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第7話 奇妙な戦の顛末

 みつ屋に到着した山吹やまぶき紅葉くれはは、空いている席に腰を下ろした。

 揚羽蝶の家紋が鞘に刻まれた刀が大小2本、並んで立て掛けられる。

 夜の営業が始まったばかりとあって、客はまばらだった。

 混みだすのは完全に日が落ちてからだろう。

 相変わらず草餅と茶を注文する山吹に対し紅葉は酒と適当な肴を注文した。

「それでお前はなぜ鎌倉の様子を?」

 山吹は好物の草餅を頬張りながら言った。

白檀びゃくだん様から文が届いたからよ」

「文?」

「ええ。鎌倉の様子を見に行ってくれないかって書いてあったの。だからあたしは鎌倉に行っていたのよ」

「何で突然……鎌倉に何かあるって言うのか? 今さら九条月華くじょうつきはなの動向を探ろうって言うんじゃないだろうな」

「知らないわよ。あんただって知ってるでしょ? あの方は、指示はされるけどその目的は教えてくれない。でもその文を受け取ってから鎌倉に向かったら戦になってるじゃない? びっくりしたわ」

 紅葉は酒をひと口含むと続けた。

「結局、呆気なく奥州側の大将が捕らえられて戦は2日で終結したんだけど……どうも変な戦だったのよね」

「変な戦って?」

「奥州藤原氏は確かに幕府に殲滅され、焼き払われたって聞くから相当な恨みがあるのはわかるけど、今頃立ち上がるのは変じゃない。誰かがその恨みを思い出させるような動きしていないとあり得ないでしょ。鷹司たかつかさ家に入っていったあの男。あいつが今回捕まった奥州側の大将を焚きつけたみたいだけど、何でそんなことをしたのかさっぱりわからないわ」

 山吹は首を傾げながら妹の話を聞いていた。

 確かに用意周到に計画された進軍なのだとすれば、たった2日で終結するなど考えられない。

 大義名分があればこそ、勝ち抜くためにあらゆる方法を考える。

 奇襲するなり、籠城するなり、戦う方法は他にもあったはずなのに呆気なさすぎる。

 紅葉の言うとおり、鷹司たかつかさ家に入っていった謎の男が奥州の生き残りたちを焚きつけたのだとしたら、それは鷹司家が望んだことなのだろうか。

 やはり白檀が懸念しているように鷹司家は何かを企んでいるのか。

 備中の老人たちが鷹司家を取り込もうとしているというより、鷹司家の方が備中を、風雅の君を利用しようとしている、ということも考えられる。

 いずれにしても誰の思惑で事態がどう動いているのかは、今の段階ではわからない。

「ところであんたが追ってるっていう鷹司家の嫡子は何なの?」

「よくわからないが、備中びっちゅうまで乗り込んできた」

「はぁ? 本当なの、それ」

「お前に嘘を言っても何の意味もない。あの鷹司家の嫡子——杏弥きょうやというが、そいつは白檀様が備中にいることを知っていて茶会に参加したいと文を寄越してきたらしい」

「……怪しいやつね」

「白檀様からは動向を探ってほしいと言われたから備中から戻った杏弥を追ってきたんだ。杏弥は邸に入ったまま出てこないようだが、見張ってる間にあの男が邸に入っていった」

「ああ……なるほどね。まさかと思うけど、備中を探っている鼠はその杏弥の使いじゃないわよね?」

「まさか。公家がそんな手練れを抱えているとは思えないぞ」

「そうようね。まあいいわ」

 酒も肴もそこそこに紅葉は立ち上がった。

 立てかけてあった刀を背中に背負う。

「おい、紅葉。どこへ行く?」

「あたし、白檀様のところへ帰るわ」

「はぁ? なぜそうなる?」

「あたしが請け負ったのは鎌倉の様子を窺うことよ。追いかけて来た男は摂家の邸に入っていったけど、その邸は山吹が探ってるんでしょ? それならあたしはもうお役御免じゃない。鎌倉のことを白檀様に報告しに行くから、あたしはひと足先に帰るわね」

