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第59話 逃亡計画

 白檀びゃくだんに言われるがまま、床下に押し込まれた棗芽なつめは暗闇の中で外の様子を窺った。

 がさがさと物音がするだけで何が起こっているのかさっぱりわからない。

(一体何だというのだ……?)

 棗芽は何も見えない空間で呆然とした。

 足元は土がむき出しになっており、雨のせいかねっとりと体にまとわりつくような湿気を含んだ空気が充満していた。

 暗闇に目が慣れてきたところで辺りを見回してみる。

 何もない床下の空間だが、意外と中は広かった。

 棗芽が背負っていた太刀も問題なく手元に置いておくことができる。

 片膝をつくほどの高さはないが膝を抱えて座ることはできそうだった。

 邸の床下のはずだが増築のせいなのか、外へ繋がる換気口は見当たらない。

 方向もわからずまるで迷路のようであった。

 ずいぶんと手際よく畳をはがし床板を外していたようだが、普段から使用しているのだろうか。

 そんなことを疑問に思っていると頭上から話し声が聞こえてきたため、棗芽は耳を澄ました——。

 棗芽を床下に隠した白檀は平静を装って、あたかもずっと文机の前にいたかのような状況を演出した。

 耳ざとい妹尾菱盛せのおひしもりが様子を見に来るような気がしたからだ。

 棗芽と話をしていると案の定、近くの襖が開く音が聞こえたのである。

 ほどなくして断りもなく襖を開いた菱盛は怪訝な顔をして現れた。

「——風雅の君、ここに誰かいるのですか」

 菱盛はいい年をしてずいぶんと耳がいい。

 地獄耳と言っても過言ではないかもしれない。

 邸内で何か変化があるとすぐに気がつき、自ら動く。

 それを知っていたからこそ白檀は棗芽を隠したのだった。

 棗芽が何の目的で妹尾家の邸に来たのかは知らないが、侵入者であることには変わりない。

 棗芽を匿ったのは大切な紅葉くれはを助けてくれたせめてもの礼のつもりだった。

「菱盛、誰もいませんよ。何か聞こえましたか」

「人の気配を感じたのだが、気のせいか……」

 菱盛は鉄格子を掴み揺らしながら言った。

 白檀は目を見張ったが、幸い棗芽が切り取った格子からはわずかにずれており、外れている格子があることを知られずに済んだ。

「窓もない上にそのような格子のある部屋なのですから、一体誰が侵入できると言うのですか。私は今が朝なのか昼なのかもわからないのに」

 嫌味ったらしく言った白檀に一瞥をくれると菱盛はぶっきらぼうに答えた。

山吹やまぶきが紅葉を連れて戻るまでのことです。今しばらくご辛抱を」

 菱盛は襖を開けたまま立ち去った。

 胸を撫で下ろした白檀は開けっぱなしの襖に近づき、鉄格子の隙間から廊下をそっと覗いてみる。

 人影はなかった。

 静かに襖を閉めると、彼は急いで畳をはがした。

 床板を外し、棗芽が外へ出るのに手を貸す。

「棗芽様、こんなところに閉じ込めて申し訳ありませんでした」

 白檀の手を取り、床下から出た棗芽は恨めしい視線を相手に向けた。

「まったくです。こんな暗くてじめっとしたところに閉じ込められたのは初めてですね」

「おや? 戦場で捕虜になったことはないのですか」

「捕虜? 私は敵に捕まるような頓馬ではありませんよ」

 むっととした棗芽に白檀は小さく笑った。

 まるで子どものようだ、白檀は棗芽を見ていてそんな印象を持った。

 自分の感情に正直に生きているとも言えるし、建前のたの字もないとも言える。

「面白い人ですね、棗芽様は。まあ北条家でぬくぬくとお育ちであれば、このような環境に入れられることはないでしょうね」

「棗芽」

「はい?」

「棗芽と呼んでください、風雅の君。あなたのような高貴な人に『様』なんて言われると背中がむずむずして気持ちが悪いですから」

 ますます声を荒げて笑いそうになった白檀は口元を押さえて声を押し殺した。

 その様子を見た棗芽は首を傾げた。

「何がそんなにおかしいのですか」

「いえ、失礼しました。あなたも私のことを白檀と呼んでくれませんか。私もただの茶人なのですから」

 丁寧な口調なのにどこか不躾でまっすぐに言い放つ棗芽。

 白檀はこれまで会ったこともないような人柄の彼をたいそう気に入ったのだった。

 ひとしきり笑って気が済んだ白檀は目尻に溜まった涙を拭った。

「それで、白檀殿はなぜこんな部屋に閉じ込められているのですか」

「……まあ、私にもいろいろ事情があるのですよ」

 白檀は濁して本当のところを語らなかった。

 棗芽のことは気に入ったが、まだ会って間もない相手である。

 そんなに簡単に信用はできない。

 こうして常に人を疑って斜に構えてしまう癖はいつまでも抜けない。

 釈然としない様子の棗芽だったが、これ以上は答えを引き出せそうにないと踏んだのか彼は質問を変えた。

「ところでこの床下ですが、普段から使用しているのですか」

「——はい?」

「ずいぶんと手慣れた様子で床板を外していたので。床下には何もないようでしたから何かを隠しているわけでもないのでしょう?」

「……棗芽は鋭いですね。実は、ここから抜け出す方法はないものかと何度か床下を探ったのですよ」

「探った、とは?」

「すでにお気づきだと思いますが、この邸は増築を繰り返してまるで迷路のようになっています。だから床下も複雑に入り組んでいるのですよ。ご覧のとおりこの部屋に窓はなく、唯一の出入り口であるあの襖も鉄格子によって遮られていて自由に出入りできないので、床下から何とか抜け出せないかと挑戦していまして」

