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第22話 備中国に関わる人々

 翌朝、山吹やまぶき鷹司家たかつかさけの様子を窺っていると、おもむろに門が開かれた。

 中から出てきたのは朝服を着た鷹司杏弥たかつかさきょうやであった。

 まだ朝霧が立ち込める早朝にも関わらず背中を丸め、目の下にはくまを作り頬はげっそりとこけて見える。

(あいつ……一体何があったんだ?)

 山吹はここ何日か鷹司家の動向を探るために邸を見張っていた。

 昨夕は妙に慌てた様子で帰って来た杏弥だったがその後出かけた様子はなかった。

 夜が明けて邸を出てきた彼はまるで別人のようになっている。

 何があったのか山吹にはさっぱり見当もつかなかった。

 だが別人のように疲れ果てている理由はわからなくとも出仕するために邸を出たということはわかる。

 山吹は考えた。

 このままこの鷹司家を見張っていて、果たして意味があるのだろうか、と。

 備中国びっちゅうのくににやって来た杏弥を追ってほしいと白檀に頼まれたために山吹はみやこへ来た。

 だが特にこれといって大きな動きは見せておらず、別段変わった人物が出入りしている様子もない。

 妹の紅葉くれはが鎌倉から追ってきたという男は桂田という鷹司家の家臣であることはわかったがその桂田も、誰かと接触しているようなそぶりは見せていなかった。

(これは、何もなさそうだとありのままを白檀様に報告するしかないな)

