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第102話 風雅の君の言うことには

 山吹やまぶきは背中に背負っていた矢筒と腰に提げていた刀を畳の上に置くと書院の襖を背にして静かに腰を下ろした。

 李桜りおう椿つばき悠蘭ゆうらん菊夏きっか、そしてかえで杏弥きょうやを連れた紫苑しおんがそれぞれ六波羅ろくはらを出たことで、書院は静まり返った。

 傍らには月華つきはなを肩に担いだ雪柊せっしゅう

 床の間を背にした上座には六波羅の主人が座している。

 六波羅の主人——北条鬼灯ほうじょうきとうのことは顔を知っている程度で、どういった人となりをしているのかはよく知らない。

 だが白檀びゃくだんが全幅の信頼を置く雪柊と旧知の仲であることはふたりの会話を聞いているだけでわかった。

 なぜこんなことになってしまったのだろう。

 なぜ自分はここにいるのだろう。

 そう思いながらも、輪廻の華を備中国びっちゅうのくにに連れて行く役目がなくなったことに山吹は少しほっとしていた。

 白檀を人質に取られ、三公に輪廻の華を捕えるよう強く迫られた。

 そして妹尾せのお家を逃げ出した紅葉くれはを連れ帰り、敦盛あつもりの妾にするよう強要された。

 そのどちらも山吹が自ら望むはずはない。

 輪廻の華を三公の手に渡すことを白檀は望んでいなかったし、最愛の妹を敦盛の妾にすることも認めることはできなかった。

 だが白檀と紅葉を守るためには、輪廻の華を三公に預け、敦盛の妾候補として進呈するしかなかった。

 結局、図らずも敦盛自身が輪廻の華を連れ去ったことで山吹の抱えていた問題は呆気なく解決したのだった。

 敦盛が無事に備中へ辿り着けば、おのずと輪廻の華は三公の監視下になる。

 敦盛を追った棗芽なつめという腕の立つ男とともに紅葉が備中へ向かってしまったことは誤算だったが、必ずやあの男が紅葉を守ることだろう。

 すでに2度も紅葉を助けてくれている。

 守る気がなければ同行を許すようなことはないだろう。

 山吹が小さく息を吐くと、気を失っている月華つきはなを畳の上にそっと横たえ、雪柊は鬼灯の向かいに腰を下ろした。

「……月華は目覚めぬな」

「まあ、そのうち目が覚めるだろうさ。棗芽のことだから加減は心得ていると思うよ」

「そうか——して、雪柊。私はすっかり巻き込まれたようなのだが、状況を説明する気があるのだろうな?」

「説明って言ってもねぇ。私はすべてを知っているわけじゃないよ。状況は先刻さっき伝えた通りだ。目の前で備中国の武士に百合ゆりを攫われた。棗芽が今、追っている。これから私も追いかけようと思う、以上」

