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第77話 人混みに紛れて

 星祭りの会場へ向かう途中——。

 月華つきはな百合ゆりが互いに想いを寄せ合っているところへ榛紀しんきは呆れ顔で現れた。

「公衆の面前でそのように熱く抱擁を交わすとは、よほど仲の良さを周りに見せつけたいらしい」

しん……ひとりで来たのか」

 黒っぽい着物を纏って髪を適当にたらした気軽な格好は、いつもの榛紀の印象とはだいぶ差があった。

 誰がどう見ても、そうだ言われても相手が帝だとは思わないだろう。

 そもそもこのような市井で帝が民に交じってうろついているとは考えもしないはずである。

「来てはいけないのか? 朝、みなで打ち合わせたではないか」

「いや……まさかひとりで出歩くとは思わなかった。李桜りおう紫苑しおんと一緒ではないのか」

 榛紀の立場を知っている月華はよもや彼が清涼殿からひとりで出てくるとは思っていなかった。

 だが確かに彼の邸が御所の中にあるということは誰も知らない。

 誰かと行動をともにするということ自体、難しいことだろう。

「私にも都合というものがあるからな」

 そう言った榛紀に月華は大きく息を吐いた。

 帝をこんな人混みに紛れさせて本当にいいのだろうか。

 父に知れたら後で何と言われるか、わかったものではない。

 なるべく何ごともないように無事に榛紀を返すこと。

 その責務が月華の肩に大きくのしかかった。

「もしかして月華様を諭したというのは榛様のことですか?」

「……ああ。そう言えばふたりはすでに顔を合わせていたから改めて紹介する必要もなかったな……俺の噂話をふたりで楽しそうにしたよな」

「ふふふっ。なぜだか月華様は不機嫌でしたね、あの時。でも私たちは陰口を叩いていたわけではないのですよ?」

「そうだ、月華。私たちはそなたの人柄を褒めていただけだ」

 眉根を寄せる月華とは対照的に百合と榛紀は笑いをかみ殺したのだった。

 3人はみつ屋の前に集まる仲間たちと合流した。

 みつ屋はこれまでも夜の営業をしてきたが、今夜は近隣の店も出店を出しているとあって一層賑わっている。

 店からあふれた者たちが大路に座り込んで酒盛りをするほど、店も繁盛していた。

 榊木さかきは星祭り発起人として会場の見回りをしに行ったらしく、みつ屋の前にいたのはいつもの面々だった。

 月華たちを含め全員が私服で集っていた。

 私用でも会うことがある幼馴染たちはまだしも、そうでない者同士は日ごろと印象が違い、人混みの中ですれ違えば気がつかないのではないかと全員が互いに感じていた。

 みつ屋の前に集ったからこそ、互いを認識できたと言っても過言ではないかもしれない。

「遅かったじゃねぇか、月華——っていうか、何で弾正尹だんじょういん様と一緒なんだ?」

 紫苑の問いに榛紀は笑いながら答えた。

「一緒に来たわけではなく、すぐそこでばったり遇っただけだ」

 月華は椿つばき菊夏きっかに初めて対面する榛紀を紹介した。

 ひとしきり世間話をしたところで、彼らは祭りの様子を見て回ることにした。

 男たちの目的は鷹司杏弥たかつかさきょうやの姿を見つけることだったが、女たちは初めて見る夜の街に目を輝かせていた。

 前を歩く5人の男たちから1歩下がった後ろをついて歩く。

「百合——最近、体調がよくないみたいって本当? あまり無理しないで」

 百合の腕に縋りつきながらぴたりと寄り添って隣を歩く椿は、心配そうに親友の顔を覗き込んだ。

「菊夏さんだけじゃなく、椿にまで心配をかけてしまってごめんなさいね。今日はとても調子がいいの。どうしてかしら。みなさんと一緒にいられて楽しいからかしらね」

「でも百合様、また具合が悪くなるかもしれませんから、あまり無理をなさらないでください」

 百合をいつでも支えられるように、椿とは反対側に控える菊夏も不安の色を隠せなかった。

「ありがとう、菊夏さん。優しい義妹いもうとにも恵まれて、私は幸せよ」

「そんな……私は私にできることをするだけです。私の方こそ、可愛い姪にいつでも会わせていただけて幸せなんですから。私はひとりっ子で育ち幼子の世話をする機会がなかったので、いい経験をさせていただいています」

「あら、それって予行演習ってこと?」

 菊夏が感慨深げに百合に言うと、隣から顔を出して椿が茶化した。

「椿様、予行演習とはどういう意味ですか?」

「つまりあなたが子どもを育てる練習になってるんじゃない? ってことよ」

「えぇぇぇ!?」

 菊夏の発した大声に前を行く男たちは全員振り返ったが、顔を赤らめる菊夏をよそに百合と椿が苦笑いするのを見た彼らは何ごともなかったかのように前を向き、何やら難しい顔で歩きながら話を続けている。

