02-03.野戦
特務隊結成から9か月が経とうとしていた。
場所はトラホルン北部、ディール山脈に連なる森に面した開豁地である。
森の中からは獣人の咆哮が聞こえてくる。続いてわめきちらす人の声など。
特務隊長木下ハジメ2尉は森の方角を見つめて時を待っていた。
やがて森の中から転げるように3人の男たちが走り出てきた。斥候組と通称される、足立2曹率いる偵察班のうちの3名であった。
3人はまっすぐこちらに走ってくることなく、左右に散開した。手筈通りである。
そして、森の中からは誘い出された怪物がうなりを上げながら飛び出てきた。
「来たぞっ! 抜かるなよお前らっ!」
ハジメは山賊の頭領みたいに、野太い声で隊員たちに叫んだ。
「おうっ!」
隊員たちはいっせいに応答し、それから左手に盾を構えて、右手に持ったハンマーや剣で盾を打ち鳴らし始めた。
そのまま中央にいるハジメのほうにだんだんと寄ってきた。
挑発と受け止めたのか、単に鳴り物の音が不快だったのか、巨大な獣人はどすどすと音を立ててハジメの立っているほうにまっすぐ前進してきた。
「はい、いらっしゃーい」
ハジメはニヤニヤしながら獣人のほうを見た。
獣人の身長は4メートル近くあるように見えた。到底、人間がまともにぶつかって勝てるような相手ではない。
姿は熊ともイノシシともつかない頭部に、直立した獣のような四肢をしている。
獣人は咆哮して、それからさらに一歩踏み出した。
途端――。
地面の底が抜けて、獣人は落とし穴の中に下半身を落とした。
獣人は驚き暴れて、脱出しようともがき始めた。
「はいやめーっ!」
ハジメは両手を高く上げてから降ろし、全員に鳴り物をやめさせた。
その時、ハジメの横に立っていた小柄な男が鏡を使って背後に合図を送った。
後方の小高い丘の上から、狙撃手の鎧塚2曹が89式小銃で5.56ミリ弾を獣人の左目に打ち込んだ。
獣人は初めて味わう種類の痛みに衝撃を受けたようで、恐ろしい叫びをあげて狂ったように暴れた。
「続いて、とどめいくぞーっ!」
特務隊員たちは足元にあらかじめ置いてあった長槍に次々と持ち替えて、獣人を全周から囲むように広がっていった。
「はーい、ぶっすりいきましょーっ! やれーっ!」
「いやああっ!」
「うりゃあっ!」
隊員たちはそれぞれに気合を入れながら獣人の身体を槍で突きさしていった。
獣人は前足を振り回して暴れたが、槍をはねのけてもどこか別の方向からまた槍が突き刺された。
怪物はやがて失血死し、全く動かなくなった。
「いやー、時間がかかったな」
「それでもまあ、確実な方法ではありました。こちらには死傷者なしです」
ハジメは副官の押井2曹に向かって言い、押井は部隊の戦果を誇るようにそう答えた。
「なあこいつ、食ったらうまいと思う?」
前衛二番手の吉田1曹が、同じ前衛の田淵2曹に向かってたずねた。
「えー? どうなんでしょ。食えるには食えるんだろうけど、これ動物なのかな人なのかな」
「食べたらだめですよ。王宮から報奨金をもらうために死骸は持って行かないとならないんですから」
同じ前衛の沖田2曹が二人をたしなめるように言った。
「食うとは言ってない。うまいのか疑問に思っただけだ」
吉田はむすっとして言い返した。
「あほなこと言ってないで、死骸を荷車に載せろ」
前衛を率いる岡崎1曹が前衛組に指図した。その横で、後衛を率いる岸井1曹が、
「こうえーい、木材の撤去と穴埋め―っ!」
と叫んだ。
怪物の身体のサイズについては事前偵察で掌握していたので、荷車は二台準備してあった。
幅の広い荷車を二台連結し、そこに獣人の死骸を乗せて運ぶという算段である。
ちなみに、安部によるとその獣人には異世界自衛隊によって<バルログ>という名がつけられていた。
異世界自衛隊からの給金の他に、怪物の討伐に関しては王宮からも報奨金をもらえることがあった。
バルログはその報奨金付きの怪物の一種だった。
怪物討伐によって得た報奨金は、半額を特務隊の活動資金にプールして、さらにその半額を宴会などに使い、残りを全員で公平に分けるというのがハジメの決めた特務隊ルールになっている。
水村曹長を死なせて以来部下を死なせない戦いをすることを目指していたハジメだったが、佐伯と宮下を負傷させてしまった後、村田と宮越もそれぞれ腕を一本ずつ失うことになった。
負傷兵4人はタラス砦の警衛隊として運用しているが、これ以上戦闘員を失うとなると、人員の増加を求めるしかないかもしれない。
ハジメが気がかりなのは、それによって負傷兵たちを切らなくてはならないのではないか、ということであった。
「それについては仕方がない面もあると思いますよ。特務隊はただでさえ通常勤務者の3倍の給金をもらっています。さらに負傷兵の4人は闘いに参加しません。タラス砦の門番任務で3倍の給与をもらえるのであれば腕の一本を失ってでも代わりたいなんていう隊員は全自衛隊の中を探せばいるかもしれません」