「何も説明になっていないではないか。この状況を一体どう説明するつもりだ?」

「この状況って?」

「襖の前に控えているお前が連れて来た男のことだ」

 鬼灯に指を差され、山吹は肩を震わせた。

 鬼灯が指摘するとおり、山吹は自分が六波羅ここにいること自体が場違いであると認識しているだけに、居たたまれなくなって視線を逸らす。

「この人のことは説明したじゃないか。月華が目を覚ましたら絶対に百合を連れ戻しに行くと言い出すはずだ。だからこの山吹殿に妹尾家までの道案内を頼むんだよ」

「備中国の妹尾家とはそんなに辺鄙なところにあるのか。棗芽は何度か偵察に行っているはずだが」

「そうじゃないよ。邸の中に入ることになったら、関係者がいた方が都合がいいだろう?」

「お前、邸の中にまで乗りこむつもりか」

「乗りこまなくて済むならそれでいい。でも一応、最悪の事態も想定しておかないとね。百合を取り戻すまで私たちに後退という選択肢はないんだから」

「……だがその男、信用できるのか? 悠蘭も李桜も、あの鷹司たかつかさ家の男でさえあの者に目くじらを立てているようだったが?」

「私もそこは詳しく訊きたいところなんだよねぇ」

 細い目をさらに細め、疑いの目を向ける雪柊と目が合った山吹。

 蛇に睨まれた蛙のような心地だった。

「それは——」

 山吹は問題がすべて解決したわけではないことを苦慮していた。

 それは忠誠を誓う白檀のことである。

 白檀は風雅の君として妹尾家に軟禁されている。

 妹尾家の一員である山吹や紅葉の同行なしに自由に外に出ることはできない。

 白檀のことを想うと、山吹や紅葉がそばにいられないことで彼の自由を奪っているという罪悪感があった。

 いっそのこと白檀を妹尾家から連れ出すために目の前のふたりに協力を仰ぐか。

 そんな考えが脳裏をよぎった時、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。

 足音はふたり分あり、少し遅れてひとりが追いかけているように聞こえる。

 次の瞬間、勢いよく開かれた襖からひとりの男が飛び込んできた。

「月華っ」

 入ってきたのは山吹だけでなく、他のふたりも見知らぬ人物のようで目が点になっていた。

 飛び込んできた男は畳に寝かされている月華の側へ膝をつく。

 一体何者なのだろう。

 山吹がそう思っていると、呑気な声を上げながらここにいるはずのない人物が書院へ入って来た。

榛紀しんき、急に走り出して大丈夫なのですか」

白椎はくすい様!?」

白檀びゃくだん様!?」

 雪柊と山吹が声を発したのは同時だった。

 ふたりに別々の名を叫ばれ、白檀は唖然としていた。

 遅れて駆けこんできたのは鬼灯の家臣のようで、主人に命じられてすぐに引き下がっていった。

 山吹は白檀にまじまじと見つめられ、二の句を継ぐことができなくなった。

 備中国を出た夜のことを思い出す。

 白檀に別れを告げた夜、三公に付き従わなければ彼は人質になってしまう。

 そう思って決意した。

 だが確かに棗芽は別れ際、白檀を妹尾家から連れ出し今はみやこにいると言っていた。

 それがなぜ今、六波羅に現れたのか。

「山吹」

 白檀に名を呼ばれ、山吹は固唾を呑んでその先を待った。

 聡い白檀のことだ。

 山吹が何をしようとしていたかはすでに知っていることだろう。

 見限られるか、それとも叱責されるか。

 続く言葉を聞くのが怖かった。

 すると白檀は山吹の想像から大きく外れたことを語り始めた。

「私が何も力を持たないばかりにあなたにはしなくていい苦労をさせていますね」

 白檀の手が頭に乗せられると、自然と目頭が熱くなった。

 労いの言葉はかえって自分の罪を再認識するようで辛い。

「山吹が私を訪ねてきたあの夜、私はすぐにあなたを追うべきでした。少し考えればあなたが抱えるしがらみと持ち得る選択肢に見当がつくはずだったのに、不覚にも呆然と見送ってしまった。私の落ち度です。どうか許してください」

「ゆ、許すなどっ! 俺は白檀様のご意思に背く行動をしたのに……」

「輪廻の華のことを言っているのですか」

「…………」

「間違いは誰にでもある。大事なことはその後、どう取り返すかです。まあ、よもや月華が百合を逃すとは思いませんでしたね。棗芽も向かわせたのに、なぜみすみす攫わせたのか……」

「ち、違います、白檀様。月華は輪廻の華を取り返そうとしたのにその棗芽という男に邪魔されたんですよ。あの男、一体何者ですか。なぜか俺のことを月華から守ったんです」

「……はぁ、そういうことか」

 妙に納得した白檀は決して答えを山吹に明かさなかった。

 それまで呆然とふたりのやり取りを見ていた雪柊は白檀の腕を掴んで言った。

「白椎様、なぜあなたがここにおられるのか」

「おや、雪柊」

「おや、雪柊、ではありませんよっ。どういうことですか」

「みな質問が多い。私を千里眼の持ち主だとでも思っているのですか」

 白檀がため息まじりに言うと、それまで静観していた鬼灯も口も挟んだ。

「あなたは風雅の君、ということでしょうか。私も雪柊同様、何が起こっているのがご説明願いたいところですな。ついでに申し上げると今話題に出ている棗芽というのは私の愚弟のことでよろしいか」

