01-01.異世界転移
その夜は雨が降っていた。
自殺した部下の通夜に参加した沖沢タモツは、連隊長ドライバーの神谷士長が車を回してくれるのを待っていた。
自衛官は傘をささない。理由は色々あるのだが、それはもう慣習になっていた。
だからタモツは官給品の雨合羽を上だけ着こんで、黒塗りのセダンが自分を迎えに来てくれるのを待っていた。
「お待たせしました連隊長!」
ヤンキー上がりだという神谷士長は明るく元気な青年で、今年で23になるという。彼女の妊娠を契機に結婚をしたという彼は、それまでは自衛隊を2任期満了でやめるつもりだったらしい。
「いつもありがとう神谷君。課業外に使ってしまって申し訳ない」
「自衛官は24時間勤務だと思っています! 自分にそんな気を遣わないでください」
神谷は笑った。
このたびは上官として公務としての葬儀出席だったので、行き帰りに私有車でというわけにはいかなかった。
渡辺3曹の通夜は、ご遺族である父母の意向で当人の出身地であるこの街で行われた。
駐屯地での葬儀は遠慮する、という意向だったので部隊葬は行われなかった。
「今から連隊長の官舎までは2時間くらいかかりますね。おなかがすいていたりしませんか? 自分は待っている間におにぎりを食べましたが」
「気遣いありがとう。大丈夫だよ。トイレも済ませてきた」
神谷士長がドアを開けてくれたので後部座席に乗り込んだ。運転手席の後ろに座り、シートベルトをしっかり締めた。
「出発します」
と神谷は一言断って、車をスムーズに発進させた。
「人が亡くなるっていうのは気が重いですけど、自殺っていうのがいたたまれないですね」
神谷なりの気遣いなのだろう、法定速度をきっかり守る運転をしながら話しかけてきた。
「そうだな。指揮官としての自分の至らなさを思い知らされるよ」
タモツは陰鬱な気持ちで心情を吐露した。
「自分が率いる部隊はそんなにも生きづらい場所だったのかとか、何も自ら命を絶たなくてもとか、色々思うけれども」
「生意気を言うかもしれませんけど、連隊長がご自分を責めることは無いと思いますよ」
「そうかな」
「死んだ人の悪口を言いたくはないですけど、渡辺3曹ってなんか宗教だかセミナーだかに入れ込んで、借金あったらしいですね」
「小隊陸曹からちらっとは聞いたよ」
タモツが聞いた話では、何とかいう新興宗教にはまりこんでから言動がおかしくなり始めたということだった。もともと部隊に馴染んでいたとは言えない隊員だったようだが、このごろは周囲の自衛官を見下すような発言をしたり、安全管理を怠るような行動が散見されたという。
「言動がおかしくなったのがその宗教のせいなのか、もともとプライドが高くて他のやつらと交われないタイプだったのかは知りませんけど、別に周りが意地悪をして本人を自殺に追い込んだとかではないですよ。言っちゃ悪いけど自業自得だと思います」
「ひとつの見解としては聞いておこう。でも連隊長の立場としては賛同できないな」
タモツはやんわりとそう言って諭した。
「すみません……。ちょっと言い過ぎたかもしれません」
「いや、いいんだ。そういう見方もできるだろうとは思う」
神谷が運転する黒塗りのセダンは幹線道路を時速60キロぴったりで走り続けている。
元々車好きだったという神谷だが、ブレーキングはソフトで車線変更なども実にスムーズだった。安全確認も堅実なので、乗っていて実に安心できる。
が――。
崖沿いに道が大きく右にカーブする地点で、不意に対向車のライトがこちらをまぶしく照らした。
「――なっ!!」
神谷は慌てて左にハンドルを大きく切った。ガードレールにこすれた衝撃で、ガガガガと車体が振動した。
「うわあああああっ!」
神谷士長の叫び声が聞こえたと思ったときには、とてつもない衝撃がタモツの身体を襲っていた。
(居眠り運転のダンプかっ!?)
