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美奈子ちゃんの憂鬱

美奈子ちゃんの憂鬱 安楽椅子に寝そべって 青頭巾

作者: 綿屋 伊織

 久しぶりの「美奈子茶の憂鬱」シリーズです!

 書けて良かった!

 連休万歳っ!

 働きたくないっ!

 水瀬の携帯が鳴ったのは、水瀬が公園の水で夕飯を済ませた所だった。

 電話の相手は父、由忠だった。

「何か用?」

 卒業まで女装の刑に処された息子に(父親として当然)腹を立てた由忠によって、またも家を勘当された水瀬の声はかなりとげとげしい。

「用があるからかけている」

 対して、話題になるとすれば不祥事ばかりの一人息子にいい加減頭に来ている由忠の声もまた、決して友好的ではない。

「……もうちょっと」

 水瀬は公園の端に生えていたナツメの実をかじりながら言った。

「他の言い方が出来ないの?」

「わかった。言い直そう」

 由忠は噛んで含めるような口調で言った。

「用がなければ、この世に必要のない生ゴミ相手に電話をかける程、私はヒマではない」

「……お父さん」

 水瀬はわき上がってくる怒気を必死に押さえながら言った。

「あなたとは、どうしてもいっぺんサシで白黒を……!!」

 傍から聞いていれば、一体、血の繋がった親子が電話一本でどうしたらここまで話がこじれるか不思議なほどだ。

 水瀬としては不本意だろうが、こういう時、世間の荒波にもまれてきた由忠の方が、上手だ。

「お前の知り合いに、探偵がいたな」

 完全に無視だ。

「紹介するつもりはないからね」

「何故」

「僕は、クラスメートをお父さんの慰みモノにしたくない」

「そして、お前は変装が得意だったな―――特に女装が」

 無視されっぱなしの水瀬はしぶしぶ頷いた。

「……否定はしない」

「お前と、その探偵に仕事を頼みたい。報酬は―――」


●桜井美奈子の自宅

「おばさんが思うに」

 放課後、美奈子の家を訪ねた水瀬に、美奈子の母が言った。

「美奈子も、名探偵なんて言われて、いい気になっていると思うの」

「はぁ」

 母親の横に座る美奈子は、水瀬の持ってきたケーキにかぶりつく葉子の世話に追われている。

「大体、泊まりがけで同い年の男の子と……でしょう?」

 水瀬にも、美奈子の母が心配していることはわかる。

 探偵としての仕事。

 しかも、年頃の男と泊まりがけ。


 年頃の娘に間違いがあっては困る。


 しかし、水瀬も引き受けた以上、ここで引き下がる訳にはいかない。

「報酬は十分に」

「あのね水瀬君」

 美奈子の母は、まるで水瀬の言葉を遮るように言った。

「おばさんが言いたいのは、お金じゃなくて」

「―――華雅女付属小の推薦特別枠が」

「美奈子?」

 美奈子の母は静かに言った。

「葉子のためにも、しっかり頑張ってくるのよ?」


●国鉄 某路線特急列車車内

「……どうせ」

 目的地に向かう電車の中、美奈子はふてくされたように頬杖をついた。

「私ゃ、デキが悪い娘ですよだ」

「まぁ、そう怒らないで」

 水瀬は笑いながら美奈子に駅弁を手渡した。

「おばさん納得させるには、葉子ちゃんは最高のネタなんだから」

「―――まぁ、そりゃそうなんだけどさ?」

 駅弁の包みを開きながら、美奈子はそれでも納得出来ない。という顔だ。

「娘の貞操心配しておいて、葉子の進学ちらつかされた途端、掌返すって親としてどうなのよ」

「……息子が公園の水道水飲んで暮らしてるの、無視出来る親よりマシだよ」

「……それはそれで悲惨よね」


 ガランとした車内にレールの音が響く車内。

 美奈子の周囲には、水瀬が買い込んだ駅弁の空箱が2、3個転がっていた。

「ようするにね?」

 水瀬はことの顛末を話した。

 目的地はN県のA市。

 この一角にS山という山があり、その麓には湖がある。

 この湖周辺は鬱蒼とした森が広がっており、濃い霧が年中立ちこめることから、様々な伝説が語られている。

 ここで迷ったら生きて帰ることが出来ないという伝説から、「不帰かえらずの森」や、深い霧から「霧の森」と呼ぶむきもあるが、そんな神秘性が特に女性に受けて、観光地としてゆっくりだが人気のスポットになりつつある。