「……まあ、いいでしょう。ここは六波羅。ここの主であるあなたに問われれば答えるのが筋というもの。私が知り得るすべてを話しましょう」

 そう言うと白檀はその場に腰を下ろし、詳細を語り始めた。

 妹尾家の血筋に始まり、妹尾家に巣くう三公について、山吹の取った行動と棗芽との出会いについて白檀はこと細かに説明した。

 特に棗芽が白檀を妹尾家から救出した話は山吹にとって度肝を抜く内容だった。

 棗芽は何も語らずに去っていったが、白檀が本当に妹尾家を逃れることができたとはにわかには信じられていなかったのである。

「しかし、なぜあなたがここへ雪崩れ込んできたのかわかりませぬな」

 ひととおり黙って話を聞いていた鬼灯は訝しげに白檀に問いかけた。

「……月華に伝えておかなければならないことがあったので。もし叶うなら百合を連れ戻しに行くであろう月華に同行したいと思っています」

「伝えておかなければならないこと、とは?」

「それは本人に伝えます」

 山吹は白檀の回答を不審に思いながら耳にしていた。

 ——私は白檀殿が輪廻の華に逢いたいというから備中国からみやこまで連れてきたのです。

 棗芽は立ち去る前、そう言っていた。

 伝えたいこととは輪廻の華に関わることなのだろうか。

 輪廻の華に逢いたがっていたはずなのに、伝えたいことがあるのは月華の方、ということか。

 山吹が首を傾げていると、白檀は雪柊と鬼灯に向かって懇願した。

「とにかくあの人たちが朝廷をひっくり返し、倒幕を目論んでいるのは確かで、もしかしたらそれ以上のことを画策しているかもしれません。そのために百合を必要としているのだとしたら、彼らの計画を無に帰すためにも百合を取り返さなければならない。棗芽だけでは手が足りない時は、力を貸していただけませんか」

「なるほど。お話はだいたいわかりました。微力ながら私たちがお手伝いいたしましょう」

 当然のことのように何度も頷きながら言う雪柊に鬼灯は釘を刺す。

「私たち、とは?」

「私と鬼灯きみに決まってるじゃないか。他にいるのかい?」

「なぜ私がお前たち朝廷のいざこざに巻き込まれなければならぬのだ」

「鬼灯、白椎様のお話を聞いていなかったのかい。敵は倒幕をも目論んでいるというじゃないか。それを1番許せないのは君じゃないの」

 雪柊が促すと鬼灯は不本意そうに頷いた。

「確かに」

「じゃあ、決まりだね。すぐにでも月華を叩き起こして発とう。山吹殿もそれでいいですね」

 雪柊に振られ、山吹は力強く頷いた。

 いいも何もない。

 唯一の気がかりだった、人質同然の白檀は六波羅御所という九条邸の次に安全だと思えるところへ飛び込んできてくれたのだ。

 これ以上憂慮するものは、山吹には何もなかった。

「ところで白椎様。最初に飛び込んでいらした、月華の傍らにおられる方はどちら様ですか」

「ああ、あれは私の弟です」

 白檀は何でもないことのように答えた。

 3人が驚愕したのは言うまでもない。

 白檀は風雅の君という二つ名を持つ先帝の落とし種であることは全員が理解している。

 現在、帝の地位に就いているのはその先帝と正室の間に生まれた御子であることも理解している。

 つまり風雅の君の弟はすなわち現帝だということに彼らが気がつくのに、そう時間はかからなかった。

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