と一瞬タモツは考えた。
が、あとはもう何が何だか分からなくなった。
タモツたちの乗っていたセダンは前方からの衝撃によってガードレールを突き破り、回転しながら崖下に落下していった――ようだった。
そこから先、タモツの意識は暗闇に包まれた。
*******
気が付いてみると、沖沢タモツは丸太で出来た小さめの体育館のような建物の中で、床の上に寝せられていた。
「神谷士長!?」
慌てて上体を起こし、一緒に車に乗っていた連隊長ドライバーをまずタモツは探した。
周囲にはタモツと同じように床の上に立ったり座ったりしている男たちが20人ほどと、わずかに女たちもいた。
見る限り、階級も年齢もバラバラのようだが、どうも全員が陸上自衛官ではないかと思われた。
いや、違う。
一人だけ、腕組みをして全員をにらみつけている小学女子児童らしき女の子がいた。
陸上自衛隊の古い戦闘服を子供服に仕立て直したものを身に着けている。
コスプレ、というやつかとタモツは思った。タモツは詳しくないが、ハロウィンでやるような扮装をして楽しむ人々がいるというのは知識としては知っていた。娘の葵がいわゆるオタクというやつだったから、そこから得た知識だったが。
古い陸上自衛隊の戦闘服を着こんでコスプレをした少女は、年齢に似合わない堂々とした胆力のある声で、
「注目っ!」
と、叫んだ。
(自衛隊用語にも詳しいんだなあ、本格的だなあ)
と、タモツは状況が分からないまま感心してしまった。少女はまるで陶器で出来た人形みたいに色白で、いかめしい軍人を装っているのか無表情だった。
「ここに集まっている自衛官諸君。君たちが今いるこの場所は、日本でもなければ地球上ですらない。全く違う別の世界だ」
この場に集められた者たちは、それぞれに顔を見合わせたり、あるいは少女をあざ笑うような顔をしてにやついた。
「信じる信じないは君たちの勝手だが、いずれ事実を思い知ることになる。日本に帰る方法は、今のところ明らかになっていない」
「あの、じゃあここはどこだって言うんですか?」
「国の名はトラホルン。場所を言うなら、言ってみれば異世界だ」
「はあ……」
少女に質問をした気の弱そうな眼鏡の隊員は、呆けたような顔をして引き下がった。
「おい、チビガキ。何の冗談か知らねえがおふざけが過ぎるんじゃねえか? 地球上ではない異世界だあ?」
ガラの悪い長身の若い男がのしのしと少女に近づき、体をくの字にして間近に少女の顔をにらみつけた。
「残念だが冗談でもおふざけでもない。私は事実を言っている」
「子供じゃ話にならねえ。誰か話の分かる大人を連れてこいやっ!」
「自衛官としての品格にかける男だな、貴様は」
「なんだとっ!?」
次の瞬間、信じられないことが起こった。
柔術なのか合気術なのか、圧倒的に体格差のある長身の男を、少女が一瞬で投げ飛ばしてしまったのだ。
「――ってえっ!」
若い男は信じられない面持ちで頭を抱えながら上体を起こした。
「くっそ! なにもんだテメエ、このクソガキっ!」
「口の利き方に気をつけろ一兵卒」
少女は投げ飛ばされた男の方を一瞥した後、全員の顔を見まわして言った。
「私の名は戸田冴子。本日より貴様らの訓練隊長となった上官だ」
「はあーっ!?」
長身の男が思わず叫んだ。
「よく聞け貴様ら。貴様らは今日から否応なくこの異世界で生きていかなければならない。同時に、陸上自衛隊異世界方面隊・通称異世界自衛隊の隊員として2等陸士から人生を再スタートさせることになるっ!」
その場にいた全員が、ざわざわとざわついた。
事の成り行きを黙って見守っていたタモツは唖然としてしまったが、慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。戸田さんといいましたっけ」
「そうだ。ちなみに現在の階級は曹長だ」
「その異世界とかなんとかいう話はちょっと飲み込めないのですが、もしそれが本当だとして私の階級は1佐なのですが」
「それがどうした。平時の自衛隊で佐官を務めていたからと言って、そんな経験はここではクソの役にも立たんっ!」
「なっ……」
陸上自衛隊の高級幹部にして連隊長、という自分のキャリアに強い誇りを持っていたタモツは愕然とした。
「いいか貴様らっ! ここは平和を満喫できる日本国とは違うっ! お前らの想像を超える化け物たちがうごめく別世界だ。この世界に召喚された自衛官は例外なく、その化け物どもと戦わなくてはならない。それこそ命をかけてだっ!」
気迫と胆力のこもった声で、戸田曹長と名乗る少女は言い放った。
「我々異世界自衛隊は、トラホルン王国の中でいわば化け物どもと戦う傭兵として存在を許されている。これからお前たちはこの異世界で生き残るための訓練を受けなおすことになるのだ。ここでの訓練は厳しいぞ? 現実世界の自衛隊の比ではないと思え」
「そ、そんな……。こちらの自衛隊を除隊するということはできないんですか?」
先ほどの、小柄で眼鏡の男がおそるおそるたずねた。
「希望するならば可能だ。ただし、この異世界では日本語も英語も一切通じない。自衛隊の枠組みを越えて外に出たとして、果たして生きて食っていけるかな?」
戸田冴子は意地悪くそう言って冷笑した。
その場に居合わせた者たちは、この異様な状況に戸惑って互いに顔を見合わせた。
「まあそういうわけだ。お前たちがこの異世界で一日でも長く生き延びられるように私が貴様らを鍛え直す! 訓練は早速明日の朝から開始だ。楽しみにしておけ! 男どもは今夜はこの体育館で眠れ。用便は建物の裏にトイレがある。食事は明日の朝に提供する」
戸田冴子は女性隊員2人についてくるように言い、そのまま建物を立ち去ってしまった。
タモツは自分のキャリアを否定されたショックから立ち直れないまま、その後ろ姿を呆然と見守っていた。