04-07.新たなる年
それから月日が経過し冬がやってきて、トラホルン歴494年が明けた。
異世界自衛隊は現世に習って毎年ささやかな正月の催しを行うのが例年の習いであったが、今年はこの年明けに合わせて異世界靖国神社の建立を間に合わせ、カリザト駐屯地においては正月の祝いを例年よりも盛大に行うこととなった。
正月祝いのイベントには異世界方面総監である棟方陸将からの訓示と、晴れて異世界靖国神社祭祀長となった森本モトイからの挨拶が始めに行われた。
陸将からの訓示は型通りの厳かなもので、隊員たちは姿勢を正してそれを拝聴した。
一方で、森本モトイのスピーチはユーモアを交えた柔らかい語り口で、隊員たちの間からは幾度か笑いが沸き起こった。
元総理大臣であるという経歴については、森本の総理時代を知らない早期の転移者、転生者たちの間にもすでに語り草となっていた。
異世界靖国神社における業務がない時には駐屯地カウンセラー室で隊員の悩みなどに答えてきたのだが、実際にすでに何人もの隊員たちが森本との面談を行っており、その評判は上々だと聞き及んでいる。
元総理大臣という経歴を鼻にかけることなく誰にでも丁寧に接する森本の印象はすこぶる良いようで、すでにカリザト駐屯地の中には少なくない数の森本ファンが形成されている、とも聞いている。
ありがたいことだ、と森本は思う。
その一方で、これは森本モトイが胸に抱く野望の第一段階でもあった。今のところ、それは森本の目論見通り順調に進んでいると言える。
スピーチを終えてにこやかに壇上を降りながら、森本は次なる目論見について思いをはせていた。
<新日本国>と仮称される、異世界に漂着した日本人たち――それはすなわち森本のようなイレギュラーをのぞいては全てが陸上自衛官であったのだが――の、第二の祖国となるべき新国家設立への道であった。
その新たな国家体制については、森本も参加した幾度とない話し合いの結果、共和制を敷くことでおおむね決まりつつある。
国家元首に大統領を置き、その下に政治的指導者としての総理大臣を置く。
森本が現在熱望しているのは、その<新日本国>の初代大統領という地位であった。
そのために森本は異世界自衛隊の上層部に強固な人脈を築き、隊員たちの間に広く人気を得るべく腐心してきたのである。
隊員たちから起こる拍手に対して10度の敬礼を一度して見せながら、森本は確かな手ごたえを感じていたのだった。
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カリザト駐屯地が正月と異世界靖国神社建立の祝いに沸き立つ中、ところ変わって王都ボルハンの中心部にあるタラス砦である。
木下ハジメ率いる特務隊の本拠地であるこの砦の中でも、トラホルン歴元日を迎えてささやかなセレモニーと通達とが行われていた。
セレモニーと言っても、そこは自衛官らしからぬ自衛官を身上とする特務隊である。
愛内カナデ曹長を司会進行役として隊長のハジメが型通りの訓示を言ってみた後、各係が今年の抱負を述べるにあたっては誰もがちょくちょくと笑いを入れて来たりなどして終始和やかなムードで進行していた。
が、最後の締めの段階になって、ハジメがスッと右手を顔の横にあげて隊員たちの沈黙を待った。
これは木下ハジメが特務隊員たちに向かって何か重要なことを話すときの合図となっていた。
「年明け前に正式に通達があったことなんだが、まあみんなよく聞け」
隊員たちが完全に静まるのを待ってから、ハジメは静かな、だがよく通る声色でそう言った。
「我々特務隊は春の雪解けを待って、イェルベ川西側地区への現地調査を開始する」
おおっ。と、隊員たちがどよめいた。いよいよか、と。
そこは<新日本国>と仮称される新国家の新たな領土となるべき、未だどこの国の所有でもない辺境地帯である。
トラホルン国が過去に何度か開拓団を送り込んだという話もあるのだが、いずれも壊滅の憂き目にあっているという。
それゆえ、異世界自衛隊とトラホルンとの協議の結果、日本人たちがその領域を開拓して自分たちの土地とするならばトラホルン側としては特に異議は差し挟まない、という言質を得ていた。
「まあ、良く言えば俺たち異世界自衛官にとってのフロンティアだが、言い換えるとトラホルンが所有をあきらめた魔境ってことだ」
ハジメは思わず微苦笑してそう言った。
「その辺境地帯を開拓するにあたっての、これは重要な調査任務だ。現地の地図を横田が作り、他の面々は横田を全力で死守する。どんな魔物が生息しているのかってことも実際に当たってみて記録して帰ってくる。とんでもなく危険な任務だが、これをやり遂げられるのは俺たち特務隊しかいねえ。わかってるな、お前たち!?」
うっす! うぇいっす! イェッサー! などなど、統一感に欠けるが力強い応答が隊員たちから返ってきた。
「じゃあ、新年のご挨拶については以上でおしまいとなりまーす。引き続き、宴会に移りたいと思いまーす」
司会進行役のカナデがそうしめくくり、特務隊はいったん解散して宴会の席へと移るのであった。
