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第68話 それぞれの企み

 夜が明けても止まない雨はまるで梅雨戻りのようだった。

 嵐から逃れるように空き家でひと晩過ごした棗芽なつめは入口の扉を少し開いて外を眺めた。

 雨が止む気配はないがその方がかえって都合がいい。

 扉を閉めて振り返ると、座ったまま目を閉じて無防備に仮眠を取る白檀びゃくだんがいた。

(この環境下で寝られるとは、ずいぶんと肝が据わっている……)

 昨晩点けた火がまだ消えずに残っており、その明かりが白檀の顔を照らしている。

 色白の端正な顔立ちをした白檀は、これまで戦場も含めたいろいろな場所で出会ってきたどんな人物にも似ていない。

 見た目や立ち居振る舞いは貴族そのものだが、武士のように潔いところもある。

 驕ったところはなく相手と丁寧に接するのに、自己の主張は強い。

 これはやはり彼の不幸な生い立ちが影響しているのだろうか。

 棗芽はひと晩をとおして交わした白檀との会話を思い返した——。

「さて、では白檀殿。話の続きでもしましょうか」

 これから尋問を始める官吏のように、棗芽が嬉しそうに言うと白檀は盛大なため息をついた。

「棗芽も物好きですね」

「……物好き?」

「私の話なんて、気分が悪くなるような話ばかりで面白いことなんて何もありませんよ? 約束ですから訊かれたことには正直にお答えしますが」

 白檀は濡れた着物を乾かすように火に向かって両袖を突き出した。

 夏の雨のせいで湿度は高く、乾くとは思えなかったが気休めにしているのだろう。

「それで? 棗芽は私に何を訊きたいのですか」

「全部です」

「全部……?」

「あなたは一体何をしようとしているのか、全部話してください」

「聞いてどうするのですか」

「場合によってはあなたを斬るかもしれませんね」

 真顔で答えた棗芽に対し、しばらく沈黙した白檀は腹を抱えて笑い出した。

 ふたりしかいない空き家に笑い声が響く。

 きょとんとする棗芽をよそにひとしきり声を上げると白檀は目尻の涙を拭った。

「すみません、あまりに正直に言うから逆におかしくなってしまって」

「……は?」

「これまで私のすることに警告してきた人はたくさんいましたが、私の立場に遠慮して至極遠回しに言ってくる者がほとんどだったのです。それが棗芽ときたら……ふ、ははっ、私がやろうとしていることがあなたの意にそぐわなかったら、あなたは私を殺すのですか」

 散々笑ったのにまだ含み笑いをする白檀に棗芽は半ば呆れてしまった。

「……何がそんなにおかしいのですか」

「だってそうでしょう? あなたは私が何者なのかわかっているはずです。何かの大罪を犯している証拠がなければ、裁かれることのない立場にいるのですよ? それをあなたの一存で消すのですか」

「…………」

「私はね、棗芽。濡れ衣を着せられて、実の父の手によってみやこを追われたのです。ですが、直接手を下していないという理由で身分をはく奪されることはなかった。でも私はそれがすべての間違いだったと思っています。身分をはく奪されなかったせいで、私を利用しようとする者が出てきたのですから」

 過去を思い出すように遠くを見つめながら言う白檀は、それまで棗芽が彼に抱いていた印象と違った。

 宮中を追われ、恨みを抱いてひねくれて育ったために裏で画策しているのだろうと思っていたが、今の白檀はそうは見えない。

「何の罪を着せられたのですか?」

「帝の弑逆未遂罪です。私はほう助の罪ですけどね」

「……濡れ衣ということは無実なのですよね? 宮中を追われたことを恨んでいないのですか。本当なら、現帝の兄であるあなたが後を継ぐはずだったのではないのですか」

「もともと私に父の後を継ぐ意思はありませんでした。私の母は側室にもなれなかった身分の低いひとでしたし、後に正妻を迎えた父との間には榛紀しんき——今の帝が生まれたので、私はひっそりと隠居生活をするつもりだったのです」

 白檀は曇りのない瞳を棗芽に向けた。

 帝の後を継ぐつもりはなかった——その言葉に棗芽は絶句した。

 帝になりたかったのにその座を追われたから備中国びっちゅうのくにで成りを潜めながら再起する機会を狙っていると思っていたからである。

 だが白檀の澄んだ目を見ていると、真実を語っているのだとわかる。

「まだ元服もしていなかった頃に宮中を出ることになった私を不憫に思ったのか、父は誰か引き取り手を探していたのでしょう。そこで手を上げたのが今の備中国にある妹尾せのお家だったようです。牢から出た時にはすでに備中へ行くことが決まっていましたから。妹尾家には三公と呼ばれる3人がいるのを知っていますか」

