03-07.新生特務隊
それから一か月近くが過ぎ、押井サブロウ2曹が離隊する日がやってきた。
タラス砦での事務仕事や会計業務の申し送りが行われ、合間に一度軽くボルハン周辺の村々を回る演習が行われた。
討伐すべき怪物の数が減っているために戦闘行為は行われなかったが、模擬戦闘を2度行った。
カナデの用便については護衛の隊員が少し離れたところで待機するようにして、仮眠のテントは第3連隊から個人用天幕を一つ調達した。
ハジメからすると面倒が少し増えた形になるが、それでも当初懸念していたほどのコストでもなかった。
カナデの物覚えは早く正確で、申し送りの押井も太鼓判を押すほどであった。
人当たりもよくどの隊員とも親しく話せるという点でも、全員と連携をとらなくてはならない庶務係に向いていると言えた。
「もう教えることは何もない、というくらいになりましたよ隊長」
離隊の3日前には、押井が満足そうにハジメに向かって報告してきた。
「そうか。ご苦労だったな」
ハジメは押井の肩に軽く手を置いた。
「お前を失うのは嫌だったんだけどなあ。まあ、愛内が使い物になるってんならいいか」
「使い物になるどころか、私なんかよりよほど優秀だと思いますよ」
押井は謙遜するでもなさそうに、実感を込めて言った。
「なんで上級幹部を目指さなかったのか、まったくもって謎です」
「人の上に立ちたくねえんじゃねえの? マモさんみたいにさ」
ハジメはそれについてはさして興味がなかったので、適当に答えた。
カナデは入隊から一か月ですっかり特務隊の人気者で、部隊の雰囲気は目に見えて明るくなった。
あの鎧塚でさえ、ときどき自分から話しかけるくらいである。
もっとも、鎧塚は押井の決闘に手を貸した一件以来少しずつ変わり始めていた感じもある。
愛内カナデ以外に、他の隊員とも以前より打ち解けて話をするようになっていた。
異世界自衛隊歴の長い鎧塚が、その知識や見聞を他の隊員と共有してくれることをハジメは期待していた。
最初のうちは押井とだけ親しく話す仲だったが、今では足立あたりが軽口をたたいても鎧塚はニコニコしている。
(部隊の結束が高まってきたなあ)
と、ハジメはそういう光景を見るたびに感慨深かった。
それから一つ、嬉しい知らせがあった。
押井とハイトラム伯爵の令嬢レイダとの結婚が、正式に認められたという話であった。
それに関しては、結婚を認めてくれないなら死ぬ! という勢いでレイダが屋敷の中で大立ち回りを演じたという経緯があるそうだが、異世界自衛隊を辞めて商売を立ち上げるという押井の気概が認められた面もあるらしい。
まだこれといって商売上の成果を上げたわけではないものの、押井の本気は伝わったということだろうか。
そんなわけで、押井の除隊日にはハイトラム家の馬車がタラス砦の前に横付けされ、遠くバルゴサを目指して旅立つ押井を見送るためにレイダも駆けつけた。
レイダは小柄でがっちりした体格で、明るい金髪にそばかすが目立つ女性だった。
現実世界の基準から言うとまだ少女という感じだったが、この世界の基準ではもう結婚適齢期でもある。
ハジメがそれとなく聞いたところでは、営利誘拐されそうになったところをたまたま通りがかった押井に助けられて、レイダの方からひとめぼれしたようだった。
前夜には別れの宴会が行われ、とうとう押井が除隊する当日がやってきた。
仕事のかたわらで押井が編成していたキャラバンは馬車が4台とまだ小規模だったが、トラホルンの特産品でバルゴサで売れると見た品物が満載されていた。
押井が雇った人員の中には、過日にカナデがカバンを取り戻してやった会計士のイルハンもいた。
それから、護衛隊長兼通訳として雇われていたのは、あの決闘の相手、バルゴサのシャザームであった。
カナデはイルハンに挨拶して、イルハンも丁寧にカナデに頭を下げた。
「よう、シャザーム! 久しぶりだな。押井のことしっかり頼むぞ」
「久しいな、<竜殺しのハジメ>。まさか貴殿らがそんな英雄になるとは思ってもいなかった」
「なに、たまたまだ。俺らは英雄なんて大したもんじゃねえ」
ハジメは苦笑した。
トラホルン国内で人々に慕われるのはありがたいものの、大陸中に名が鳴り響く英雄などといわれるとどうにも面映ゆい。
「あんたこそ、実は名のある武人なんじゃねえの?」
「私がか? サブロウ相手に手も足も出なかった男だぞ私は。ただの暗黒街の元用心棒だ。今はサブロウの使用人だがな」
シャザームはそう言って皮肉そうに笑って見せた。
「では、みなさんお世話になりました。そろそろ出発します!」
王都ボルハンの中央広場で、押井が見送りの面々に向かって挨拶をした。かたわらには伯爵令嬢レイダが控えている。
「気をつけてなー、押井!」
「がんばれよー」
特務隊の誰からも好かれていた押井に、みんなが口々に声援を送った。
商売を成功させることのほかに、国外情報を収集して特務隊にもたらすということも押井がキャラバンを編成した目的である。
