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第24話 命を捧げる恩人

 みつ屋で土産を調達した山吹やまぶきは馬に跨り、駆け出した。

 馬の背に揺られるたびに背中に背負った矢筒や腰に差した刀が音を立てる。

 山吹は目指す先を見据えながら、うたた寝している間に見ていた夢のことを思い返した——。

 それは幼い頃のこと。

 貧しい農家に生まれた双子の兄妹は戦に駆り出された父を亡くし、病に倒れた母をも亡くしてふたりだけでなんとか暮らしていた。

 痩せた土地を耕し、少ない実りの中から食べるのもやっとの生活。

 それでも兄妹は村人たちに支えられながら生きてきた。

 ところがある夜、夜盗がふたりの住む村になだれ込んできた。

 痩せた土地で大して作物の備蓄もないとわかると夜盗たちは腹いせに人を襲った。

 村人を次々と惨殺し、奪えるものはすべて奪って行った。

 兄妹は夜盗から逃れるために着の身着のままで村を飛び出したが、ひとりの夜盗が兄妹めがけて矢を放った。

 矢は妹を守るために身を呈した兄の左目を掠める。

 直接突き刺さってはいないものの、傷は深い。

 痛みを感じ出した時にはすでに左目はほとんど見えなくなっていた。

 悲鳴を上げる妹の手を強く引いて兄は目から血を流しながら走った。

 どのくらい走っただろうか。

 道なき道を進んでも夜は暗くて移動できない。

 夜が更けると野犬か狼の遠吠えが聞こえ、夜行性の猛鳥が羽ばたく音が嫌でも耳に入る。

 そうやって兄妹は何日もの間、移動し続けた。

 もうもとの村には戻れない。

 夜盗の追手はなかったが、目的なく走っていた兄妹は、途中の戦場に出てしまった。

 死臭の漂う戦場で巻き込まれないよう、兄弟は身を潜めながらその場を駆け抜けた。

 やっとのことで巻き込まれることなく戦場を抜け獣道を進み、明るいところへ出たと思ったところで牛車を囲む一団に出会ったのである。

 ——見たこともない煌びやかな牛車に乗せられた兄妹は、助けてくれた少年と向かい合って座っていた。

 一瞬、武士の男に殺されるのではないかと思ったが、この目の前の少年のおかげで命拾いした。

 恩人と言っても過言ではない。

 座らされたのは見たこともない肉厚の座布団だった。

 慣れないせいで居心地は悪かった。

 何日も呑まず食わずで走り続けたが、そんなことが気にならないほど緊張していた。

 左目に巻いてもらった上質な着物の端切れはあっという間に赤く染まってしまったが、滴ってくるほどの出血はなくなった。

 まだ見える右目で兄——山吹は少年を見つめた。

「——それで、あなたたちはどこへ向かっていたのですか」

 少年が言った。

 供を何人も連れた牛車に乗っているというだけで高貴な身分なのだとわかる。

 牛車を守るように先導していた武士の男はこの少年を「風雅の君」と呼んでいた。

「…………」

「私は信用ならないですか? ……そういえば名前も名乗っていませんでした。私は白椎はくすいと言います。あなたたちは?」

先刻さっき、風雅の君って……」

「ああ、それは私の二つ名——別名のようなもので、本当の名前は白椎というのですよ」

 屈託なく微笑む少年に裏はないのだろうが、初めて遇った自分たちにあまりにも親切すぎることがかえって疑わしい。

 答えずにいると白椎は妹の方に手を差し伸べた。

 その手には干菓子が乗せられている。

「あまり甘くはありませんが、お腹が空いているのではありませんか」

 確かに空腹ではある。

 だが出されたものをそのまま口にしてよいものか——山吹がそう考えていると、妹はそんな心配をよそに恐る恐る手を伸ばした。

 ひとつ口にすると、それまでの怯えた顔から一気に血の気を取り戻したように変わった。

「お、おい、紅葉くれは。そんなに簡単に知らないものを口にするな」

「だ、だってお腹が空いていたんだもの……」

「はははっ。あなたは紅葉というのですね。これは干菓子といって茶の湯の席で出るものなのですよ。よかったらもっと召し上がってください」

 白椎はさらに紅葉へ干菓子を手渡した。

 紅葉の手に握らされた干菓子は溢れんばかりの量で、彼女は素直に喜び白椎に対する警戒をすっかり解いていた。

 干菓子に夢中になっている妹に代わって、山吹が言った。

「……ありがとう、ございます。まだ助けていただいたお礼も言っていませんでした」

「いいのですよ。ええっと——」

「山吹といいます」

「はじめまして、山吹、紅葉。あなたたちは兄妹ですか」

「ええ。俺たちは双子なんです」

「そうですか。それだけ満身創痍なのですから、どこかへ向かっていたというよりも何かから逃げていたという方が適切かな」

