04-02.森本モトイの道
森本モトイ元総理大臣の政治信条は昔から一貫していた。
大きく二つあげれば憲法の改正と、自衛隊の国軍化ということになる。
それは突き詰めれば戦後に日本を縛り付けてきた様々な制約から解き放たれること、最終的にはアメリカの庇護下からの独立を目指すものでもあった。
森本モトイはそのために日本の核保有もやむなしと考えていたが、それを議論のまな板にのせることさえ許されぬほど、戦後のレジームはいまだに日本人の思考を縛り付けていた。
(歯がゆい……。実に歯がゆい)
65歳という年齢は政治家としては決して老齢というわけでもなかったが、さりとて残された時間が潤沢にあるというわけでもなかった。
森本は総理大臣に選出された60歳からの3年間を、国政においては金融緩和を基軸とした日本経済の復活に活路を見定めていたが、外交によって国際社会における日本の存在力を示すことにより多くの力を割いた。
森本のなすべきことは多く、時間はあまりにも少なかった。
そんな中、森本の足元をすくうある出来事が起こった。
愛国教育を基軸にするという新たな小中一貫私立学校「友愛学園」の設立にあたって、その土地の確保に森本が不正に便宜を図ったという疑いが生じて大々的に報じられたのである。
森本は確かにその学校の理念に賛同を示してはいたが、不正に関与はしていなかった。
学校の設立予定地となった場所の土地の値段が不当に安かったというのは誤解で、その土地は過去にいわくのあった場所であるために買い手がつかなかった土地だったというのが真相である。
自己弁護のために森本の口からそれを言うわけにもいかず、森本はただ「不正は無かった」と一言だけを言って口をつぐむしかなかった。うかつなことに、学校の設立者が宣伝目的で森本の妻である八重子を取り込んだことに、森本はさしたる注意を払っていなかった。
森本が夫婦ぐるみで学校の設立に肩入れをしていた、と世間はみなした。
悪いことは重なり、森本は同時期に急激な体調不良に襲われ、胃の痛みで国会答弁中に気を失った。
緊急搬送された先で胃に穴が開いていることが分かり、さらに詳細な検査で初期の大腸がんが発見された。
現職総理大臣に対する疑惑で国会が紛糾する中、森本はやむなく総理の職を辞する形となった。
総理を辞してから2年が経ち、現在では森本の体調は回復している。以前から継続していたジム通いにも復帰し、政治家としての活動も再開していた。
さらに嬉しいことに、友愛学園問題については森本の不正な関与は認められず、無罪という判決が言い渡されていた。
復帰後の森本は、かねてから自著で問うていた自衛隊の問題に労力を傾けることにしていた。各駐屯地を慰問に訪れて隊員たちの話に耳を傾けたり、国土防衛や災害派遣についての様々な問題について精力的に執筆した。
そんな中、森本に「自衛隊駐屯地のイベントで一日自衛官になってみませんか」という話が飛び込んできて、森本はそれを快諾した。
森本の他にはなんとかいう女性アイドル、森本のよく知らない中年の男性作家がいたような気がする。
テレビ局の番組とタイアップした自衛隊の広報企画で、実際に戦闘服に着替えて持久走をさせられたり、射撃訓練をしたり、ヘリコプターの体験搭乗をするという企画であった。
もとより自衛隊や軍隊に対しては興味の強い森本であったから、それは非常に楽しい体験となった。いきなりの持久走で男性作家はへたばっていたが、森本は淡々と走り切ってみせた。アイドルの女の子が平然としていたのが森本にはちょっと意外だった。
ところで、森本の記憶はこの辺からはっきりしない。射撃訓練が楽しかったのは漠然と覚えていた。
その後、森本たちの乗ったヘリコプターは墜落した。
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「森本さん?」
名を呼ばれて森本モトイは追憶から我に返った。
「ああ、いや、申し訳ありません。訓練の疲れからか、ちょっとぼーっとしてしまいました」
「無理もありません。毎日よく耐えていらっしゃると班長達から聞き及んでいます」
小柄で柔和な雰囲気の、50過ぎの男はそう言ってほほ笑んだ。
今森本がいる部屋は教育隊の隊長室。デスクをはさんで森本と向かい合っているこの男は森本の教育隊長である沖沢1尉である。
穏やかな見た目に反して驚異的な魔獣討伐数を誇る猛者で、<魔獣殺しのオキザワ>の異名をとっているという。
教育隊長室に呼ばれた森本は椅子に座るように促され、続いて1等陸士への特別昇任を言い渡された。
森本の年齢や前歴に配慮してか、沖沢1尉は楽にしてくれるようにと森本に言った。
「森本1士」ではなく、「森本さん」呼びなのも配慮を感じさせた。
「特別昇任の件以外に、実は本題があります」
沖沢1尉は落ち着いた口調で切り出した。
「方面はあなたの今後について、他の隊員たちとは別の道筋を考えています」
「と、いいますと?」
