軽井沢編-18
ゴルファーズロッジで那須君が上司にボコボコに殴られてました。
なにか言い訳をしたくさい。
この上司はいい人なんですが、例の大男。
この頃、まだ29歳か30歳だったと思います。
すぐ手が出る人でした。
僕が知っているなかで、3人やられてます。
その一人が那須君。
ボロボロのゴルファーズロッジはそんな騒動があっても日常です。
まじでゲトー
多分この時から那須君はパニック障害になっていたかもしれません。
その後どんどん仕事が忙しくなるにつれ、おかしくなっていき、ちょっとだけ2人部屋になったのだが、話をするわけでもなく
ぶつぶつ独り言を言うようになって、仕事は小学生くらいの能力しかなくなりました。
でも、例の上司は
「那須を何とか面倒見てやってくれ。」
と僕に言いました。
「はい」
とか言いましたが、正直無理だと思いました。
那須君の奇行は沢山ありました。
蛍光灯事件を機に増産します。これは後で話します。
そんなゴルファーズロッジは荒れ狂ていて、僕が入った時も壁のうっすい隣では、ホテルの従業員が毎日「B'z」を大音量で掛けて、歌い続ける人間でした。
酔っぱらった時に、ふとむかついてきて、ぶっ飛ばしてやろうと思い、部屋に怒鳴り込んだら次の日から居なくなりましたが。
本当に今だったら大問題
でも、当時20年前はしかも山奥は当たり前のように荒れてました。
解りやすくていい時代でしたが。
あと、僕がお世話になった石川さんも、レストランのジュースを飲んでいるがバレて、殴る蹴るの暴行を受けていました。
この上司が強いのなんの。僕は絶対怒らせないように誓いました。
ただ、この石川さんはTPと言って、前回話した通り、外部の人間なので、本来なら会社間で大問題になりかねないのでしたが、この時は大丈夫でした。
後に、暴力事件で大問題にはなりますが、主人公が僕です。これも後の話。
この一年目の時に僕もちょっとした揉め事がありました。
まさに揉め事だらけなのですが。
僕のチームのアルバイトの中に一人だけ異彩を放っているおっさんが居ました。
聞けば30代で歯の無いそのおっさんは、借金から逃げて来た典型的なおっさん。
でも、我が強くて若い僕ら20代前半みんなのことと仕事を舐めすぎて、チームワークを乱しまくりなので、僕は何度か注意した挙句、何の権限もないのに
「お前はクビ」
と言ってしまいました。
そしたら、そのおっさんは
やれ不当解雇だの
やれ会社としての事由の述べよだの
給料1か月分の保証と交通費がどうのこうの
言ってたので、めんどくさくなり
「寮に帰っても居場所なんてないからな」
的な脅しをかけました。
この時は、僕はアルバイトと年齢も近いこともあり、かなり仲良くしてました。
まさにマンパワー
この山奥では、一般の会社の常識は通用しません。
しかし向こうも向こうで
「じゃあヤクザを連れてくる」
と脅しをかけてきました。
「テメーヤクザとか言ってるけど、金借りてるくせに何言ってるんだ。お前の為に、こんな山上がってくるわけねーだろ」
と言ってみました。
すると、おっさんは大人しくなって下界へ帰っていきました。
まさにノリ。
実は怖かったです。
でも、このことをきっかけに、僕は一緒に働くアルバイトの大切さを知りました。
ひとえにアルバイトと言っても、フリーターの人間もいて、居心地がよければ、ずっと一緒に働いてくれるし、このアルバイトやTPとかの派遣の人がいることによって、新規のアルバイトを教育する手間が省けるし、また古いアルバイトが、新規を教育してくれるから、楽になるのだ。
このことを学んだ。
まさに、「人」「歌」「心」川中美幸です。
あとは正式に人を解雇する場合の社会的な方法を勉強しようと思った。
こんなやり方じゃだめだと思った。
そして夏は終わっていきました。
あれだけ騒ぎまくり、よく働いた大学生達が日常に帰ってゆき、ほんのわずかなフリーターが残っただけで
淋しくなりました。
この時に、
そんな時
当時IDOの携帯(簡単なメールと電話しかできないやつ)にTTの妹から電話がかかってきました。
あの地元の友達から買ったソアラで駆け落ちしたと。
「駆け落ち?」
とにかく行方不明なので、何かわかったら連絡くださいとのこと。
この頃はTTとは遊んでいなかったし、僕は山奥だから何もできないし連絡も取れなかったので、力にはなれませんでしたね。
聞くところによると・・・・この話は止めておきます。