3 水溜まり
駅を出て、傘をさしながら学園に向かって歩いていると、
車一台が何とか通れる細い道のところで、
その道をさえぎるように、大きな水溜りが出来ていた。
その水溜りの前まで来て、紳士クンと撫子は足を止めた。
幅にして約二メートル。
ひょいと飛び越えるには、ちょっと大きすぎる水溜りである。
「あちゃ~、こんな事なら近道するんじゃなかったわねぇ」
撫子は頭をポリポリかきながら言った。
本来ならエシオニア学園への通学路は他にあるのだが、
撫子の提案で、やや狭いが早く着ける近道の方を来た事が裏目に出てしまった。
水溜りの深さは四、五センチというところだろうか。
ズボンの裾は大丈夫だとしても、靴が中まで濡れてしまうのは避けられそうになかった。
「これだと、通学路の道の方に引き返した方がいいんじゃない?
まだ時間はある事だし」
紳士クンは極めて妥当な提案をしたが、
隣の姉はその提案に頷こうとせず、代わりにこう言った。
「いいえ、せっかくだし、この道を行くわよ」
「へ?」
撫子の『せっかくだし』という言葉に紳士クンは?(はてな)マークを頭上に浮かべた。
「せっかくって、どういう事?」
紳士クンが尋ねると、撫子はニヤッと笑い、こう答えた。
「これはね、あんたが男らしさを見せる、いいチャンスなのよ」
「え?そうなの?」
思わぬ言葉に目を丸くする紳士クン。
それに構わず撫子は続けた。
「この状況を見なさい。
一足飛びじゃあ飛び越えられない大きな水溜りの前で、
おしとやかで可憐な少女が困っている。
そんな時、真のジェントルメンを目指すあんたは、どういう振る舞いをするべきだと思う?」
そんな撫子の問いかけに、紳士クンは尚も尋ねた。
「え?おしとやかで可憐な少女って、何処に居るの?」
「ここに居るでしょうが!私よ私!」
紳士クンの素の発言に撫子は怒り狂い、
自分の失言に気づいた紳士クンは、慌てて取り繕った。
「あ!いや!うん!そうだよね⁉
おしとやかで可憐な少女といえば、お姉ちゃんしか居ないよね⁉」
「本当にそう思ってんの?」
「も、もちろんだよ!」
「まあ、いいけどさ」
撫子は腑に落ちないながらもそう言い、気を取り直してこう続けた。
「だったらそんな私に対して、あんたはどういう振る舞いをすればいいと思う?」
「え?う~ん・・・・・・」
「分からないの?」
「いきなりそんな事を言われても・・・・・・」
「あんたねぇ、真のジェントルメンは、困っている少女が目の前に居たら、
その少女に助けの手を差し伸べるモノしょうが」
「そ、それはつまり、ボクが何とかして、
お姉ちゃんをこの水溜りの向こう側に送り届けるって事?」
「イエス」
「ボクがこの水溜りに寝転んで、お姉ちゃんの足場になればいいの?」
「そこまでしなくていいわよ。
そうじゃなくて、もっとジェントルメンらしい方法があるでしょう」
「お姉ちゃんを俵かつぎして、水溜りの向こうまで運ぶとか?」
「あんたね、それだと私が盗賊にさわられた街娘みたいじゃないの」
「じゃあ、おんぶ?」
「こなきジジイみたいで嫌」
「なら、肩車?」
「それの何処がジェントルメンなのよ?
ジェントルメンというよりお父さんじゃないの」
「じゃ、じゃあどうすればいいの?」
「ジェントルメンといえば、お姫様だっこでしょうが。
映画とかでもあるでしょう?あれで私を向こうまで運ぶのよ」
「え?でもお姫様だっこって、凄く腕の力が要るんだよ?」
「だから何なのよ?」
「だからつまり、お姉ちゃんはボクより体重が重いから──────あがっ⁉」
紳士クンがそこまで言った時、撫子が紳士クンの顔面を右手で鷲掴みにし、
殺意のこもった声でこう言った。
「誰の体重が、あんたより重いですって?」
実は撫子は、自分の体重に関して殊の外デリケートであり、
その割にはこの春休みにお菓子を食べ過ぎて体重が増えてしまっていたので、
今の彼女に体重の話はタブーなのだった。
「ご、ご、ごめんなさいぃ・・・・・・」
その事に今更気づいた紳士クンは慌てて謝ったが、
撫子がこうなってしまうと、ひと暴れしなければ怒りが治まらないのだった。
(あああ、どうしてボクは、
いつもお姉ちゃんを怒らせる事ばかり言っちゃうんだろう・・・・・・)
紳士クンは自分の不用意な発言を悔い、そして姉の怒りの鉄槌を受ける覚悟を決めた。
と、その時だった。