「す、すみません。あまりにも驚いてしまって……大きな声を出してしまいました」

「別に恥ずかしがることはないじゃない? 菊夏さんと悠蘭ゆうらん様だって夫婦なんだから、いつかは授かるかもしれないでしょ」

「そ、そ、それは……そうですが——」

 たじろぐ菊夏を気の毒に思った百合は助け舟を出すように椿に言った。

「椿はどうなの? 李桜様と仲良くやってるんでしょう?」

「そうねぇ。李桜様はお忙しいからなかなか機会はないけれど、励んではいるわ」

「は、は、はげっ——!?」

 再び叫びそうになった菊夏は自制するために自ら口元を押さえたが漏れた不自然な声に振り向いた悠蘭は訝しげに彼女たちを見た。

「菊夏、どうかしたのか」

 しかし、とても聞かせられないと思った菊夏は両手で口を押えたまま首を何度も横に振った。

 訳がわからず首を傾げながら、悠蘭は再び前を向く。

 百合は椿の開けっ広げな性格を考慮せずに話を振ってしまったことを後悔したのだった。

 昼間の賑わいとは違い、夜の華やかな雰囲気は彼女たちを高揚させた。

 子育てをする百合、邸からなかなか出してもらえない椿、朝廷勤めをする菊夏。

 彼女たちはそれぞれの想いを胸に、夜の散歩を楽しんだ。

 男たちは一体何を小難しい話をしているのだろう、そう思いながら椿は軒先に下がる提灯に照らされた、前を行く男たちを指さしながら言った。

「あの人たち、先刻さっきから何を相談しているのかしら。ずいぶん難しい顔をしているようだけれど」

「さぁ。お仕事の話かしら」

「それにしても百合様、一緒に来られたあの榛という方も官吏なのですか? 私はあまり朝廷で見かけたことがないように思うのですが……」

「そうなの? 月華様とは親しそうだったからてっきりみなさんと親しい方だと思っていたわ。違うのかしらね」

 百合と菊夏が不思議そうに榛紀の後姿を見つめていると椿は首を傾げながら同じように彼を凝視していた。

「あの方、どこかで会ったことがあるような気がするのだけれど、気のせいかしら……」

「会ったことがあるの?」

「うーん……それとも会ったことがある誰かに似ているのかしら。初めて会う気がしないのよね」

 結局思い出せない椿は、その後考えるのを止めたのだった。

 一方、先を歩く男たちは神妙な面持ちで辺りに目を配った。

 月華は後ろを歩く百合が気になったが、椿にしっかりと腕を掴まれている上にこれだけの人だかりがあれば、そう簡単に危害を加えることはできないだろうと考えた。

刑部少輔ぎょうぶしょうゆうの姿らしきものは見えませぬな」

 かえでの呟きに榛紀は反論した。

「いるかどうかはわからぬが、いても見えていないことはある。我々と同じように杏弥も普段とは違う装いでいるに違いない。我々は杏弥が碧色の朝服を着ている姿しか見たことがない。人混みに紛れてしまえば先入観で見る眼も曇らざるを得ない」

 すると榛紀の声とは関係なく、後ろから菊夏の叫び声が聞こえた。

 全員一様に振り返ったが特に何もなさそうだったため、話を続けた。

「そんなにわからないものですかね?」

 紫苑は腕を組みながら首を傾げた。

「紫苑、私の着物は何色に見える?」

「黒……じゃないんですか」

 すると榛紀は近くの軒先に下がる提灯に自らの袖を掲げた。

 明かりに照らされた袖はそれまで見えていた色とは違う色を放っていた。

「え……深紫?」

「そうだ。今夜は朔月。ただでさえ薄暗く明かりに乏しい夜だ。見えるはずのものもいつもとは違って見える可能性がある」

 榛紀がさらなる苦言を呈したところで再び菊夏の叫び声が聞こえた。

 悠蘭が声をかけたが何でもないという合図を菊夏が送ってきたため、紫苑は何ごともなかったかのように続けた。

「じゃあ、どうします?」

「さて、どうしたものか——」

 そう言って辺りを見回した榛紀は前方の一点を見つめ、目を細めた。

 人混みの先を凝視する榛紀を月華が不審に思った時にはすでに事態は急変していた。

「弾正尹様、どうしました——」

 紫苑の問いかけにも答えず、榛紀は見据えた一点に向けて駆けだした。

 焦りを見せたのは月華である。

 みるみる人混みに消えていった榛紀を追いかけなければならない。

 何かあってからでは大変なことになる。

 だが百合をこの場に置いていくことには抵抗がある。

 月華は瞬時に決断しなければならなかった。

 百合のそばには紫苑や悠蘭もいる。

 一方、榛紀のそばには誰もいない。

 滅多なことはないだろうが榛紀をひとりで行かせるわけにはいかない。

「え? 弾正尹様、どうしたんでしょう……」

 目を丸くする悠蘭の肩を月華は強く掴み、弟と親友を交互に見て言った。

「悠蘭、紫苑、百合のことを頼む!」

 それだけ言い残すと月華は人混みの中へ突入した。

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