝である。

 おまけについ最近、寝込んでいただけに体力が回復しきっていないことは明白だった。

 月華が決断しかねていると、そこへ今、彼が最も顔を見たくない相手が現れた。

「杏弥、今の話は本当ですか……?」

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