5 元気印の樫増笑美
と、その時だった。
「ごきげんよー乙子ちゃん!」
という元気一杯の声が聞こえたかと思うと、紳士クンは背中を思い切り突き飛ばされた。
「ぶふっ⁉」
その勢いで紳士クンは、正面の靴箱に前半身を激突させた。
「う・・・・・ぐ・・・・・」
そのあまりの痛みに、上半身を屈める紳士クン。
そして痛みに顔を歪めながら振り向くとそこに、
赤茶のフワッとした髪を左右に分けて緑色のリボンで結んだ、
紳士クンと同じくらいの体格の女子生徒が居た。
ちなみに彼女は紳士クンのクラスメイトだったのだが、
まだクラス全員の顔と名前が一致していない紳士クンは、彼女の名前が出てこなかった。
「ご、ごきげんよう、えーと・・・・・・」
紳士クンが言葉を詰まらせていると、
その理由をすぐに察した彼女は、元気よくこう続けた。
「笑美や笑美!ウチの名前は樫増笑美!
もう一緒のクラスになって一週間くらいやのに、まだウチの名前を覚えてくれてへんの?」
笑美と名乗った彼女は、頬を膨らませて怒った表情を見せた。
「あ、ご、ゴメンナサイ。ボク、人の顔と名前を覚えるのが苦手で・・・・・・」
そう言って紳士クンがしおらしく謝ると、笑美はまたニカッと笑って言った。
「冗談冗談。全然怒ってへんよ。
かく言うウチも、クラスメイトの名前と顔が殆ど一致してないからね。
でも、乙子ちゃんの顔と名前はすぐに覚えたから、早いうちにお友達になりたかってん」
「え?どうしてボクなんかの事を?」
「だって乙子ちゃん、入学式の時に一番目立っとったし」
「あ・・・・・・」
笑美の言葉であの入学式の事を思い出した紳士クンは、顔をこわばらせた。
(うう、そういえばあの時の出来事は、
その場に居た新入生全員に見られちゃったんだよね・・・・・・)
そう思うと恥ずかしいやら情けないやらで、
今すぐにでもこの場から消えてしまいたい気分になった。
「なぁ乙子ちゃん」
と、笑美は紳士クンの顔を覗き込みながら言った。
その笑美の愛らしい顔が突然目の前に接近したので、
紳士クンの鼓動が急激に激しくなった。
一方紳士クンを完全に同性だと思い込んでいる笑美は、変わらぬ調子で続けた。
「さっき話してた人、凄茎会長やろ?
入学式の時もそうやったけど、乙子ちゃんって、あの会長さんと知り合いなん?」
「う、あ、それは・・・・・・」
何とも答えにくい質問に、紳士クンは言葉を詰まらせた。
何か適当な嘘を言って誤魔化せばいいのだが、
笑美の顔がすぐ目の前にある事にドギマギしている紳士クンは、
適当な嘘が思いつかなかった。
すると、そんな紳士クンの困った様子を察したのか、
笑美は紳士クンの顔を覗き込むのをやめて、
「あ、ゴメン、答えにくい事やったら答えんでもええから。気ぃ悪ぅせんといてな?」
と、申し訳なさそうに言った。
「あ、いや、そういう訳じゃないんだ。
あの人、凄茎会長は、ちょっとした知り合いなんだよ」
笑美の気遣いに幾分気分がほぐれた紳士クンは、そう言って少し笑った。
それを見て笑美も笑顔になり、
「そうなんや」
と言った後に、紳士クンに向かって右手を差し出した。
「まあともかく、これからよろしくね、乙子ちゃん」
「あ、こちらこそよろしく、えと、樫増さん」
「笑美でええよ」
「笑美、さん」
そう言って紳士クンは、遠慮気味に笑美と握手を交わした。
彼女の掌はその笑顔と同じ様に温かく、ずっと沈んでいた紳士クンの心を、
少しばかり前向きにさせてくれた。
そして同時に、彼女に対して淡いドキドキ感を抱いた。
その感情が恋なのか何なのかは、紳士クンにはよく分からなかったのだが。




