02-07.特務隊の休日3
陽が落ちかける頃、王都の西側にあるトゥーラン館の裏手にある空き地にハジメは立っていた。
空き地の隅っこに生えている大樹のそばである。
小柄な押井が空き地の真ん中付近に木刀をぶら下げて立っており、押井に対峙するように一人の細身の男が向こう側に立っている。
その後ろには、小柄で小太りな貴族風の中年男が供のものを従えていた。
それから、空き地の隅にはぽつんと立っている召使風の中年男がいるのだが、これは何者だかハジメにはわからなかった。
「俺の名はバルゴサのシャザーム。お前に恨みはないが、雇われの身としてこの決闘の代理人を引き受けた者だ」
どこか時代劇に出てくる浪人のようなたたずまいの男は色が浅黒く、いかにもバルゴサ人らしい異邦人だった。
「お前の得物は木の棒か。よもや命乞いのつもりではあるまいな」
「ニッポンのサブロウ」
と、押井も名乗った。
「これが使いやすいのだ。そちらはその剣で来てくれて構わない」
押井はシャザームが右手に下げているサーベルのような、湾曲した細身の刀を見てそう言った。
シャザームはまだ何か言いたげだったがそれは飲み込んだらしく、
「お前の後ろの男は?」
とあごをハジメのほうにしゃくった。
「後ろに控えているのは我が主君。決闘の見届け人としてお越しいただいた」
押井はハジメの方を振り返らずに、シャザームに向かって言った。
シャザームの後ろにいる小太りの中年貴族が押井に決闘を申し込んだというデュカス卿だろう。ただ、当人は金で雇ったらしい決闘代理人にすべてを丸投げして傍観するつもりであるらしかった。先ほどから、こころなしかニヤついたような顔をして事態を見守っているだけだ。
(あからさまにいけ好かない野郎だな)
と、ハジメは心ひそかにそう思った。
日没が進んであたりは一層薄暗くなった。ハジメの位置からデュカス卿の表情が見えなくなってきた。
「では参るぞ、ニッポンのサブロウ」
決闘の開始を告げ、バルゴサのシャザームが刀剣を右の肩口に振り上げて構えた。
「来いっ!」
押井も叫んだが、こちらは木刀を左の腰に下げるようにしたままだ。
居合の構えか、とハジメは思った。
シャザームが剣を躍らせて押井に迫った。
押井は相手の後の先を取り、シャザームの機先を制して木刀を一閃した。
木刀の切っ先がシャザームの右手の甲をかすめるように打ったのが、ハジメにはかろうじて見えた。
シャザームの剣には手甲をガードするリングのようなものは付いていなかった。
シャザームは思わず剣を取り落としたが、押井をにらみながら地面に突き刺さった自分の剣を左手で拾おうとした。
押井は踏み込みながらかがむような態勢になり、左から右にシャザームのすねを薙ぎ払った。
「……っ!」
「この決闘、こちらの勝ちだっ!」
うめき声をあげて転倒したシャザームの喉元に木刀を突き付け、押井は胆力を込めた声で言った。
その時、デュカス卿が薄暗がりの中で右腕を高く上げた。
「マモさんっ!」
ハジメは叫んだ。
(予想通り来やがった!)
事前偵察でアタリをつけていたが、トゥーラン館の2階の窓から人影のようなものが動くのが見えた。
すっかり暗くなってきたために明確に目視はできなかったが、おそらくクロスボウを手に持っている。
だが、そいつは薄暗がりの中で「うっ!」とうめき声をあげ、そのまま2階の窓から地面に向かって落下した。
大樹の上に潜んでいた鎧塚のクロスボウが刺客を狙い打ったのだ。
ハジメは落下した刺客の方に向かって走った。
「射手を潜ませていたのか、デュカス卿……」
バルゴサのシャザームが抗議するように言ったが、押井相手に手も足も出なかったためか、その口調は弱々しかった。
ハジメは刺客が所持していたクロスボウと太矢を回収した。先端に毒を塗るような真似はしていなかったらしい。
そしてクロスボウを構えたまま、狼狽した様子のデュカス卿のそばに駆け寄った。
「名のある貴族様が、ずいぶんと汚い真似をしてくれたもんじゃないか、ええっ!?」
クロスボウをちらつかせながら、ガラの悪い口調でデュカス卿に迫る。
「な、なにを! この下郎どもがっ」
「こちとらトラホルンの身分階級なんざ知ったこっちゃない異世界人でしてね。あんたが貴族だろうと何だろうと、そんなことには大して関心がねえんですわ」
「そ、そもそも私の婚約者に手を出してきたのはそちらではないかっ!」
「しのごのうるせえよ」
ハジメは太矢をつがえて発射準備の整ったクロスボウをデュカス卿の腹に突き付け、上から覆いかぶさるように顔を近づけた。
「俺の部下に二度と手を出すな」
「ひっ!」
「殺すよ? 分かった?」
「わ、わかった! わかったから……」
暗がりの中でも目に見えてわかるほどにデュカス卿は怯え切っており、お供の数人も完全に狼狽した様子だった。
「じゃ、これで恨みっこなし! おしまいっ!」
ハジメはクロスボウから矢を外し、地面にぞんざいに投げ捨てた。
「終わりだマモさんっ! 下りてきていいぞー」