 そんな所だ。


 そこで先日、宮内省の女性職員が行方不明になった。


 宮内省の宝石管理部門担当者で、宝石を一つ盗み出したこと後、その潜伏先としてこのS山付近を選んだらしく、東京駅から、今、水瀬達が乗っている電車に乗ったことは警察も確認している。

 「不帰かえらずの森」にたどり着いた彼女は、近くの小さな宿屋に宿泊し、翌朝にはチェックアウト。その後、行方をくらませた。


 ―――失踪、と呼んでいいよ。

 水瀬は説明をそこで切り上げた。


「目撃者がそこまではっきりしているなら」

 話を聞いた美奈子は首を傾げた。

「どこかに逃げたんじゃない?」

「S山は交通の便からすれば行き止まり。道は狭い山道が一本しかないし、交通量は恐ろしく少ない。徒歩でだったら一発でバレる。というか、道は事故でその日一日通行止めだったから、彼女が逃げられたとしたら、S湖駅からの鈍行一本だけ」

「……それで目撃されていない?山の中歩いて他の道に出た?」

「他の道はないよ。原生林に近くて、クマが群れでいる山の中歩いて30キロ以上歩かないとね。ちなみに彼女の失踪当時の服装はパンプスだよ」

 パンプスで熊がいる山の中を歩く自身は美奈子にもなかった。

「でね?目撃者はいるんだよ」

 水瀬は言った。

「森の中で見たって人が」

「ほら」

「森の中に湖があるって話しはしたよね?その湖を見に来たっていう観光旅行中の老夫婦」

「……かえらずの森に?」

「呼び名は、森の奧にあった温泉に人を近づけないための方便みたいなものだよ。

 今では、霧の森って名前のほうがポピュラーだけどね」

「ふぅん?」

「話を戻すね?この人は宿をチェックアウトした後、湖に向かっている。

 理由は不明。

 天気は濃霧。

 直後に同じ宿をチェックアウトした老夫婦が、湖見物のために、彼女の少し後ろを歩いていたんだ。だけど湖に近づいたあたりで、二人がちょっと目を離した途端、目の前を歩いていた彼女の姿が―――消えた。というんだ」

「霧のせいじゃない?」

 美奈子は答えた。

「霧に視界を妨げられて、急に曲がったりしたら消えたように見える」

「……その老夫婦も徹底的に調べられたけど、リタイアした大学教授夫婦で、疑うべきモノはなにも見つかってない。ウソを言っても意味がない。それに、お父さんも宝石を持ち逃げした程度にしか考えていなかったんだけど」