 山吹は大きくため息をつくと、鷹司家を後にした。

 備中に帰るにしても何か土産話のひとつでもなければ、何しに京まで来たのかわからない。

 そう考えた山吹は、ある人物を訪ねることにした。

 その人物を訪ねるためには、手土産のひとつでもと思った彼はみつ屋が店を開けるまで適当な木の上で仮眠を取ることにした。



 ——血の臭い、死臭、泥にまみれた体。

 とにかくここから逃れなければならない。

 山吹は小さな体で妹の手を引きながらがむしゃらに走った。

 切られた左目からは血が流れているようで口に入ると、鉄臭い血の味がした。

 左目はもう見えないだろう。

 だが妹の命を守るために左目ひとつで済んだのなら安いものだ。

 山吹に手を引かれた紅葉はおぼつかない足で必死に兄の後を追いかけた。

「や、山吹っ。その目、ち、血が……」

「いいからお前は何も考えずに走れ」

 兄妹はどれくらい走っただろうか。

 戦場から逃れるためにはとにかく走るしかなかった。

 子どもだからこそ見つからずに走り抜けられる獣道のような山道を抜け明るい通りへ出ると、そこには身分の高そうな一行が道を塞いでいた。

 辺りは畑ばかりなのに、仰々しい牛車に供を何人も引き連れた一行である。

 勢い余って飛び出した兄妹は一行の行く手を妨げてしまった。

 牛車を引く牛の前に腰を抜かしていると供のひとりが声を荒げた。

「おいそこの童、風雅の君の道を妨げるつもりかっ!」

 刀を抜いた男が腰を抜かした山吹と紅葉に向かって切りかかる。

 切られると思い、覚悟を決めて目を瞑ったふたりだったがその後ろから優雅で呑気な声が聞こえた。

「何かあったのですか」

 声の主は牛車の中にいるようだが姿は見えない。

 男は一旦、刀を下ろすと牛車の物見に近づき答えた。

「いえ、突然わき道から童がふたり飛び出してきまして……今、道を開けさせますので」

敦盛あつもり、ちょっと待ってください」

 山吹たちが怯えながら動向を見守っていると、牛車から年端も変わらない身なりのいい少年が現れ、近づいて来た。

「あ、ちょっと風雅の君っ」

 供の者たちの制止も振り切り、山吹たち兄妹の前に膝を折った風雅の君と呼ばれる少年は悲しそうな顔で言った。

「あなたたち……こんなに傷ついて、一体どうしたのですか」

「え……あ、あの」

「それにあなたは大怪我をしているではありませんか。止血になるかわかりませんが、とりあえず巻いておきましょう」

 そう言うと風雅の君は自分の着物の袖を少し破り、山吹の斬られた左目にかかるように頭に巻いた。

 まったく関係のない相手を本気で気の毒そうにしている風雅の君に山吹は面食らってしまい、礼を言うことすら忘れていた。

「あなたたちはどこへ向かっているのですか? 私たちと向かう方向が同じなのであれば途中まで送りましょう」

 そう言った風雅の君に業を煮やした供の者は彼の隣に膝を折ると苛立たしげにしていた。

「風雅の君、勝手は困ります。ここはもう備中国びっちゅうのくにですから我々の指示に従っていただきませんと」

「ですが敦盛、彼らは傷ついています。とても刺客には見えませんよ。怪我もしていますし」

「ですが——」

「私は宮中を追われることになったが、第1皇子である身分ははく奪されていない。その意味はわかりますね?」

「…………」

 敦盛と呼ばれた男は渋々引き下がった。

 山吹は目の前に突如として現れた少年が何者なのかこの時は露とも知らなかったが、救いの神に見えたことは言うまでもなかった。



 ふと目を覚ました山吹は木の枝に均衡を保った格好で仮眠していたことを忘れ、大きく伸びをしようとして木の枝から落ちそうになった。

 何とかしがみついて、安全な場所へ降り立つ。

(ずいぶんと昔の夢を見たな……)

 山吹はあくびをしながら空を見上げた。

 すっかり日も高くなり、ずいぶんと寝込んでいたものだと反省する。

 時間をつぶした甲斐あって、そろそろみつ屋も店を開けている頃だろう。

 山吹は夢に見た内容を払拭してみつ屋へ出向いた。

 みつ屋に着くと山吹はまずいつものものを注文した。

 すっかり馴染みとなった彼は店主に対し、いつものと言っただけで希望の品が出てくるようになったことをよく理解している。

 目の前に出された草餅を頬張りながら山吹は店主に言った。

「そう言えばこの間、乱暴な男たちに首を絞められていたが大丈夫だったのか、店主?」

「ええ。お客さんに助けていただいたおかげでむち打ちにならずに済みましたよ。その節はお世話になりました」

「いや、礼を言われるほどのことはしていないが……それにしてもあの男たち、どうしてもめていたんだ?」

「それが、この夏に民も楽しめる祭りを開くことになったんですよ」

「祭?」

「そうです。どの店も夜には閉店してしまいますが、夜には店の軒下に提灯をぶら下げて出店を出すんです。ただの神事で終わらすのはもったいないって商人の榊木さかきさんが——ああ、榊木さんっていうのは旦那に声をかけていた男です」

「ああ、あいつか」

 山吹は首を傾げながら草餅を頬張った。

 白い粉が口の周りに付くのも構わず、2つ目の草餅に口をつける。

「でも何であんな乱闘になったんだ?」

「それが……商売を繁盛させるためには客引きのための美女が必要だと榊木さんが言い出したんですよ。でも例の美人を狙った毒殺事件のせいで美女にはことごとく断られたらしくてねぇ。出口が見えなくなって、もめ出したらしいですよ」

「へぇ。難儀なものだな」

 山吹は無下に断ったが、急に榊木が言っていたことを思い出した。

 ——もし引き受けてくれたら、ここでの甘味の代金は俺が半年間、引き受けるから。

 客引きをするだけで半年間、甘味の代金を払ってくれるというのなら引き受ければよかった、などと多少の後悔を抱えながら山吹は店主に土産用の草餅を注文したのだった。



 その頃、六波羅御所では飼い馴らした白い鳩に餌をやる棗芽なつめと、その様子を苛立たしげに見る鬼灯きとうの姿があった。

「棗芽……お前は一体いつになったら鎌倉へ向かう気なのだ?」

「よいではありませんか、兄上。なかなか一緒にいられることもないのですから」

「私は一緒にいるためにお前を呼び寄せたわけではない」

「わかっておりますとも。私が本気になれば2日で鎌倉へ着くことができますので、何の問題もありませんよ」

 棗芽はまるで手乗り文鳥のように鳩を手なずけていた。

 左手に鳩を乗せ、頭を撫でながら棗芽は言った。

「そう言えば兄上。最近師匠にお会いになりましたか」

「いや。お前が六波羅ここに戻ってから雪柊せっしゅうは来ていないな」

「そうですか。鎌倉へ戻る前に会っておきたいと思いまして」

「雪柊に?」

「はい。だって我々が探っている西国の渦中にいる風雅の君を備中へ連れて行ったのは師匠なのですよ? いろいろとご存じなのではないかと思いまして」

「…………」

 うすら笑う棗芽を前に鬼灯は嫌な予感がしてならなかった。

 棗芽がこんな顔をする時はだいたい何か企んでいると相場は決まっている。

 世捨て人のようになった雪柊を表舞台に引きずり出すつもりなのかもしれない。

「おっとこうしてはおれない。それでは兄上、少し師匠の様子を窺って参ります」

 恭しく頭を下げると棗芽はそそくさと出て行った。

「おい、棗芽! 雪柊のことはそっとしておけ」

 そんな鬼灯の声は棗芽の耳には届いていなかった。

 繋がれた馬を1頭借りると、棗芽は鼻歌を歌いながら近江の紅蓮寺に向かった。

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