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第40話 心にかけられた軛

 山吹やまぶきが去り、誰もいなくなった廊下を呆然と眺めていた白檀びゃくだんはいつにもなく冷静さを欠いて自室に戻ると勢いに任せて襖を閉めた。

 木枠が激しく音を立てたがそんなことに構う余裕もなかった。

 慌てて天井裏に隠してある行李こうりから1冊の書を取り出す。

 古びたそれの表には『常闇日記とこやみのにっき』と書かれていた。

 彼は乱暴にそれを開いた。

 開いた頁には、常闇の術の5つについて書かれていた。



『常闇の術は大きく5つに分かれる。

 常世渡とこよわた

 常世戻とこよもど

 業縛ごうしば

 業解ごうと

 かい

 この5つは異能を受け継いだ術者が自由に使うことができる』



 その後、それぞれの術について解説が続く。

 そして最後の頁をめくり、白檀はじっくりと見た。



かいとは引き継いだ常闇の術をうちから引き離す術である。

 常闇の術は他者に引き継ぐことによって自らのうちから消すことができるが、

 引き継ぐことなく打ち消すためには——』



 もう何度も眺めてきたくだりだが何度見てもため息しか出てこない。

 だが残された道はこれしかない。

 山吹がやろうとしていることを阻止する方法。

 この解の術については誰も知らない。

 朝廷の書庫に残してきたこの禁書の写しにはあえて最後の行を書かなかった。

 術を引き継いだ者にはそれをしてほしくなかったからである。

 白檀は『常闇日記』を閉じるとそれを懐に入れた。

みやこへ出向いて輪廻の華に会わなければならない)

 何としてもこの解の術について知らせなければ——。

 白檀が急ぎ旅の準備をし、最低限の荷物を持って出かけようと襖を開けるとそこには妹尾菱盛せのおひしもりが立っていた。

 足音も聞こえなかったのに、一体いつからそこにいたのだろう。

 白檀は固唾を呑んだ。

 明らかに出かけようとしている出で立ちの白檀を菱盛はじっと見ている。

「風雅の君——」

 何かを言おうとした菱盛の言葉を遮るように白檀は言った。

 とにかく一刻も早くここを離れなければならない。

 逸る気持ちから自然と早口になった。

「菱盛、私は急用ができたので少し備中びっちゅうを離れます。誰か監視役を付けたければ自由に付ければいい。私は逃げも隠れもしませんから」

「残念ですがあなたをこの邸から出すことはできませぬ」

「心配しなくとも用が済めば戻ります」

「聡いあなたのことだ。もうすでにおわかりでしょう? あなたは山吹が無事に任務を遂行するまでの人質なのですから、勝手に備中国ここを離れられては困りますな」

「……っ!」

 白檀は口をきつく結んだ。

 すべてが思い通りになると思っているかのような菱盛の振る舞いに、全身が怒りで震えた。

 冷ややかな目を向けてくる菱盛に対し、白檀は語気を強める。

「なぜあの兄妹にそこまで残酷な仕打ちをするのです? 敦盛の子を産ませたいなら紅葉くれはでなくてもいいではありませんか。ましてや紅葉を連れ戻す役目をその兄に課すなど……妹を生贄に差し出すようなもの! これまで家族のように扱ってきたのではないのか」

「風雅の君は何か勘違いをなさっているようだ」

「…………!?」

「あの兄妹を育ててきたのはこういったいざという時の役に立たせるためです。でなければ、あなたの我がままで迎え入れることになった無縁の子どもたちを引き取るわけがないでしょう」

「揚羽蝶の家紋を入れた刀を下賜したのに、何という言いぐさだ」

「あれはあの子たちを働かせるためのくびきに過ぎませぬ。あなたと同じだ」

「どういう意味ですか」

「あの子たちがあなたに忠誠を誓って懐いていることは存じております。だからあなたがここにいる限り、あの子たちはここに帰ってくるしかない、ということです」

 そう冷酷に菱盛が言い放つと、どこからともなく現れた妹尾家の家臣が数人、白檀の前に姿を現した。

 気がついた時には両腕を掴まれ、身動きが取れなくなっている。

「何のつもりですか」

「あなたに危害を加えるつもりはありませんよ。京を追い出されたとはいっても先帝の血を引いた尊いお方であることに変わりはない。ですが少し大人しくしていていただかないと都合が悪いのですよ」