 水瀬は車内販売で買った冷凍ミカンに手をつけた。

「……これ、おいしいんだよね」

「一個ちょうだい?……で」

「調べてみたら、ここ2年の間に、あの湖で3人の女性が行方不明になっていることがわかった。しかも、全員、死体が見つかっていない」

「3人も?」

「年齢も職業も何もかも違う……単なる偶然と判断されることかもしれない。共通するのは、全員が女性の一人旅で、同じ宿屋に泊まっていたことだけ。

 お父さんは、この連続失踪に何かひっかかるものを感じた。

 そこで美奈子ちゃんに白羽の矢を立てた」

「……旅行者のフリして湖にむかって」

 美奈子は冷凍ミカンの冷たい食感を楽しみながら言った。

「もし、犯罪絡みなら犯人を誘いだす。目的はその職員を助け出すこと」

 ……違う?と、小首を傾げた美奈子に、水瀬はもう一個、ミカンの皮を剥きながら言った。

「お父さんは、女性職員の生命について、それほど楽観的な意見はもっていないよ」

「……」

「最悪、宝石の所在を確認すること。そして本当に事件なら、犯人を確保して警察に突き出す」

「……」

「それで葉子ちゃんは、華雅女子学園付属小学校の特別推薦枠を手に入れて、桜井さんはバイト代が手に入る」

「……いいのか悪いのか」



 目的地までは葉月駅から電車を3つ乗り継ぎ、バスで30分の田舎だ。

 無人駅のペンキが剥げかけた改札口を出ると、高い山々の麓、鬱蒼と茂る木々から滲み出るような冷気と、冷気が形になったような霧が美奈子達を出迎えた。

 人気がまるでない。

「平日ならこんなものだよ」

 水瀬はそう言いながら、美奈子に包みを手渡した。

「いい?桜井さんは今年19歳。帝都大学法学部の一年生。これが学生証。万一、学校に問い合わせが行っても、学生だと認めてもらえるよう、手はずが整っている」

「―――で?」

「宿のこと?おすすめはローストビーフだって」

「へぇ?」

「昔は主人と一人娘で経営していたけど、2年前に娘が死亡。ご主人はかなり落ち込んだ後、近頃は立ち直って宿の経営に専念している」

「ご主人の周囲の評判は?」

「元々人当たりの良さで定評のあった人で、気さくにおいしいハーブ茶をふるまってくれるって、近所の奥様方の評判も上々」

「―――ふぅん?」

「……どうしたの?」

「事件が起きた時期と娘さんが亡くなった時期が一致するのは偶然かな?」

「……へ?」

「ま、いいわ」

 美奈子はリュックを背負った。

「お腹空いたし」

「……駅弁、いくつ食べたの?」


 問題の宿は、駅から徒歩で15分程。

 白樺の林の中に建つ手入れの行き届いた白いペンション。

 部屋毎に作られた切り妻屋根が、女の子としての感覚からすればお洒落な部類に入る。


「これ……か」

 謎の事件が起きている以上、その外見がどうであれ、美奈子はさすがに緊張してしまう。

「水瀬君は?」

「僕は泊まらないよ?」

「―――へ?」

「外で待機している」

「で、でも」

「二人連れじゃ、犯人が動かない可能性がある。安心して?全員、ペンションからは生きてチェックアウトしている

「……成る程?」

 クンッ

 美奈子が、“それ”に気づいたのは、その時だ。

 クンクン

 美奈子は鼻を鳴らした。

「どうしたの?」

「……ううん?気のせい」

 美奈子は首を振った。


 ―――何だか、いい香りがしたんだけど。


 美奈子は、ペンションのドアを開けた。


 玄関ホールの奧はカウンターになっていて、脇には暖炉があった。

 カウンターではエプロン姿の男が皿磨きの最中だった。

「いらっしゃい」

 美奈子を出迎えたのは、まだ40前だろう、中年と呼ぶには若い男。

 背が高く、スラッとした容姿は精悍さを感じさせる。

「部屋、ありますか?」

 美奈子は努めて平静に訪ねた。

「シーズンオフですから、他にお客様はいませんよ」

 男は皿を置くと、カウンターから出てきた。

「ご主人?」

「はい―――湖見物ですか?」

「はい」

 美奈子はドアを閉め、頷いた。

「シーズンは紅葉の頃……失礼ですが、季節外れですよ?」

「……忘れたい思い出なんですけど、でも、この湖が忘れられなくて」

「ああ……」

 沈んだ声の客の態度に配慮したんだろう。主は美奈子をカウンターに誘った。

「ウェルカムドリンクになります」

 よく手入れされたティーカップに入った琥珀色の飲み物。

 美奈子は一口、口をつけた。

 甘すぎず、かといって薄くもない。

 口の中に清涼感が広がっていくような、不思議な味だった。

「おいしいですね」

「ありがとうございます」

 主は軽く頭を下げた。

「当宿自慢のハーブティーです。裏の畑でいろんなハーブを育てていまして」

「そうなんですか」


 ―――それでか。


 美奈子は、宿に入る時、嗅いだ“とてもいい香り”の正体を悟った。


「では、宿帳にご記入を―――部屋にご案内します」

「はい」



 案内された部屋は角部屋。

 ベッドが二つ。

 手入れされた部屋には汚れ一つ無い。


「いい部屋ですね」

 美奈子は素直にそう言った。

「ありがとうございます」

 無邪気なまでに喜ぶ主が頭を下げる。

「夕食は地物野菜をふんだんに使った自慢料理です。露天風呂もありますのでご利用下さい」



「桜井さん」

 水瀬との接触があったのは、美奈子が料理に舌鼓をうち、露天風呂を満喫しているまさにその時だった。

「―――っ!!」

 露天風呂の岩陰から突然顔を出した水瀬に、美奈子は思わず風呂に体を沈めた。

「な、なななっ!?」

 慌ててタオルで前を隠す美奈子に、水瀬は何でもない。という顔で言った。

「宿の中に異常は発見出来なかった。宿の中は安全だと思う」

「……」

「お料理、おいしかった?」

「―――ねぇ」

「何?」

「私、異常を見つけた」

「な、何?」

「女の子が入浴してるってのに、平気な顔して顔を出す男の子よっ!」


 ガンッ!

