34 現れたのは……
「んん、どういうことだ?」
姿を見せるようにとの要求に軽い調子で了承されたが誰も出てくる様子がなかった。
返事はしたもののバックレたのかとも思ったが、そういう空気は感じない。
この場にはいるはずだ。
では、気まぐれを起こして姿を現すのはやめにしたのか。
わからない。
もしかすると俺が困惑するのを楽しむような質の相手なのだろうか。
「主よ、下じゃ。足下を見るが良い」
「足下?」
リムに促されて視線を下に向けると……
「黒猫?」
金の双眸をキラリと輝かせた漆黒の毛並みを持つ猫が前足をそろえて座っていた。
ずっとここにいましたとばかりの澄まし顔で落ち着き払っているが、実際は俺が困惑している間に門の向こうから寄ってきたのだと思う。
なかなか肝が据わっているというか、ふてぶてしい感じのする猫だ。
外見からしても普通の猫と比べても一回り大きい。
だが、それ以上にいつか動物園で見た黒豹を想起させるほどの貫禄を感じる。
しかも、だ。
「世間ではそう言われることが多いね。この界隈ではクロちゃんって呼ばれてる」
他の誰でもない黒猫がそう語り楽しげに笑みを浮かべた。
「お、おう……」
動物が喋るという動画なんかを見たことはあるけれど、これは明らかに別格だ。
そういう風に聞こえるとかではなく俺の疑問に答える形で目を見てよどみなく喋ったからね。
声の具合からすると、あどけなさの残る中学生くらいの女の子をイメージしてしまうのだが。
普通の猫とは思えないので実年齢がいくつなのかは判然としない。
「お兄ちゃんのお名前は?」
屈託のない笑顔で問われるとどうしても子供のように思えてしまうが、たぶん違うと俺の勘が告げていた。
「能登珂伊だ」
「カイ兄ちゃんだね。よろしく~」
無邪気に笑う黒猫である。
これはアレだな。実年齢とか関係のない言わば永遠の子供ってやつだ。
年齢とか気にするだけ無駄だろう。
誰だ? これが本当のロリBBAとか言ってるのは。
「ああ、よろしくな」
とは言ったものの解決すべき事案がいくつかある。
「で、君の名はクロでいいのか?」
これも事案のひとつである。
まさか黒猫と呼ぶ訳にもいかないからな。
馴染みのある名前で呼ぶべきか確認しておく必要があるだろう。
「好きに呼べばいいよ」
自分の名前のことなのに、どうでもいいと言わんばかりの軽い返事だ。
「もしかして正式な名前はないのですか?」
黙って成り行きを見守っていたイリアがたまらずと言った様子で黒猫に尋ねた。
「うん。ずっと前に飼われていた時は名前があったけど忘れちゃった」
「飼い主がいたのですか?」
「とっくに死んじゃってるけどねー。アタシはこの界隈じゃ一二を争う長生きさんだから」
「え?」
黒猫の返事が想定外の内容だったようでイリアが目を丸くさせる。
「こう見えてもアタシは妖怪猫なんだよ、エッヘン」
「ヨウカイですか?」
小首をかしげるイリア。
異世界出身だけあって日常会話で使わない単語は知らないよな。
「魔物かそれに類するものなんじゃろうよ」
イリアの疑問に答えたのはリムであった。
ドラゴンである彼女には外見以外の何かを見抜くことができるのかもな。
「妖怪と魔物じゃ似て非なるものだと思うぞ」
何処がどう違うのか説明はできないけれど。
「よくわかんなぁい」
俺が漏らした感想に黒猫が反応した。
魔物と言われてムッとすらしていなかったが知らぬが故ということもあるだろう。
ここはフォローしておいた方が後々のためになりそうだ。
「元は普通の猫だったんだろう?」
「うん。気付いたら妖怪になってたけどね」
「じゃあ、魔物じゃないな」
「そうなのぉ?」
「魔物は最初から魔物だよ。妖怪にもそういうのはいるけど君の場合は違うだろ?」
「なるほどぉ」
なんだか楽しげな様子でクックと喉を鳴らして笑っている。
実に人間くさい反応だ。
それも無邪気な中学生くらいの子供っぽさを感じるのだが。
