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第63話 想い出の欠片

 花織かおるを連れて去っていった百合ゆりを追いかけようと月華つきはなが立ち上がった時、榛紀しんきはその袖を強く掴んだ。

 月華をそのまま行かせるつもりはなかった。

しんっ、離せ」

 抵抗する月華に対し、榛紀がさらにその袖を引くと、体制を崩した月華はその場に片膝をついた。

「何をする、榛」

 互いに顔を近づけたまま睨み合ったが、譲るつもりはない。

 悠蘭ゆうらんがはらはらしながら見守っていることに気がついていたが榛紀は強い口調で月華に言った。

「今行ってどうするつもりなのだ、月華。祭りに行くことを許す気があるのか?」

「いや、それは——」

「ならば行くな。行けば話をこじらせるだけだ」

「こじれるかどうかはわからない——」

「こじれるに決まっている。本当は祭りに行きたい百合殿と行かせたくないそなたとは話が平行線になるとわかっているから百合殿は身を引いたのに、そなたは何もわかっていないな」

 月華はあからさまに視線を逸らした。

 それを見れば図星なのだとわかる。

「……わかった風なことを言うな」

 すねて黙ってしまった月華、その彼の動向を見守る榛紀、ふたりのやりとりを見守る悠蘭、そして最も生きた心地がしない松島。

 誰もが口を噤み、しばらくの沈黙が流れた。

 が、それを最初に破ったのは榛紀だった。

「松島とやら、すまぬが酒を用意してはもらえぬか」

「は、はい、ただ今!」

 突然の指名に驚いた松島だったが、家臣らしく慌ててくりやの方へ走っていった。

「榛、どういうつもりだ?」

「そなたはすべてを抱え込みすぎる。百合殿を外に連れ出したくない理由は、もっと他にあるのだろう? すべてを吐き出して楽になれ。あれこれと理由をつけていたが、あれではいつまでたっても彼女はこの邸に縛られたままではないか」

「…………」

「縛りたいわけではないのだろう?」

「当り前だ」

「ではそなたもある程度、折れねばならぬぞ。そのためにどうすればそなたの抱える懸念が拭えるのか一緒に考える。昨晩、私が言いたかったのはそういうことだ。だからしばし酒に付き合え」

 榛紀がそう言うと、月華は仕方なくその場に胡坐を掻いて肩肘をついた。

 見るからに不満そうだった。

 不服の2文字が顔に書いてある。

 吹き出しそうになるのを榛紀はぐっとこらえた。

 ほどなくして酒を運んできた松島から一式を受け取ると、榛紀は自ら酌をし始めた。

「あっ、そのようなことは私がっ」

 慌てて榛紀の前に膝をついた松島に彼は手で軽く制した。

「よいのだ。私がこうしたいからやっている。気にするな」

 そう言って月華に渡した猪口へ酒を注ぐと、次に悠蘭にも猪口を手渡した。

「えっ、俺も、ですか!?」

「もちろんだ。そなたも当事者ではないか」

「当事者? 俺がですか!?」

「そうだ。そなたが星祭りの話を持ち出したから月華と百合殿が仲たがいしたのだから、責任を取ってそなたも一緒に考えるのだぞ」

「……そ、そんな——」

 それは言いがかりだ、とでも言いたげだったが、悠蘭も大事な血を分けた弟のようなものである。

 この場に残るにふさわしい、榛紀はそう思った。

 日が暮れても止むことのない長雨の中、邸のあちこちには明かりが灯り始めた。

 それぞれが酒に口を付けたところで最初に口火を切ったのは榛紀だった。

「昨晩、李桜りおうから百合殿の話を少し聞いた。彼女は『輪廻の華』という異名を持っているそうだな。その異能のためにずいぶんとつらい思いをしてきたようだが、先の事件はすべて終わったのに未だに不安を抱えているのはなぜだ? あの時そなたが言っていた風雅の君がすべての鍵を握っているという話と関係があるのか」

「……わからない。ただ最後の鍵となる人物かもしれないと思っているだけだ」

 月華は俯きながら、百合の異能を消す術を探していることを打ち明けた。

 異能を持っている限り、その力を必要とする輩に狙われるだけでなく、力を使う度に寿命を縮めていくことはわかっているという。

 わからないのは百合にあとどれくらいのときが残されているのかということだ。

 一刻も早く、異能を消すに越したことはない。

 その焦りだけが月華の中に募っているのが伝わってきた。

「異能について書き残したのは先帝の最初の妃だった芙蓉ふよう様だ。『常闇日記とこやみのにっき』と題されていた書は禁書の棚にあった。いくつかの術について記されていたが最後の術についての説明書きが残っていなかった。破られた形跡はなかったから意図的に書き残さなかったのではないかと思う」

