03-06.カナデの性能
その日、ハジメはカナデを連れて王都の主な地域をぐるっとめぐるつもりだった。
王都の中に散らせた特務隊員たちに情報収集を任せ、オリエンテーリングをするつもりだったのである。
「ボルハンは初めてってわけじゃないんだろ?」
「初めてではないですが、イェルベが長かったので久しぶりですねえ」
カナデはのんびりした口調で答えた。
「じゃあ今日は下見だ。街中をぐるっと回っておしまいだな。本格的な聞き込み調査は次回以降だ」
「あい、さー」
カナデは魅力的な笑顔をたたえてそう言った。
カナデを連れて街を歩いていると、ちょくちょく男たちの目線が気になった。
カナデはファッションモデルかバレーボール選手かというくらい背が高いし、美人で、おまけに胸もでかい。
(トラホルン語は問題ないといえ、こいつに情報収集をさせたら目立って仕方がないな……)
ハジメは内心で嘆息した。
カナデは自分に見とれる男たちに気安く手を振っていたりする。
「勘違いされるから、そーゆーのやめとけ」
ハジメはむすっとして釘を刺した。
「えー。そうですかぁ?」
カナデはケラケラと笑って言った。
どういうルートで回るか少し考えて、タラス砦から王宮に向かって大通りを北上し、右に曲がって暗黒街のほうに逸れた。
ようは、以前の休暇で隊員たちの様子を見て回った時と同じルートだった。
「こっからガラの悪い連中のたまり場になってくるぞ。気ぃつけろよ」
「わっかりました!」
本当に分かっているんだかどうなんだか、愛内カナデは軽々しくそう言ってかしこまってみせた。
よほどのことがあってもハジメは自分が何とかするつもりではあったが、なんだかちょっと不安になった。
「このあたりがいわゆる歓楽街、それから暗黒街につながる」
ハジメは昼間には人気のあまりない地域を歩きながらカナデに向かって説明した。
「酒場、それから娼館、賭博場なんかがある。怪しげな仕事を請け負う連中がたむろしていたりもするな」
路地の左右には乞食の姿が散見されるくらいで、歩き回っている人間はほとんどいない。
乞食たちはハジメたちが通りかかると、弱々しく木の椀を掲げて銅貨を請うた。
「危ないからこの辺には一人で来るなよ。さらわれちまうかもしれねえからな」
「あら、タイチョー心配してくれるんですねぇ」
カナデは面白そうに言った。
「でもダイジョブですよ。カナデちゃん強いですから。でっかいし」
「まあでっかいけどさ。その自信はどっから来るんだよ」
戸田は愛内カナデを有能な人材だと言っていたが、なんか妙なやつだという気がしていた。
歓楽街から暗黒街に少しだけ顔を出して、貧民街を通って市場街のほうに抜けていった。
「子供達に少しお金をあげたほうが良いですかねえ?」
「やめとけ。きりがないぞ。一人にやったらあとからあとから湧いて出る」
貧民街の子供たちにまとわりつかれながら貧民街を抜けて、市場街に出た。
「来たことがあるかもしれないが、ここが市場街だ。その向こうが商店街。大通り沿いの一等地と比べると物の値段は安いな」
「人形屋さんもありますか? なんて言ったか忘れましたけど、ザッキーの編みぐるみを売っているお店」
「ああ、あるな。俺も店の名前は知らない」
イェルベまで聞こえるほど有名になっていたのか、とハジメは思いつつ、少し迷ってからカナデに言った。
「ちなみに、その編みぐるみを作っているザッキーってやつの正体はうちの岡崎だ」
「はい?」
「信じられないだろうが、それ、岡崎の副業」
「えええええっ!?」
カナデは思い切りのけぞった。
「俺から聞いたって黙っておけよ。欲しかったらそのうち岡崎に直接頼め。作ってくれるんじゃねえか?」
「そ、そうですね……」
カナデは相当びっくりしたようだった。
「ってゆーか、異世界とはいえ自衛隊で副業ってありなんですか?」
「特務隊は何でもありなんだよ。現地に馴染んで情報収集をするための一環だって言い張れば」
「ふえええっ。そうなんですかぁ」
カナデは納得したようにうなずいた。
「カナデちゃんも酒場でお酌をする女の人とかをやったら儲かりますかね?」
ハジメはうーむ、と考えこんだ。
「儲かるんじゃねえか。お前美人だし。でもやめとけよ。魔獣退治の遠征とかでボルハンにずっとはいられないぞ」
「あ、美人って言われちゃった!」
カナデはケラケラと笑った。
「冗談ですよぉ。しばらくは特務隊の隊務に専念しますっ!」
「しばらくは、か。まあ隊務になれたら好きにしてくれ。情報収集の足しにはなるかもな」
ハジメは何となく面白くない気分でそう言って話を終えた。
そのとき、市場街の向こうからふいに叫び声が聞こえてきた。
「ひったくりだーっ! 捕まえてくれっ!」
声のほうを見ると、遠くに太った商人らしき格好の男が見えて、その手前にはこちらに向かって走ってくる痩せた若い男の姿が見えた。
「いきますっ!」
カナデが短く叫んで駆け出し、ひったくりと呼ばれた若い男の前に立ちふさがろうとした。
男は膨らんだかばんを小脇に抱えて疾走していたが、前に現れたカナデの姿に気づいた。
「愛内っ! 気をつけろ、そいつ……!」
ナイフを持っているぞ! と叫ぶ暇もなかった。
若い男は左手にカバンを抱えたまま、右手で腰のナイフを引き抜いた。
「どけええっ!」
男は右手のナイフを振り上げて威嚇した。カナデは動じなかった。
シュッ!
