05-01.半年前の初夏
時は半年ほどさかのぼる。
特務隊を去った押井サブロウ一行が国外へと旅立って行った直後の頃である。
ある初夏の季節の日のこと、沖沢タモツはとある悩み事を抱えていた。
タモツは異世界自衛隊カリザト駐屯地に勤務する1等陸尉であり、第3普通科連隊第1中隊長でもあった。
怪物の急所を巧みに探り当てるという類まれな特技と、現世では防衛大学出身の連隊長であったという頭脳を誇り、柔剣道の有段者でもある。この異世界にあっては秀でた魔獣討伐数を誇り、ついた渾名が<魔獣殺し>。
そんな沖沢タモツが、今、誰に相談することも出来ずに一人でうじうじと悩んでいることがあるのだった。
(最近、戸田連隊長とハジメがすごく仲が良く思える……)
という、まあ、一言で言ってしまえば恋の悩みであった。自分自身ではあまり認めたくないのだったが。
過ぎ去りし陸士時代に、タモツの盟友である木下ハジメは、
「お前だけに打ち明けるぞ」
と言って、彼が心ひそかに抱いていた野望の話をしてくれたものだ。
それは、
「俺はこの世界で王になる!」
という、なんとも度はずれた目標だった。
初めて耳にしたとき、タモツは心中で密かに「こいつは頭がどうかしているのか!?」と大声で叫んでしまったことを今でも覚えている。
しかし、それは態度や口に出すことなく、
「それはまた、ずいぶんとでっかい夢だなあ」
と無難に返しただけだった。
その後、もちろんタモツはハジメから打ち明けられた夢のことについては誰にも口外しなかった。
(まあ、夢は持つならでかいほうがいいというしなあ……)
などと思いつつ年下の友人を見守ってきたつもりであったが、特務隊でのハジメの活躍を見るにつけ、あの日の野望に向かってハジメは着実に突き進んでいるようにも思われた。
で、今日である。
連隊長室に用事があって部屋の前まで行ったタモツは、中から漏れ出てくるハジメの大きな声を聞いてしまったのだ。
立ち聞きをするつもりではなかったのだが、うっかり聞いてしまった。
あの日、
「お前だけに打ち明けるぞ」
と言ったはずの「王になる!」という夢の話をハジメが面白おかしく戸田冴子に向かって語っているのを。
タモツはショックを受けて、思わず連隊長室から引き返してしまった。
自分でも何がショックだったのかよくわからないまま、タモツはするーっと連隊長室から遠ざかって、建物から外に出た。
ちなみに現実世界での勤務隊舎とは違ってコンクリートの重層建築物ではなく、<隊舎>と通称されるのは平屋の建物群であった。
連隊長室のある<連隊本部>と呼ばれる建物を出て、タモツはそのまま第1中隊長室のある<中隊本部>へと戻り、中隊長室の椅子に座って頭を抱えながらため息をついた。
――と、こういった経緯があったあとの今が、今この時であった。
連隊長決裁をもらう予定だった書類をデスクの上に放り出したまま、タモツはもう一度ため息をついた。
(何をやってるんだ僕は……)
少しだけ冷静になってタモツは自分自身を客観視しようとした。
何がそんなにショックだったのかと考えてみたが、ハジメに裏切られたような気になったというのはある。
だが、もっと心をゾワゾワさせたのは、
(戸田連隊長は、もしかして、ハジメのことを異性として好きなんじゃないか?)
という疑念であった。
木下ハジメは背も高いし男ぶりもいいほうで、学はないが頭の回転は速くて話も面白い。
普段は無表情な戸田冴子2佐が、ハジメと話しているときは楽しそうに見えるし、時折笑ったりもする。
他の人がいないときは「サエちゃん」なんて呼ばれ方をしても気にしたそぶりがない。
それに比べて自分は未だ「セクハラの罪」を償っていないとして、サエちゃん呼びは許可されていない。
そんなことを考える一方で、
(駄目だ駄目だ、何を考えているんだ。僕には現世に残した妻と娘が!)
などと思ったりもする。妻のみどりと娘の葵は、突然いなくなって何年もたつ自分のことをどう思っているのだろうか……。
タモツがそうやって一人で懊悩していたところ、中隊長室のドアがノックされた。
応答すると中隊本部付の陸曹が入室してきて用件を告げた。
「特務隊長の木下ハジメ3尉がご来訪になりましたが、『昼休みにサテンで待ってる』とだけ告げられて行かれました」
「ん……。ああ、そうか。わかった、ありがとう」
旧制服や旧作業服を着こんだ一般隊員たちとは違って現地風のいでたちをしているハジメは、中隊の隊舎に入ってくることは遠慮したのだろう。
機械式の時計がない異世界では駐屯地各所に設置された日時計で大体の時刻を知るしかないのだが、窓から見える日の高さからみてそろそろ昼休みをとっても良いころだと思われた。
連隊長決裁を昼休み前に滑り込むか少し迷ったが諦めて、タモツは昼休みをとることにした。
先ほどの悩みのせいでハジメに会うのはいささか気まずかったのだが、待っていると言われてはすっぽかすわけにもいくまい。
タモツは駐屯地の裏門を抜けて官舎村へと歩いていき、通称<サテン>といわれる喫茶店に向かった。
伝言にあった通り、ハジメはそこでタモツを待っており、サテンのど真ん中の席に堂々と陣取っていた。
「よう、来たかタモツ。久しぶりだな!」
ハジメは飲み物の入った木のコップをテーブルの上に置いて、タモツに向かって大きく右手をあげて見せた。
「ああ、ハジメ。久しぶり……」
タモツがハジメの真向いの席に座ると、ハジメは「ん~?」と怪訝そうな表情でタモツを見やった。
「なんだお前、表情が暗いな。何か悩み事か?」
(す、するどいっ!)
