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第60話 星祭りの誘い

 朱雀門の辺りまで来た月華つきはなが踵を返して来た道を戻ったのを、かえで悠蘭ゆうらんは呆然と見送っていた。

 番傘を差した後姿があっという間に見えなくなる。

「兄上はどこへ向かったんでしょうか」

 大きな欠伸をしながら悠蘭ゆうらんは言った。

 楓が悠蘭を窺うとげっそりと疲れた顔をしている。

 最近の人手不足は陰陽寮おんみょうりょうにも波及しているのだろうか。

 徹夜は性分とは言いながらもずいぶんと職務が負担になっているようだ。

 息抜きをできる場があればよいのだろうが——そう思った時、楓はふと思い出したことを口にした。

「そう言えば、月華殿に伝え損ねてしまった」

「……楓殿、どうかしたのですか」

「ああ。昨日、月華殿が肩を落としていたようなので少し息抜きをしてはどうかと、星祭りの話をするつもりだったがすっかり失念していた」

「星祭り?」

「そうなのだ。みつ屋によく現れる榊木さかきという商人がいるのだが、夏の夜に民が楽しめるための祭りを開催するというので、奥方と行ってみてはどうかと薦めようとしていたのだが——悠蘭殿、私は月華殿とはこの後会えぬだろうからそなたから伝えてはもらえぬだろうか」

「それは構いませんが、一体どんな祭りなんですか」

「夜には閉まってしまう店先に提灯を垂らして夜の街を明るく彩るそうだ。店先に出店を出して夜も商売をすると言っていた」

「へぇ。面白そうですね。楓殿やみなさんも行くのですか」

「さあ。まだ誰にも話していないゆえ、どうかはわからぬがおそらく紫苑しおん殿は行くだろうな。李桜りおうはどうかわからぬが」

「そうですか。暇ができれば俺も菊夏きっかと行ってみようかな。祭りはいつ行われるんです?」

「明日の夜だ。それまでにこの鬱陶しい雨が止めばよいが……」

 楓は傘を傾けて空を仰いだ。

 相変わらず分厚い雲が空を覆っており、すぐに止むとは到底思えない空模様だった。

「とりあえず今夜、兄上に話しておきますよ」

 そう言って、寝不足の文字を顔に浮かべた悠蘭は帰路に着いた。

 月華といい、悠蘭といい、何不自由なく暮らせる家格の家に生まれながら、なぜ自ら苦労を背負うのだろう。

 考えてみれば右大臣の座に就く時華ときはなもその地位に胡坐を掻くような人物ではない。

 官吏への仕事の課し方は群を抜いて激しいが、彼自身が誰よりも仕事をしていることを知っている官吏たちは誰も文句を言わずに受け入れている。

 休む間もなく働く姿勢は九条家の家訓だとでも言うのだろうか。

 そんなことを考えていると、悠蘭を見送った先から目当ての人物が出仕する姿を見つけた。

「李桜」

 駆け寄った楓は李桜と肩を並べて御所の中へ入っていく。

 ともに中務省なかつかさしょうへ向かいながら、楓は月華の欠席と星祭りの話を李桜へ伝えた。

 入口に辿り着いたふたりはそこで立ち止まった。

「それで月華はどこへ行ったの?」

「それがわからぬ。だが悠蘭殿の話がきっかけだとすると六波羅ろくはらへ向かったのかもしれぬな」

鬼灯きとう様のところ? ……何だか嫌な予感しかしないな」

「どういう意味だ?」

 李桜は楓の袖を強く引っ張った。

 屈んだ楓の耳元で李桜は声を潜める。

「鬼灯様は鎌倉の武将だよ? 公家のことに興味があるわけはないじゃないか。それなのに、ねほりはほり悠蘭に鷹司たかつかさ家のことを訊いていたんでしょ? 幕府に都合の悪い動きをしていると目を付けたに決まってるよ」

 眉間に皺を寄せた李桜はうんざりしているように見える。

 ただでさえ慢性的な人手不足で疲弊しているところへさらに大きな事件に発展するようなことが起これば、確かに顔をしかめたくもなる。

「…………」

「何だかまたよくない風向きになってきたよね。まさかあの白檀びゃくだんとも関りがあるわけじゃないよね……いやそれは考えすぎか。たとえあの茶人がまた何か企んでいたとしてもそうそう摂家の鷹司家と接触できる機会はないだろうし」