数日前、副官の押井は冷静にそう言った。
「じゃあなにかおめえ、あいつらを切れっていうのか」
「そうは言いません。隊長のお気持ちは尊重します。ただ、そういう声も上がっておかしくないっていうことです」
「むう……」
押井のいうのが正論だという事もハジメにはわかっていた。
負傷した隊員を非情に切り捨てて、戦闘のできる交代要員を入れる。そして砦の維持運営はみんなで行う。それが筋なのだろう。
「考えてみりゃあ、特務隊の中からそういう声が出ねえってのが不思議なのかもな」
「それは隊長のお考えをみんなが尊重しているからです。部隊の気風を木下2尉が作ったんですよ」
押井は笑ってそう言った。
「実際、ここは不思議な部隊です。自衛隊の服装規範にとらわれないし、序列の上下は一応気にするものの、なんだか学生時代の部活動みたいだし。軍隊でも自衛隊でもない、山賊の集まりみたいですよね」
「そりゃほめてんのか、けなしてんのかどっちなんだよ」
ハジメは苦笑いした。
「どうなんでしょう。自分でもどっちなんだかわかりません。ただ、率直に居心地は悪くありません。隊長の人望でしょうか」
「お世辞を言うなよ、なんだか薄気味が悪いぞ」
「いや、これはお世辞ではなく本当に。隊員たちの誰に本音を聞いても、隊長のことはみんな好きだと思いますよ」
「面と向かってそう言われると困るな。まあ嫌われてないならマシなのか」
「人の上に立つなら、もうちょっと恐れられてもいいと思いますけれどね」
「え、マジで? おれちょっと舐められ気味?」
「うーん。舐められてはいないと思います。ただ、いざとなったら非情な命令も下さなければならないのが指揮官だと私は思います。木下2尉は、そういうときに悩まれるのではないかなと」
「あー、うん。まあそうね」
ハジメは素直に認めた。以前、盟友で上官だったタモツからは、<ハジメは荒っぽいようでいて実はかなりの人情家だな>と言われたことはある。
自衛隊に入る前に不良のリーダーをしていた時も、自分を頼ってくる子分を切り捨てることはできなかったし、そういうのは今でも変わらない。
それがいずれあだになるのではないか? ということを押井は言いたかったのであろう。
(まあ、今後どうなっていくかわかんねえけど、俺は俺にできることしかできねえからな)
とハジメは心の中で独りごちていた。
――ハジメは追憶から意識を戻した。
すでに前衛組は連結した荷車の上に獣人の死骸を括り付け、荷車に引っ張るためのロープを何本も結び付けていた。
後衛組は落とし穴から木材を撤去し、その大穴をショベルで土をかぶせて埋めにかかっていた。
後方、南方向の丘からは鎧塚2曹が小銃を背負って歩いてきた。
「た、た、隊長。狙撃任務終わり、も、もどりました」
吃音もちの鎧塚2曹はつっかえつっかえ報告した。
「よしマモさん、ご苦労だった。後衛組に混ざって作業してもらいたいところだがショベルがもう無い。安倍と押井に怪物の死骸を観察させているんだが、一緒に加わってくれ」
「りょ、りょうかい」
鎧塚は休日には主に王都ボルハンの王立図書館で時間を過ごすという。異世界生活38年になるという転生者ということもあるが、異世界自衛隊の中でも幅広い異世界知識を持っている学者肌の男でもあった。
酒はあまり飲まない、博打もしない、女も買わない。部隊の仲間ともあまり打ち解けない。第3普通科連隊内では一体何が楽しくて生きているのかと人から言われていたような男である。
狙撃手としての才能は誰もが認めるものだったが、ハジメはむしろ彼の異世界知識に期待して特務隊に引き入れた。
いつか鎧塚2曹が特務隊の面々と打ち解ける日が来たら、彼の知識は必ず部隊の役に立つだろうと思われた。
後衛組が落とし穴を埋め終えると食事の支度が出来ていたので全員が車座になって食事をとった。
それから、前衛組が獣人の死骸を乗せた荷車を押したり引いたりして、特務隊は王都ボルハンに向かった。
後衛組は長槍を数本まとめて引きずって歩いたり、ショベルやらの荷物を手に持って運んだ。
獣人を倒した開豁地からボルハンまでの行程は歩いて3時間ほどかかり、到着したころには陽も落ちてしまっていた。
怪物の死骸を乗せた荷車がやってくると、王都の民衆は驚いて叫び、指をさし、あるいは拍手喝采した。
この数か月で<トクムタイ>の名はトラホルン王国の中でも広く知られるようになっている。
それまで胡散臭い別世界人として異世界自衛隊を毛嫌いする者も多かった中で、国内の強力な怪物を積極的に討ち果たしてくる特務隊は、特に王都ボルハンでは人気の的になっていた。
ハジメは演出のために荷車に乗って獣人の死骸の上に立ち、沿道の子供たちに向かって偉そうに手を振って見せた。