 何も語らなかったにも関わらず察しのいい白椎に山吹は目を見張った。

 助けてもらった恩人ではあるが、信用してもいいものなのかどうか。

 親切なふりをしてこのまま人買いに売られる可能性もあるかもしれない。

 値踏みするように見つめる山吹とは対照的に白椎は何の含みもなくまっすぐに山吹を見つめた。

「山吹、行先が決まっていないのなら私と一緒に来てくれませんか」

「…………?」

 白椎の突然の提案に山吹が答えられずにいると、にじり寄った白椎は声を潜めて耳打ちした。

「実は私はみやこを追い出された身でして。この備中国びっちゅうのくにの入口までは親しかった者に送ってもらったのですが、この先はまったくの敵地なのです。誰も信用できる者がおらず、私はひとり。見たところ、あなたたちもふたりだけの兄妹のようだからちょうどよいのではないかと思いまして」

 想像もしていなかった内容に山吹は言葉を失った。

 見るからに高貴なように見える白椎が自分たちを供にしたいと言っているのである。

 にわかには信じられなかった。

「私はあなたたちにとって命の恩人でしょう? だからその恩を返すつもりで一緒に来ていただくというのはどうですか」

「……でも、外にいる武士は俺たちを疎ましく思っているようですが」

「私が必要だと言えばそれはまかりとおる。彼は私には逆らえないから大丈夫です」

 白椎よりも年上に見える武士——敦盛あつもりと呼ばれていたが、その彼が本当に逆らえないというのだろうか。

 一体この白椎と名乗る人物は何者なのか。

 山吹は訝しげに彼を見た。

「もちろん、ただでは邸に置いてもらえないでしょうから、あなたたちは私のお世話係ということにしましょうか。ですが、山吹は……もしかしたら武芸を叩き込まれて戦場へ駆り出されるようになるかもしれませんね」

「武士になれっていうことですか」

「まあ、平たく言うとそうなりますね。でもそれで妹を安全な場所に置いておけるのなら悪い条件ではないでしょう?」

 ——そんな白椎との出会いがあったからこそ、今がある。

 その後、敦盛に戦場を引きずり回されることになったが、おかげで貧しい思いも寂しい思いもすることはなかった。

 多少の腹黒いところがあっても敦盛はなんだかんだと世話を焼いてくれている。

 妹尾せのお家に連れてこられてからというもの、弟のように可愛がってくれているのも事実だ。

 山吹と紅葉を可愛がることで自分の手駒として風雅の君を手中に収めておくための楔を打ち込んでいるつもりなのだろうが、双子自身は妹尾家に忠誠を誓っているように見せかけて、その命は風雅の君に捧げると決めていた。

 後に風雅の君は今の帝が帝位に就かれたことで、白椎の名を隠し、茶人の白檀びゃくだんと名乗るようになった。

 茶の湯は宮中にいた頃から嗜んでいたというが多くを語ろうとはしない主人のことを、山吹は別段気にもしてこなかった。

 しばらく馬を走らせると近江に入り、やがて目指す紅蓮寺ぐれんじが見えてきた。

 まだ日は天中に届いていない。

 この調子であれば近江を出て、夜のうちに備中へ入ることができるだろう。

 紅蓮寺の麓に馬を繋ぐと、山吹は長く頂上へ続く石段を見上げた。

 石段は何段あるのかもわからないほど延々と続いている。

(一体、何段あるんだ……!?)

 ひとつため息をつくと山吹は上り始めた。

 50段ほど上っただろうか。

 石段の終わりがずっと前方にやっと見えてきたあたりで逆に下って来る人影があった。

 墨黒の着物に太刀を背負った男で、後ろで束ねられた髪は階段を下るたびに揺れている。

 軽快に下って来た相手は瞬く間に目の前に現れた。

「…………」

 見覚えのある顔にぎょっとしたが山吹はあえて声にしなかった。

 相手も一瞬驚いた素振りを見せたが、何も言わずに去っていった。

 振り向くと、ずんずん下っていく男の揺れる長い三つ編みの下に2尺はあろうかという太刀が見える。

 ずいぶんな大物である。

 あれを振り回すとなると相当な力が必要だろう。

(ああいうやばそうなやつとは絶対に対峙したくない……)

 山吹は自分のことを棚に上げて、そんなことを思った。

 これまで自分が上って来た石段を見下ろし、軽くめまいがしそうになりながらさらに境内を目指す。

 それにしても——。

 あの男は先日、みつ屋にいた男で間違いない。

 この紅蓮寺から出てきたということは住職の知り合いなのだろうか。

 妙な縁がないことを祈りながら、山吹は歩みを進めた。

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