「もしかして人化できたりするかい?」
「うーん、できるけどぉ」
黒猫は勿体ぶるというか何処か渋った感じの返事をする。
「何か問題があるのか?」
「長時間は無理かなぁ」
「なるほど」
「それと大人はダメ~」
子供っぽいと思ったが、容姿の方も子供よりになってしまうようだ。
「そういう縛りがあるんだな」
「違うよぉ。大人に変化したくないだけ-」
ガクッ
思わずズッコケた。
俺だけじゃなくイリアやリムも。
「えっとね~、中学生くらいがしっくりくると思う」
「そうなんだ」
「見たい?」
瞳をキラキラさせて聞いてくる。
それを言うなら「見せたい」じゃないのかとツッコミを入れるのは野暮というものだろう。
「後でな」
「え~っ」
やはり見せたかったようで不満げな声を漏らす黒猫だ。
「こんな場所で人化したら騒ぎになりかねないだろう」
「アッハッハー、それもそうだねえ」
黒猫は直前の不機嫌さをひっくり返したように、あっけらかんと笑う。
こういうところは猫そのものだよな。
「でも、アタシが喋っている時点で誰かに聞かれたらアウトなんじゃないのぉ」
そう問うてくる割に危機感など微塵も感じられないのんびりした口調で聞いてきた。
イタズラを仕掛けた子供のように楽しげですらある。
「案ずることはあるまい」
リムが落ち着き払った様子で俺の方を見てくる。
「主よ、そのあたり抜かりはないのであろう?」
「まあね。【遮断する壁】を使ってる」
「何それ~?」
ワクワクした空気を全身から発しながら黒猫が聞いてくる。
「俺が使う特殊能力のひとつだよ。見えない壁で指定したものを遮断するんだ」
「それで遮断する壁なんだぁ」
「そ、ちなみに今は音の振動だけ外に伝わらないようにしてる」
「うはっ、便利ぃ~」
はしゃいだ声を出した黒猫だったが、急に姿勢を正した。
こういうところも猫っぽい。
いや、猫なんだけど。
「主ってどういうことなの?」
急に神妙な雰囲気になったかと思ったら、そのことか。
「いまどき主従関係とか流行んないよ? 武士じゃあるまいし」
「流行り廃りなど関係ないじゃろう。大事なのは主と妾がどう思っておるかじゃ」
「うひゃー、妾っていつの時代の人なのさ」
本気で驚いているのか黒猫はピョコンと跳び上がっていた。
「もしかしてお姉さんも長生きして妖怪になった口なの?」
「ここにいる誰よりも長生きしておるが妖怪とやらになった覚えはないぞ」
「誰よりもってお姉さんも言うねえ。こう見えてアタシ江戸時代から生きてるんだけど?」
「江戸時代とな?」
リムが首をかしげると黒猫はフフンと鼻を鳴らしそうなドヤ顔で胸を張る。
「数百年くらい前だな」
「なんじゃ、その程度か。妾と張り合いたいならば桁がひとつ足りぬ」
「え─────────────────────っ!?」
黒猫がカクーンとアゴを外しそうな勢いで驚きをあらわにした。
「大先輩じゃん」
目を丸くさせた黒猫を見て今度はリムがドヤ顔になる。
「やっぱり妖怪だよ。人間じゃそんな長生きできないもん」
「妖怪ではない。ドラゴンじゃ」
「へっ?」
呆気にとられたような顔でしばし固まる黒猫。
「……龍神様だったの?」
そっちは年齢ほど驚かないんだな。
桁違いの長生きと知って尋常ならざる存在だと認識を改めたから?
おそらく気配でも並々ならぬ強者であることに気付いていたんじゃなかろうかとは思う。
リムだって人前に出るってことで誰彼構わず威圧してしまわないよう気配は抑えているのだけど。
それでもリムがただ者でないことなど、わかる者にはわかるはずだ。
結果として妙な誤解をされてしまったのは並び立つ身としては苦笑を禁じ得ない。
だって神様呼ばわりされているリムから俺は主と呼ばれるんだからさ。
俺は何者だ? ってなるよな。
読んでくれてありがとう。
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