第104話 提案
「さて……少し事態を整理した方がよさそうだな」
夜も更けてきた頃、六波羅御所の書院に集まった男たちは邸の主の言葉に耳を傾けた。
鬼灯の隣に腕を組みながら正座する雪柊は何度も頷く。
彼らの向かい座り直した白檀は神妙な表情で鬼灯の続く言葉を待った。
白檀の後ろに控える山吹は叱られた子どものように小さくなっていた。
月華は向かい合う彼らの間に胡坐を掻いた。
膝の上に頬杖をつきながら、不満げな表情を浮かべている。
そのすぐ近くには榛紀が横たわっていた。
「まずは風雅の君、あなたは茶人の白檀と名乗っておられるようだが、紫苑の話では九条邸にいたのではないのですか」
「ええ、いましたよ。榛紀が高熱を出してしまったのでそのまま外にいるわけにはいきませんでしたし。月華が九条家なら榛紀を受け入れてくれるからと言うので、紫苑の案内で九条邸に向かいました」
「それがなぜこちらにおいでになったのかお聞かせいただけますかな?」
「月華が意識を失って六波羅に担ぎ込まれたと悠蘭が言っていたのを耳にしたからです」
白檀は後ろに控える山吹に目配せしながら続けた。
山吹は俯いたまま誰とも目を合わせようとはしなかった。
「山吹が百合を連れ去ろうとしていることは知っていました。だから私は棗芽の手を借りて備中を出たのです。ここにいる山吹は私の監視役ではありますが、長年寝食をともにした友人でもあります。だから月華と山吹が斬り合うようなことにはしたくなかった。どこかで私の考えが見当違いであってほしいと思いながら京に到着すると、やはり山吹が百合を連れ去ろうとしていると鷹司家の嫡子が言っていたのです。だからそこへ現れた月華にすぐ百合の元へ行くよう伝えました」
「それで?」
「月華と山吹に斬り合いをさせたくなかったので棗芽も向かわせました」
「よくわからぬな。あの愚弟があなたの指示で動いたとは思えぬが」
「彼は私の指示で動いたわけではありませんよ。棗芽は自らの意思で月華の後を追ったのです」
鬼灯は白檀の言っている意味がさっぱりわからなかったが、事実として棗芽が月華の後を追ったのだと認識した。
「もし月華が山吹に斬りかかったとしても棗芽が止めてくれると思っていました。私は百合に逢うために京に来た。それを知っている棗芽は必ず百合を連れ戻してくれると思っていたのです。それがまんまと彼女を連れ去られたと耳にして——」
「なぜお前が百合に逢う必要がある?」
すこぶる不機嫌になった月華は今にも食って掛かりそうな口ぶりで白檀に言った。
過去に知らない間に市中で百合に接触していたことを思い出し、腸が煮えくりかえる思いだった。
後に百合からの文で知らされたことも不愉快だった。
「彼女は異能を持っているからいつまでも狙われるのです。その異能を消さない限り、百合に安寧の刻は訪れません」
「……お前はその異能を消す方法を知っているというのか」
月華は白檀の瞳をじっと見つめた。
結局、何が目的なのかまったく読めない。
敵対しているような、味方しているような、果たして彼はどちらなのだろう。
「知っていると言ったらどうしますか、月華?」
「お前は……本当はどっちなんだ!?」
「どっちとは?」
「味方なのか? 敵なのか!? 李桜に毒を盛ったかと思えば市中で百合を助けてみたり、俺に油断するなと変な文を残したり……俺はお前のことが信じられない」
「李桜に毒を盛ったのは個人的な理由ですが、致死量ではなかったでしょう? 別に殺したかったわけではありませんよ。ちょっとやっかみと言いますか……。百合を助けたのは成り行きです。輪廻の華と呼ばれる百合がどんな女なのか話してみたかったので」
「俺の目を盗んで逢う必要があったのか!?」
「では面と向かってあなたに言えば逢わせてくれたのですか」
「逢わせるわけがないだろう」
冷たく言い放つ月華に白檀は「嫌われたものです」と呟いて苦笑した。
身から出た錆であることは白檀もわかっていた。
皐英を失い、自暴自棄になっていた自分の心の弱さが招いた結果でもある。
だがむしろ面と向かってはっきり言われた方がかえって小気味いいように白檀は思い、月華が敵意をむき出しにすることにも別段、怒りを感じることもなかった。
「御託はいいから早く異能を消す方法を教えろ。そうしたら俺はすぐに百合を追う。百合が狙われるのは輪廻の華の二つ名を持つからなのだろう? だったらとっとと異能を消してその二つ名を返上するまでだ」
