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第39話 葛藤と決断

 ときは少し遡り、3日ほど前のこと。

 備中国びっちゅうのくに——妹尾せのお家当主の書院に駆け込んだのは、北条棗芽ほうじょうなつめに意図的に生かされた家臣の男だった。

 紅葉くれはを捕らえるよう命じられながらも、使命を放り出し、命からがら逃げ戻った。

 とにかくまずは報告せねばと家臣は書院にそろった三公を前に跪く。

「も、申し訳ございませんっ。紅葉を取り逃がしました」

 額を畳にこすりつけ首を垂れる男を見る妹尾菱盛せのおひしもりの目は冷ややかだった。

「それで、お前はおめおめと戻って参った、と?」

「……はっ」

「恥を知れ。武士ともあろう者が主君の命をまっとうすることもなく戻るとは何ごとか」

 声を荒げることはなくとも冷徹に放たれたひと言に怒りがにじみ出ている。

 戻った家臣を冷遇する菱盛をなだめるように御形ごぎょうは言った。

「菱盛。そんなに冷たくするものではない。この者は報告のために戻ったのでしょう。まずは何があったか聞いてみよう」

 御形の鋭い眼光が平伏す家臣を見下ろしている。

「面を上げよ。一応、話は聞くが女子ひとり捕らえられずに戻った理由がろくでもなかった場合はこの部屋を出られると思うな」

 菱盛の低く響く声に男は震えた。

 全身が凍りつくような感覚の中、顔を上げると静かに口を開いた。

「じ、実は紅葉は近江国おうみのくにに向かっておりました。追いかけましたらどうやら山の上にある寺に向かっていたようで——」

「寺?」

「はい、確か紅蓮寺ぐれんじと言っていたような……」

「紅蓮寺ですって!?」

 半分腰を上げた橘萩尾たちばなはぎおに、残るふたりは訝しげな視線を向けた。

「どうしたのかな、萩尾」

「忘れたのですか、御形さん。輪廻の華が雪柊せっしゅうという武術の達人である住職に守られていたことを。あなたの愛弟子が、寺から出るまで手が出せないと言っていたではありませんか」

「ああ、あの。そう言えば皐英こうえいがそんなことを言っていたような……」

「ということは、紅葉は紅蓮寺に逃げ込んだということか?」

 菱盛が家臣の男を問いただすと、震えあがりながら男は返答した。

「いえ、逃げ込む前に捕まえようとしたのです。ですが、腕の立つおかしな男が横槍を入れてきまして——」

 男は額から流れ落ちる汗を拭いながら続けた。

「太刀を背負った武士でしたが、無関係のくせに突然乱入してきて紅葉を担いで寺へ連れ去ってしまったのでございます。その後、すぐにその男だけが戻ってきたかと思うとあっという間に他の者たちは息の根を止められてしまいました……」