「離せっ」

「大人しくなさった方が御身のためですぞ」

 そう言い残して菱盛は去っていった。

 白檀は身動きを封じられ、抵抗もむなしく菱盛を黙って見送るしかなかった。

 菱盛が立ち去ったのを合図に、白檀は家臣たちに連れ出された。

(こんなことならすぐにでも山吹を追いかけるべきだった)

 白檀は珍しく自分の予測が甘かったことを後悔したのだった。



 あれから3日ほど経っただろうか。

 自室から連れ出された白檀は邸の奥にある一室に入れられた。

 それは菱盛の書院からほど近い部屋で、使用された形跡はないがひととおり必要なものはすべて揃えられていた。

 だが窓はなく、襖の内側には壁一面に鉄格子が嵌められ、牢と何も変わらない誂えになっている。

 一見、廊下から見ると普通の部屋のように偽装されているが、襖を開けても鉄格子が邪魔で簡単には部屋に出入りできない。

 おそらくは何かあった時のために軟禁する部屋として用意していたのだろう。

 鍵をかけられ部屋に閉じ込められるかたちになった白檀はじっと畳の上に正座していた。

 食事は運ばれてくるが窓がないせいで、昼夜の区別もつかない。

 白檀は見つからずに済んだ書を懐から取り出し、再び開いた。

 ここへ来て、もう何度この書を開いたかわからない。

 山吹が紅葉のところへ行ったことは間違いないだろう。

 菱盛が執拗に紅葉を求めていることを知ったからには放っておくことなどできないはずだ。

 だからと言って山吹には紅葉を敦盛に差し出す考えはないはずである。

 紅葉の代わりを三公の前に差し出すしかないと考えたなら、輪廻の華に白羽の矢を立てる可能性は十分にある。

 もともと三公が必要としている人物である。

 輪廻の華を捕らえ、三公の前に紅葉の代わりとして差し出せば一石二鳥どころかおつりがくる。

 白檀は開いた頁に目を落とした。

 九条家に嫁いだ藤原家最後の姫は樹光じゅこうから異能を引き継いでしまったから、輪廻の華と呼ばれ不運な運命を辿ることになってしまった。

 だが異能を百合ゆりうちから打ち消せば、三公も彼女への興味を失うことだろう。

 あの恥ずかしいくらい愛妻家の月華つきはなのことだ。

 おそらく百合の異能を消す方法を探しているだろうが、絶対にそれには辿り着くことができない。

 なぜならその方法は手元にある『常闇日記』に書かれている解の術でしか成しえないからだ。

 朝廷の書庫にある『常闇日記』には解の術に関する記述がない。

 彼は永遠に答えに辿り着けないことだろう。

 この術を百合に使わせることができるのはこれを唯一知っている自分しかいないのだ。

 白檀は立ち上がり襖の手前にはめ込まれている鉄格子を揺すってみた。

 音もなく、またびくともしない。

 菱盛の書院の近くに配置されているということは、仮にここへ侵入者があったとしてもすぐに知られてしまい、排除されるということだ。

 白檀は深くため息をついた。

 輪廻の華に解の術を使わせるどころか、彼女に会うことすら今の状況では叶わない。

(今は山吹が戻るのを待つしかないか……)

 山吹は輪廻の華を捕らえることができるのだろうか。

 百合のことは常闇の術を引き継いでしまったことに同情する程度にしか興味はなかった。

 だが三公の命で彼女を捕らえようとしてした近衛柿人このえかきひととのやり取りを報告してくる皐英こうえいからの文にはいつも彼女のことが書かれていた。

 そのうち、あの皐英がそれほど興味を持つ女子とはどういうひとなのか気になり始めた。

 後に彼女は自分の血のつながりがある九条月華の妻になったことを知った。

 ますます縁を感じた。

 母が持っていた異能を、母と親交のあった僧侶を介して引き継いだ百合。

 信頼している雪柊せっしゅうが保護し、従兄弟である月華が身を呈して守り、旧知の友であった皐英が愛したひと

 みな彼女を守ることに必死だった。

 彼女に対して特別な感情はないが、大事な妹のような親近感を持っているし、自分も守りたいとも思う。

 彼女と京で会った時、その気持ちはますます強くなった。

 鉄壁の守りを誇る九条家の中にある百合を月華の隙をついて攫ってくるなどできるとは思えない。

 山吹が傷つかず、無事に戻ってくればよいが。

 山吹が戻った時、事態は動く。

 今の自分にはじっとその時を待つことしかできない。

 何が第1皇子だろう。

 結局何の力も持っていない。

 自分にとって大事な人たちが苦しみ、危険に晒されているにも関わらず何の役にも立たない自身のことを白檀は呪った。

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