「報告するだけなら文を送ればいいだろう?」

「何よ、寂しいの? あたしは久しぶりに白檀様に逢いたくなったから帰るの」

 紅葉は呆気なく山吹に背を向けてその場を去ろうとした。

 山吹は咄嗟にその腕を掴む。

「待て、紅葉。こんな日が暮れてから移動するのは危ないからよせ——」

 引き留めた山吹の腕を振り払った紅葉はその勢いで山吹の胸倉を掴み、鼻先が付くほどの距離まで顔を詰めると声を潜めた。

「あんたがここにいるっていうことは誰が白檀様を守るのよ? 鼠も捕まっていないし、おまけに怪しい摂家の男まで白檀様に接触してきてるんでしょ。あんたかあたしのどちらかがおそばにいないと危なくて生きた心地がしないわ」

 そう言うと紅葉は手を離した。

 山吹の乱れた着物を丁寧に整える。

 紅葉の凄みに呆気に取られていた山吹は言葉を失った。

「では兄上様、ごきげんよう。先刻さっきの男のこともお願いね」

 満面の笑みで紅葉は軽く手を上げるとみつ屋ののれんを潜っていった。

 実の妹ながら、時々その凄みに恐れを感じることがある。

 山吹は去っていった紅葉の残した酒と肴をやけになって食した。



 鬼灯きとうからの文を受け取ってすぐに、月華は鎌倉を出た。

 鬼灯が何を目論んでいるのかは考えても答えが出ない。

 だが、何をさせられることになろうともかけがえのない家族とともに過ごす期間をより長く与えられることを素直に喜んだ。

 黄昏時——月華は馬を駆り、みやこへ舞い戻った。

 あたりはすっかり薄暗くなっており一刻も早く九条邸へ向かいたい逸る心を抑え込み、月華は六波羅ろくはら御所の前で馬を降りた。

 邸の者に案内され鬼灯の書院へ通されると月華はゆっくりと襖を開けた。

「ああ、月華。しばらくですね。ずいぶんと早かったではないですか。そんなに妻子が恋しかったとは……君もずいぶんと変わりましたね」

 満面の笑みで毒を吐いた人物は、書院の中で鬼灯の向かいに正座をしながら振り向きざまにそんなことを言った。

 長い黒髪を後ろにひとつで纏めたその容姿は鬼灯のそれによく似ている。

 鬼灯は呆れ顔で小さく息を吐いた。

棗芽なつめ——月華は武功を上げた褒美で京に戻ってきたのだ。そのような皮肉を言うものではない」

「はい、兄上。少しからかいが過ぎましたね」

 鬼灯の向かいに鎮座する人物——北条棗芽ほうじょうなつめは真摯に反省し、月華に腰掛けるよう促した。

 かつて戦場でよく世話になった兄弟子の棗芽と会うのは何年ぶりだろう。

 鬼灯の末の弟で年は離れていると聞いたことがあるが、自分よりはいくつも年上のはずの棗芽はいつまでも若々しく、ほとんど年が変わらないのではないかと思うほどだった。

 昔から鬼灯には絶対服従しているようで、ふたりは兄弟というより主従関係のようにも見える。

 月華は促されるままに彼らの前に膝を折った。

「鬼灯様、この度は休暇をいただきありがとうございます」

「……お前はそんなことを言いに来たのか? とっとと家族のもとへ向かえばよかったものを」

「……いえ、それはそうなのですが……」

 ばつが悪そうにする月華の様子を見た棗芽は含み笑いしながら鬼灯に言った。

「兄上。月華は、兄上が何の企みもなくただ休暇を与えるはずはないと思って、何の任務が与えられるのか気になって確かめに来たのですよ。これから何をさせられることになるのかわからないままでは気が気ではないでしょう、ねえ、月華?」

「…………」

 心の中を暴かれ絶句する月華。

 面白がってほくそ笑む棗芽。

 鬼灯は対照的なふたりを交互に見やってさらにため息をついた。

「月華、企みなど何もない。ゆっくり休むがよい」

「本当によろしいのですか」

「ああ。ただし事態が急転するようなことがあれば休暇は終わりだ。それはわかっているな?」

「もちろんです」

「では他に何も言うことはない。鎌倉のことはこの棗芽に任せることにしたゆえ、お前が案ずることはない」

 いつまでも含み笑いする棗芽に鬼灯は傍らに置いてあった刀を手に取ると鞘のまま弟の頭部へ打ち込んだ。

 が、棗芽も間髪入れずに同じく傍らに置いてあった刀で受け止めた。

 鋼がぶつかり合う鈍い音が西日の差す書院に響く。

 打ち込んだ方も、打ち込まれた方もまるで日常茶飯事のように黙って刀を納めたがそれを目の当たりにした月華は久方ぶりに見たふたりのやり取りに動揺することもなく、彼らに向かって深く頭を下げた。