ハジメはその成果にも期待していた。特務隊はトラホルン国内の情報には明るくなってきたものの、国外情報についてはほとんど知らないままだったからである。
ハジメは無言で、押井に向かって大きく右手を振ってみせた。
押井は最後に一堂に向かって頭を下げると、レイダの手を取り、それから抱きしめ、あとは振り返らずに馬車へと乗り込んだ。
押井サブロウ率いるキャラバン隊は、こうして王都ボルハンを後にして一路バルゴサ方面へ出発したのだった。
「いっちまったか……」
「寂しくなりますね」
普段は口が悪い吉田が近づいてきてぽつんとそう言った。
ハジメは意外そうに吉田を見たが、笑って言った。
「まあ、特務隊を離れても押井は俺たちの仲間だ。また会える日も来るさ」
以前に決闘の場で出会った執事とレイダがハジメに挨拶をしてから馬車で立ち去り、残された特務隊員たちはぞろぞろとタラス砦に戻った。
「おうおう、しけた面してんなよお前ら! 明日からまた遠征すんぞ!」
タラス砦の中央ホールに全員を集めてハジメは宣言した。
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それから半年の間、新体制となった特務隊は国内の遊撃任務を精力的にこなした。
超大型の怪物などに出くわすこともなく、これといった死傷者もなく、おおむね平穏無事と言って良かった。
愛内カナデ曹長は隊員たちのバックアップに抜かりなく、隊のアイドルというだけではなく仲間としてハジメを含む全員の信頼を得ていった。
変わったことと言えば、前衛班長である岡崎1曹がとうとう曹長に昇進したことであろうか。
これにより、特務隊のナンバー2は愛内曹長から岡崎曹長になった。愛内カナデは昇進を拒否しているため、序列は曹長の最下位になっていたからである。
そんなわけで、押井を失った穴は埋められ、ハジメが懸念していたほどの弱体化はなかった。
もうひとつ、カナデにのぼせ上った隊員たちが、女を取り合って喧嘩を始めるような事態も今のところ起こらなかった。
その点が、ハジメにとっては大いに安堵する点であった。
押井が離隊してから半年ほどたったとき、特務隊に大きな任務が舞い込んでくることとなった。
「こ、こいつは……」
第3普通科連隊長戸田冴子を通じて方面からもたらされたその任務とは、異世界自衛隊史上初となる試みだった。
「あの広大なイェルベ川を渡って、向こう岸に?」
「そうだ。これはお前たち特務隊にしかできない任務だろう」
川幅は二キロをゆうに超えると言われている大河イェルベを渡って、対岸の地域を調査せよという大任務である。
イェルベ駐屯地のあるイェルベ地方はトラホルン王国の西のはずれになるが、その西側、イェルベ川より以西は前人未到の辺境地帯である。人々が到達したことのないとされる魔境であり、トラホルンを含めてどの国家の支配領域でもない。
「方面はイェルベ川の西側を異世界自衛隊の支配領域とすることを計画している」
「新しい駐屯地でも作るんですかい?」
「国だよ」
「くにぃ?」
「異世界に迷い込んだ日本人たちの、独立国を作ろうというのだ。トラホルンにもすでに承認を得ている」
「はあ、それはそれは」
ハジメは今ひとつピンとこないままだった。
「いずれは土地を開墾し、作物を植えて、街を建設してそこに我々の住む国家を建設するのだ。そしてゆくゆくはトラホルンに寄生する傭兵集団ではなく、対等に外交を結べる存在として、我々の国を作り上げる」
「ああ、なるほど……」
「その計画の最初の一歩が、この渡河計画だ。イェルベ川の対岸に渡り、向こうに広がる森林地帯に分け入って探索してこい」
「いやです! とは言えないんでしょうねえ」
「むろんだ。なんだ、嫌なのか」
「ああ、いや、言ってみただけです。方面も途方もないことを考えるなあと思いまして」
「これはかねてから方面が練っていた計画なのだ。言うと、お前たち特務隊がこの計画を遂行するために設立されたのだと言ってもいい」
「そうだったんですか? そりゃまたなんとも……」
「日本人たちの独立国を持つ、というのは異世界自衛隊40年ごしの悲願なのだ。その第一歩がお前たちにかかっている」
「プレッシャーかけてきますねえ」
ハジメは苦笑した。
「やるしかねえってんならやりますよ。方面が立案した作戦計画はこの冊子の通りですね? イェルベ駐屯地付近でイカダを組んで対岸まで流されながら渡り、帰りはまた流されながらトラザム付近に着岸する、と」
「細部は現場裁量で構わん。見るものを見て、生きて帰ってこい」
戸田はいつもの無表情でそう言った。
(前人未到の大任務か……。しゃあねえ、やってやるか!)
ハジメは戸田連隊長の元を辞去し、連隊から弾薬補給を受けていたカナデと合流した。
「タイチョー! 小銃弾1500発ももらっちゃいましたぁ!」
弾薬箱を括り付けたしょいこを背負ったカナデが、嬉しそうに駆け寄ってきた。