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第73話 屈辱に耐える夜

 日も暮れ始め、雨のせいで薄暗い空模様の下。

 どこの邸もいつもよりも早く行燈に灯をつけている。 

 山吹やまぶきを邸に招き入れた杏弥きょうやは自分の住まいである東対ひがしのたいで身元のわからない相手と向かい合っていた。

 後ろに控える桂田かつらだの緊張感も背中に伝わってくる。

 改めて隻眼の男を見ると、意外とちゃんとした人間だった。

 昨夜は暗くてわからなかったが泥だらけになっていても身なりはきちんとしている。

 どこかの家に仕えている者であることは立ち居振る舞いを見ていてもわかった。

 野武士でないとすれば、主人の命で輪廻の華を捕らえようとしているのだろうか。

 なぜこのようなことになってしまったのだろう。

 輪廻の華を手に入れるために腕の立つ人物を探していたのは事実だ。

 目の前の武士の存在が頭の片隅をよぎったことも否定できない。

 だが本当にこの男を信用していいのだろうか。

 公家と関係ないとすれば、なぜみやこをうろうろとしているのだろうか。

 杏弥は混乱していた。

 互いに沈黙したまま、しばらくのときが流れる。

 どちらも口を開こうとしなかった。

 杏弥の後ろに控えている桂田が張り詰めた緊張感に耐え切れずひと言、発しようとしたところで山吹が言った。

「杏弥殿、一体どうやって輪廻の華を捕らえようとしているのだ」

 隻眼の瞳が鋭く杏弥を射貫いた。

 胡坐を掻いて腕を組み睨みつけるその姿は、とても敬意を払っているとは思えない。

 対等だと思われていることが杏弥の矜持に障ったが、逆らって再び刀を抜かれても困る。

 杏弥は我慢して山吹に答えた。

「明日の夜、この京で星祭りが開かれるらしい」

「星祭り?」

「そうだ。今朝、出仕した折、中務省なかつかさしょう今出川楓いまでがわかえで悠蘭ゆうらんにそんなことを話していたことを偶然耳にした」

「悠蘭、とはあの九条家の次男のことか?」

「そうだが……悠蘭のことを知っているのか」

「いや……知っているというほどでもない」

「ずいぶんと意味深な答え方だな。お前、本当にどこの公家とも関りがないのだろうな? だったら一体誰の指示で動いているのだ!?」

 身を乗り出して杏弥は迫ったが山吹は淡々と答えただけだった。

「あんたは知らなくていいことだ。そんなことより、その星祭りとやらと輪廻の華が関係あるのか」

「悠蘭は、月華つきはなに星祭りの話を伝えるよう今出川楓に頼まれていたようなのだ」

「月華の弟がその話を兄に伝えたとて、祭りに来る保証はあるのか」

「ない」

 断言した杏弥に山吹は拍子抜けした。

 組んでいた腕を解き、片膝に肘をつくと、顎の無精ひげをさすりながら訝しげな視線を向ける。

「保証はないが、来る可能性もある」

「ずいぶんと適当だな」

「来るかどうかはわからなくとも、来た時のための対処をしておく必要はある」

「……対処、とは?」

「祭りは商人たちがこぞって出店を出すらしい。そうなれば出店目当ての人だかりも増えるだろう。俺たちはその人混みに乗じて月華から輪廻の華を引き離し、捕らえる」

「あの男、そう易々と離れるとは思えないが」

「そこで山吹殿の出番ではないか」

「…………?」

「お前のその刀で月華と対峙してくれればいい。その間に俺が輪廻の華を京から連れ出す」

「祭りは夜なのだろう? 捕らえた彼女を連れてそのまま備中びっちゅうへ向かうつもりなのか? あんた、馬には乗れるのか? まさか牛車で行くつもりじゃないだろうな。あんな目立つ上に遅い車ではうまく月華を撒けたとしてもすぐに追いつかれるぞ」

「う、う、う、うるさいなっ! だったらお前が月華を斬り捨てて追いかけて来いっ!」

 杏弥は顔を真っ赤にして山吹を指さした。

 確かに輪廻の華を捕まえた後のことは考えていなかった。

 風雅の君がいる備中国びっちゅうのくにまで連れて行かなければならないのである。

 以前、備中国へ行った際には牛車で出向いた。

 もちろん馬には乗れない。

 そうなるとやはり風雅の君のところへ行くまで、山吹の助力が必要だということだ。

 不本意ではあるが杏弥は頭を下げるしかなかった。

「……頼む、山吹殿。我が鷹司たかつかさ家にはどうしても風雅の君の力が必要なのだ。あの方に力を貸していただくためには何とかして輪廻の華を献上しなければならない」

 後ろで控えている家臣の桂田の方が驚愕するほど、杏弥が頭を下げることは珍しいことだった。

 背に腹は代えられない。

 そう思ってのことだった。

「あんた、なぜそれほど風雅の君が輪廻の華を欲していると思ってるんだ?」

 不思議そうに山吹が首を傾げるのを見て、杏弥はそれこそ理解ができなかった。

「……そんなこと、お前に答える義務はないだろう」

 自分の正体は明かさないくせに、やたらといろいろ詮索してくる山吹に苛ついた杏弥はあからさまに視線を逸らした。

 が、山吹が刀に手を伸ばそうとしているのが目の端に映り、すぐに態度を改めた。

「わ、わかったからすぐに暴力に訴えるのはやめろっ!」

 なぜこのような脅しに屈しなければならないのか。

 これでは立場が逆転ではないか。

 そう憤りながらも、杏弥は答えるしかなかった。

「前の陰陽頭おんみょうのかみが風雅の君に宛てた文の中で、輪廻の華を使って幕府を倒し、朝廷を乗っ取ろうとしている内容が書かれていたからだ」

皐英こうえいの文? そんなものが残っていたのか……」

「お前、土御門皐英つちみかどこうえいを知っているのか?」

「まあ、旧知の仲ではある」

「本当にお前は一体何者なのだ!?」

「あんたに答える義務はない」

 こちらが返答を拒否すれば刀をちらつかせるくせに、都合の悪い質問には答えないつもりか……!

