04-03.戸田冴子の危惧
ある日の昼下がりのことであった。
教育隊長の臨時職を解かれて第三普通科連隊第一中隊長へと復帰した沖沢タモツ1等陸尉は、連隊長室で日常業務に関しての報告を終えたところである。
「各種状況については了解した。引き続きよろしく頼む」
きわめてビジネスライクに連隊長戸田冴子2佐はそう言って、書類の束をタモツのほうへ返してよこした。
それから、少しばかり違う声のトーンでタモツに向かって続けて言った。
「……ところで、話は変わるがオキザワ」
「はい」
「貴様、森本元総理大臣、今は森本技官か。この人物をどう見る?」
「人柄についてですか?」
タモツはまじまじと冴子の顔を見つめて問い返した。
「一個人としてというより、公人としてと言おうか。この世界に転生する以前に私は森本モトイの著書を何作か読んだことがあったのだが……」
「はい。私も数冊読んだ覚えがあります。自衛隊の国軍化を目標に掲げていたと記憶しています」
「そうだな……」
珍しく歯切れの悪い調子で冴子はつづけた。
「これは私の考えすぎなのかもしれないが、私はその著書を読んだ時に、この人の考えは危険かもしれないと思ったものだ」
「そうでしょうか。自衛隊を軍隊とも公務員ともつかない宙ぶらりんの組織にとどめておかずに、軍隊として軍法会議ももうけてシビリアンコントロール下におく、というのは良い考えではないかと私は思いましたが」
「個人的に、私はそうは考えていなかったのだ」
「と、言いますと?」
「自衛隊を理想化していると言わば言え、オキザワ。アメリカの都合がきっかけで出来上がった組織とは言えど、私は自衛隊という組織を<世界に類のない、新しい形態の組織>であると思ってきた。出来損ないの軍隊などではなくな」
「なるほど」
タモツは少しの間考えて、冴子の言い分を噛んで含めるようにして、それから飲み下した。
「それは、私自身も少なからずそのように信じてきた、信じたがって来たようにも思います」
「現状の自衛隊の在り方が様々なパワーバランスの下でかろうじて保たれている危ういものであることは確かだと思う。その点で自衛隊の国軍化という考えには理があるし、今や現世に戻れるかどうかもわからないこの世界にあっても、異世界自衛官の多くの賛同を得られる考え方かもしれないと思う。それはそう思うのだが……」
「森本モトイ氏の政治信条の先に、危ういものがあるのではないかと、そうお考えなのですね?」
タモツの問いかけに、戸田冴子は黙ってうなずいた。
「森本モトイの考え方を突き詰めると、アメリカや中国などの大国からの完全独立という考えに至ると私は読んだ。その行き着く先は何だかわかるか、オキザワ」
タモツはしばしの間考えた。
「大国であってもおいそれと手出しできない武力を持つこと、でしょうか?」
「その通り。つまりは日本の核武装という結論に至るのだ」
「それは……」
タモツは少したじろいだ。あらゆるアイディアを並列せよ、と言われたらそれは一つの考え方ではある。ただ、世界唯一の被爆国として核兵器の恐ろしさ、被害の悲惨さを語り継いできた日本国民の間にあっては、それは議論のまな板にあげることすら忌避される考え方である。
「私が転生した後に日本では大地震による津波で原発事故が起きたと聞いている。まさか日本がチェルノブイリのようになるとは思ってもいなかったが……」
「はい。それはもう大変な損害を被りました。全国の自衛官たちが災害派遣で入れ替わりに現地に赴いたものです」
「この世界に置いて異世界自衛隊が独自に核兵器、あるいはそれに相当する何かを手にすることは永久にないかもしれない。ただ、私は恐ろしいのだ……」
「森本モトイという人に権力を与えてしまったら、そのような兵器を手にすることを躊躇しないかもしれない。連隊長はそのように危惧されているということですね?」
「端的に言えばそうだ」
戸田冴子はうなずいた。
「お話は分かりました。森本モトイ技官は今のところ異世界靖国神社の神主になることが決定していますが、その職責の中には隊員たちの悩みを聞いたりすることも含まれるそうです。異世界自衛隊の上級幹部たちとの交流も深まるでしょうし、森本イズムを隊員たちの中に伝播させていく可能性は十分に考えられると思います」
「それは方面の決定でもう覆らないし、我々にはどのようにもしようがないな」
「そうですね。ただ、もし森本技官が権力を掌握して異世界自衛隊の中にシンパを形成していくとしたら、連隊長にできる対抗手段は今よりも出世することしかないと思います」
「ハハッ!」
冴子にしては珍しく、おかしそうに乾いた笑い声をあげた。
「今現在でも17歳で連隊長職を務めて、どこかからは妬まれたりしているはずだが」
「そうでしょうね。しかしながら、それしか方法はないと思います」
「……むう。まあ、頑張ってはみるか」
仏頂面で冴子はそう言った。タモツは一礼して連隊長室を退出した。
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方面総司令部に配属された森本モトイ技官は毎日精力的に職務をこなし、数多くの隊員たちと交流を深めていた。
異世界靖国神社という新部署の滑り出しは好調といって良かった。
当面の森本の待遇は中級クラスの技官であったが、靖国神社の神殿建立が終わると同時に最上級の待遇が約束されている。
(ふふふふっ……。素晴らしいっ! この世界は何もかもが素晴らしいっ!)