 ふたりが建物の中に入ろうとすると、地面に溜まった水を撥ねながら駆けてくる紫苑が彼らを呼び止めた。

 紅蓮寺に足止めされており、出仕するのが遅くなった事情を紫苑は早口でふたりに告げた。

 一度、久我くが家の邸に戻って馬を置いてから出直してきたという。

 出仕の刻限にぎりぎり間に合ったと胸を撫で下ろしていた。

「朝から無駄に元気だね、紫苑は」

 李桜の皮肉は毎度のことなので、紫苑は軽く聞き流した。

 ふたりのやり取りを見慣れているとはいえ、もう少し言い方はないのかと楓はいつも李桜に対して思う。

 しかし幼馴染だという月華、李桜、紫苑の3人のやり取りは建前のないもので本当に心を許している友なのだとわかる。

 紫苑は李桜の悪態も本心でないことをよく理解しているのだろう。

 李桜にため息をつきながら、楓は紫苑に向き直った。

「紫苑殿、ちょうどよかった。そなたに話したいことがあったのだ」

「俺もだ」

「……何かあったのか」

 訝しげに訊き返した楓に紫苑はあっけらかんと言った。

「それは俺が訊きたい。月華のやつ、今日は出仕してないんだろう?」

「何で知ってるの」

 李桜も不信感を丸出しにした。

「途中であいつに会ったんだよ。鬼灯様のところへ行くって言ってたから何かあったんじゃねぇかと思ってさ」

「いや、何があったのかは具体的には聞いていない。だがいずれ話してくれると言って去っていった」

「ふん、そうか。月華自身がそう言ってるんだったらいずれわかることなんだろうな。俺たちはそれまで待つしかねぇってことだ。最近、妙に忙しそうにしてるみてぇだったし、ちょっと心配してたんだ」

「やはり紫苑殿も気にしていたか」

「…………?」

 紫苑は首を傾げた。

「いろいろと悩んでいることもあるようだったから息抜きをしてはどうかと思って、悠蘭殿をとおして星祭りに誘ってみた。興味があれば奥方と来てくれると思うが、紫苑殿も一緒にどうだろうか」

「星祭りってもしかして榊木殿たちが企画してた例のあれか?」

「ああ、そうだ。結局、小細工はやめてそのまま軒先で商売をするそうだ」

「へぇ、それは楽しみだな。李桜も行くのか?」

「仕事が終われば行ってもいいよ。椿つばきが喜びそうだし」

「はいはい。椿殿のために仕事が終わってなくても一緒に行ってやれ」

 李桜の愛妻家ぶりに若干うんざりした紫苑は、星祭りの開催が明日であることを確認すると、必ず行くと返事をして兵部省のある方向へ駆けていった。

「いつもながら落ち着きのないやつだね」

 そう呟いて建物の中に入っていった中務少輔なかつかさしょうゆうの背中を見ていると楓はため息しか出てこなかった。

 いくら親しいからといって、やはりもう少し言い方があるだろうに、と。



 中務省の物陰から楓たち3人がいなくなったのを確認して姿を現した男がいた。

 男は刑部少輔ぎょうぶしょうゆう——鷹司杏弥たかつかさきょうやであった。

 盗み聞きをするつもりはなかったが、昨晩みつ屋から逃げ出したのを李桜と楓に見られたため、今顔を合わせるのはばつが悪いと感じている。

 なぜ逃げ出してしまったのか自分でもわからなかったが、逃げ出したことを追求されることが怖かったため、彼らとはしばらく顔を合わせたくなかったのだ。

 偶然にも彼らが集う場面に遭遇してしまったため、自然と姿を隠さざるを得なかった。

 話を耳にした杏弥は差していた傘を落としそうになった。

 傾いた傘を慌てて差し直したが、肩の震えが止まらなかった。

 待ちに待った絶好の好機がやって来たのである。

 期待と喜びに打ちひしがれ、歓喜の声を上げそうになったくらいだった。

 ——いずれにしても風雅の君と接触するために輪廻の華を利用するのがよさそうですね。

 そう言った桂田の言葉を杏弥は思い出した。

 鷹司家がのし上がっていくためには風雅の君の後ろ盾が必要だ、杏弥はそう考えている。

 だが風雅の君はまったく動く気配がない。

 だから風雅の君が気にしていたという輪廻の華を土産にすることを思いついた。

 しかしそれは非現実的なことだと思っていた。

 輪廻の華は九条月華の妻である。

 鉄壁の守りを誇る九条家や月華自身が固く守っていて、杏弥はその姿すら見たことがなかった。

 ——邸を出るように仕向け、その隙をつくのですよ。

 桂田はそう言ったが、その方法は見つかっていなかった。

 それが、星祭りという行事を利用してことを運ぶ勝機が見えてきた。

 月華自身が輪廻の華を九条家の邸から外に出してくれれば、手に入れる方法があるかもしれない。

 祭りに来る保証はないが、可能性はある。

 個人的にも九条家に恨みがあるし、脅してきた月華に対する腹いせもしたい。

 月華から輪廻の華を切り離し、風雅の君に差し出すことができれば一石二鳥ではないか。

(だが……万が一のために月華と対峙できる腕利きの者を誰か雇わなければならぬな)

 夜、邸に戻ってから桂田に相談してみよう。

 杏弥は軽い足取りで刑部省へ向かったのだった。

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