「異世界自衛隊が技官制度の導入に踏み切ったことはご存じでしょうか?」
「聞いたことはあります。むしろ今まで無かったのが不思議なくらいですが」
技官というのが一般の自衛官と違って後方任務だけを担当する非戦闘員である、というくらいの認識は森本にもあった。
どの時代のどの国にも腰抜けや徴兵不適応者など、前線で役に立たない人間というものはいるものだ。そのような人間を有効に活用するためにも非戦闘員としての道は用意されてしかるべきだろう、と森本は思う。
「それともう一つ、方面は<異世界靖国神社>という、異世界で亡くなった隊員たちの慰霊を行う部署の創設を計画しています」
「ほう?」
森本は興味をそそられた。その話は初耳であったが、当たり前のように人が死んでいくこの世界で死者の慰霊は行われるべきだったろう。これまた、むしろ今までどうしていたのかと森本は逆に問いたくなったくらいである。
「それはつまり、この森本が技官待遇で異世界靖国神社に配置される、というお話になるのですかな?」
「ご明察です」
沖沢1尉はうなずいた。
「異世界靖国神社は亡くなった隊員たちの慰霊のみならず、生きている隊員の様々な悩みに対して相談に乗る、などの役割も考えられています。あなたの年齢、経歴などが活きる部署だと思われます。方面はあなたを異世界靖国神社の祭祀長、つまりは神主に推挙しています」
「ほう。なんと」
「この話、お受けになりますか? 返事は今すぐでなくても構いません」
「いや、この場でお引き受けいたします。願ってもないお話だ」
森本は前のめりになった。
「分かりました。方面にはそのように伝えます。一般隊員であれば自衛官となるための後期教育に進むところですが、あなたは前期教育終了と共にカリザトの方面隊付き中級技官として、まずは遇されます」
沖沢1尉は落ち着いた口調でそう説明した。
「当面、異世界靖国神社という部署の設立について、業務内容や体制などを話し合うことになるでしょう。また、その活動の中心となる建物として、神社の本殿をカリザト駐屯地内に建立します」
「なるほど、なるほど」
森本はうなずいて聞いた。
「前期教育が終わったらそれらのことに携わるわけですな。これは非常に楽しみだ」
「そうなります。話というのは以上ですが、何かご質問はありますか?」
「いいえ、今のところはありません。結構なお話をありがとうございました。なにとぞよろしくお願いします」
森本は一礼した。話は全て終わったということで、森本は立ち上がり、型通りの退出要領で教育隊長室を後にした。
(くっくっくっく……)
教育隊長室から定められた営内居室へと戻る道すがら、森本モトイは思わず含み笑いを漏らしかけていた。
この異世界自衛隊にも徐々に馴染みつつあった森本であったが、現在の年齢で2等陸士からのたたき上げとしてどこまで上り詰めることが出来るものやらと、日々思案にくれていたところであった。
だが、好機は向こうからやってきた。それもこれも、こちらでは前世と呼ばれる現実世界において、総理大臣という重責を担ったことがあるという経歴のたまものであったろう。
技官待遇とはいえ、異世界靖国神社の最高責任者となれば、その発言力は相当なものになると思われた。異世界自衛隊の高級幹部たちとのつながりもできるであろうし、一介の下士官や兵卒などとは比べ物にならないほどの好待遇を受けられるだろう。
(私の人生に無駄なものなど一つもなかった!)
森本は強烈な自己肯定を込めて、内心で小さく叫んでいた。
総理大臣辞職の際には体調不良に泣いた森本だったが、この異世界に転移してからはもとより壮健だった肉体に活力が充満しているようにさえ思われる。
(もう65? いやいや、まだ65だ! どこまでも行く! どこまでも行くぞ!!)
森本は営内居室に戻るまでの道すがら、内面に覇気をみなぎらせていた。
一人でも多くの幹部たちと知己を得て、コネクションを作り、この異世界自衛隊において自身の発言力を高め、多くの隊員たちを取り込んでやろう。
森本の目に鋭い光が宿った。
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ほどなくして、異世界転移者森本モトイは無事に前期教育を終えた。
カリザトの前期教育隊は解散し、後期教育隊へと散っていた同期達を見送った後で森本はカリザトの方面総司令部へと移動した。
異世界靖国神社の本殿が建立されるまでの、仮の小屋をオフィスとして与えられての新たな出発であった。
(方面には、西方の新天地に新国家を建設するという目論見があると以前に噂で聞いた……)
まだ部下たちの配属されないそのオフィスで、森本はひとり物思いにふけっていた。
(間に合うか、間に合わないか。わからないが挑戦してみよう。「新日本国」と仮称されるその新たな国の、初代大統領に私はなる!!)
薄暗い小屋の中で森本モトイはひとり、内心で咆哮を上げていた。