転移してきた最初こそ大いに戸惑ったものの、森本は徐々にこの世界が気に入った。
強いて言えば飯はまずいが、もともと森本は食にはさほどこだわるほうではなかった。人は食うために生きるのではなく、生きるために食うのだと森本は思っている。
まだ遠い未来のことではあるだろうが、森本は将来の青写真をこのように思い描いている。
まずは異世界自衛隊の主だった幹部たちの知己を得て人脈を形成する。
そして異世界自衛隊の中での発言力を高め、人々の信頼を得て、いずれは新日本国の初代大統領に選出される。
トラホルンからの独立を果たし、対等な同盟を結び直す。
そこから先は、トラホルンがどう出てくるかや、その時の国際政治の状況にもよるから何とも言えないが、ひとまずはここまでが森本の果たしたい目標であった。
そんな中、森本は日課として運動のため朝早い時間にカリザト駐屯地内をウォーキングしていた。
森本の住まいはカリザト駐屯地に隣接した官舎村の一軒家であったが、朝に裏門をくぐってカリザト駐屯地に入り、駐屯地をぐるっと三周して異世界靖国神社の建設地の前で生理体操をして運動を終えるのであった。
(……、モト……総理)
そんなある日の朝、体操をしていたさなかにふと、誰かに声をかけられた気がして森本はハッとした。
(……モトイ元総理)
「誰だっ!?」
森本は思わず後ろを振り返って声をあげたが、あたりには誰の姿も見当たらなかった。
(……森本モトイ元総理ですね? 私は今、あなたの心の中に直接話しかけています)
「なんだとっ!?」
(お返事は心の中でなさっていただければ大丈夫です。人目に付くと怪しまれてしまうでしょう)
(誰なんだ君は!?)
(お上手です。この通話方法は<念話>と言います。私の名は刈谷ユウスケ。はじめまして。以後お見知りおきを)
(刈谷ユウスケだとっ!?)
刈谷ユウスケ、というその男の名を森本は聞いたことがあった。
<自衛官殺し>の異名を持つ暗殺者。裏切者。
(……まあ、そんなところです)
苦笑いを含んだような波動が心のうちに伝わってきた。
思わず心によぎったことが相手にそのまま伝わってしまったらしい。
(その刈谷君がいったい私に何の用だね?)
いささかの居心地の悪さを感じながら森本は問いただした。
薄い笑いを含んだような刈谷の声が心に聞こえてきた。
(あなたとよくお知り合いになりたいと思って、この度はこうしてご挨拶いたしました)
(どういうことかね?)
(私はあなたの著書を、自分の転移前までに出版されたものはおそらく全て読んでいると思います)
(ほう?)
森本は少し興味をそそられた。
(中でも一番感銘を受けたのは「再出発する日本」でしょうか。経済の冷え切った希望の見えない時代に、国民を鼓舞する内容に胸を打たれました。私は今では事情があって日本人を辞めてしまいましたが、以前には人並みの愛国者だったもので)
(その事情というのをお聞かせ願えるかな?)
(ほかならぬ森本さんがおっしゃるならば。一言で言うとスカウトをされたのです)
(ほう?)
(これ以上はご容赦ください。あなたと良好な関係を築けたなら、いつかの未来に打ち明けるかもしれませんが)
(なるほど。して、私に接触してきた目的は?)
(情報交換の申し出です。異世界自衛隊の中でこれから権力を掌握していこうというあなたにとって、自衛隊の外の世界の情報は必要になるものではありませんか?)
(引き換えとして、私に異世界自衛隊の内部情報を漏らせ、ということかね?)
(聞こえの悪い言い方をすればそうなるかもしれないですね。私はただ、森本モトイ元総理大臣と個人的にお友達になりたいのです。言ってみれば異業種交流とも言えましょう)
(それは断らせていただこう。今や君は異世界自衛隊の明確な敵として認識されている。かたや私は異世界自衛隊の重責につこうとしている人間だ。組織の内部情報を君に漏らすのは明白な裏切り行為になるだろう。私はこれでも信義というものを大切にしているつもりなのでね)
(おっしゃることはよくわかります。これは私が大変失礼な申し出をいたしました)
刈谷はおもいのほかあっさり引き下がるようなことを言った。
(ではどうでしょう、毎朝私とこうしてお話をしてくださる、話友達になっていただけませんか。時間は短くて構いませんし、自衛隊の内部情報について聞き出すようなことは致しません)
(……)
森本はしばしの間考えた。思いを心の中で声にしないように気を付けながら。
(回答は急ぎません。明日の朝またお声掛けいたします)
即答がないとみるや、刈谷ユウスケはそれだけを伝えてきて、念話を打ち切ったようだった。
異世界靖国神社の建設地の前で、森本モトイ元総理大臣はしばらくの間、一人たたずんでいた。