白い部屋
三題噺もどき―きゅうじゅうはち。
お題:チョコレート・ボールペン・塩瓶
静かな風が、部屋の中へと吹き込んだ。
「……」
ふわりと、真白なカーテンを揺らしやってきたそれは、何を言うわけでもなく平然と、ただの通り道だとでも言うように。
ほんの少しだけ空気を散らして、また外へと出ていく。
そんなことを延々と繰り返している。
「……」
ただの風が部屋に吹き込んだだけなのに。
それでも無性に、何故か、疲れる。
1人静かに、何をする訳でもなく、部屋にいるだけ。
それだけなのに、酷く、それはとてもひどく、疲労に襲われるのだ。
「……」
ふと、窓から視線を外し、部屋の中へと移してみる。
―“視線を移す”ということは、つまり眼球を動かすということで、それすらも面倒臭い。
「……」
移された視界に入ってきたのは、真っ白で綺麗にされたキッチン。
水垢一つないのではないかと思うほど、綺麗な。
まぁ、この部屋に来てから使用したことなどないのだから、当たり前といえばあたりまえなのだが。
そして、その壁や台の上に、一生使われることのない調味料の数々。
誰が、いつの間に揃えたのかなどは知らない。
胡椒の入ったミル、ピンクや白、白黒、赤、オレンジなど、この部屋にとても似つかわしくないようなカラフルな塩瓶。
塩と言えば真っ先に白が思いつくものだが、こんなにも種類があるのかと感嘆を抱く…かもしれない。
あとは砂糖に、これまた色とりどりなスパイス類と思われるもの。
全て中身が見えるような、透明な陶器に入っていて、見る人が見れば感動を覚えたのではないかと言うほどの揃いよう。
「……」
それに飽きたのかどうかは分からないが、視線は無意識に自分のすぐ周辺の景色へと移される。
床には何一つ落ちていない。
真白な床が、その白さを保ったまま平然とそこに居座っている。
「……」
自分のすぐ横には、正方形の、これまた白いテーブル。
―ただ、その上だけは異様な程にものが散らかっていた。
まるで、そこだけ別の空間のように散らかっていた。
中身は全て黒なのに何本も何本も転がっているボールペンやマーカーペン。
黒の鉛筆―これは硬さが違ったりするのだがーにシャープペンシルと言われるものなど、机の大半をそれらの“かくもの”が占めていた。
「……」
その道具の隙間を埋めるように、丸や四角や三角といった、これは様々な形をした、チョコレート菓子などが置かれている。
別段、それを食べるわけでも、ペンを持って何かをかくわけでもない。
「……」
だが、何故だか不思議と心が安らぐのは何なのだろう。
別段、チョコは好きではない。むしろ甘すぎるのは苦手だ。
描くことはあっただろうか、それは趣味の範囲でありすすんで描こうとは思わない。書くことも同様に。書くことはむしろ嫌いだ。
だがしかし。
この異様に綺麗で美しい、真白な部屋にある散らかった真黒なテーブルというものは酷く落ち着くのだ
「……」
「……」
「……」
一体いつからこうしていたのか忘れたが、どうやらこの美しい時間が終わりを告げるようだ。
いつからそこにあったのか、そもそも最初からあったのか、認識すらしていなかったが。
丸い、時計が、これまた針も書かれた数字も全て真白な―それでも時間というものを分からせてくるそいつが、終わりを告げようとしていた。
「……」
この部屋ともおさらばか。
いや、完全な真白ではなかったか。
調味料は、とてもカラフルだったし、机は真黒だったし。
あの色とりどりの調味料達は、この空間で私に安堵は与えずとも疲労を与えてくれた。
「……」
あぁ、でもこの机だけは忘れたく無いものだ。
この部屋で唯一、私に安堵を、安心を、与えてくれたものだから。
はたまた、これらに関する何かが私の奥底にあって安堵と言うよりは恐怖を覚えてしまっていたからか。
この部屋の中に存在する、この真黒なもの達が。
「……」
もしかしたら、後者の方が正しいのかもしれない。
私は、チョコは“あまり好きではない”と思っていたけど、“とても嫌い”なのかもしれないし、画家又は作家として体を壊したのかもしれない。
どちらにせよ、この部屋から離れないと分からない事なのかもしれないが。
しかし、この部屋のことを覚えていられるかどうか。
「……」
忘れるだろうな。
「……」
「………」
「…………」
「……………」
いつの間に閉じていたのか、真黒な世界から開けた瞳に映るのは真白の部屋。
「……」
酷く、疲れる夢を見た気がする。
嫌に体が重い。
ゆっくりと頭を持ち上げ、周囲に目をやる。
静かな風が、部屋の中へと吹き込んでいた。