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第72話 口は禍の元

 川に流されそうになっていた子どもを助けた山吹やまぶきは周りに集まった野次馬たちにうんざりしていた。

 子どもを助けたことに理由はない。

 ただ自分なら助けられるかもしれない、そう思った時には体が勝手に動いていた。

 水浸しになった着物の裾を絞っていると助けた子どもが駆け寄ってくる。

 泣きながら足に縋りつく子どもを見ていると、自分と紅葉くれはの幼い頃を思い出す。

 ふたりで助け合いながら暮らしていた頃が懐かしい。

 幼い頃——平和に暮らしていたはずなのに、どこで道を間違ってしまったのだろう。

 縋りつく子どもの頭を撫でながら山吹は苦笑した。

 子どもの両親と思しき縄を投げてくれた男と、持ち物一式を上流から運んでくれた女にひとしきり頭を下げられ困惑した山吹は、すぐにその場を離れることにした。

 野次馬たちはまるで英雄のように讃えたが、褒められるためにやったわけでもなかった。

 今朝方、紅蓮寺ぐれんじからみやこに戻ってきた山吹は近くに見つけた空き家で仮眠を取っていた。

 しばらく休んでいなかったせいか目が覚めたのは昼下がり——外が騒がしくなってからのことだった。

 騒然としているのは気のせいかと思っていたが、空き家から外へ出てみると多くの民衆が近くを流れる川の方へ向かっていた。

 それからのことはあまり覚えていない。

 気がついたら川に飛び込んでいたし、子どもを助けていた。

 こんなことをするために京へ来たわけではないのに。

 輪廻の華を捕らえるという本来の目的を思い出した山吹は無駄なことに労力を費やしたことを反省し、深いため息をつく。

 人垣を掻き分けて川岸から大路へ出ると、こちらを凝視している男が目に入った。

 番傘を差した身なりのいい男だった。

「あれは……」

 民衆に紛れて朝服を着た鷹司杏弥たかつかさきょうやはあんぐりと口を開けてこちらを見ている。

 考えてみれば、鷹司邸はこの川からそう離れていないところにあったのだ。

 杏弥が騒ぎに気づき駆けつけていても不思議はない。

 だが今、杏弥に絡まれても面倒なだけだ。

 知らないふりをして素通りしようとしたが、目が合った杏弥は通り過ぎた山吹を呼び止めた。

「お、お前は昨日の……!」

 一瞬、振り向いた山吹だったが問いには答えることなく、すぐに前を向いて歩き出した。

 すると何のつもりか杏弥が後ろをついて来た。

 昨晩あれだけ脅しておいたのに、命知らずなのか無知なのか。

「待てっ! なぜ俺の邸の近くでうろうろしているっ。まさかまだ俺のことを狙って——」

 不用意に掴んできた杏弥の腕を山吹は振り払った。

「離せ。俺はあんたの相手をしているほど暇ではない」

 山吹がそのまま立ち去ろうとすると、杏弥はしつこく食い下がってくる。

「お、お前、一体何者なのだ。あの激流になった川から子どもを助けるなど、普通の人間にできることではない」

「……俺が何者であろうとあんたに関係あるのか?」

「な、何という厚かましい態度だ。摂家である鷹司家の俺がわざわざ声をかけているというのに。身分をわきまえたらどうだ」

「身分? あいにく俺の周りには身分によって態度を変えるような狭量な人間はいないから、そんなことは考えたこともなかった」

 再び山吹が歩き出すと、性懲りもなく杏弥は後に続いて来た。

 山吹にとってはうっとうしいことこの上なかった。

「おい、お前——」

 しつこく絡んでくる杏弥に対し、苛立ちを覚えた山吹は振り向きざまに刀を抜いて彼の差す傘の柄に向かって横一文字に払った。

 傘の上部はあっけなく開いたまま地面に転がった。

 杏弥の手には屋根を失った柄の残りが握られている。

「『お前』ではなく、俺には山吹という名がある。これ以上俺に関わるつもりならこのまま斬るがそれでもいいのか」

 強めに脅しておかなければこのままどこまでもついて来るのではないかと懸念した山吹はやむなく刀を抜いたのだった。

 それまで雨を防いでいた傘がなくなったことで杏弥の頭上には容赦なく雨が降り注いだ。

 手元に残った柄だけを持っていることを間抜けに感じたのか、彼はそれを地面に投げ捨てた。

「や、山吹……殿、風雅の君のことを知っているようだったが、ま、まさかお前も風雅の君に取り入ろうと輪廻の華を狙っているのではないだろうな」

「——何だと?」

 輪廻の華という言葉に反応した山吹は刀を握り直して杏弥の首元に刃を向けた。

 間近に迫った迫力に圧倒されたように見えた杏弥だったが、引く気配はなかった。

 度胸だけはあるらしい。

