69 目論見の代償
「どうして領主代行であるワシがこんな目にあわねばならんのだっ!」
気がつけば森の奥深くとおぼしき場所にいたヘストン領主代行は苛立っていた。
護衛を務める部下の姿はない。
「無能な連中め! ワシが連れ去られるなど、あってはならんことではないかっ」
いないにもかかわらず叱責の言葉を発するなど無駄の極みと言える行為であったが、こんなものでは足りないと鼻息を荒くして憤慨し続けたままである。
「誰かいないのかっ。モーブル・ヘストン様がこのような劣悪な場所にいるのだぞ!」
カイたちがその言葉を聞いていたなら、自分で様をつけるのかと呆れて失笑していたことだろう。
「ええいっ、喉が渇いた! 誰か、水をここに!」
何時間もずっと喋りっぱなしでは当然のこと。
乾きを感じない方がどうかしている。
この男は気付いていない。
己が鬱蒼と茂る木々の陰鬱な雰囲気と静寂に気押され恐怖していることを。
故に無意識下で声を張り上げ静寂に打ち勝とうとしているのだ。
「どうした、誰もいないのかっ! ワシは王太子様より直々にマージュの全権を任された領主代行なのだぞっ」
こうまで現実が見えていないバカは珍しいのではないだろうか。
自分がどういう状況に置かれているのかを認識できず、たとえ見える範囲に人がいなくても命じれば来なければならないと思っている。
そして要求したことは何もかもまかり通ると勘違いしている訳だ。
もちろん、誰も来るはずがない。
「ふざけるなぁっ! どいつもこいつもグズで無能な役立たずどもばかりではないか!!」
カイたちならば、どの口が言うのかと呆れて無口になってたかもしれない。
あるいは饒舌になるだろうか。
「おのれぃ、ワシが華々しく活躍してランゲルの若造を排除する計画がっ!」
鼻息も荒く愚痴を吐き出すが、それでスッキリわだかまりがなくなる訳ではなかった。
むしろ逆効果。
ますますいら立ちを募らせていく。
「ゴブリンどもが街を完全に滅ぼしてしまっては意味がないのだぞ!」
そう吠えた領主代行はふと何かに気付いたような表情を見せた。
「マズい……」
いままでの荒れようとは裏腹なか細い声で呟いたかと思うと瞬時に顔を青ざめさせた。
「マズいマズいマズい! ゴブリンどものせいで街が壊滅すればワシは殿下に……」
そうは言っても近くにいなくては支配の思念が届かずゴブリンを止められない。
契約の魔法をかけた魔法使いが言っていたのだ。
「お望み通り無数のゴブリンを呼び寄せたが、すべてを支配下におけると思わぬことだ。離れれば離れるほど奴らの本能は支配力を上回るだろう」
あの魔法使いが語った注意点をまさに実感している。
契約が切れていないのは感じるにもかかわらず、どんなに念じてもゴブリンどもは制御できない状態だ。
それだけ遠くに連れ去られたということだろう。
「まさかランゲルの若造がワシの計画に気付いて……」
いや、そんなはずはない。と領主代行は内心で否定する。
あの魔法使いは呼び寄せたのではなく向こうから接近してきたのだ。
いまよりも上の地位に就ける良案があると。
最初は腰痛に効く薬を売り込みに来たため背後関係を疑われる余地はないはずである。
「若造のことはどうでもいい。殿下だ、殿下の怒りを買ってしまえば……」
王太子の気性をよく知っているがゆえに、どうなってしまうのかと考えることすら恐ろしい。
殿下は非情で失敗を許さないだけではなく些細なミスでも苛烈な仕置きをされる。
今回のことが明るみになれば楽には死ねないだろう。
「くそっ、あのような男とも女ともわからぬ得体の知れん輩を信用するのではなかった」
腰痛の薬が思いのほかよく効いたことで気を許してしまった己の軽率さを恨めしく思うのだが今更である。
「忌々しいっ!!」
堪えきれずに吐き捨てる領主代行。
得体の知れない魔法使いに対してだけではなく、目の上のコブとも言える衛兵隊長のランゲルにも同じ思いがあった。
買収した衛兵を首にされたのは一度や二度ではない。
どうにか抱え込めた連中もいたものの全体から見ればごく一部と言わざるを得ない。
「くそっ、奴さえいなければ」
怯えたり苛立ったりと忙しない男だ。
それだけ神経が細いということなんだろう。
「と、とにかく殿下の怒りを買うのはマズい」
必死になって考えるが焦った状態で良案が思い浮かぶはずもない。
「今回のことはランゲルが企図したことにすれば……」
そこまで口にして領主代行は激しく頭を振った。
「無理だ。奴は部下からの信頼が厚い。そのことは殿下も御存じだった」
無実の罪を着せようとしても都合のいいように証言する者がいない。
仮にそれができても誰も信じないだろう。
大勢の前で罪を犯さぬ限り。
そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない話だった。
「最悪だ……」
他の案をひねり出そうとするも何も思いつけない。
どう足掻こうと無事に済む未来がないことに絶望する。
「こうなったら逃げるしかない」
地位も名誉も失うことに無念を感じる領主代行だったが死ぬ間際まで地獄を味わうよりはマシなはずだと思い直す。
「くそっ、どうしてこうなった。ワシはこんなところで終わって良い人間ではないのだぞ」
血を吐くような苦渋の表情で語る領主代行だが、当人を知る街の者たちからすれば正気を疑うことだろう。
あるいは奴ならばそれくらいは言いそうだと思うのかもしれない。
とにかくマージュの住民すべてから嫌われているのだけは間違いなかった。
もっとも当人はそうであることを理解していない。
むしろ好かれているとさえ思っている節がある。
何処をどう曲解すれば、そうなるのかという点については永遠の謎となるだろう。
「いや、まずは逃げなければ」
情緒不安定にも程がある。
領主代行に任じられるまでは王太子の所業を間近で見てきたのだから仕方がないのかもしれないが。
「何処へ逃げる?」
どちらを向いても木々の海が広がるこの場所が何処だかわからない。
マージュの街がどのくらい離れているのかはおろか、どちらの方向にあるのかすら見当もつけられない状態だ。
当てずっぽうに移動して街に近づくことになれば自殺行為である。
そう考えると動けなくなっていた。
「嫌だ」
ブルリと身震いしたかと思うとガタガタと震え始めた。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
生気のない目でひたすら呟き続ける。
もはや精神の均衡を保てないどころか狂気の領域に踏み込み始めていた。
「あんな死に方は嫌だああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫が樹海に木霊する。
元より危機感もなく不用心に叫んではいたが今までよりも一際大きな声であった。
それが何を呼び寄せることになるのかということに気づけていないのは領主代行にとって不幸以外の何ものでもあるまい。
もっとも嫌っていた者たちからすれば宿願を迎えることに等しいのだが。
それから程なくして領主代理は樹海の魔物に襲われ餌食となった。
断末魔の悲鳴は余人に届くことはなく誰にも知られずに人生の幕を閉じたのである。
しかしながら、このような状態で死んでしまうと成仏できないのが世の常というもの。
無念の死を遂げた領主代行は現世への執着からゴーストを超えた存在レイスとなった。
同じ霊体型のアンデッドではあるが上位種だけあってゴーストの弱点である炎に耐性がある。
魔法でなければ容易には倒せないだろう。
現に肉体を滅ぼした魔物はすでに息絶えている。
「コロス……」
レイスに表情はない。
が、憎しみの言葉はハッキリと発せられていた。
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