01-02.異世界の洗礼
「撃えーっ!」
戸田冴子曹長の叫び声が森の中に響いた。
教育隊の隊員たちは64式小銃を立ち撃ちに構えて一斉に発砲した。
場所はカリザト駐屯地の南東に位置する森林地帯である。
陸上自衛隊異世界方面隊・第3普通科連隊教育隊。それが沖沢タモツたちの所属する部隊であった。
カリザト駐屯地はこの異世界では最も新しい自衛隊駐屯地であり、トラホルン王国の王都ボルハンに最も近い。
タモツらが転移してきたのはこのカリザト駐屯地で、そのままカリザト駐屯地の主力部隊である第3普通科連隊に組み込まれることになった。
が、教育隊が実地研修のオリエンテーリングとして森林地帯を探索していたとき、予想外に怪物の群れが出現して彼らに襲い掛かってきたのだ。
戸田の発砲命令に従ってタモツを含めた隊員たちは射撃を続けたが、5体の怪物のうち2体を仕留めることができないうちに隊員が装備していた弾倉の弾丸が切れてしまった。
残念ながら、予備の弾倉は持ってきていなかった。
「全員、着剣っ!」
戸田曹長が命令した。
タモツは思わずおびえた。
(この化け物相手に銃剣突撃っ!?)
化け物は魔獣と呼ばれる、この世界で独自に進化をした生き物のひとつであった。
北海道に生息するヒグマほどの体格をした黒い犬のような容姿の生き物で、異世界自衛隊では<ケルベロス>という名前でこれを呼んでいた。
2頭のケルベロスは逃げ出す様子もなく、好戦的な様子でこちらに向かって牙をむいている。
(この怪物ども、仲間の死が怖くないのかっ!?)
タモツは命令に従って小銃に銃剣を装着しようとしたが、もたついて銃剣を取り落としてしまった。
「オキザワーっ!」
背後から戸田の怒鳴り声が聞こえてきた。
タモツはおもわずびくっとした。
魔獣も怖いが戸田曹長も怖い。
タモツは大慌てで銃剣を装着し終えた。
「突撃にぃいいいいっ!」
タモツが銃剣を装着し終えたのを確認した戸田は、あらん限りの声を上げて叫んだ。
「進めええっ!」
2頭のケルベロスは一斉に襲い掛かる教育隊員を恐れるでもなく、咆哮して食らいついてきた。
仙田と宮下が首元を食いちぎられるのをタモツは目にした。
女子隊員の上野は突撃に行けずに、小銃を抱えたまま腰が抜けたようにへたり込んでいる。
「くぉらぁあっ! やってやんぞっ、クソがあああああっ!」
口汚く叫び散らしながら木下が突撃した。初めて体育館に集められたときに戸田曹長に投げ飛ばされた、不良っぽい若い男が木下ハジメであった。
他の隊員がみな恐れをあらわにしているのに対して、木下は荒ぶる闘志をむき出しにしている。
激しい叫びに反応してそちらを見たタモツは、木下がまるで喜ぶように生き生きとした表情をしているのを見た。
(な、なんだこいつ。狂ってる!)
タモツは思わずおののいた。
しかし、タモツもかつては銃剣道の有段者としてならした身である。負けてはいられないと思いなおした。
教育隊員たちの腰が入っていない突きなどものともしないケルベロスらは、さらに突撃した隊員数人を返り討ちにしていた。
「死ねやあああっ!」
木下が叫びながら突進し、吠えたケルベロスの口の中に銃剣を突き立てた。
「やああああっ!!」
タモツはもう一体のケルベロスに狙いを定め、頸動脈を断ち切るつもりで首元に渾身の突きを繰り出した。
良く磨かれた銃剣の切っ先が剛毛に覆われた獣皮を切り裂いて、その首に突き刺さった。
タモツは全体重を乗せながら切っ先をえぐり、切り裂きながら先端を引き抜いた。
(やったかっ!?)
