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第101話 消えたふたり

「父上、義姉上あねうえの異能のこと、ご存じだったのですか」

「大事な義娘むすめのことだ、知らぬわけがなかろう」

 時華ときはなの間髪入れない回答に悠蘭ゆうらんは唖然としていた。

 確かに息子たちの前で百合ゆりの異能について話したことはなかった。

 知らないと思われていても不思議はない。

「悠蘭、百合殿の異能のことは今はどうでもよい。それで月華つきはなが追っていないとなれば誰が百合殿を連れ戻すのだ?」

「よくわかりませんが、雪柊せっしゅう様の話では別の方が後を追っている、と。雪柊様もその後を追うとおっしゃって、鬼灯きとう様を巻き込もうとなさっておいででした」

「鬼灯殿を……?」

「間もなく兄上も意識を取り戻すでしょうから、3人で後を追うのではないでしょうか」

「お前はなぜ戻ったのだ?」

「俺は……今の俺では足で纏いになると思いましたので。最初に祭り会場で義姉上が連れ去られそうになった時、俺は相手と戦えると思っていたのです。でも実際は違った。いくら修行したからといって実戦経験のない俺では歯が立たなかった。もし俺があの時、義姉上が連れ去られるのを阻止できていればこんなことにはならなかったと自分の無力さに辟易します」

 時華は立派に成長した息子を目の前に、感慨深いものを感じた。

 以前の悠蘭ならば誰かを想って自分を責めるようなことはなかった。

 他人は他人、自分は自分と決め込んで誰とも関わることをしなかったはずなのに、月華の影響なのか、菊夏きっかを迎えてひと皮むけたのか、1年前とはまるで別人のように時華には見えた。