 美奈子の投げつけた洗面器が、水瀬の顔にクリーンヒットした。



 翌日


「よく眠れましたか?」

「はい」

「朝食のご用意を」

「いえ」

 美奈子は言った。

「朝食は食べないんです。チェックアウトお願いします」

 美奈子は、手続きを終えると主に言った。

「ハーブティー美味しかったです」

「―――またお越しを」


 ドアの向こうは、相変わらずの霧の世界だった。


 まるで霧の中を泳いでいるような錯覚さえ覚える世界で、美奈子は湖を目指して歩く。


 背後を振り返ると、10メートルほど後ろにぼんやりと人影らしきモノが見える。

 手はずでは、変装した水瀬のはずだ。


 ―――さて?


 旅行客に変装した水瀬は、美奈子の背後を、距離を詰めないように注意しながら歩く。

 カッ

「―――あっ」

 それは、本当に一瞬だった。

 石に足を引っかけた。

 それだけだ。

 水瀬は、すぐに視線を美奈子にむけた。

「――― えっ?」

 水瀬は目を見開いた。

 前を歩いていたはずの美奈子の姿が―――消えたのだ。



 ザザッ


 水瀬の変装した旅行客が小走りに通り抜けていく。

「やっぱり、あなたを狙っていたらしい」

 水瀬が通り過ぎた藪の中から、そんな声が小さく聞こえたのは、それからしばらくしてからだ。

「―――お知り合いで?」

「……いえ」

「霧が晴れるまでもう一度、宿に戻りませんか?ハーブティーをごちそうしますよ?」

 美奈子と、宿の主だった。


 ―――心配で追跡したんです。


 美奈子を追いかけてきた理由を、主はそう告げた。

 たしかに、傷心旅行を装っていたし、後ろからは不審者が追跡していた。

 すべてでっち上げだが、かといって否定出来ない美奈子は、主の言うとおり、素直に宿に戻った。


「木陰から手招きされた時は、正直びっくりしました」

「この辺は私の庭のようなものですから」

 主はハーブティーを勧めながら答えた。

「でも―――ありがとうございました」

 美奈子はハーブティーを飲んだ。

「……霧が晴れるまでは、しばらくかかるでしょう」

 主は窓の向こうに広がる霧の世界に視線を送った。

「霧の中にいると」

「……」

「世界が本当に狭く思えますよ」

「……そうですか」

「ええ……」

 主はチラリと時計を見る。

「駅に行っても、次は2時間後です。クッキーもありますからしばらく話し相手になってもらえますか?」

「私の方こそ」

 美奈子は、体がホワホワと浮き上がるような、不思議な感覚に身を任せつつある自分に全く気づいていない。

 一体、それほどおいしかったというのか。

 それとも単に美奈子が意地汚いのか。

 ハーブティーを何杯も飲んだ美奈子が、主の話が毎年の宿泊客の話題になった時、言った。

「3人、行方不明になってるそうですね。もしかして、さっきみたいに誘ってどこかに連れて行ったんじゃないんですか?」

「……やっぱり」

 主は冷たい視線で言った。

「何かご存じでここに来たようですね」

「……へ?」

 妙に頭がぼんやりする。

 世界がグラグラして、横になりたくてしかたない。

 美奈子は何とか姿勢を保とうと、カウンターを両手で掴もうとするが、力が入らない。

「あ……あれ?」



「私には娘がいたんです」


 それは、本当に現実なのか?

 それとも夢か?