「ひぃぃ……何のつもりで俺の周りうろうろしているのか、し、知らないが他の摂家の回し者ならばうろつくだけ無駄だっ。り、輪廻の華は、わ、渡さないからなっ」

 威勢よく啖呵を切ったわりには腰が引けていた。

 山吹は刀を持った手とは逆の手で杏弥の胸倉を掴む。

 輪廻の華を渡さない、とは聞き捨てならない。

 この男、一体何を知っているというのだろう。

 山吹は一層低めたどすの効いた声で杏弥に迫った。

「輪廻の華を渡さない、とはどういう意味だ。彼女が九条家にいることを知っていて言っているのか」

「あ、当り前だろうが——やはりお前も輪廻の華を狙っているのか!? 言え! どこの家の刺客だっ」

「どこの家? 何を勘違いしているのか知らないが、俺は公家の連中とは関係ない。そんなことより、輪廻の華をどうするつもりだ」

「と、捕らえて風雅の君に差し出すに決まっているだろうがっ」

「風雅の君に? あんた、白檀びゃくだん様に輪廻の華を献上するつもりなのか」

「! な、なぜ風雅の君があの茶人であることを知っているのだっ。お前はどこかの公家が雇った刺客ではないのか」

「はぁ……だから俺は公家とは関係ないと言っている」

 話の通じない杏弥に呆れかえった山吹は刀を下ろし、胸倉を掴んでいた手も放した。

 もし本当にこの杏弥が輪廻の華を捕らえる方法を知っていて、白檀に差し出すつもりだとしたら、それは山吹にとって好都合だった。

 白檀は今、備中国びっちゅうのくににいる。

 彼に輪廻の華を差し出すことは、つまり備中国に連れて行く山吹の目的と同じなのである。

「鷹司杏弥殿。本当に輪廻の華を捕らえるつもりなのか」

「もちろんだ。それ以外に我が鷹司家がのし上がっていく方法はないと心得ている」

「へぇ……あんたが本当に輪廻の華を備中国へ送るつもりなら手助けしてやらなくもない」

 山吹は刀を鞘に収めた。

 ずいぶんとおしゃべりな男だ、と山吹は思った。

 素性の知らない相手に対し、自らの手札を見せるような口ぶりに呆れて声も出なかった。

 雨は相変わらず降り続けている。

 斬り捨てた杏弥の傘は地面に仰向けに転がっていた。

 そこにはすでに水が溜まっており、まるで巨大な盃のようだった。

 ふたりがずぶ濡れで対峙しているとそこへ傘を差した男が慌てて駆け寄ってきた。

 男は紅葉が追っていた男だった。

 皺の深い男の顔を間近で見るのは初めてだった。

「き、杏弥様、傘も差さずにどうなさったのですか!?」

 使いで外に出ていたと説明した男は、自分の差していた傘を杏弥に向けて傾けた。

 ひっくり返っている柄の短い傘とずぶ濡れのふたりを交互に見て眉を潜める。

 そんな男の様子に目もくれず杏弥はじっと山吹を見つめていた。

「……山吹殿、本当に手を貸してくれるというのか。俺をだまして仲間のふりをして寝首を搔くわけではないだろうな?」

「輪廻の華を備中国へ連れて行きたいのは俺も同じだ。ということは、俺たちは同じ目的を持っているということだ。ならば協力して目的を達した方がよいと思うが」

「…………」

 見定めるように上から下まで山吹を凝視した後、杏弥は急にそれまで存在を無視していた男に声をかけた。

「桂田」

「は、はい、杏弥様」

「この山吹殿を邸へ。俺の客人としてもてなすように」

 そう言った杏弥はふてぶてしい態度で先に歩き出した。

「…………?」

 男——桂田は主人の背中と目の前の男を交互に見た。

 困惑していると、

「桂田!」

 と、先を行く杏弥が振り向きざまに叫んだ。

「た、ただ今っ」

 主人の指示とはいえ、武士のような出で立ちの怪しい男を客人としてもてなすことに抵抗を感じた桂田は品定めするような視線を山吹に向けた。

「困惑するのはあんたが至極まともな証拠だ」

「……どういう意味、でしょうか」

「言葉のままだ。あんたは今、俺のことを信用していいものかどうか判断しかねているんだろう? 突然現れたどこの馬の骨ともわからない男を客人としてなどと、邸に入れることすら憚られるのが普通だ」

「…………」

「あんた、家臣として主人が大事なら目を離さない方がいい。余計なお世話だが、あの男、少しおしゃべりが過ぎるな。口は禍の元になると言う。足元を掬われぬよう気をつけた方がいい」

 よく人を観察しているのだな、とある意味、桂田は感心した。

「私は鷹司家家臣の桂田と申します。主人の命により、あなた様を邸へご案内します——」

「山吹だ」

「——山吹殿。どうぞこちらへ」

 丁重に挨拶すると桂田は山吹を促した。

 止まない雨に招かれざる客。

 桂田は不吉なものが次々と舞い込んでくるような不安に駆られながら主人の背中を追いかけたのだった。

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