タモツは思わずドキリとした。こういうところ、ハジメはなかなか明敏なのである。
「な、なんで?」
タモツは慌てて取り繕おうとしたが、ハジメはニヤニヤしながら追求してきた。
「どうせアレだろ? サエちゃんのことだろ?」
「な――!」
取り繕う間もなく直球で言い当てられてしまい、タモツは思わず絶句した。
「とっとと告白して付き合っちまえばいいじゃねえか。歯がゆいなあ」
「こ、こ、告白!?」
「好きなんだろ、サエちゃんのこと」
「ぼ、僕には現世に残してきた妻と娘が……」
「いい加減諦めろよ。現実世界にはもう戻れやしねえよ」
ハジメは極めて冷徹に、ただの事実を告げるだけだという口調でそう断言した。
「もし今後いつか戻れたとしてだ。失踪してから何年も経ってるんだし、もう元の関係には戻れねえよ」
ハジメは追撃した。
「もう向こうじゃお前のことは死んだものと思って新しい生活を始めているさ」
「……」
これについてはハジメの言い分が正しいだろうというのは、タモツも思う。
だが、いつか元の世界に帰れるかもしれない、帰りたいというのをずっと心の支えにしてきたつもりであった。
「奥さんと娘さんのことはもう諦めろ。そんでもって、こっちの世界で幸せを見つけろよ。さしあたってはサエちゃんと付き合え」
「付き合えって言ったって……」
タモツは言いよどんだ。
「戸田連隊長は上官だし、年齢だってまだ若い。僕のほうはと言えばもうすぐ還暦になろうとしているんだよ?」
「え? だってお前ら現世では同い年だろ? お互いに好きだったら何も問題なくないか?」
「え……?」
「俺が今日探りを入れてきたところでは、サエちゃん連隊長の方もお前のことはまんざらでもないみたいだったぞ」
「え? え?」
「だからぁ、お前とサエちゃんの仲がいっこうに進展しないことを危惧した俺とカナデが、今日はわざわざ……」
と、そこまでハジメが言ったところで、サテンの入り口のドアがカランカランと音を立てて開き、大股で大柄な女性がずんずんと中に入ってきた。ハジメの副官である特務隊員の愛内カナデ曹長であった。
カナデはハジメの2歩前まで近づいて、びしぃっ! とした10度の敬礼をしてみせたのち、
「愛内カナデ曹長は、戸田冴子連隊長に対する調査任務を終了して、戻りましたっ!」
と、言った。
「調査任務?」
と、思わずタモツはつぶやいてカナデを見やった。
カナデはタモツに向かっても10度の敬礼をして見せたのち、
「はいっ! 希望のデートコースに関する調査です」
「でーとこーす?」
「今日はとことん鈍いなタモツよ。お前がサエちゃんを誘うとしたらどこがいいのかって話だよ」
「はいっ、その通りです!」
「で、結論は?」
「はいっ、王都以外ならどこでもいいそうです!」
「へー」
ハジメは「そーなんだー」という顔をしてから、思わず確認した。
「え? なんで王都はだめなの?」
「えーと……ですね、カナデちゃんは一応知っているんですけど、いつか本人に聞いてみてください」
「あっそ。まあいいや。どこでもいいっていうのは困ったな」
「そーですねー。でもでもぉ、それは好きな人と行くんだったら場所はどこでもいいかなー、っていう意味じゃないでしょーか!?」
「そういうもんかねー。だってよ、タモツ。どうする?」
「どうする? と言われても……」
タモツは困った。ここまでお膳立てしてもらったからには、いわゆるデートのお誘いというやつをしてみないわけにはいかないのだろうか。
「どーしたんですか? もしかして断られるのが怖いんですか?」
「うん……、まあ、そう」
「大丈夫だと思うけどなあ、俺は」
「あー、わたしもそう思いますぅ!」
「まあ、断られたら断られたじゃね? 何か失うわけでもないんだしさ」
「いやー、だって恥ずかしい」
「何を言ってんだよその年で」
カナデはタモツに向かっていきなりびしぃっ! と右手の人差し指を突き付けて言った。
「故事いわく! 虎穴に入らざれば虎子を得ずっ!」
「おおっ。なんだ。あれか。頑張らないと結果は出ないみたいな意味か?」
「まあ、だいたいそんなところです!」
タモツは面くらって軽くのけぞりつつ、小さな声で言った。
「あー、いやー、じゃあそのー、頑張ってはみます……」