男が射程範囲まで近づいたとみるや、愛内カナデは鮮やかな後ろ上段回し蹴りを一閃し、男の右手からナイフを蹴り落とした。
続いて男に組み付いて右腕をとり、素早く背後に回るようにしてその腕を決めてしまった。
「いてててててっ! くそっ! やめろっ!!」
若い男は身動きが取れないまま、力なく悪態をついた。
「あの商人さんのかばん、取ったんですか? 返しますか?」
「返す! 返すから腕を放してくれっ!」
ハジメが駆け寄るのとほぼ同時に、カバンを取られた男もカナデの元に駆け寄ってきていた。
「ああ、なんとお礼を言ったらいいか。ありがとうございますお嬢さん」
「大したことはしていませんっ! ところで、王都警備隊につきだしますか?」
「許してくれっ。食うに困ってやったが、もうこんな真似はしねえ」
「ホントかよ。ナイフちらつかせたりしてたし、しょっちゅうやってんじゃねえの?」
ハジメは言った。
「本当に刺すつもりはなかったよ。脅しただけだ」
まだカナデに関節を決められたまま、男は哀願するように言った。
「こいつをどうするかは被害者であるアンタが決めてくれ」
ハジメは商人の顔を見た。
「そうですね……」
恰幅のいい中年商人は少しの間考えこんで、それから言った。
「放してやってください。カバンが返ってきたなら私はそれでいい」
「いいのかい? カナデ、そいつを放してやれ」
「わっかりましたっ!」
カナデは男の拘束をとき、その背中をどん、とどやしつけた。
「ありがてえ。恩に着ます。二度としません」
男はぺこぺこと頭を下げてから、一目散に逃げ去って行った。
「銅貨の二、三枚でも握らせてやろうかと思ったけど、それだと間違った教育をしちゃうかもしれねえからなあ」
「盗人に追い銭ですねぇ。盗みは防げましたけど」
「お二人ともありがとうございました。私は商人のイルハンと申します。オシイ商会の会計士をしております。お二人はトクムタイの方ですね?」
「オシイ商会?」
ハジメはぎょっとしてイルハンを振り返った。
「あんた、押井サブロウのところで働いているのか」
「いかにもその通りです。サブロウ様に雇われてキャラバンの準備をしていたところです」
「どうだい? 押井の商売は成功しそうかい?」
「そう思ったからついていくことにしました。サブロウ様はたぐいまれなる商才をお持ちです」
「へえええ」
ハジメは感心した。まだ本格的に始まってもいないのに、部下にそこまで言わせるほどとは。
「ひったくりからカバンを取り戻していただいたお礼をしたいのですが、どのようにすればよろしいでしょうか」
「いや、いいよ別に。大したことはしていない」
何か言いたげなカナデの頭を押さえこんで、ハジメは笑って言った。
「礼金とかそういうのはいらないから、押井のことをよろしく頼むよ」
「心得ましてございます」
イルハンは日本風にお辞儀をした。
イルハンと別れて市場街を抜け、それから商店街を冷やかし、大通りに戻った。
「何か食べ物をおごってもらえると思ったのにー」
カナデは未練ありげに市場街の方向を振り返って言った。
「わかったよ、ほうびに俺が何か食わせてやる。お手柄だったな」
「え! 本当ですか、やったーっ!」
カナデは顔を輝かせて、子供のように喜んだ。
「カナデちゃん結構食べますけど、いいんですかっ!?」
「ああ、いいよいいよ。どんどん食ってくれ」
ハジメは鷹揚にそう言った。
今日一日で愛内カナデの性能の片鱗は見せてもらった。人当たりはいいし、人あしらいもうまい。度胸もあるし格闘技のセンスもある。
なるほど、こいつは使える人材だ。
(アタリを引いたかもしんねえな)
と、ハジメはまんざらでもなく思った。押井が抜けた後を埋めるに値する人材なのかという不安がずっとあったが、愛内カナデならうまくやってくれそうであった。
ところで、愛内カナデがその性能を本格的に発揮したのは、その後の昼食時のことであった。
「おい……」
ハジメは茫然として、力なくそう口にした。
ちょっとした用事のために一時的に店をでたハジメがダラボアの店に戻ってくると、カナデの目の前のテーブルには注文した料理が山のように並べられていた。
「これ、お前、全部食うのか……?」
「はいっ! なんでも好きなものを注文していいって言われたので注文しちゃいましたっ!」
「あ、そう……」
テーブルに並べられた料理は、異世界風、現地風がごちゃまぜで、おそらく12人前くらいになるかと思われた。
「まあ、食えるんならいいんだけど」
ハジメはぽつんとそう言った。
「はいっ!」
愛内カナデは満面の笑みを浮かべた。