「悠蘭。あまり自分を責めるな。そもそも自分の妻ひとり守れぬ月華が腰抜けなのだ。あやつ、一体何をしておったのだ」

「兄上は別の方を追われていて、義姉上のことを俺と紫苑しおんさんに託されたのです。それなのに……」

「別の者を追っていた? 別の者とは誰のことだ」

弾正尹だんじょういん様です」

「…………」

 時華は目を見張った。

 確かに風雅の君が、榛紀しんきが再び倒れた時のことをそう説明していた。

 月華は榛紀の身を案じて追って来たようだとも言っていた。

 榛紀が帝であり、自分と血の繋がった存在であると知ったのなら、当然の行動だろう。

 百合のことを守る月華の代役は他にもいるが、榛紀は正体を明かしていないために彼を守る者は特にいない。

 月華はそのふたつを秤にかけたに違いない。

 父に頭を下げるほど妻を溺愛していると思っていたが、意外と大事なことは見えているらしい。

 そんな月華の聡明さに時華は改めて感心した。

「ところでお前は今、どこに向かおうとしておったのだ」

東対ひがしのたいです。松島が弾正尹様と白檀びゃくだんなる人物が九条邸ここにいると言うので、彼らが何か知っているのでないかと思いまして」

「それは奇遇だ。私も松島から報告を受けてふたりのところへ行こうと思っていたところだ」

 時華が悠蘭に言ったことは真実ではなかったが彼らは肩を並べて、回廊を歩き出した。

 風雅の君に話を聞いていたために時華はある程度、何があったのかを理解していた。

 寝殿を出て東対に向かっていたのは、そろそろ榛紀が意識を取り戻したのではないかと思ったからである。

 本当は榛紀の素性を明かしていない悠蘭とともに彼の元へ行くのは都合が悪い。

 だがここで不自然に撥ねればかえって不信感を買うと判断した時華は悠蘭を同行させるしかなかった。

 東対に辿り着くと悠蘭は部屋の奥に置かれている御帳台みちょうだいへ駈け込んだ。

 時華はそれをゆったりと後追いした。

 もし榛紀が目を覚ましていて、時華の顔を見るなり悠蘭の前で「叔父上」などと言ったら元も子もない。

 まだ悠蘭に真実を伝えるのは早すぎる。

 そう考えている時華は、先に御帳台に入った悠蘭の反応を見てどうするか考えようと思っていた。

 その時。

「父上っ!」

 覗き込んでいた御帳台から顔を出すなり、悠蘭は叫んだ。

 何かあったのかと慌てて時華も駆け寄った。

 中にいるのはこの国にとって必要な帝とその兄、高貴な血を引く皇家出身のふたりなのである。

 彼らに何かあろうものなら目も当てられなくなってしまう。

「どうしたのだっ」

 時華も御帳台を覗くと、中はもぬけの殻だった。

 熱を出していると言っていた榛紀の姿すらない。

「これは……どういうことだ?」

 驚愕する時華をよそに、冷静な悠蘭は敷かれた布団に手を当てた。

「まだ温かい。父上、つい先刻さっきまでここにそのふたりがいたのではないでしょうか」

 この邸を出て一体どこへ行こうというのか。

 まさか兄を取り戻した気になった榛紀が風雅の君を清涼殿に連れていったとでも言うのだろうか。

「あのふたり——」

 時華が沸々と怒りを露にしたところで、菊夏を送って戻ってきた松島が悠蘭の叫び声を聞きつけてやって来た。

「どうなさいました——ん? 時華様まで、どうされたのですか!?」

「どうもこうもない。ここはもう殻だ」

「えぇぇぇ!? あのおふたり、どちらに行かれたのでしょう」

「わからぬ。だがまずは邸中をくまなく探せ。まだどこかに隠れているのかもしれぬ」

 苛立ちながら時華が言うと、松島は一目散に東対を出た。

 次の瞬間には松島は声を荒げて他の家臣たちに号令をかけている。

 それは真夜中の大捜索が始まる合図だった。

 時華自身も捜索を開始しようと動き出したところで、悠蘭が言った。

「父上、お訊きしたいことがあるのですが」

「何だ」

 時華が振り向くと神妙な表情の悠蘭がじっと時華を見据えていた。

 姿をくらましたふたりが何者なのか問うているのだと時華には悠蘭が何も言わずともわかった。

 真実を告げるにはまだ早い。

 できればずっと知らずに暮らしてほしい。

 だがそう思い通りに行くはずはなかった。

「父上、消えたふたりは一体何者なのですか」

 訊かないでほしい、そんな願いもむなしく悠蘭の責めるような瞳が時華を見つめている。

「……お前はまだ知らなくてよい」

 「まだ」と枕詞を付けて逃げたつもりだったが、それでも悠蘭は食い下がってきた。

「松島は知っているのですかっ。それに兄上も!? 俺だけが何も知らないのですか。そんなに信用なりませんか」

「そうではない。お前を信用していないからではなく、お前の母がそう望んだからだ」

「……母上が!?」

 時華はそれ以上、その場にいることができず逃げるように悠蘭に背を向けた。

 納得しないだろうことは時華が1番理解している。

 説明するにはすべてのことをつまびらかにしなければならない。

 月華は図らずも松島の口から告げられたことによって真実を知ったようだが、本当なら自分の口から伝えるべきことであった。

 だがまだその勇気が持てない。

 すべてを明るみに出すということは蘭子のすべてを語ることになる。

 蘭子の出自だけでなく、彼女の死についても。

 そこまですべてのことを最愛の息子たちに伝える覚悟を、時華はまだ持てていなかった。

 心の準備ができていないのはむしろ時華の方なのである。

「父上っ」

 背中に放たれた不満の声にも耳を塞ぎ、時華は消えたふたりの捜索に当たった。

 四半刻ほどの時が流れた頃。

 時華と悠蘭、松島はそれぞれ邸中の別の場所を探していたが、とうとうどこにも人影を見つけることなく、外と邸とをつなぐ門の前で合流した。

 九条家には多くの者が働き、生活しているが出入りは厳しく管理されている。

 しかし門番によって監視されているとはいえ、とかく外から入ってくる者には厳しいものの、出て行く者には意外と寛容だった。

「松島、あの子らはどこかにおったか」

「いえ……邸中をくまなく探させていますが、まだ見つかりませぬ。悠蘭様はいかがでございますか」

「俺の方もだめだ。もう九条邸ここにはいないのではないだろうか」

「だが土地勘のない彼らが門の外へ出て何ができると言うのだ!」

 珍しく興奮した時華の声を聞きつけたのか、門番が慌てて主人のそばにいる松島目がけて駆け寄って来た。

「ま、松島様。いいところへおいで下さいました。朝まで交代要員が来ぬゆえちょうど困っていたところなのです」

 門番は交代要員が来るまで持ち場を離れることを許されていない。

 深夜とはいえ、私用で門から離れることはできないのである。

「何かあったのか」

「これを時華様にお渡しいただきたい、と預かりました」

 申し訳なさそうに門番は頭を掻きながら松島に小さく畳んだ紙を手渡した。

 受け取った物が文であることは容易に想像がついたが、差出人に心当たりがない松島は訝しげに門番に訊き返した。

「これはどなたから預かったものか?」

「どなたかは存じませんが、少し前に久我くが様と一緒に邸に入られた方たちです。一方の方は久我様に背負われてここにいらっしゃいましたが、出て行く時はしっかりとした足取りでした」

「…………」

 松島は慌てて受け取った紙を開いた。

 中に書かれていたのはたったひと言だった。


『世話になった』


 松島は紙を開いた状態ですぐに時華へ渡した。

 受け取った時華は中身に目を通すなり、くしゃくしゃに握りつぶした。

 父のそのような乱暴な仕草をこれまで見たことがなかった悠蘭は目を見開いた。

「門番、この文を渡してきたおふたりはその後どうなさったかわかるか」

「ゆ、悠蘭様がお帰りの際にお使いになった牛車に乗ってどこかへ向かわれましたっ」

「どこかとはどこだ!?」

「さ、さあそこまでは。門から出た方の行先までは監視しておりませんものですから」

 唸り声とともに、時華の怒りが頂点に達したことはその場の全員が察した。

 こんな時、この父を飄々と諫めることができるのは月華くらいのものだろう。

 その場にいた松島と悠蘭は同時にそんなことを思っていた。

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