「意外と無謀なのですね。少し見ただけですが、外に出られる気配はおろか、暗闇が広がり過ぎて方向がわからなくなるほどでしたが」

「ええ。だからまだここにいます。結局、途中まで行って迷子になりそうだったので戻ってきました」

「……宮中育ちなのにあんな土臭いところでも平気なのですか」

「過去に何日も牢に入れられたことがあるので。人は未経験のことには尻込みするものですが、一度経験してこんなものかと乗り越えてしまえば、別に何てことはありませんよ」

「ぷ、ぷは——」

 声を上げて笑いそうになった棗芽の口を白檀は慌てて塞いだ。

 ここで再び菱盛が現れては余計に厄介なことになる。

 それだけは避けたかった。

 棗芽は口を塞ぐ手をどけると、爛々とした瞳で白檀を見つめた。

「気に入りました、白檀殿。私があなたをここから出してあげましょう」

「……はっ?」

「だってここから出たいのでしょう?」

「そんなに簡単に出られるなら床下を彷徨うようなことはしていませんよ。ここは武家屋敷だということを理解しているのですか? 武装した屈強な男たちがごろごろしている上に、菱盛をはじめとする面倒な者たちが大勢いるのに私がいなくなっては大変な騒ぎになるではありませんか」

「騒ぎにはなるでしょうが、ここから連れ出すことは可能です。たぶんね……」

 何を根拠にそんなことを言っているのか、白檀にとって棗芽の話はまったく的を射ていなかった。

 だが棗芽を見ているとでたらめを言っているようにも見えない。

「その代わり、条件があります」

「条件?」

「ここから脱出してあなたを雪柊せっしゅう様のもとへ連れて行くと約束します。だから道中、私の質問には嘘偽りなくすべて答えてください」

「…………」

 白檀は珍しく相手の考えていることがまったくわからなかった。

 普段なら、会話の端から相手が何を考えているのか推測できるが、棗芽に至っては見当もつかない。

 突然、妹尾せのお家に現れたかと思えば紅葉を助けてくれたと言うし、幕府を支える北条家の人間だと言うし、あまつさえ捕らえられているようなこの状態から助け出すことができると言う。

 目の前のこの男を信じて従っていいのだろうか。

 紅葉が紅蓮寺ぐれんじに逃れ、山吹もすでに備中国びっちゅうのくにを離れた今、残る気がかりは輪廻の華だけである。

 輪廻の華の異能を消して、運命から解き放つことができれば三公も彼女を追うことはなくなるだろう。

 白檀にとって家族のように大事な山吹と紅葉が無事でいてくれれば、三公がどうなろうと知ったことではない。

 引き取ってくれた恩義を感じてこれまである程度従ってきたが、大事なふたりの害になる存在となった三公のことはすでにどうでもよくなっている。

 すべてから解放された暁には、山吹とまたゆっくり諸国を回る旅をしたい。

 そんな叶うはずもないことを望んでしまう。

 だが、何をするにしてもまずここから脱出しなければ、何もできない。

 少なくとも山吹が間違いを起こす前に輪廻の華に会わなければならない、と白檀は思った。

「棗芽、ひとつお願いがあります」

「何ですか」

「紅蓮寺へ向かう前に逢いたいひとがいます。何とか逢えるように力を貸してもらえませんか。あなたの条件を呑むための私からの条件です」

「……面の皮の厚い人ですね。助けてもらう立場にいるのにさらに条件をつけるのですか」

 棗芽は呆れていた。

 歯に衣着せぬ物言いもここまで面と向かって言われるとかえって小気味よい。

 白檀が含み笑いをすると棗芽は大きくため息をついた。

「まあ、いいでしょう。それでその逢いたいひとというのはどこの誰なのですか」

「道々ゆっくりとお話します。行先はみやこです」

みやこ……? ますます誰なのか気になりますね」

 そう言いながら棗芽は立ち上がると太刀を背負い直した。

 早速、出発するつもりらしい。

 白檀もこの部屋に閉じ込められる前に旅立とうとして準備していたため、いつでも出られる状態だった。

 自分がいなくなることでこの邸の中がどれだけの騒ぎになるのか想像もつかない。

 三公はすぐに京へ攻め入ってくるかもしれないし、内々に刺客を差し向けてきてここへ連れ戻されるかもしれない。

 それらを回避することができる唯一の方法は、輪廻の華から異能を消すことである。

 異能さえなくなってしまえば三公は目的を失うはずなのだ。

 白檀が輪廻の華に辿り着くのが先か、三公の命を受けた山吹が先か——。

 白檀も立ち上がって必要なものを手にすると、棗芽に言った。

「そう言えば棗芽は一体何しに妹尾家ここへ来たのですか」

「……あなたの顔を拝みに来たのです。一応他にも用事はあったのですが、そちらはどうでもよくなりました」

「…………?」

 白檀が首を傾げていると、棗芽はふてぶてしく続けた。

「紅葉が命を捧げようと思う相手はどんな男なのか、確認しておきたかったのですよ」

 棗芽が切り取った格子は音もなく外れ、ふたりは牢獄のような部屋をいとも簡単に出たのだった。

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