岡山研修編(1年目最終話)
2000年
春
3/20に白馬の勤務を終了して、少しだけ実家に帰った。
3/25にはまた関越道路に乗って、軽井沢を目指した。
もうすぐ4月だというのに、軽井沢周辺は雪が残っている。
軽井沢プリンスのアウトレットもこの頃拡大を続けていた。
周辺は激混みなので、高速を降りると裏道へ入るのが常となっていた。
遊園地に着くと雪で覆われていた。
コテージもゴルファーズもまだ水道管の凍結により使えないとのことなので、またホテルの一室に仮住まいすることとなった。
そんな中、苗場に行った社員達と、白馬組の社員で岡山の研修へ10日間行くことになった。
TPの人々は苗場のクローズ作業をしているという。
総勢10人くらい
最小限の荷物を持って新幹線で岡山へ。
あっちこっち行って本当に疲れた。
定住という暮らしに憧れたのはこの頃だった。
岡山はサンヨープレジャー㈱というおもちゃ王国の本拠地
岡山の玉野市というところにある。
そこへ研修という形で10日間勤務することになった。
しかも、部屋は上司達と一緒。
男性8人部屋だった。女性は2人部屋
僕ら4人プラス上司3人+経理の大御所の亀子さん
この年度から斎藤Ⅿがホテルから合流したので、Ⅿ(マネージャー)が3人に増えていた。
大部屋での暮らし。
最初冗談かと思ったが、本当に広い部屋が用意されていた。
息がつまる10日間
僕はよくこの経理の亀子さんとスロットに行った。
経理の亀子さんはⅯになれないが、一番年上でやさしい人物。
でも、ギャンブルと女が好きで出世できない。
そんなナイスな先輩と毎晩スロット行って、飲みにも行った。
岡山おもちゃ王国の仕事は本当に退屈だった。
僕はここでも園内管理という部署
一日中ほうきと塵取りを持って園内をうろうろするあれ。
でも、さすがは本社。
しっかりとさぼるところはあって、掃除用具置き場が「詰所」と言われていて、お茶とかお菓子、テレビまで設置されていた。
そこへ、さぼりの老人が何人かいる。
でも、僕がそこで休んでいると「若い奴は働け!」と言われ、追い出された。
岡山のジジイどもは怖いなと思った。
そして、毎日研修ノートなる報告書を書く。
本当は
「特になし」
と書きたいが、延々と「やはり本社は凄い。見習うべき点が沢山ある例えば・・・・」など、くだらないことを沢山書いた。
僕は文書を書くのが得意だ。
報告書は一番早かった。
あの老人どものさぼり具合を暴露してやろうかと思ったが、止めておいてあげた。
報告書が終わると、皆でレンタカーに乗って、宿泊しているホテルへ向かう。
そして外食。
毎日外食。
たまに上司が奢ってくれたが、大変だった。
でも、上司も息苦しかったのだろう。
Ⅿという特権を使って、皆より早く帰った上司が2人いた。
辻岡さんだけは、最後まで残って毎日一緒に飲みに行った。
最終日は、サンヨープレジャー㈱の社長自ら僕らを接待してくれた。
おもちゃ王国には王様のキャラクターがいて、それが王様の「シーゲルン」
社長に会った時皆
「あ、シーゲルンだ」
と言った。
大きくて真ん丸。
そのシーゲルンは横に秘書的な美女を連れており、高級車で現れた。
そして、岡山の女性スタッフたちが大勢
良い接待を受けた。
フランチャイズの会社の人間に手厚いおもてなしだった。
やはり、20年くらい前だと、女性がつきもので、今考えれば我々の為に女性だけ招集されたのだった。
ホテルグリーンプラザも同様で、お偉いサンが接待をするときに、女性スタッフが駆り出される。
こういう悪しき習慣が昔はあった。
でも、岡山のスタッフはみんな明るく素敵な女性たちだった。
流石社長に呼ばれるだけある。
そんな最後の夜を過ごし、僕らはまた軽井沢に帰って行った。
ここで一年目は終了
次回から二年目になります




