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第25話 手土産は草餅

「おや、あれは……」

 鉄線てっせん雪柊せっしゅうの視線の先を追うと、先ほど棗芽なつめが立ち去っていった石段の入口にちょうど入れ違うようにひとりの男が立っている。

 腰に刀を差し、背中には矢筒を担ぎ、顎に無精ひげを生やした隻眼の男だった。

 礼儀正しく深く頭を下げる男に雪柊は懐かしい友人を見るような視線を向けていた。

「……どなたでしょう。雪柊様、ご存じですか」

「ああ。あれは私の大切な人のお世話係だよ」

 近しいような遠いような掴みどころのない表現に鉄線は首を傾げたが、近づいて来た人物は手持ちの包みを雪柊に差し出した。

「雪柊殿、お久しぶりです」

山吹やまぶき殿、でしたね。こんな山寺へ来られるなんてどうされました?」

「別に理由はありませんよ。これから備中びっちゅうへ帰るところなので、その前にご挨拶でもと思いまして」

 差し出された包みを開けると折の中には草餅がいくつも並んでいた。

 しばらくじっと見つめていた雪柊に対し山吹は噴き出しながら言った。

「毒なら入っていませんよ。今日は白檀びゃくだん様の使いじゃないので」

「それならよかった。あの方が私に毒を盛るようなことはないと思いたいが、何しろいたずら好きな方ですからね。用心するに越したことはない」

 そう言って雪柊は山吹を自分の書院に案内した。

 畳に腰を下ろした山吹は鉄線に出された茶と草餅を満足そうに頬張った。

「で、ご用件は何ですか」

「いや、用件は本当にないんですよ」

「はっ?」

「一度、あなたとゆっくり話をしてみたかっただけなんです。昔の白檀様を知っておられるあなたと……」

「……風雅の君に何かありましたか」

「何もありませんよ、ご心配なく。あの方は今のところ大人しくされています」

 雪柊は安堵の息を漏らした。

 山吹の持参した草餅に手をつけると、その絶品さに唸り声を上げた。

 それを見た山吹は満足げにみつ屋の品であることを告げた。

 得意げに草餅について熱弁をふるう山吹を見て、雪柊は胸のつかえが少し取れたような気がした。

 ずっと心の奥で気にかかっていた風雅の君には今こうして、気の置ける世話係がいる。

 自分が風雅の君を世話していた頃を思い出しながら懐かしむように目を細めた。

「ところで雪柊殿。白檀様が備中へ来ることになった経緯をご存じでしたら教えていただけませんか」

「宮中を追い出された理由ですか?」

「ええ。そもそも白檀様が備中へ来ることにならなければあの方が利用される対象になることもなかったのではないかと思うんですよ、俺は。もしかしたらあの方が今の帝になられていたかもしれませんしね」

「決定的な理由は……まあ、とある事件がきっかけになったからです」

「事件?」

「ええ。すでにすべて闇に葬られてしまった事件ですがね」

 山吹はその先を促すよう視線を送ったが、雪柊はそれ以上事件について語ろうとはしなかった。

「ですが——事件がなかったとしてもやはり同じ結果だったのではないかと思うことがあります。やはり一番はあの方が賢過ぎたからではないだろうか。あの方には他の者には見えていないものがたくさん見えている。だからこそあの方の語る言葉を虚言と取る者も少なくなかった。人には見えない未来が見えていると気味悪がる者もいたが、何よりそれを利用して権力の象徴とされることを時の帝が恐れたのかもしれません」

「やはり疎まれていらしたのか……どうりで卑屈なところもあるし、ご自分の命を効果的に捨てる機会を探しているようにも見えるのですよ」

「ですがみなに疎まれていたわけではないですよ」

「えっ、本当ですか?」

「風雅の君の母上は身分の低い方だったが、その方を労わっておられたのが先帝の妹君であられた蘭子様だった。風雅の君は記憶にないでしょうがね。白椎はくすい様がお生まれになってすぐ、蘭子様は九条家に嫁がれましたが蘭子様と九条家の時華ときはな様が出逢われたのは風雅の君の母上あってのことだったと思いますよ」

 山吹だけでなく、初めて聞く話に鉄線も目を丸くした。

 雪柊はふたりの驚く様子に見向きもせず、2つ目の草餅に手を伸ばして続けた。

「当時、九条家の当主になられたばかりだった時華様は先帝に頼りにされていましてね。後に正妻を迎えられ、今の帝がお生まれになった後も時華様は白椎様と帝のおふたりの面倒を見ていらしたはずです」

