04-01.元総理異世界転生する
森本モトイ元総理大臣はゴリゴリの保守派、愛国者を自称する存在として知られていた。現在の年齢は65歳になる。
「日本は神に愛された国」という発言は国内外で物議をかもし、少なくない反発を受けた。ただ、一部には賛同者もいた。
「例のごたごた」で総理大臣という職を辞したのちも精力的に政治活動を続けており、特に自身の政治信条については総理大臣に任命される前から何冊もの著書を世に問うていた。
右派、保守派と呼ばれる考えの持ち主たちからは多く支持を得ている政治家で、ネット上でも賛否両論ありつつ人気が高い人物だった。
森本モトイが目指していることを端的にあげれば、憲法の改正と自衛隊の国軍化である。
現在の軍隊とも公務員ともつかない中途半端な立ち位置に自衛隊を置きつづけるのは得策ではない。自衛隊の暴走を恐れるならば、むしろ正式に軍隊として法律的に定めたのち、軍法会議制度なども整備してきっちりシビリアンコントロールすべきなのだ。というのが森本の長年の持論であった。
それはさておくとして、その森本モトイ元総理大臣が異世界転移をすることになった。
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薄暗い建物の中で森本モトイは目覚めた。気づくと小さな体育館のような場所の床に寝せられていた。
森本は状況がわからずに混乱し、秘書や知っている人間が近くにいないかと上体を起こして周囲を見回した。
近くに、古い自衛隊の戦闘服を着こんだ女性――いや、少女が立っていた。
薄暗がりの中でも目立つ白皙の美貌を持った、無表情な女の子だ。背は低いが、妙な迫力があった。
「お目覚めになりましたか。あなたは森本モトイ元総理大臣、でお間違いないですね?」
「あ、ああ。その通りだが。ここは一体どこかね? 君は?」
森本は無感動な様子で自分を見下ろす少女に向かってたずねた。
「国会議員としてのあなたのことは存じ上げておりました。その後首相になられたというのは知りませんでしたが」
少女は独り言のようにそう言った。森本は何を言われているのか分からなかった。
「あなたは、もしかして<自衛官>でしたか?」
森本の問いかけを無視したまま、少女はたずねてきた。
「一日自衛官のことか? そうだ。駐屯地が催すイベントに招かれて一日自衛官として体験入隊させてもらったが」
「認番を持たなくても転移の対象となるのか……」
少女は面白くなさそうな様子で考え込んだ。それから、ようやく森本の問いかけに答えを返した。
「私の名は戸田冴子と言います。この地で連隊長職についている者です」
「連隊長、だって?」
どう見ても高校生くらいにしか見えない小柄な美少女に、連隊長という職責はあまりにもミスマッチであった。
「何かの冗談か、ごっこ遊びかね。だったら付き合っている時間はないので失礼したいのだが……」
「残念ながら冗談ではありません。森本モトイ国会議員。あなたは日本国、いや、地球とは別の世界に移動してきたのです」
「……」
森本は何か言い返そうかと思ったが、少女の胆力ある言葉に気圧された形で黙り込んでしまった。
「ここは異世界です。ラールと呼ばれる大陸の南西に位置するトラホルンという国の中に、間借りする形で存在する自衛隊駐屯地になります。駐屯地の名前はカリザト駐屯地。私はこの地方の守備隊である第3普通科連隊の連隊長になります」
森本はぽかーんとしつつ、戸田冴子と名乗った少女の言い分を黙って聞いていた。
が、ようやく気を取り直して言った。
「その、全く信じられないが仮に君の言うことが本当だとしよう。私はその異世界とやらで、どういう立場になるのだ?」
「異世界自衛隊の自衛官です」
「なるほど? 指揮官待遇で迎えられるということだな?」
「いいえ。2等陸士からということになります。それがこの世界に転移してきた自衛官たちのならいです」
森本は、ふたたびぽかーんとして戸田冴子の顔をまじまじと見つめた。
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森本モトイ元総理大臣は、こうして異世界自衛隊に2等陸士として入隊することになった。
これは、今までに類例のない転移例であった。
現役の陸上自衛官たちの転移であれば、今までの最高齢でも53歳である。森本モトイは今年で65歳。
しかも、一日体験をのぞいた自衛隊経験は全くない。さらに首相経験者という超大物である。
森本の転移が確認された時点で、方面の幕僚たちはこの異例の事態にどのように対応したものか頭を抱えることになった。
しかし、ここで飛び級などの例外を認めてしまうと様々な弊害が残ることになる。
結局、すべての異世界転移者にならって2等陸士からのスタートという結論に達することになった。
森本の同期転移者たちはカリザト駐屯地に集結させられ、第3普通科連隊に教育隊が編成されることとなった。
カリザトは異世界自衛隊第3の駐屯地であるが、過去にはトラザムにあった方面司令部も今ではこちらに移転している。
王都ボルハンにほど近いということもあり、異世界自衛隊の中心駐屯地として機能している。
駐屯地施設の規模も大きく所属人員も多く、教育隊編成にあたって施設や、班長班付などの人員の確保が最も容易であった。
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「そういうわけで、貴様を前期教育隊長に任命する」
第3普通科連隊長室で、連隊長戸田冴子は部下の沖沢タモツ1等陸尉に向かってそう告げた。
「はっ。拝命いたします」
タモツは姿勢を正した。
「このところは中隊規模で出なければならないような大型の魔物もおりませんし、中隊長代行は深瀬2尉に任せます」
「うむ。<魔物殺し>という貴様の勇名を頼んでの人選だ」
戸田冴子はいつも通りの無表情でじっとタモツの顔を見つめて言った。
「オキザワの薫陶を受けたという思い出が、いずれ隊員たちの励みになることだろう」
「そのようであれば光栄に存じます」
タモツはかしこまって答えた。
「うむ。頼んだぞ」
「ところで連隊長、その、一つうかがってもよろしいでしょうか……?」
「なんだ、沖沢」
「連隊長の、現在の私に対する信頼ポイントはいかほどなのか気にかかっているのですが」
戸田は0.5秒ほど固まったように見えた。
それから、
「秘密だ!」
とだけ言った。
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体力錬成や、塹壕を掘るための穴掘り訓練、射撃訓練、野営、哨戒訓練などの厳しい訓練の数々に、果たして自衛隊未経験者の65歳が耐えられるものなのか……?
