01-07.怪物図鑑
ずば抜けた魔獣討伐数により、4年という短い歳月で2等陸士から2等陸尉までたたき上げた沖沢タモツには不思議な才能があった。
というのは、初めて見た怪物でもその弱点となるポイントが直感的に分かる、というものであった。
魔獣の多くはおおむね地球上の動物たちと身体の構造が大きく違っているわけではなかったから、頸動脈や大腿動脈などに狙いをつければ間違いないのは当たり前だったのだが、まれに出現する植物型の怪物などを見ても、タモツにはその弱点が直感的に分かった。
最初はまぐれが続いただけだと思っていたのだが、やがてその資質は怪物たちとの戦いにおいて他の隊員とは顕著な違いとして現れ、気づいてみれば<魔獣殺し>などという仰々しいあだ名がつくまでになっていた。
タモツはその功績によってとんとん拍子に出世して行き、勇猛さによってタモツの背中に食らいついていたハジメを引き離して小隊長にまで上り詰めていた。
「小隊長はすごいですね。なんでいつもそんな風に的確に怪物の弱点を見抜けるんです?」
部下の興味深そうな問いかけは、おだてなどではなく真摯な疑問のようだった。
「どう説明したらいいのかなあ。突くべき場所が光って見えるというか、ここだ! ってわかるんだよね」
タモツは我ながら、あんまり信じてもらえなさそうな説明だと思いながらそう答えた。
「はあ。それって、異世界自衛隊の教範として怪物図鑑みたいなのにまとめてくれたらありがたいのに」
「!! それだっ!」
タモツは思わず部下の手を取って叫んだ。
怪物と戦うことと引き換えにトラホルンの国力に依存してばかりの異世界自衛隊であったが、10年ほど前から南西部のトラザムで紙の生産が開始されていた。
それらは異世界自衛隊内の書類業務に運用されていたが、半数ほどはトラホルン国内にも売りに出されて異世界自衛隊の利益になっている。
さすがに活版印刷の技術などは無かったから本の大量生産とはいかなかったが、写本を作って各駐屯地の連隊に1冊ずつ、あるいはもうちょっと複写を頑張って中隊に一冊ずつくらいなら増産できるかもしれない。
「誰か絵のうまい隊員に怪物の絵をかいてもらって、それに僕が弱点を示したり、注釈をくわえれば図鑑のようなものが作れるね!」
「それはいいですね! 子供向けの怪獣図鑑みたいなやつだ。それなら3中の安部って奴がいいと思いますよ。現実世界に居たときは2任期で辞めて漫画家になろうと思っていたみたいですから」
「3中の安部君か。確か今こちらでは3曹だったかな。ありがとう、あたってみる」
タモツはとりあえず第1中隊の隊長に思い付きを提案した。
1中隊長は戸田冴子連隊長にその案を通し、3中隊長経由で安部3曹の身柄をタモツのもとに借り受けた。
やってきた安部は小柄で筋肉質の男で、人付き合いが苦手そうな感じの青年だった。
しかし、タモツが熱心に自分の考えを説明して協力を頼むと、
「自分の絵が異世界自衛隊全体の役に立つなら」
と、協力を快諾してくれた。
タモツと安部は本に掲載する怪物のリストを作り、本の構成について吟味した。
見開き2ページで一種類の怪物について書くことを基本とし、ページは左開きとした。文字は横書きで、左側はイラストのページだ。
そして、右側には怪物の習性や攻撃パターンなどの詳細をタモツが書いていく。
トラザムでの生産が安定してきたとはいえまだまだ貴重な紙だったが、ラフスケッチなどには惜しみなく使われた。
安部は戦闘経験がまだそれほど豊富とは言えなかったので、直接目にしたことのない怪物をタモツの説明によって想像で描くことも多かった。
タモツは小隊長としてその業務だけに専属でとりかかるわけにはいかなかった。
ラフスケッチでタモツがゴーサインを出したものを、安部は時間をかけて仕上げにかかった。
その完成を待つまでの間、タモツは第1中隊第1小隊に割り振られた出撃任務を普段通りにこなしていた。
そして、課業外には安部が完成させたイラストに急所を示す丸印をつけたり、右ページに載せるための解説文を書いて過ごした。
タモツと安部が製作した異世界自衛隊初の教範「怪物図鑑」は、とりかかってから3か月後にようやく原本が完成した。
ここからが大変で、各連隊に配るための複製本を作っていかなくてはならない。
文章を書き写すだけならタモツ以外の誰かでも事足りたが、絵を写すとなるとそれは誰でもできるわけではない。
結局安部はそれからずっと、自分の描いた怪物の絵を複製する作業に拘束されることになった。
「君には随分と負担をかけてしまうことになるけど、大丈夫かい?」
「いいえ、とんでもない。この異世界に来て、一日中絵を描いて飯が食える日が来るなんて思ってもみませんでしたよ」
安部は心底楽しそうに、タモツに向かってそう言って笑ってみせた。