「そうですか……その白檀様の母上ですが、雪柊殿はご存じですか」

芙蓉ふよう様といって宮中にいらしてから何度かお会いしたことがありますが、いつも清涼殿にいらしてほとんどお出ましになることはなかったように思いますね」

「病弱であられた、とか?」

「日に日に弱っていったらしいという噂はお聞きしたことがありますが、帝が外に出したがらなかったという話です。また、亡くなり方も急で……」

「急死、ですか」

「……先ほどお話したとある事件の後、急に亡くなられました。風雅の君は母上の最期にも立ち会うことができずお気の毒でしたよ。私が備中国びっちゅうのくにの入口までお供したが、おそばを離れるのが本当に辛かったのを今でも覚えています」

 雪柊は茶をすすりながら視線を落とした。

 確かに初めて出会った時にも、信用できる者が誰もいない敵地へ向かっていると言っていた。

 そのことを一番よくわかっていたのが最後までそばにいたという雪柊なのだろう。

「そうだったのですか……もう過ぎたこととはいえ、おそばにいてくださった方が雪柊殿以外にもおられたとわかっただけでも、今日はここに参った甲斐がありました」

「山吹殿、どうぞ風雅の君のことをよろしくお願いします。私はもうあの方のおそばにいることはできないが、心のどこかでいつも思いを馳せているつもりです。敵対する日が来ないことを祈っていますよ」

 山吹は苦笑したまま、それには答えなかった。

 この先、互いの立場がどうなっていくのかは誰にもわからない。

 山吹は主君が朝廷に牙を向くようなことがあればそれを諫めることもなく、主君に従って攻め入ってくることだろう。

 雪柊は中立的な立場ではあるものの、自分にとって近しい者に危険が及ぶ際には相手がかつての主君であったとしても立ちはだかる。

 互いが互いの立場で取るべき行動が明確にわかっているだけに、この場で山吹が出せる答えがないことを雪柊もわかっていた。

 しばらく昔話に花を咲かせ、日が真上に来る頃には山吹も満足そうに立ち上がった。

「突然参ったのにずいぶんと長居してしまいました。ではそろそろ失礼します」

「いや、こちらこそ。昔懐かしい方の話をできて楽しかった。近くに来られる際はどうぞまた寄ってください」

 山吹は嬉しそうに頷くと紅蓮寺ぐれんじを去っていった。

 その背中を見送りながら鉄線は不満そうに雪柊を見上げる。

「雪柊様、ひとつお訊きしたいことがあるのですが」

「怖い顔してどうしたんだい、鉄線」

「今のお話ですと先帝の妹君が時華様の奥方様だったのですよね?」

「そうだよ」

「つまり月華つきはな様と悠蘭ゆうらん様のお母上ですよね?」

「何だい、改まって」

「何だい、じゃありませんっ! それってつまり月華様と悠蘭様は今の帝と血のつながりがあるということですよね——というより従兄弟ということですよね!?」

「あたりまえだろう。そう聞こえなかったかい? だからこそ百合ゆり菊夏きっかを嫁に出したんじゃないか。そうじゃなきゃ、大事な娘たちを公家になんか嫁がせないさ」

「公家になんか、とはどういう意味ですか」

「鉄線にはわからないだろうけど、公家の世界は裏切りや腹の探り合いが日常茶飯事だ。そんな中にいれば身に迫る危険があるのは当たり前だろう」

「…………」

 鉄線には公家の世界は見たこともない世界であり、見知っている人物たちはみな裏表のない信頼できる者たちだっただけに雪柊の話は理解できないところが多かった。

 だが、もともと公家であり朝廷の官吏として生きていた雪柊の言葉なだけに、十分に信憑性があるのだろうとも思う。

「九条家に月華と悠蘭がいる限り、どんなことがあっても帝が彼らを守る。だから今の世であの家以外に安全な場所はないんだよ。当の本人たちは何も知らないけどね。時華様もお人が悪いから、あの子たちに真実を教えてあげないんだよ。可愛そうだなぁ」

 そんな呟きに、鉄線はげっそりとするだけだった。

 本来なら言葉を交わすことも許されないほどの雲の上の存在なのだと、鉄線は改めて月華と悠蘭の兄弟に想いを馳せた。

「さあて、思いもよらぬ来客が続いて掃除が滞ったままだね」

「掃除どころか、箒が折れてしまいました」

「ああ、そうだった。棗芽め、今度来た時には本堂の掃除を手伝わせないと」

 半分冗談のように聞こえた口調の雪柊を見ると、その表情は笑っていなかった。

 鉄線は無関係でありながらも背筋に冷たいものを感じ、慌てて予備の箒を取りに走った。

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