「最初から存在を明かさなかったのならわかりますが、存在を明かしておいて説明だけ残さないというのは不自然ですね」

 悠蘭も首を傾げた。

「だが事実、書かれていなかった。だがあそこに手掛かりがあるような気がするんだ。その後に、同じ禁書の棚で『白蓉記はっくようき』という別の書を見つけた。著者の名はなかったが書き出しに芙蓉様のお傍仕えと書かれていて、彼女の日常が書き記されている日記のようだった。その中では異能のことは一切触れていなかったが先帝が突然お倒れになった後に生還されたのと入れ替わるように芙蓉様が亡くなったとあった。それはおそらく彼女が異能を使って先帝を救ったからではないかと俺は思う」

 榛紀は黙って月華の話を聞いていた。

 先帝である父が突然倒れたというのは先日、時華ときはなに叱られてまで読んでいた『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』に残されていた時のことを指しているのだろう。

 その後のことは書かれていなかったが、まさか芙蓉が異能を使って父を助けていたとは想像もしなかった。

 あの事件があったせいで兄である白椎はくすいは宮中を追われることになったのだ。

 突然母を失い、父に見限られるように宮中を追い出された兄は、一体どれくらいの深い傷を負ったのだろう。

 考えるだけでめまいがするようだった。

 月華が、風雅の君が鍵を握っていると思う理由は先帝と芙蓉の子だからだということだろうか。

「芙蓉様が書き残された書には手掛かりがなく、口伝もないとなればどうやって百合殿の異能を消す方法を探すつもりだ?」

「風雅の君をお産みになったのは芙蓉様だ。先帝もすでに身罷られ、芙蓉様もいない。記したものはなくとも、近しい者にはその内容を伝えている可能性もある。頼れるとすれば現帝である榛紀陛下と風雅の君だけだと思っている」

 月華の鋭い視線は榛紀の腹を探るかのように突き刺さった。

 まっすぐに見つめてくるのはなぜだろう。

 まさか、その現帝が目の前にいると思ってはいないはずだが。

 榛紀は平静を装って言った。

「現帝は当時幼かったから風雅の君の方が可能性はある、ということか」

「それもある」

「それも?」

「今の帝は官吏の間でも、誰も姿を見たことがないと言われているのだろう? それなら姿が見える相手の方が、まだ探しやすいと思っている」

 誰にも姿を見せないようにしているのは官吏として自由に動き回るためで、それを行っているのは他でもなく榛紀自身である。

 だが風雅の君の方が探しやすいとは腑に落ちない。

 実弟の榛紀でさえ、文の返事すらもないのにどうやって探すというのだろうか。

「風雅の君は備中国びっちゅうのくにに引き取られて以来、消息はわかっていないだろう?」

「いや、わかっている。俺は会ったことがあるから所在さえわかれば会いに行くことはできる。今は備中国に戻ったらしいがな」

「会ったことがある、だと!?」

「そうだ」

「一体どこで——」

みやこだ。春先にあった連続毒殺事件の折、俺は隻眼の武士を供に連れた風雅の君に会った。証拠がないと言って毒殺事件の記録には残っていないようだが、実行犯だった安芸国あきのくにの武士に附子ぶすを流していたのは風雅の君だった。今は茶人の白檀びゃくだんと名乗っているらしいが」

「…………」

 榛紀は絶句した。

 備中国から出ることができないのだろうと思っていたのに、自由に出歩いているというのか。

 その上、附子を横流しするなど……昔の白椎であればそんなことはしなかったはずである。

 聡明で人の痛みを知る彼が、人を苦しめることに加担するなど想像すらできない。

 いや、昔はしなかったからと言って今もしないと言い切れるだろうか。

 あらぬ疑いをかけられ望みもしない備中国に送られたことで、ものを見る目が曲がってしまった可能性もあるのではないだろうか。

 白椎の昔の姿を思い浮かべていると、榛紀はふとある出来ごとを思い出した。

 夏の夜に白椎が書き写していた書があった。

 これは禁書だと言って、中身については教えてくれなかった。

 もし白椎が、母の書いた書を自分の物とするために写本の方を禁書の棚に戻し、原本を持っているとしたらどうだろう。

 写したことは出来心だったかもしれないが、今となっては亡き母の形見として大事に手元に置いているということはないだろうか。

 だとすると、原本には月華が確認できなかったという続きがあるかもしれない。

 その考えに至った時、榛紀は身を乗り出して月華の腕を掴んだ。

 勢いよく掴んだせいで月華の猪口では酒が波打っていた。

「あるかもしれぬ」

「何だって?」

「常闇日記の続きだ。風雅の君が持っているかもしれぬ」

 京を出てからの白椎が文の返事をくれたことは今まで1度もない。

 自分ひとりの力では到底、白椎と接触する機会を持つなどできないはずだった。

 だが風雅の君を追う彼らの力を借りれば、久しく会うことができなかった兄と再会できるかもしれない。

 榛紀はそれだけで、月華に手を貸す動機としては十分に余りあるのだった。

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