「消す方法は知っていますが教えることはできません」
白檀の返答にしびれを切らした月華は怒りに任せてそのまま再び掴みかかろうとした。
すると白檀の後ろに控え、それまで顔を上げることもなかった山吹が白檀と月華の間に入る。
「邪魔だ」
間には入った山吹を押しのけようとしたところで、それまで静観していた雪柊に衣紋を引っ張られ、月華は元の場所に戻された。
振り向くと、いつもは開いているかもわからないほど細い雪柊の目が見開かれ、月華を射貫いていた。
こういう時の雪柊は沸々と怒りを抱え込んでいると相場は決まっている。
月華の全身に悪寒が走った。
「白椎様——教えることができないのなら、どうやって実行するのですか。これは遊びではないのですよ? 妻を奪われた月華の気持ちもお察しください」
雪柊の口調はこの上なく凄みがあり、近くにいる月華や山吹を震え上がらせるには十分だった。
鬼灯は深いため息をつきいたが、白檀はこともあろうか反論した。
「遊びのつもりはありませんよ、雪柊。だから私からひとつ提案があります」
「提案?」
「ええ。私も一緒に同行させてください」
「…………はっ?」
雪柊だけでなく、月華や山吹、鬼灯でさえも驚きを隠せなかった。
「そんなにみんなして驚くことはないでしょう? そのために私はここへ来たのですから。月華が目を覚ましたらすぐにでも百合を追うだろうと思っていました。榛紀がここへ一緒に来ることになったのは誤算でしたけどね」
横たわり肩で息をする弟の顔を見ながら白檀は眉尻を下げた。
「このとおりですから榛紀はここへ置いて行きます。できれば九条邸へ戻していただけませんか。こう見えて私は旅慣れていますし、京と備中の間を何度も行き来していますので、足手まといにはならないつもりですが」
「待てっ。お前も俺と一緒に来るつもりなのか!?」
月華は訝しげに白檀を見た。
いくら旅慣れているとはいえ、百合を連れ去っていた相手の力量もわからなければ、どこで追いつけるかもわかっていないのに何を根拠に足手まといにならないと断言できるのか。
半分呆れるしかなかった。
「いけませんか」
「なぜ教えることができない? お前が来なくても教えてくれさえすればそれで済む話じゃないか」
「……あなたにはできないことだからですよ」
頑なに方法を教えようとしない白檀に対し、月華がさらに詰め寄ろうとしたところで鬼灯がおもむろに立ち上がった。
全員が彼を見つめる。
「まずは九条家に連絡だな」
「鬼灯様っ!?」
「月華。ここまで頑なに言われては従うしかないのではないか? 方法は風雅の君しか知らぬ。この方が一緒に来てくださるというのなら、そうしていただくしかなかろう」
「ですか——」
食い下がる月華を無視して鬼灯は雪柊を見下ろした。
「雪柊、悪いが一緒には行けぬ」
「ああ、そうだね。でも私は行くよ」
「そうしてくれ」
阿吽の呼吸で短く交わされた会話に他の3人は唖然とした。
そうしている間に鬼灯は中座してしまった。
「あ、鬼灯様——」
月華が鬼灯の背中に声をかけるも、彼は振り向くこともなく静かに襖を閉めた。
「鬼灯様はどこへ……」
「九条家に早馬を飛ばしに行ったんだと思うよ」
「九条家に?」
「もし時華様がここにいるおふたりが邸にいることをご存じだったなら、見当たらなくなって大騒ぎをしていることだろうね」
「大騒ぎ? 想像がつきませんが」
「ひとりは榛紀陛下、ひとりは風雅の君だ。いなくなって騒がない方が不思議じゃないか。今頃目くじらを立てて怒鳴り散らしているかもしれないね。目に浮かぶなぁ」
「雪柊様、父上が怒鳴り散らすわけが——」
「おや、月華は知らないのかい? 昔の時華様ときたらとても血の気の多い方だったよ。以前は九条家もずいぶんと血を流したことで有名だったけど、今はすっかり丸くなられたね、時華様は」
「…………」
「鬼灯は早馬を飛ばして時華様に榛紀様を預けるつもりだろうね」
月華は雪柊をじっと見つめた。
先刻の背筋が凍るような雰囲気は霧散しており、いつもの雪柊に戻っている。
朝廷や皇家のことだけでなく、九条家の過去の事情にも詳しいのか。
確かにかつて松島が、昔は九条家でもたくさんの血が流れたと口を滑らせたことがあった。
月華は何も知らない自分のことを歯がゆく思った。
「それじゃあ、行きましょうか。もちろん道案内は山吹殿にお願いできますね?」
全員の意見が一致して立ち上がったのはとうに日付が変わった頃だった。