 そんな苛立ちを隠すことなく、半ば投げやりに文机を漁ると取り出した文を山吹の前に放り投げた。

 受け取った文を開き、目を通した山吹は目を見開いていた。

「この文をなぜあんたが持っている?」

「俺は刑部省ぎょうぶしょうに勤めている。前の陰陽頭は、六波羅ろくはらの男によって亡骸の状態で朝廷に届けられたが罪は裁かれねばならなかった。その際に集めた証拠品の中にそれがあった。他の者は誰も気に留めていなかったが、俺はこの文を見つけたからこそ、行動を起こす決心をしたのだ」

「そうか……だがこの文の中にある白檀びゃくだんなる人物が備中国にいるとよくわかったな」

「噂は時として不意に耳に入ってくるものだ。例の茶人は京で最も有名な甘味処へよく現れていたと言う。みつ屋に通う馴染の客は朝廷にもいるからな」

「この文を読んで茶人の白檀が風雅の君と皐英の間を取り持っていると勘違いして備中国まで乗りこんできたわけか」

 失笑する山吹に杏弥はうんざりとした様子でぶっきらぼうに答えた。

「ああ、そうだっ。すっかり騙された。あの茶人こそが風雅の君だったとはな。さぞかし俺はあの方の目に滑稽に映ったのだろうよ——ん? 待て、お前、今備中まで乗りこんできたと言ったか? なぜ俺が備中国へ行ったことを知っているのだ——」

 疑問を口にした杏弥を遮るように山吹は言った。

「だが、よく茶人が風雅の君と同一人物だとわかったものだ」

「ちっ、都合が悪くなるとすぐはぐらかすか暴力に走りおって」

 山吹の横暴に苦言を呈した杏弥だったが、

「何か言ったか?」

 などと聞こえないふりをする山吹に鋭くにらまれ、すぐに委縮してしまった。

 今は亡き土御門皐英がしたためた文を大事そうに畳む山吹を見ているとそれなりに親しかったのかもしれないと思うほど文に敬意を払っているのが杏弥にもわかった。

 そっと差し戻された文を受け取る。

「奥州の亡霊たちを焚きつけて幕府と戦わせたのもあんたの仕業か」

「それは、桂田が——」

 杏弥が後ろに控える家臣に視線を送ると、桂田は深く頭を下げた。

「恐れながら、以前は輪廻の華とやらの存在価値を理解しておらず、倒幕を望む風雅の君の手助けになればと幕府の戦力を削ぐつもりでございました」

「へぇ……だがあっけなく九条月華の返り討ちにあったようだな」

「何ぃ!? どういうことだ」

「あんた、知らなかったのか? そこの家臣が焚きつけた奥州の亡霊たちを迎え撃ったのは幕府軍を率いた月華だったらしいぞ——もしかして、九条月華が鎌倉の武将であることを知らないのか?」

「か、鎌倉のぶ、武将だとっ!? そう言えば先日、中務少輔なかつかさしょうゆうからの書簡を届けに来たあいつに行方不明だったくせにと言ったら、所在非公開だっただけで行方不明だったわけではないなどと豪語していたのは、そういう意味かっ」

「書簡を届けに来たとはどういうことだ?」

「知らぬっ。よくわからぬがあいつは髪を黒く染めた上に官吏として朝廷に潜り込んでいるのだ」

「あの男、官吏をしているのか……道理でいつも朝服を着て官吏の連中とつるんでいるわけだ」

「ぬぬぬっ。あいつのことを思い出しただけで怒りがこみ上げてきた」

 杏弥は怒りのあまり、顔を真っ赤に染めた。

 それを見た山吹は声を上げて笑い出した。

「はははっ、あんた、意外とおもしろいやつだな」

「お、おもしろいだと!? 失敬なっ。俺はこれでも5摂家のうちのひとつ、鷹司家の嫡子だ。どこの家の者か知らないが、俺が鷹司家当主となったあかつきにはお前が仕える家を取り潰してくれるっ」

「ああ、できるものならぜひそうしてくれ」

「はっ……? お前、馬鹿にしているのか」

「いやそうじゃない、真剣に言っている。できるものならそうしてほしいと本気で思っているくらいだ」

 仕える家がなくなれば路頭に迷うだけだろうに。

 山吹の言う意味がさっぱりわからなかった杏弥は首を傾げるばかりだった。

「杏弥殿、輪廻の華に目を付けたのは冴えてたな。目の付けどころは悪くなかったかもしれないが、あんたはひとつ間違えている」

「…………?」

「目的遂行の妨げにはならないがな」

「どういう意味だ」

「さあて、星祭りは明日の夜なのだろう? 俺はそれまで休むとしよう。必要になったら起こしてくれ」

 杏弥の問いに答えることなく、山吹はその場に寝転がった。

 すでに寝息が聞こえており、まさに寝落ちというにふさわしい状態だった。

「あ、おいっ! まさかここでひと晩過ごすつもりか!? やめろ、俺の気が休まらないじゃないか」

 杏弥の悲痛な叫びは、もはや山吹の耳には届かなかった。

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