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「いよいよ新年の始まりか」
なにげなく、ぽつんと戸田冴子連隊長はそう言った。
応答するべきなのかただの独り言なのか少しの間迷ってから、沖沢タモツ1尉は、
「いよいよですね。昨年は色々ありましたが」
と、極めて無難な応答を返してみた。
「ふむ。だが、今年からは昨年以上に様々なことが動き出すぞ」
戸田冴子2佐はじろっとこちらを見やって続けた。
「木下率いる特務隊が、今年の春からいよいよイェルベ川から西の辺境地帯に入る予定だ。<新日本国>建国プロジェクトも動き出す」
「特務隊が?」
「そうだ。この調査任務をこなせるのは特務隊しかないからな。というより、そもそも特務隊創設の真の目的がこのイェルベ川西側地区での現地調査だったのだ。トラホルン国内での積極的な魔物討伐は、いわばそのための訓練に過ぎん」
「そうだったのですか!? それは知りませんでした……」
「とはいえ、黒竜討伐などという大成果を上げるとは上層部も想定外のことだったろうが」
「特務隊が乗り込んだのを皮切りに、第二次、第三次の調査部隊が現地入りし、その後はイェルベ川を渡して仮駐屯地建設のための資材を運搬することになるだろう。三個駐屯地の施設科部隊がすでに建設計画を打ち合わせていると聞いている」
「急激に動き始めますね。てっきりもっと時間をかけて少しずつ出来ていくのかと思っていました」
「いや、5年でこしらえるのだ。そうしないと間に合わないからな」
「え? なにがです?」
タモツは話が分からず、思わず聞き返した。
「……沖沢よ、今年はトラホルン歴何年だ?」
唐突に冴子がたずねてきた。
「えー……。493年……じゃないや、494年ですね?」
「方面とトラホルンの話し合いで、新日本王国の建国元年をトラホルン歴501年と合わせる、という結論に至ったのだ」
「あー! なるほど、それなら相互に暦が分かりやすいですね」
「そういうことだ。方面はこれまで長い時間をかけてことを準備してきたが、ようやくそれも整った。トラホルン歴501年の元日に<新日本共和国>は建国宣言される」
「新日本共和国……」
沖沢タモツは不思議な言葉を聞いたように、戸田冴子が発したその語句を繰り返した。
その耳慣れない国名こそ、この異世界に転移転生した陸上自衛官たちの新たな祖国となるべき国の名であった。
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トラホルン王国が新年を迎えた翌日、王位第一継承者である長兄のジェラール王子は35歳の若さで天に召された。
原因は落馬であった。急に馬が棹立ちになって振り落とされ、後頭部から地面に落とされたのだと目撃者たちは口々に言った。
王子の親衛隊は面目丸つぶれであったが、馬が吹き矢などによって攻撃されたという形跡はなかった。
武勇を誇り乗馬を愛したジェラール王子にとってははなはだ不名誉な最期となってしまったのだったが、これはただただ純粋に不幸な出来事であるといって良かった。
トラホルン王家はしばらくの間戒厳令を敷き、第一王子の死を民衆へはひた隠しにした。
トラホルン王ドラハムには四人の男子がいたのだが、王位継承順は兄弟の年齢順とは異なっていた。
次男であるギスリムが正妃の子ではなく妾腹の生まれだったからである。
したがって、第一王子だったジェラールの次の第二王子は三男のパロム、第三王子は末っ子のジルダットとなっていた。当然ながら、魔導師の塔を預かるギスリムは第四王子だったのであった。
国王ドラハムの憔悴は甚だしく、侍従の女官たちが哀れを催して泣き出すような始末であった。
元来頑健で筋肉質だった国王がまるで二回りも小さくなったかのように見え、王子の死の翌日には一夜にして十は老け込んでしまったかのようであった。
そしてその国王陛下、自らの父でもあるその人の玉座の前にギスリム・ハールバルム王子は今、立たされていた。
(私に兄殺しの嫌疑でもかけられているのだろうか?)
と、ギスリムはいぶかしんだ。そんなことを一度として考えなかったかと言えば噓になるくらい、長兄と自分との間には確執があった。
だが、誓って自分はやっていない。と、ギスリムは内心でひとりごちた。
けだるそうにうっそりと、まるで生きる希望を無くしたかのような態度で国王はこちらを見やった。
ギスリムは真顔で直立不動して、ただ父の言葉を待った。
しばらくして、ドラハム国王はギスリムを見ながら言った。かすれた、想像以上に力のない声だった。
「話というのは他でもない。パロムとジルダットの腰抜けどもが、第一王子の座を辞退しよったのだ」
「!?」
ひどく聞き取りづらかった父の言葉は、飲み込むのにしばらく時間がかかってしまった。
「この国の長い歴史の中で、妾腹だった王子が国王の座を襲ったことは何度かある。今までに示してきたお前の手腕、臣民からも異論はなかろう。我が子ギスリムよ。今日からお前がこの国の第一王子となれ」
「――!!」
ギスリムは思わず絶句した。