その点をタモツは大いに危惧した。
が、結論から言うと森本モトイはこれらの訓練によく耐えた。
若いころラグビーでならし、議員になって以降もジムでのトレーニングを欠かさなかったという肉体は初老に差し掛かってもなお壮健であった。
同期転移者たちに元総理の顔と名前を知らぬ者はいなかったが、森本は偉ぶることもなく誰とでも気さくに話すため、なんとなく同期隊員のリーダー的存在に落ち着いていた。
森本には人を懐に入れる度量と、人を引き付けるカリスマ性があった。
教育隊の同期隊員ばかりではなく、班付や班長といった教育隊の人員にまでもそのカリスマ性は及んでいる。
方面から森本モトイに関しての報告を求められていたタモツは、戸田連隊長を通じて森本の人心掌握の才能について包み隠すことなく報告することとなった。
方面は前期教育終了後の森本の処遇については、一般の自衛官とは違う特別なルートを準備しているらしい、というのが戸田の見解だった。
(方面付きで幹部待遇にして、ご意見番にでもするんだろうか?)
とタモツは考えたが、分からないものを考えても仕方ないと思って、それについては特に考えないことにした。
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ある日の演習時――。
森本を含む教育隊員たちは、演習中に魔物の襲撃に出くわしていた。
演習時に魔物に出くわすというのは可能性としては言われていたことだったが、戦闘経験のない多くの隊員は恐れおののいていた。
猟銃のライセンスを持っていて軍隊組織にかねてから関心の強かった森本は、特に恐れを抱くことなく機械のように反応した。
班長からの発砲指示すら待たず、64式小銃に弾薬を込めて立て続けに3発を魔獣めがけて発砲した。
教育隊に襲い掛かってきた魔獣は3体だったが、森本の3連発によって1体は即死した。
(たぎる……!)
森本は全身に熱い血が駆け巡るのを感じていた。血沸き肉躍るとはこのことか、とぼんやり思った。
それから立て続けにターゲットを変え、あわてふためく同期が射線をふさいでいることに苛立って内心で、
(そこをどけっ!!)
と叫んだ。
射線をふさいでいた同期が転げるように逃げまどうと、森本は続いて3発を発砲した。
狙いは的を外さず、魔獣の頭部に全弾ヒットした。
もう一体に狙いを定めようとしたが、残る一体は教育隊の班長たちが銃撃によって仕留めた後だった。
(ちいいっ!)
森本は内心で舌打ちをしながら、構えていた小銃を肩から外した。
「森本2士! よくやった!!」
「森本さん、すげえっす!」
班付と同期隊員たちが森本の周囲に駆け寄ってきた。
「いやあ、なに。まぐれ当たりさ」
森本は柔和な笑顔を作って、同期の若者に向かって照れ笑いをしてみせた。
「まぐれで2体は倒せないっすよ! マジスゲーっす、尊敬しますっ!」
「いやいや。みんなを守りたいって必死で撃ってみただけだよ。君たちと一緒に訓練してきた日々が無かったら、こんなふうにうまくは行かなかった」
「森本さん、マジかっけーっす!」
「森本、お前1等陸士に特別昇任できるかもなっ!」
森本の周囲にみんなが集まってきて、瞬く間に人の輪ができた。
(ふふふふ……。転移というのを知らされたときにはどうしたものかと思ったが、実力主義のこの世界、存外この私には向いているのかもしれない。アメリカや特定アジアなどに配慮する必要もないフロンティア、か)
森本は周囲の隊員たちに柔和な笑顔で応えつつ、ひそかに野心を燃やしていた。
(総理に返り咲く希望も無いまま、残りの人生は惰性で国会議員を続けるだけかと諦めていたが、この異世界でもう一花咲かせてやろうじゃないか!!)