 俯く家臣を見下ろした菱盛は腕を組んで唸り声を上げた。

 無関係のくせに乱入してきたとはどういうことだろう。

 その上、紅葉を寺へ運び、再び戻ってきたという。

 戻ってきた目的は間違いなく、紅葉の追手を始末するためだろう。

 だがわざとひとり生かした。

 生かされた者が備中国へ戻ることを見越しているに違いない。

 宣戦布告のつもりなのだろうか。

「その男、一体何者か見当はつくのか」

 菱盛の問いに男は首を振った。

「とにかく強いということ以外、わかりませぬ。何しろ刀を抜いていた我々に対し、その者は一度も太刀を抜かなかったのに、他の者はやられてしまいましたので」

「それだけ強い武士ならある程度、名の知れた者なのではありませんか」

 萩尾の言葉に菱盛は首を振った。

「いや、聞いたことがない。少なくともこの西側でそれだけ腕の立つ者の名は聞かぬ。もしかしたら東の者かもしれぬな」

「東の、というと鎌倉あたりですか。まさか幕府の者ではないでしょうね?」

「さあ……これだけでは情報が足りぬ」

 苛立たしげに言う菱盛の様子に身震いした男の額から流れる汗は滝のようであった。

 状況を伝えるために生かされた命なのだ。

 これ以上伝えるべき情報を持たないとわかってしまえばおのずと「用済み」という言葉を突きつけられるに違いない。

「あ、あの……菱盛様っ」

 命乞いをするためにすがる思いで声を絞り出した男に、菱盛は一瞥をくれた。

「御形——」

「やれやれ、こういう汚れ仕事ばかり押し付けるのはやめてもらいたいものですが」

 菱盛に促された御形は深いため息の後、懐から蝶の形をした式札を取り出した。

 御形がその式札に息を吹きかけると、紙は一瞬で白い大蛇に変化した。

 ぬるぬると動いた大蛇は怯える男に巻きついていく。

「ひぇっ」

 その声を発したが最期、男は大蛇に首を締め上げられ、うめき声を上げる間もなく絶命した。

 役目を終えた大蛇は御形の合図でもとの式札に戻ってしまった。

 蝶の形をした紙がひらひらと宙を舞い、やがて畳の上に落ちた。

 呪術使いとして知られる御形はこういった時ばかりお鉢が回ってくる。

 だがこれもまた一興、と命をもてあそぶような一面を持っている御形は、絶命した男が音を立てて畳に横たわるのを嬉しそうに見ていた。

「御形さん……その楽しそうにするの、やめてくださいよ。目覚めが悪くなるではありませんか」

「何を言う、萩尾。これは菱盛が望んだことでしょうが」

 御形は薄笑いを浮かべ菱盛の様子を窺う。

「それで、腕の立つ謎の武士と紅葉はどうするのですか」

 萩尾も菱盛の返答を待った。

「できることなら連れ戻したいところだ。ここまで育て上げた娘だ。みすみす他人の手にくれてやるつもりはない。だが、その謎の武士の方が気になるな」

山吹やまぶきにやらせればよいのでは? あの者なら紅葉を連れ戻せることでしょう」

 名案を思いついたと言わんばかりに御形は続けた。

「妹を連れ戻させるついでにその武士を探らせるのですよ。山吹ならそう簡単に始末されるようなこともないでしょう? まさに一石二鳥ですね」

 ご満悦の御形と違い、菱盛と萩尾は互いに顔を見合わせた。

 確かに一石二鳥ではあるが、絵に描いた餅のようにそんなに簡単なことではない。

 山吹が裏切らないとも限らない。

 裏切られずに任務を遂行させるためには、人質でも取っておくか。

 菱盛は御形の薄ら笑いに吐き気を感じながら、別の家臣を呼び出すと絶命した男の始末と山吹の呼び出しを申しつけたのだった。



 ——何としても輪廻の華を捕らえなさい。

 そう言われ、どうしたものか悩んでいるところで再び呼び出されたかと思うと、紅蓮寺に向かった紅葉を連れ戻せという。

 紅葉は敦盛の側室から逃れるために白檀が紅蓮寺に逃がしてくれたのだ。

 それを連れ戻すということは、兄である山吹が敦盛に差し出すということになる。

 そんなことはできない。

 だが三公は裏切れば白檀を軟禁すると言い出した。

 確かに菱盛たちにとっては生きてさえいればいい存在なのだろう。

 風雅の君が自分たちの手中にあることを正義として示せればよいのだ。

 救われた恩があり、命を捧げようと思っている白檀が自由を奪われ、閉じ込められるようなことにはしたくない。

 山吹は考えた。

 妹尾家——というよりも平家の血を絶やさないために敦盛の子を産む者が必要なのだとしたらそれは紅葉でなくてもよいのではないだろうか。

 その考えに至った時、山吹の脳裏にはひとりの人物が浮かんできた。

 輪廻の華。

 かつてそう呼ばれ戦場に身を置いていた九条家の嫁。

 何としても捕らえろと命を受けているのだから、捕らえた輪廻の華を敦盛の側室に差し出せばよいのではないか。

 それは山吹にとって至極名案のように思えたがひとつ引っかかることがある。

 以前、白檀に輪廻の華をどうするつもりなのか訊ねたことがあった。

 彼は迷わず言った。

 ——争いを好む亡霊たちに渡すつもりはありません。

 今、選択しようとしていることはこの白檀の想いに反することなのではないだろうか。

 しかし紅葉を生贄のように捧げることはできない。

 そんな葛藤を抱えながら、山吹は旅立ちの挨拶をしに白檀の部屋を訪れた。

「白檀様——」

 廊下の板間に正座し、襖の外から山吹はそう声をかけた。

 すぐに応答した白檀は襖を開けるなり仰天していた。

「山吹、どうしたのですか」

「何がですか?」

「何がって、自覚がないのですか? ひどい顔をしていますよ」

「…………悩みが尽きないものですから」

 白檀は中に入るよう促してきたが山吹はそれを断った。

 これまでそんなことは1度もなかったために、白檀はそのことにも目を見張っていた。

「旅立ちのご挨拶に来ただけですから」

「旅立ち? ……あの人たちにまた何か吹き込まれたのですか」

「まあ、そんなところです。俺には自分の命よりも大事なものがあるので、たとえ意にそぐわないことだとしても従うしかありませんよ」

 山吹は少し下がって深々と頭を下げた。

「白檀様、しばらくおそばを離れることになりますが、どうかご無事で」

 そう言い残した山吹は白檀と目を合わせることなくその場を後にした。

 去っていく後姿を目の当たりにした白檀は必死に考えていた。

 山吹はなぜ挨拶しに来たのか。

 これまでそばを離れる時に悪態をつくことはあっても、どうかご無事でなどと言ったことは1度もなかった。

 あれはまるで今生の別れのようではなかったか。

 もし三公に何か命じられたとすれば、逃がした紅葉を連れ戻すよう言われたか、捕らえられていない輪廻の華に関してのことだろう。

 紅葉を妹としてではなくひとりの女子として愛している山吹のことだ。

 紅蓮寺から連れ戻して敦盛に差し出すようなことはしない。

 愛しい妹を連れて、誰にもわからないところへ逃れるだろうか。

 しかしそれは菱盛が許さないに違いない。

 自分が菱盛の立場だったなら、裏切るかもしれないことを想定して先手を打つことだろう。

 山吹への布石となりうるとしたらそれは人質くらいなものだ。

 山吹は家や土地、家臣を持っているわけではない。

 唯一の家族はすでに備中国を出ている。

 そんな彼にとって人質になりうる者——。

(っ! 私を人質に山吹へ命を下したのか!?)

 そう結論付けた白檀は、山吹の旅立ちを止めようと慌てて廊下へ飛び出した。

 もうその影は見えない。

 白檀はいつになく冴えた頭で再び考えた。

 紅葉を連れ戻すために旅立ったとして、山吹には差し出すつもりがないのだから、人質を取られて退路を断たれたとするとどうするか。

 菱盛を含む三公が納得する状況を作るしかない。

 少なくとも紅葉の代わりを用意しなければならない。

 輪廻の華も捕らえなければならない。

(…………まさかっ)

 白檀は別の可能性を考えようとしても、結局同じ答えに至り、その場に崩れ落ちた。

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