大樹の上に向かって叫ぶと、大型のクロスボウを背負った鎧塚が器用に木の幹にすがってするすると下りてきた。
戦いに負けたショックなのか、地面に尻を突いたままだったシャザームに押井が手を差し出して立たせていた。
「シャザームさん、あんたは強いよ。剣を見ればわかる。ただ、俺のほうがもっと強かったが」
「……ちっ! ニッポンのサブロウといったか。お前は癪に障る男だ」
押井は剣を取って、立ち上がったシャザームに返してやった。
「不思議な武術を使うのだな。お前は武門の出なのか?」
「いや、商人の子さ。母方の祖父が剣の達人なんだ」
「なるほど」
シャザームはデュカス卿のほうに向かって、
「決闘代理人としてふがいない結果を見せたことは申し訳ない。契約通り半金はいただかない。これにて失礼する」
と言った。押井へは、
「また会いたいものだな、ニッポンのサブロウ」
とだけ言い、その場を静かに立ち去って行った。
「根に持つタイプじゃなさそうで良かったな」
ハジメは押井のそばに寄ってそう言った。
「ええ。ただの暗黒街の用心棒とも思えない。武門に生まれた男なのかもしれません」
大樹の根元でクロスボウの簡単な機能点検をしていた鎧塚もこちらに寄ってきた。
デュカス卿と取り巻きたちは、すでに逃げるように館に引き上げていた。
「じゃ、終わったってことで帰るか」
「あ、私は寄りたいところが……」
そのとき、すっかり存在を忘れていた謎の中年男がこちらに近寄ってきた。
「決闘の勝利おめでとうございます、サブロウ様」
「ああ、あなたはハイトラム伯爵家の……」
「執事にございます。お嬢様のたっての頼みで行く末を伺いに参った次第です。レイダ様ご自身が決闘に立ち会うことを熱望されておりましたが、旦那様がそれはお許しにならなかったもので」
「それではレイダにお伝えください。必ず迎えに行くと」
「承知いたしました、お伝えいたします。ただ、旦那様と奥様がお二人の仲をお認めになるかどうかまではわたくしめには……」
「そうですね、それは私が頑張ってみます」
伯爵家の執事は押井に頭を下げ、それからハジメと鎧塚にも礼をして立ち去って行った。
「お前、貴族令嬢を奥さんにもらうにあたって、なんか策でもあんの?」
「自衛隊を辞めて、この世界で起業しようと思っています」
「へー、そうなんだー。……って、聞いてねえぞそれ!?」
「はい。初めて言いました」
押井はこともなげに言った。
「あ、結婚したいからお金を貯めたいっていうことは言った気がします」
「いや、それは言われたけどさ。庶民のおじょーさんをもらって自衛隊を続けるんだと思ってたぞ」
「数年で大商人になったら認めてもらえるかなーと思いまして」
「なれるのかよ!?」
「たぶん。大丈夫です、自分商売のセンスあるんで」
「お前のその自信はどっからくるんだよ……」
ハジメは内心で頭を抱えた。
その後、ハジメたちは夕食もダラボアの店ですませた。
「押井お前さー、俺とマモさんいなかったら今頃死んでたからな? まず間違いなく死んでたからな?」
「あ、はい、お世話になりました……」
押井は少しだけ恐縮して頭を下げたが、あんまり懲りたようでもなかった。
「さんざんな一日だったよなー、マモさん」
と、ハジメは鎧塚に話を振ってみたが、意外なことに鎧塚は、
「い、い、いや。た、楽しかった」
と言って笑った。
鎧塚がこんなふうに笑うのをハジメは初めて見た気がした。
「そうかあ? まあ、じゃあ、悪くない一日だったってことで」
ハジメもそう言って笑った。
******
翌日の休暇を、ハジメは主にタラス砦の中で過ごした。
砦の中には隊員たちの寝室、食堂、調理室、武器庫、会議室、応接室などのほかに、湯あみができる部屋、運動器具を集めた部屋などもある。
ハジメが考えていたのは、主に押井が抜けた後の人員補充についてのことであった。
昨日、実は押井が相当な変人であるということが分かったものの、押井が副官として有能な男であったという事実は変わらない。
規格外の隊員やへんてこな人間ばかりの特務隊が、今までこうしてまとまってやってこれたのには、押井の功績が大きかった。
「どーすっかなあ」
運動部屋で、気のない様子で運動をしていたハジメは他に誰もいない部屋の中でぽつんとそうつぶやいていた。
押井が受け持っていた業務を他の特務隊員にやらせる、という考えは、思いついた途端に却下であった。現在所属しているメンバーの中に押井の後任が務まりそうな人員はいない。
しいていうなら岸井だが、それもどうだろうか。
(困ったもんだなあ……)
ハジメは思わずため息をついた。
昨晩ダラボアの店で夕食をとりながら話を聞いたところでは、異世界自衛隊を辞めて商売をはじめたいという意志は相当固いらしい。
今すぐに、というわけではないということだったが、半年先、おそくても一年先には退職する考えだという。
それを聞いては無理に慰留するわけにもいかず、ハジメもあきらめざるを得なかった。
「仕方ねえなあ。三か月先には方面に伝えて、後任者の選抜でもさせてもらうかあ」
ハジメはまた、ひとりつぶやいていた。