9 愛雛先生
「──────ブ?」
意識の遠くから、声がした。
「──────大丈夫?」
声は次第にハッキリと聞こえるようになり、
そこにペチペチと頬を叩かれる感触も加わった。
そして、
「ねえ、起きなさい。大丈夫?」
という声で、紳士クンは目を覚ました。
「ん・・・・・・ん、あれ?」
ゆっくりとまぶたを開けた紳士クンは、ハッと我に返ってガバッと上半身を起こした。
すると目の前に、紺色のスーツを着て、
細いフレームの眼鏡をかけた女性が、腰を屈めて紳士クンの顔を覗き込んでいた。
「あ、起きた」
目を覚ました紳士クンを見て、その女性はホッとしたように言った。
「あ、あれ?ボク・・・・・・」
この状況をまだよく飲み込めない紳士クンは、目をパチクリさせて周りを見回した。
ここはどうやら校舎の廊下のようで、
紳士クンはその端で横たわり、気を失っていたのだ。
(え・・・・・・と・・・・・・
ボクは何でこんな所で寝転んでいたんだろう?
それにあの会長さんも、何処かに行っちゃったみたいだし・・・・・・)
そもそも紳士クンが気を失ったのは、
令が使ったあの妖しい香水のせいなのだが、
紳士クンはその辺りの記憶があいまいになっていた。
そんな紳士クンの目の前で、正面に居た女性が、右掌をヒラヒラさせて言った。
「お~い大丈夫~?まだ頭がボ~ッとしてる?」
「あ、いえ、もう大丈夫です!」
紳士クンは慌てて立ち上がりながら言った。
その紳士クンに、女性は心配そうに続ける。
「ホントに大丈夫?まだしんどいんだったら、保健室まで連れて行ってあげるわよ?」
「いえ、ホントに大丈夫です!ご心配をかけてスミマセン」
「まあ、大丈夫ならそれでいいけど。ところであなた、新入生よね?」
「あ、はい、そうです。って、ああっ⁉そうでした!」
入学式の事をすっかり忘れていた紳士クンは、慌てた声を上げた。
「い、急いで会場に行かないと、式が始まっちゃう!」
そう言って慌てふためく紳士クン。
そんな紳士クンを見て、女性はおかしそうにクスッと笑って言った。
「心配しなくても式までにはまだ時間があるわよ。
私も今から行くところだから、ついてらっしゃい」
「あ、ありがとうございます。その、初対面なのに、こんなに親切にしてもらって」
「あはは、そりゃあ私はこの学園の教師だからね。それくらいは当たり前よ」
「あ、先生だったんですか?」
「そうよ。私の名前は愛雛彩。担当科目は体育よ」
と、愛雛先生が自己紹介をした時、校舎全体に、教会の鐘の様な、
カラーンカラーンという音が響いた。
するとそれを聞いた愛雛先生は、
「わ!大変!もうすぐ式が始まるわ!」
と言ったかと思うと、踵を返してそのまま走り出した。
「あ、ま、待ってください!」
自分一人では会場の場所も分からない紳士クンは、慌てて愛雛先生の後を追った。
すると愛雛先生は走りながら紳士クンの方に振り向き、
爽やかな笑顔を浮かべてこう言った。
「会場までどっちが先に着くか競争よ!」
そして愛雛先生は、更に走るスピードを上げた。
(ええっ⁉め、めちゃくちゃ速い!)
紳士クンが度肝を抜かれるほどに、愛雛先生は足が速かった。
流石は体育教師というところか。
するとその前方を歩いていた、ちょっと年配の女性教師らしき人に、
「コラ!廊下を走るんじゃありません!」
と、教師の身である愛雛先生が叱られた。
「ひぃいいっ⁉ごめんなさいぃっ!」
まるで先生に叱られた生徒の様に、愛雛先生はしょんぼりとして立ち止まった。
それを少し離れた後方で見ていた紳士クンは、
(愛雛先生って、ちょっとおっちょこちょいな人なのかな?)
と思い、少し親近感を持ったのだった。