「ではお言葉に甘えてふた月の休暇をいただきます」

「鎌倉のことは私が任されたから、ゆっくりしなさい。親孝行でもしたらどうですか、月華。君は親不孝ばかりしてきたのですから」

「棗芽、お前はひと言多い」

 さすがの鬼灯も弟には手を焼いているようだった。

 それも昔とまったく変わっておらず、月華は自然と笑みを零した。

「そういえば鬼灯様、先日の戦の件ですが——」

「ああ、お前が捨て身の所業で勝ち取った戦のことか」

「……もう少し言い方はないのですか。まあ、そう揶揄されても仕方のないことをしたと思っておりますが。それより、その大将ですが、どうも誰かにそそのかされたようです」

「そそのかされた、とは?」

「大将自身は、確かに奥州の生き残りでした。ですが、忘れていた恨みを思い出させるような話をしてきた輩がいたようで、奥州を殲滅した幕府への恨みごとを延々と述べていました」

「へぇ、それで? その男は殺したのですか」

「棗芽様……殺しはしませんよ。捕らえて幕府の牢に入れました。正規軍ではなかったはずですがなかなかに骨のある一軍でした。でも大将の首を押さえた途端、みな大人しくなりましたし。あの大将、相当信頼されていた者だったようです」

「月華、詰めが甘いのではありませんか。そんなことだからいつも死にかけるのです。時には夜叉になることも必要ですよ」

 棗芽は満面の笑みで言ったが、その微笑みが月華には世にも恐ろしいものに見えた。

 確かにそうやって躊躇いなく夜叉になれる棗芽には何度も戦場で命を救われてきたが、自分はそこまで執拗に命を奪うことを望まない。

 それがたとえ敵となった者であっても。

 出会いや立場が変わればその敵は友や味方になるかもしれないのだ。

 土御門皐英つちみかどこうえいにそう感じたように。

 そんな月華の想いを汲んでか、鬼灯は再び棗芽に向かって刀を振り下ろし、棗芽は表情ひとつ変えることなくそれを受け止めた。

 その後、兄弟はさらに激しく打ち合う素振りを見せたが、月華はそれにかまうこともなく六波羅を後にした。

 普通ではないあのふたりをまともに相手にしていたらこちらの気が持たない。

 月華は馬に跨ると急ぎ、九条邸を目指したのだった。

 月華が去った書院では、主従関係のような兄弟が顔をしかめていた。

 腕を組み沈黙している鬼灯に、棗芽はぽつりと呟く。

「奥州の残党を煽ったのは一体何者なのでしょう」

「無知な輩なのではないか?」

「無知……ですか」

「いくら遺恨で結束された一軍だったとしても、そのような過去の遺物が正規の幕府軍に太刀打ちできるとは普通は思わぬ。だが、可能だと思って行動を起こしているのだろうから、幕府のことをよく知らぬ人物なのは間違いなかろう」

「そうですね。意外と公家の者だったりして……」

 棗芽の言葉に鬼灯は一層眉根を寄せた。

「……なぜそう思う?」

「ちょうど兄上から文を受け取る直前、備中国びっちゅうのくにの例の武家を探っていましたら公家の一行が茶人を訪ねてきました。外で茶会を開いていたので、外から様子を見ていましたがその公家は茶人を通して妙に風雅の君に取り入ろうとしていたように見えました」

「棗芽、その公家、家の名はわかったか?」

「……確か、鷹司と名乗っていたように記憶しています」

「鷹司家……だと?」

 鬼灯は首を傾げた。

 九条家と並ぶ家格の摂家——鷹司家。

 現当主は内大臣として朝廷にいるが、その存在感は薄く謎に包まれた公家だと認識している。

「これは詳しい人物に探りを入れるしかなさそうだな」

 再び面倒ごとに巻き込まれる予感に鬼灯は頭を抱えたのだった。


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