軽井沢編-13
僕は1か月の研修期間を経て、一回東京本社に行き、ついでに実家に帰ることにした。
1か月ほぼ休みなしで、残業もしたので時給850円とはいえど、1か月で20万近く手にした。
そこから従業員食堂の代金 1回300円などを差し引いても、15万以上は残った。
外食する時は、ほとんど石川さんが面倒見てくれていたのでかなり助かった。
東京へ帰る直前に、板金工場へ勤めている友達に電話して、
「速攻で何でもいいから車を用意してほしい」
と伝えると渋い返事が返ってきた。
どうやらいい車が一台あったが、売れてしまったとのこと。
「くっそー!誰だ?ソアラ買った奴!」
と思ってたら
その人こそ、今のTTなんですがね。
くそーー
と思い、切実に車が必要と話すと、何とかしてくれるとのこと。
そして、駅まで石川さんが送ってくれ、電車で東京へ帰った。
本社は原宿のど真ん中のパレフランスとかいうビル。
ここで正式に社員として採用が決定した。
初めて来たときはどうでもよかったし、軽井沢なんて行きたくなかったけど、たった一か月で馴染んでしまった・・・
早く帰りたかった。軽井沢に!
今考えると、本当に石川さんのおかげだと思う。
僕も社員になったらそういう先輩を目指そうと決めた。
そして、地元へ帰って、車屋の友達に会いに行く。
用意してもらっていたのは
「alto」
知ってますかね。
スズキのアルトという軽自動車。
当時の軽は弁当箱みたいな形に細いタイヤ。
しかも4ナンバー。
業務用
しかも、事故車を修理してくれたらしく、見た目もぼろぼろ・・・
でも、急なお願いを聞いてくれた、友達と、会社の人、社長には感謝しかなかった。
社会人になって、外に出たら本当に色々な人に支えられてきた。
そのアルトを8万で譲ってくれた。
こんな赤字の客いませんよねって感覚で
「本当にありがとうございます!!」
と現金は無いけど元気はあるなんて言いながら、挨拶を丁寧にして、その場を去った。
実家に帰って、先ず真っ先に積み込んだのが
DJ機材とレコード
???
なんかこの時は、生活からこのレコードとかが無いのが、本当に淋しかったんだと思う。
あとは、適当に服を詰めたら軽自動車アルトはパンパンになった。
怖いので高速道路を走らず、ずっと下道で軽井沢を目指したが、バイパスにはなっているが、碓氷峠を登らなきゃいけない・・・
フルペダルで時速40-45k でなんとか登りさらに山を登っていく。
改めて思った。
なんで、こんな機材とレコード持ってきちゃったんだろ
流石20代