紅葉くれはから聞きました」

「……へぇ。あなたにそこまで話すほど紅葉は棗芽のことを信用しているのですね」

「単に話の流れで教えてくれただけです」

「……まあいいでしょう。3人はとても厄介な人たちです」

「厄介?」

 力強く頷いた白檀は、棗芽が最も知りたがっていた核心を語り始めた。

「ええ。まずは妹尾家当主、妹尾菱盛せのおひしもり。彼はかつて京で栄華を誇った平家の出身で、彼らの一族を滅ぼして鎌倉幕府を開いた将軍と彼らを見捨てた今の朝廷の流れに深い恨みを抱いています。倒幕を強く望んでいるのはおそらく彼でしょう」

「平家の出身なのに、妹尾家にいるのですか」

「菱盛の祖父が妹尾家の娘に婿入りしたからそこから姓は妹尾になってしまったのです。ですが表向きは妹尾家の家紋を使用していても、裏では平家の家紋であった揚羽蝶を使用しています。特に信頼する者に下賜する時にはよく揚羽蝶の家紋を入れて平家の血と意思を残すことに必死のようですね」

「最後の生き残り、ということですか……」

「菱盛はまだ目的がはっきりしているからいいのですが、残りふたりはもっと厄介です。まずは橘萩尾たちばなはぎお。彼はかつて公家として朝廷に仕えていたようです。私もその頃のことは知りませんが、何かのきっかけがあったようで朝廷を去って備中国へ来たらしいですね。何をするために備中にいるのかはわかりませんが、ただ皇家と朝廷に非常に強い恨みを持っているのは確かです」

「公家だったということは、他の公家との関係も深いかもしれませんね」

「——そしてもっとも厄介なのは御形ごぎょうという呪術使いです」

「呪術使いまでいるのですか」

「はい。あの者こそ、何の目的があって備中国にいるのかわかりません。式神を使って人を殺める術を得意としていますが、他にどのようなことができるのか私にもわからないくらい関わってはいけない人物です。前の陰陽頭おんみょうのかみだった土御門皐英つちみかどこうえいという人物は私の親しい友人でしたが、彼は幼い頃、御形に拾われて呪術を叩き込まれた弟子だったようです。私が妹尾家に来た時にはすでにいつも御形のそばにいましたが、そのうちに土御門家に養子に出されてしまったのです」

 棗芽は首を傾げながら考えた。

 風雅の君である白檀は帝の座を狙っているわけではない。

 三公のひとり、妹尾菱盛は幕府と朝廷に深い恨みを抱いている。

 三公のひとり、橘萩尾は皇家と朝廷に非常に強い恨みを持っている。

 三公のひとり、御形は目的がわからないものの人を殺める術を使える。

 3人は共通の目的を持っているようで、意外とそうでもない。

 妹尾菱盛はそれまで続いてきた平家の血と誇りを取り戻そうとしているだけで、個人的な感情はなさそうである。

 平家といえばずいぶん昔に滅んでしまった一族だと記憶している。

 菱盛が恨みを抱えているとすればそれは語り継がれ、耳打ちされてきたことによる刷り込みであり、個人の感情とは必ずしも一致しない可能性がある。

 橘萩尾は個人的な恨みを持っているようだが、きっかけとやらがわからなければ本当のところは見えてこないだろう。

 もしかしたら風雅の君を引き取ろうと言い出したのは萩尾かもしれない。

 朝廷のことを知り尽くしていたのであれば、後に風雅の君を帝に据えれば都合のいい傀儡として扱えると思った可能性もある。

 御形は感情とは別の何かがあって菱盛や萩尾とともにいる、と考えるのが自然ではないだろうか。

 単に人殺しの愉快犯なのであれば、別に備中国に留まって彼らに手を貸す必要はないはずである。

 棗芽はますます混乱してきた。

「結局、その三公が倒幕を目論んでいる、ということですか」

「……おそらく倒幕は通過点に過ぎないと思います。私が想像している脚本はこうです。まずは幕府を倒し、今の帝を弑逆して朝廷をひっくり返した後、私を新しい帝に据えて平家を再興する。そうすることで菱盛の目的は達成される。新しい朝廷で最高位の官位を萩尾に与え、他の公家たちを彼にかしずかせれば萩尾の目的も達成される」

「確かに……ですが——」

「そうです。もしその脚本どおりにことが運んだとしても御形には特に利点がないのです。だから厄介なのですよ。何を企んでいるのか、まるで見えません」

「…………」

「ですが、ひとつ気になっていることがあるのです」

「気になっていること?」

「輪廻の華を執拗に追っていることです。あれは三公が追っているということになっていますが、もっとも輪廻の華を必要としているのは御形なのではないかと私は思っているのです」

 棗芽は珍しく身を乗り出して白檀に迫った。

「輪廻の華とは——」

「ええ。月華の妻、百合——私が京で逢いたいと思っているひとのことです」

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