最初は人見知りのようでとっつきの悪い印象だった安部は、共同作業を通じてタモツに随分と心を開いたようだった。
「安部君は本当に絵を描くことが好きなんだね」
「そうですね。あと、物語を作るのが好きだったんですよ。それで漫画家になりたくて」
「なるほど。それでイラストレーターではなくて漫画家志望だったんだ」
「ちなみに、どんな漫画を描いていたの?」
「目指していたのは王道の少年漫画ですね。なんらかの超能力を持った主人公が活躍するー、みたいな」
「週刊少年ダイブみたいな? うちには中学生の娘が一人いたんだけど、男の子向けの漫画が大好きな娘でね」
「はい、まさにそれです。高校の時にダイブの棟塚賞に応募して佳作までは行ったことがあるんです」
「すごいね! なんで漫画の専門学校とかにいかないで自衛隊だったの?」
「家に金が無かったんですよねえ。あと、将来的にミリタリー色の強いものも描いてみたいなーと思っていたんでその勉強のつもりで。それがまさかこんなことになるとは思いませんでしたけどね」
「そうなんだー」
新たな教範を作るための一時的なタッグとはいえ、こうしてパートナーになった安部と心が近づいたようでタモツは嬉しかった。
安部はそれから1か月かからずに2冊の複写本のための絵を描き終え、文字部分の複写を手伝ってくれた第1中隊の陸曹たちの手によって原本と同じようにそれらは綺麗に製本された。
「理想を言えば各連隊の各中隊にまで配りたかったけど、このペースだとそれはちょっと無理だね」
「絵のクオリティを落として量産型にすれば、数はなんとかなります。ただ、いいんですかね? 自分戦わないで絵ばっかり描いていて」
「この教範はこれからずっと異世界自衛隊の役に立つものだと僕は信じるよ。これは君にしかできない立派な仕事だよ」
タモツは請け合った。
それから作業の進捗状況を戸田冴子連隊長に報告し、教範の実物を見せた。
「これは素晴らしいものを作ったな沖沢」
「絵を描いてくれた安部3曹の功績が大きいです。彼を2等陸曹に推挙します」
「うむ。それは検討しておこう。絵のクオリティを落とせば量産できるということだったな。ぜひそうしてくれ。任務の継続を命ずる」
「了解しました。絵を簡素化させて15冊の複写を目指します。文章の複写を手伝ってくれる陸曹の数を3人増やしてもらえないでしょうか」
「よかろう」
その後の複写作業は順調に進み、任務の開始から半年後に3冊の教範と、15冊の簡易版が完成した。
この「怪物図鑑」は第3連隊はもちろんのこと、他部隊にも大きな反響を呼んだ。
この功績によりタモツは1等陸尉へと昇進することになった。
同時期に異世界自衛隊では組織変革のために技官制度を導入することを決めており、前線に出て戦いたくない者や、特殊な技能を持った者が自衛官ではなく技官という道を選ぶことができるようになっていた。
意外にも1中隊長が技官を志願したため、タモツが繰り上がりで小隊長から中隊長職に就くことになった。
「今まで部下を叱咤してきたのに自分が戦いから逃げるようで申し訳ないが、部下の死を見るのが嫌になっていてね」
前任者の中隊長はタモツに申し送りを終えた後にぽつりとそう言った。
「お気持ちは理解できます。逃げるという事も無いでしょう。ただ、歩む道が変わるだけだと思います」
「ありがとう沖沢君。これからはトラザムの紙工場で紙を生産して暮らすよ」
「今までありがとうございました。お元気で」
タモツは旅立つ前中隊長を見送った。中隊長は駐屯地間をつなぐ定期便の馬車に便乗して移動した。
申し受けを終えたことを戸田連隊長に報告し、正式に中隊長職を拝命したのちタモツは新たに自分の部屋となった中隊長室に戻るところだった。
「ちゅうたいちょおおおっ。ちゅうたいちょおじゃないですかあっ」
人気のない廊下でハジメがうざ絡みをしてきた。
「なんだよハジメっ」
「がんばって幹部になって階級を追いつこうと思っていたら、また引き離されたから悔しいんだよぉ」
「今与えられている補給業務をまじめにやれよ。必ず誰かが見ているから」
タモツは我ながら面白くもなんともない言い草だと思ったが、それは真理だと考えている。
「あー、もう。俺も技官になろうかなあ」
「思ってもみないことを言うなよ。絶対に向いてないだろ」
「早く前線で戦いてーっ。小隊長になりてーっ!」
「いずれ出番は回ってくるさ。ハジメに相応しい活躍の場がきっとくるよ」
タモツは無難にハジメをなだめた。
その時はタモツも本気でそう信じていたわけではなかったのだが、その言葉は少しののちに予言のように実現することになる。
方面総司令部が異世界自衛隊の変革案として考え出したのは、技官制度の導入だけではなかったのだ。
<特務隊>。
現実世界の自衛隊には存在しなかった、新たな特殊部隊の新設が立案されていた。