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裏Resort  作者: まさぐりまさお
1年目
41/108

白馬編12

2月になり、いよいよ雪も深くスノーボーダーにとっては、絶好の雪質であった。




元々この頃は白馬あたりは、雪質は日本の中でも上質で有名で、尚且つ関西圏からも関東圏からもアクセスできることから、様々な人が山籠もりに来ており、大会も開かれていた。


1998年の長野オリンピックでは、八方尾根が大会会場になるほどだ。




この時に一緒に遊んでいたブラジル人のガウシュも、リフトの人たちも、スノーボードの大会に向けて、コルチナのキッカーとハーフパイプで練習を積んでいた。




僕も、就職する前には菅平高原に籠ってスノーボードをしていたのだが、異次元の差がある。


白馬はレベルが日本一だった。


当時、僕はまだ回転系の2Ⅾ(横回転)ですらロクにできずに、B3、cab3あたりで戸惑っていた頃で、スノーボードは就職を機に辞めていた。


スノーボードは普通に滑るくらいなら大丈夫なのだが、キッカーやハーフパイプに入るとなると、別でケガのリスクが格段に上がる。




僕は鎖骨骨折や脱臼をし経験していたので、普通に滑る程度にしていた。




ブラジル人とリフトマンのトップ処はこの頃「コルチナ7」と名乗っており、本当のトップ7で大会を目指しており、カッコよかった。


仕事もきちんとやり、ファンレターも貰い、遊びも半端ない。


ココのリーダーがあのアイドル桜井君だ。




彼らは、この時2000年ですでに、3Ⅾを習得しており


(3Ⅾというのは、ただの横回転だけじゃなく、縦の回転もまぜる技)


ロデオフリップなどが出て間もない頃で、回転数こそは5(540度)7(720度)であったが、高さと言い、着地と言い申し分ない上手さだった。


(今大会では、10(1080度)が当たり前になって、かつ3Ⅾも訳の分からない技が沢山出てきている。これは、素人が見ても何回転しているのか解らない)


そして、ワンフット(バインディングを一個外すこと)も平気でやっていた。




ちなみにこの頃はDCshoe のブーツ


forumの板がJPwalkerのおかげで大流行。




リフト係は、スノーボーダーにとっては絶好の職場で、山頂へ行くとディガースタッフ(キッカーなどを整備する人)も兼ねている為、


自分たちの練習環境を作ることも可能だった。


そして、山頂へ行くときは、必ず板を持っていき、下まで滑れる。


勤務シフトも、中抜けの時間(朝6-10勤務して、10-18まで中抜け、18-22までナイター勤務)は練習し放題。






一方


僕はこの中抜けを、主に昼寝とデートに使っていた。


高橋姉さんや、渡辺とワーキャー言いながらスノーボードを滑ったり、春ちゃんを連れだし、買い物に行ったりして青春を楽しんでいた。


でも、そんな楽しい時間は長く続かなかった。



必ず何かが起こるのが人生


起こしてしまうのも僕の人生

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