 目の前がぼやけ始めた美奈子の耳に、聞こえてくる主の声が、本当に主の声か、美奈子は地震がなかった。

「私は娘を愛していた。子を成す程ね。ところが、娘は事故で死んだ。死んだ時はそれは悲しかった。

 愛した娘と離ればなれになるのが、この身を裂かれるより辛かった。悔しかった。

 だから私は“あること”をして、娘と一つになったのです」


「……」

 美奈子は、自分がカウンターの椅子から転げ落ちたことさえ気づかない。


「でもね?私は娘と一つになったことで、神からの罰を受けました」


 カウンターの向こうから出てきた主の手には、薪割り用の手斧が握られていた。

 床に倒れる美奈子を前に、主は舌なめずりしつつ、斧の刃を確かめた。


「若い女性の肌を見ると―――食欲が抑えられなくなるのです。

 吹き出す血を全身に浴び、生ぬるい血潮を飲み干さなければ、喉がかわく。赤黒く蠢く肉を喰らわなければ空腹を満たすことが出来ない!」


 ハァ……ハァ……


 荒い息の下、男は震える手で続けた。


「私は女性の血肉を求め、飢えるという神罰を受けた!さぁ、あなたも私と一つに―――!」


 手斧が美奈子めがけて振り下ろされようとしていた。



「……御苦労様」

「桜井さんには、悪いコトしたわね」

「今回のことは、記憶操作して、消しておくよ」

「事件に巻き込まれて記憶消されるって……この娘、これで何回目よ」

「前の壁に埋められていたミイラ化した死体見た時で5回目だから」

「ホント……お気の毒」

 場所はA市内の病院。

 廊下に置かれた長いすに座る水瀬に、横に座る理沙が言った。

「飲まされたのは、香草ハーブというより麻薬だそうよ」

「……やっぱり?」

「先生に聞いたけど、一定の種類をあわせると合法の香草ハーブが麻薬と同じ成分を産み出すんだって」

「……後遺症は?」

「ないけど……あの子飲み過ぎたらしいわね。普通なら一杯か二杯が限界なんだそうよ?2、3日は静養が必要だって。ご家族にはどう説明する?」

「事件調査が長引いたってことにする。桜井さんもうまく言いくるめて、近くの温泉に泊まって……宿のご主人は?」

「水瀬君の一撃喰らって、今集中治療室。発狂している可能性が高いから、精神鑑定の手配している」

「……そう」

「愛する子供失って狂った―――そんな所よね」

「……うん」

「愛する子供を食べてしまうなんて……」

 理沙は両手で体を抱きしめるように身震いした。

「私には信じられない」

「青頭巾」

「……へ?」

「ペンションの名前。出来すぎだよ」

「なにが」

「江戸時代に書かれた『雨月物語』に、『青頭巾』って名前の話しが出てくる。

 旅をしていた改庵禅師が、宿を求めて里に入り大きな家を訪ねると、禅師を見た人達から「鬼が来た」と騒ぎ立てられ、逃げられる。

 どうやら、理由は自分の僧衣にあるらしい。

 何とか誤解を解いた改庵に、家の主がわけを話した。

 近くに山寺があって、徳の高い阿闍梨がいた。

 だが、一人の稚児に迷い、これを寵愛するようになった。

 この稚児が病で死ぬと、阿闍梨は腐敗し、腐臭を放ってもなお、稚児の遺体に寄り添ったままになった。

 挙げ句が、気が狂ったまま死肉を食らい、骨を舐め尽くし、食い尽くした。

 そのの地、阿闍梨は鬼と化し、墓をあばいて屍を食うようになったので、皆が恐れているという」

「……」

 似てるでしょ?と、水瀬は冷たい笑みを浮かべた。

「―――で、そのなんとかいう、狂った坊さんはどうなったのよ」

「結局、改庵禅師に教化……まぁ、宗教的な正しい教えを受けて成仏した……ってところかな」

「あの宿の主には、いなかったわね」

「そこが物語と現実の違いだよね」

 水瀬はポツリと言った。

「現実の残酷さって、そういうところにあると思う」


「警部補」

 背広姿の若い刑事が、理沙に近づいてきた。

「ペンションのハーブ畑から白骨化、もしくは白骨化しかかっている女性の頭部が4つ、それに砕いた骨と内臓の痕跡がみつかりました」

「……骨と内臓がいい肥料になったでしょうね」

 ちらりと水瀬を見た理沙は言った。

「水瀬君。絶対に今回のこと、桜井さんの記憶から消しておいてね?」

「どうして?」

「人間の骨肉で育ったハーブティー。飲みたい?」

「……消しておく」

 水瀬は、げんなりした顔で頷いた後、刑事に尋ねた。

「内臓と頭部と骨は見つかったけど―――筋肉は?」

「ハーブを育て始めたのは2年ほど前だそうです」

 刑事は、それだけ言った。

「―――もういい」

 水瀬は吐き気を抑える仕草で首を左右に振った。

「どういうこと?」

 理沙は刑事と水瀬の言いたいことがわからないらしい。

「理沙さんも肉料理すればわかるよ」

「はぁ?」

「ハーブティーはね?おまけなんだよ。理沙さん」

 水瀬は言った。

「どういうことよ。どうして、主はハーブなんて育てたの?客寄せじゃないの?」

「違うよ。ハーブを育てた理由は―――多分、一つ」

「何よ」



「―――肉料理に変化をつけるため」



 どういう心の闇が主に生まれたのかは知らないし、知りたくもない。

 どちらにせよ、その後しばらく水瀬と、話を聞いたルシフェルは肉を食べる気になれなかったという。



『雨月物語』は素晴らしい作品です。一度、読んでみて下さい。お勧めです。

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