ケルベロスの首からは噴水のように血しぶきが上がり、やがて魔獣は地面に崩れ落ちた。
「くっそ、ゴルァアアっ!」
木下が叫んでいた。
木下が突き刺した銃剣はケルベロスの口の中を捕らえたものの、致命傷を与えるには至っていない。
「てめえらこのっ! 俺が押さえ込んでいる間にとどめをさせよコラっ!!」
周りの隊員たちは狂ったように暴れるケルベロスに恐れをなして、誰も動こうとしない。
銃剣を取り直してそちらに駆けつけようとしたとき、後方からタモツの横を戸田冴子曹長が走り抜けるのをタモツは見た。
銃剣を装着した64式小銃を構え、陶器人形のような顔立ちの童女は迅雷のようにケルベロスに襲い掛かった。
タモツ同様に頸動脈に狙いを定め、小柄な戸田は飛び上がりざまに銃剣を一閃させた。
戸田の銃剣がケルベロスの喉を切り裂き、激しい鮮血が吹きあがった。
戸田の白い顔は返り血で赤く染まっていた。
「沖沢、木下、お手柄だ。よくやった」
戸田は顔に飛び散った魔獣の血をぬぐいもせずタモツと木下ハジメをねぎらい、それから他の者たちにも戦闘終了を告げた。
「こんなの、こんなのおかしい。絶対におかしい」
小柄で眼鏡の刈谷ユウスケは小銃を放り出し、へたりこんで震えていた。
女子隊員の上野は泣きじゃくっている。他の面々も、目の前で同期が何人も殺されたのを目にして恐怖と混乱のさなかにいるようだった。
「よう、オッサン。あんたなかなかやるじゃねえか」
それまであまり親しく口をきいたことのなかった木下ハジメが、見直したという顔でタモツに近づいてきた。
「いや、まぐれだよ。僕だって怖くて仕方なかった。でも誰かがやらなくちゃならなかったからね」
「元連隊長だっけ? 人の上に立つ奴っていうのは言うことが違うな」
タモツは苦笑いした。下手をしたら親子ほども歳の差があるのに、無礼なやつだと思った。だが、どこか憎めないところがある。
それに、この異世界自衛隊においては元の世界でのキャリアなどクソの役にも立たない、という戸田に言われた言葉に、いまさらながらタモツは納得せざるを得なかった。年齢も元の階級も関係ない、したがって、ここでの同期は同期なのだ。
「改めましてだが木下ハジメだ。元の世界では普通科の陸士長をやってた。あんたと組めば生き残れそうな気がするぜ」
「じゃあこちらも改めまして。沖沢タモツ。呼び捨てのタモツでいいよ。元の世界では機甲化で戦車連隊長をしていた。よろしく頼む」
二人は握手を交わした。
お互いを認め合った男たちの間に友情めいたものが生まれていたのを尻目に、戸田冴子は大けがを負って助からない隊員に引導を渡していた。
「生き残った者はよく覚えておけ。これがこの異世界の現実だ。油断をすれば死ぬ。油断をしなくても運が悪ければ死ぬ。少しでも生き残る確率を上げたければ体力と知識をつけて技量を磨き、勇気をふるえっ! 以上、駐屯地に帰るぞ!」
タモツたちよりも長い異世界生活の中で、戸田は幾度となく隊員の死に直面してきたのだろう、とタモツは思った。
教育隊員を失ったことにダメージを受けていないはずもないと思うのだが、表面上、それはうかがい知れなかった。
戸田は先頭に立って駐屯地に向かって歩き始めた。
その後ろを、生き残った隊員たちがのろのろと追った。
「ハッ、鉄の女ってわけだ! 転生者様は薄情だねえ」
「そういうんじゃないと思うよハジメ。ただ、ここでは人の死があまりにも当たり前なんだろう」
タモツはハジメと並んで歩きながらそう言った。
ハジメがくさした転生者というのは、この世界に現れたときに元のままではなく、赤ん坊として新たに生まれ直した者のことを言う。
生れた直後は前世の記憶を持たないが、個人差はあれど、幼年期のいつかに自分が何者であったのかを思い出すのだという。
過去の記憶と経験、知識や技術を持ったまま人生をやり直せるというのは強力なアドバンテージになるため、転生者たちはこの異世界自衛隊においては幹部候補生として扱われるのであった。
ヨーロッパなどにおいては士官の階級というのは貴族の子弟などがおさまる地位であったが、この異世界自衛隊においても生まれつきの境遇が社会的地位を決めるという点において、戸田ら転生者は貴族階級であると言い換えても良かった。
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後日、タモツとハジメはそろって1等陸士に特別昇進した。
強力な魔獣を相手に、他の隊員を守ったという功績においてである。
「前期教育中に1士になれるとは思わなかったぜ。この世界は元の世界と違って実力主義みてえだなタモツよ」
「恐れ知らずの君には向いている世界かもしれないねハジメ」
魔獣を退治した日以来ハジメはタモツを随分と気に入ったようで、二人はよくつるむようになっていた。
戸田曹長から階級と階級章を授与された二人は教育隊長室を辞去して営内居室に向かおうとしていたのだったが、逆に居室の方から教育隊長室のほうに向かってきた刈谷ユウスケの姿とすれ違うことになった。
「どうしたの、刈谷くん?」
ハジメと親しくなる前にはよく一緒に話をしていた刈谷に、タモツは尋ねた。
「ああ、沖沢さん」
小柄で眼鏡の刈谷ユウスケは覚悟を決めた人の顔をしていた。タモツは嫌な予感がした。
「僕は、今日限りで異世界自衛隊を辞めようと思います」
読書家でインテリタイプの刈谷ユウスケは、元の世界でもあまり自衛隊にはなじめていなかったようだった。ましてや、この異世界で魔獣を相手に戦闘を繰り返すというのは不本意極まりない生き方なのだろう。
「おめえ、そんなこと言ったってここを出てどこにいくのよ?」
「木下2士には関係ないっ!」
普段のおとなしい印象の刈谷とは違う剣幕に、ハジメは気圧されたようでそれ以上何も口にしなかった。
「どのように生きていくのも君の自由だけど、寂しくなるよ刈谷君」
「さようなら沖沢さん」
刈谷は軽く会釈をして、タモツたちのもとを去って教育隊長室に入っていった。
「なんだいあいつ。ついでに言うと俺は1士だ。間違えるなっ」
ハジメは悪態をついた。
タモツは寂しい気持ちになった。刈谷とは親友と呼べるほど親しかったわけではないが、読んだ本の話などはよく合ったからだ。
ここを出て生きていく、そんな選択肢もあるのか……。
タモツは駐屯地の外側に広がる、この世界がどんな世界なのか、その時初めて本格的に興味を持った。